第十話
世界は変わった。 あの一学襲撃事件を経て、その色は多分……黒から灰色くらいにはなったんじゃないだろうか。
だけど、まだ灰色だ。 灰色ってのは真っ黒でなければ真っ白でもない。 そしてどちらに転んでいくかも分からない状況で、やっぱり先は長く、見えない。 ひょっとしたら、これは法使いと異法使いの溝を更に深めただけだったかもしれないし、そうではなかったかもしれないんだ。 けれど、何かが起これば連鎖して何かが起こる。 そういう風に世界はできているんだよ。 ドミノ倒しのように、最初のひとつが倒れれば続けざまにどんどんと倒れていく。 まぁ、その途中で大きなドミノが存在したら止められてしまうかもだけど。
「今日も憂鬱だなぁ」
「またそのセリフか、矢斬。 相変わらず、お前は何も変わらないな」
「そうか? いやはや、俺としても結構死ぬかと思ったし、少しは頑張らないといけないのかなぁと思ってるんだよ? 思ってるだけで実行しようとは思わないけど」
「それがお前のいつも通りなんだよ、矢斬。 しっかし、お前の法は予想以上に一辺倒なのが分かったな……今回の事件で」
「褒めてるのか貶してるのか微妙なラインだねぇ。 それじゃ俺も言わせてもらうけど、天下の凪正楠嬢が正面からの戦いでボコボコにされるということが分かったかな。 あはは」
俺が笑って言うと、凪は眉をぴくりと動かす。 おお、どうやらこれは怒ってるのか。 まぁそりゃそうか、今まで敵なしと言われてきた凪が、あっさりと圧倒的に無様に負けたのだから無理もない。 俺としてはいつかあり得ることだとは思っていたけどね。
んで、問題は凪がそのときにどうするかということ。 絶望するのか、更なる努力を重ねるのか、それとも新たな才能を開花させるのか。 それが俺は気になってもいたのだが。
「というかさ、凪も結局は何も変わってないよね。 いつも通りだ」
横で歩く凪の顔を見て言う。 風に髪を靡かせ、颯爽と歩くその姿はさすがと言えるだろう。 ただ歩いているだけでここまで様になる奴もそうそういない。 そして凪はそんな姿で「そうだな」と呟いた。
「無理をして変わっても仕方ない。 現時点での私の実力はそれで、かと言って無理に鍛錬をしても急激な成長なんてないさ。 何事も着実に、堅実にだ。 私はな、矢斬。 負けたこと自体にはそれほど悔しさを感じていないのだよ」
「あそうなの? じゃあさ、一回で良いから今度授業で手合わせあるときわざと負けてくんない? そうすれば俺の評価もうなぎ登りだし。 良い案じゃないかな」
「もしもお前がそれを本気で言っているのなら、今から手合わせをしてやろう」
「……あはは、冗談冗談。 で?」
目がマジだったな。 怖い怖い。 正直、凪には法比べでは絶対に勝てないし。 俺の法はただの眼に対する強化で、あのとき屋上でのことも、ただ相手の動きを分析して、ひたすら回避に徹底しただけだ。 そんで、ずーっとそんなことをしてたらいつの間にか事件は終わっていた。 法使いとしてしたことと言えば、ずっと逃げてるだけだったんだよね。
「それで、それよりもよっぽど悔しかったのは……何一つ守ることができなかったということだ。 矢斬の機転がなければ、あそこで多数の生徒を巻き込んでいただろう。 下で幸ヶ谷さんが時間を稼いでくれなければ、もっと甚大な被害が出ていただろう。 生徒会長のこともそうだ。 私がもっと強ければ、あの男を倒していれば、被害はもっと抑えられた。 そう、思ってしまうのだ」
「んー? 一緒じゃないの、それ。 凪がそこでその男と戦ってなきゃ、もっと被害が出てたんじゃねーの? ひょっとしたら上に来て、必死に天狗さんと戦ってた俺も死んでたかも。 あはは」
「お前は本当に……。 死ぬとか、そういうのに恐怖を感じないのか?」
恐怖? ああ、そうだな。 どうだろうか。 言われ、俺は悩む。
……確かに死ぬというのは何もかも失うということだ。 自分が今までしてきたことも、積み重ねたものも。 だが、俺の場合はろくに積み上げてきたものなんてない。 敢えて言うなら心残りというか、そういうのは一個あるけども、それでも死んだら何もかもがなくなるんだよな。 だったら、別にそれはどうでもよくないかと思う。
死ねばもう何もできない。 何かをする必要がなくなる。 なら、別に死んだところで失う物は結局ないのではないだろうか? 死という終わり、ゴールに着いたら、いくら心残りがあっても忘れてしまう、消えてしまうんだしね。
「感じないかもね。 それよりさーあ、恐怖っていうより興味はあるかな。 死んだらどうなるんだろうっていうアレだよ。 まぁあるのは無だろうけどさ」
「どうだかな。 相変わらず、お前は変わっているよ。 少なくとも私はあの男と対峙したとき、恐怖を感じたぞ。 今まで、あそこまで強力で圧倒的な力を持つ奴と戦ったことなどなかったからな」
「ふうん。 それってさ、凪の兄さんよりも?」
「……正直言って分からない。 私は兄が本気になっているとこは見たことがないし、私が対峙した男も本気ではなかったように思える。 上には上がいるように、下にも下がいる。 私なんて、まだまだ下の法使いさ」
よく言うねぇ。 少なくともそのセリフ、俺以外の前じゃ言わない方が良いよ。 うちの学園じゃ、凪正楠と言えば強さの証みたいなものなんだから。 名目上……というか人づてで勝手に噂されている話だけど、凪は学園じゃ生徒会長の次に強いって話だし。 けど、それはあくまでも授業で行われる手合わせや、成績上のