第二十七話
「それは……!」
さて、どうしようか。 こうなってしまえば、シロの気分ひとつで俺は死ぬことになる。 かと言って、八雲を殺せばその反動でショックを受けたシロが俺を殺す可能性もある。 方法はいくつかあるけど、どれも気分の良いものじゃあないな。
俺は考えた。 この状況を脱するために、最善手は何か。 物語の主人公が取るべき選択は、一体何か。 難しい思考だ、これは。 とりあえずは、そうだな。
「八雲、ごめん。 俺が悪かった、だから今回の件は水に流そう」
「……あ? テメェ、あまりふざけたことを抜かしてるんじゃねえぞ」
うーん、駄目か。 素直に謝っても許してくれないのか。 俺がちゃんと謝るなんて、滅多にあることじゃないのに。 ならば別の方法を試さないと。 他に、主人公が取りそうな行動はなんだろう? こういう立場になることがないから、ちょっと難しいね。
「じゃあ、それをしたって誰のためにもならないよってのはどう?」
「黙れ。 オレが望むのは、テメェの死だけだ。 諭されたって、素直に言うこと聞くわけねえだろ」
これも、ダメ。 しかし望むのは俺の死だけとか、どんだけ恨まれているんだろ。 こんなことなら、最初から手を貸そうだなんて思わなきゃ良かった。 まぁでも、俺としても収穫はあったから良いんだけどさ。
八雲は恐らく、こう考えている。 手負いの俺と、ほぼ無傷の八雲。 それだけで状況を見ればかなり八雲は有利。 更に、シロの法で俺を葬れれば、残りの霧生と天上は倒すのが容易だ、と。 事実、八雲は強い。 法自体はそれほどでもないが、卓越した身体能力は馬鹿にできないものがある。
これの解決方法は簡単。 ただ単にそう思わせなければ良い。 八雲が、どう足掻いても勝つことは不可能だと思えば終わる話。 別に俺は八雲のことが嫌いなわけじゃないし、この施設を破壊したら、もうアースガルドにだって用事はない。 ただ、それを分かってもらうのが難しいということ。
だったらやっぱり、力で解決するしかないのかな。
「……ポチさん、どうすんだ。 殺すか、あいつ」
「ダメダメ。 シロに法を使われたらゲームオーバーだよ」
横から聞こえた霧生の声に、俺はそう返す。 方法、何かないものか。
八雲の方をどうにかするのは、不可能と考えて良い。 なら、どうにかするのはシロの方か。 一応、今じゃお友達だしね。
「シロ、法は使うなよ。 何があっても」
「……ワタシは」
顔を伏せ、考えるように。 神に匹敵する力を持つ少女は苦悩する。 自らの力を忌み嫌い、恐れ、封じた少女は、その結果に悩まされる。 自分という器を大きく上回る力は、器から溢れ、周囲に掬われ、嫉妬された。 神と謳われ、讃えられ、しかし少女はそれを受け入れようとはしない。
「シロ! ポチを殺せッ!! 法を使えッ!!」
少年は、少女に願う。 物心ついたときから同じ景色を見て、同じことを想い、そしてお互いのことを想ってきた。 少女が抱えている苦悩も、少年は知っている。 だが、それでもずっと横で見てきた少年は思う。 それは、無責任だと。 それだけの力を持って、その力を振るわないのは無責任だと。
「分かりませんです……ワタシは、ただ、仲良くしたくて。 みんなが、楽しくて平和な日々を送れることを願っていて」
かつて、アースガルドの人々は恵まれていた。 地上とは独立した価値観を持ち、治安こそ良いとは言えなかったが、人々は結束し、活気溢れる鉄の街だった。 資源もなく、自然もない。 が、そこで人々は知恵を蓄え、力強く生きていた。 そこに突如として現れたのが、LRIと呼ばれる研究施設。 そして、LLLと呼ばれる人を壊すクスリだ。
科学の力は恐ろしく、更に人の欲望は恐ろしい。 一人がそれを使い、一人がそれを見る。 たったそれだけで、その感染病とも呼べる現象は平和だった国を蝕んでいく。 大昔に麻薬が原因で戦争が発生したように、クスリ欲しさに争いが起きるように、いつの時代もそれは変わらない。
使えば単純に強くなる魔法の薬なんてものは、存在しない。 それには必ず、代償が伴ってくる。 LLLで言えば、主な副作用は精神状態の錯乱、心肺機能の低下、視覚、聴覚機能の低下。 それはすぐには現れず、徐々に徐々に蝕んでいく。 依存性は皆無と言って良いが、LLLが持つ効果自体を依存性と言っても良い。 法の強化、それは誰しもが望むこと。
だからこそ、少女はLLLを消したいと願う。 そして、少年は少女に「それならばお前の法を使えば良い」と言い放つ。 が、少女は決して法を使おうとしなかった。 自身の法に怯える少女には、それができなかった。 一人の恩人に使うなと言われていた法を使うことはできなかった。 その板挟みは、少女を長年苦しめていたのだ。
「嫌です、嫌です嫌です嫌ですッ!!!! ワタシは、仲良く、したくて……ッ」
頭を抑え、少女はしゃがみ込む。 八雲という存在と、俺という存在。 そして、アースガルドに暮らす人々の存在。 それらは順調に、少女を追い込んでいった。 見て分かるように、精神は不安定へとなっていく。
……さて、問題だ。 追いやられ、追い込まれ、それでも逃げられなくなったとき。 人間は、どうするでしょうか。
「わかり、ました。 法を使います」
ふらふらと立ち上がり、シロは言う。 その言葉を聞き、八雲は勝ち誇ったように笑う。
だが、それは違った。 そして俺も、予想外の選択をこいつは取ったのだ。
「もう、ダメです。 ごめんなさい、ごめんなさい。 ワタシは――――――――世界を壊します」
それが、シロの選択だ。 どうすることもできず、どうなることもできず、そうして追い込まれたシロが取った、最後の手段。 八雲の意見も、俺の意見も聞かず、シロは最後の最後で自分の意思を見せた。 皮肉にもそれが、シロの願いとはなっていない。 平和を望むこいつが、世界を壊すと言ったのだから。
「待て、待てシロッ!! お前、そんなことしたらオレも……」
「もう、良いんです。 八雲、ワタシは疲れました。 この世界は、平和を願うだけでは叶わないと、知りました。 人の願いは、どうしてこうも儚いんでしょうか? 人の気持ちは、どうしてこうも難しいんでしょうか? 実験台として育ち、実験台として動かされたワタシには、少し難題だったようです」
笑い、シロは言う。 今までのどんな顔よりも、消え入りそうなものだった。 優しく触れるだけで、それは壊れてしまいそうだった。
「シロ……」
八雲は一体、何を考えているのだろう? 好いた少女のそんな顔を見て、果たして罪悪感を持ったのだろうか? 自分の行動の行末を受け入れることができるのだろうか?
「また会いましょう。 法、執行」
やはり、俺には主人公は向いていない。 シロを抱きしめて熱い言葉をかけることも、一発逆転の秘策を思いつくことも、全員が笑顔で終われるハッピーエンドも、思いつかない。 想像できないんだ、そんな未来は。 素晴らしい未来というものには、必ず犠牲がある。 それはどのような英雄譚でも変わらない。 どんな伝説でも、変わらない。 だから、俺は。
「シロの名の下に命じます。 世界よ、崩壊し――――――」
「なぁおい、約束は約束だぜ、シロ。 残念だけど、それは駄目だ」
シロの言葉は、途中で止まる。 俺が、シロの胸部を貫いたことによって。
「ぽ、ち」
「駄目だろう、それは。 お前は神じゃない、なのに神の真似事なんて、駄目に決まってる。 限りなく神に近い能力を持っただけで、所詮はただの人間だ。 ただの法使いだ。 だから、俺がそれは許さない」
左腕に、血が流れる。 貫いた箇所は赤く染まり、血がドバドバと垂れ落ちる。 シロはもう、満足に話すことはできない。 こいつの法は、命令に対する強化だ。 命令というのは言葉の締めを以って完結する。 その言葉を言い切らせなければ、どうにでもなる。
「用済み。 やっぱり、お前の法は危なすぎるよ。 それなのに未熟な精神を持っているからこうなるんだ。 まぁどのみち、いつかは殺そうと思っていたけどね」
腕を引き抜くと、血は更に溢れ出た。 シロはそのまま床に崩れ落ち、震える手で俺の足を掴む。 まだ息があるとは驚いたな……幼少期の実験の所為だろうか? だがそれよりも俺は、たった今自分が取った行動に驚かされていた。 いくら俺だったとしても――――――――だ。
「……シロ? おい、シロ?」
後ろから声が聞こえる。 俺はそれを一度見て、また視線を変える。 足元で未だに息をするシロに目を向けた。
「ぽ、ち。 わた、しは」
「疲れたんだろう? なら休め。 なぁに、大丈夫。 この国はいずれ終わる。 どんな国でも、いつかは終わる運命だよ」
「そ……です、か。 た、だ。 いい、たくて」
何かを言おうとするシロの口元に、俺は耳を寄せた。 一応は友達だ、最後の言葉くらいは聞いてやろう。
「なんだ?」
すると、シロは笑った。 そして、俺に向けて、言った。
「――――――――と。 ――――――して、ください」
「……」
正直、してやられたと思ったよ。 でも、さもすればこれこそが運命だったのかもしれない。 それこそ、最初から決まりきっていた運命。 だったら俺も、望み通り、配役通りに悪役を演じてやろう。 これは世界の選択ではない、これは……シロの選択なのだから。
「テメェ……シロから離れろッ!!!!」
八雲が叫ぶ。 俺がそっちに視線を向けると、八雲は両手の指に煙草を挟み、俺へと投げ飛ばそうとしていた。
「動くのは面倒なんだ。 だから、これで良いだろ?」
言い、笑い、俺はそのままシロの頭を踏み潰す。 骨が砕ける感触、脳が飛び散る感触を足から受け、更に血飛沫が俺の足を赤く染めた。
「し……ろ。 てめぇ……テメェテメェテメェええええええええええええええええッッッ!!!!」
「あっは。 怒るなよ、法使い。 俺はただ、目の前の障害を踏み潰しただけじゃん? 文句があるならかかって来い」
八雲の怒りは、殺気となる。 そしてこいつは、ポケットからある物を取り出した。
「あれは……LLLか!? おいポチさん、気を付けろよッ!」
「ああ」
一連の出来事を見守っていた天上が口を開く。 さすがに負傷しているからか、回路の疲労もあってか、動けば邪魔になると理解しているのかな。 まぁ、確かにそれは有難い。 俺も俺で、結構回路は使っちゃったしね。
「殺してやる、殺してやるよ異法使いのゴミがッ!!!!」
そして八雲は、手にしていたLLLの元、錠剤であるそれを一気に口の中へと放り込む。 通常、砕いて燃やし、その煙を吸う物を。 憎しみに身を任せ、俺を殺すことだけを考えた結果の行動か。
「俺を恨め。 あっはは! 愉快愉快、とっても愉快だよ。 ゴミがゴミのように死んで、それに対してゴミが恨む。 滑稽で、実に無様だね」
「て、めぇ。 ぁあああああアアアアアアアアアアアッ!!!!」
軋む音が聞こえる。 骨が、肉が。 八雲の右腕は誇大化し、眼は黒く染まった。 さながら、化け物のような見た目へとなっていく。
「霧生、天上。 キグを連れて先に脱出しとけ。 俺は適当にこいつの相手をしていくから。 LLLの効力がどんなものか、ちょっと見たいしね」
「……分かった。 けどポチさん、戻ってこなかったら様子を見に来るからな。 頼むぜ、異端者にはポチさんがいないと駄目なんだからよ」
「分かってるって」
俺が返事をすると、二人はキグを抱えて部屋から出て行く。 いくらロックがかけられたと言っても、外部からの操作でルイザならどうにかできるだろう。 仮にできなかったとしても、天上のカラス一匹あれば十センチほどの鉄扉なら吹き飛ばせる。 あっちの問題はなしっと。 そうなれば、俺もこっちを楽しめそうだ。
さて。
「ワンワン。 最初は止められちゃったからな、今なら思う存分やれるから、相手になろう」
「っふうぅうう……ぅうううう……!」
最早、人間とは呼べない。 唸り声を上げ、ただ俺に憎しみをぶつける生き物だ。 そして俺の行動がそうさせたのなら、俺は……とっても誇らしい。 ああ、感情のタガが外れそうだ。 否、もう抑えられない。
「あは……はは、あっはっはっはっはっはっはっはっは!! やばい、ヤバイヤバイヤバイ! 超楽しいって!! 俺のしたことで、人が壊れたんだからさぁ! これ以上面白いことなんてあるか!? なぁおい! あーっはっはっは!!」
さて、さて、さて。 俺が一人を壊したことによって、一人が壊れた。 だったら、そっちの責任も取ってあげないとね。




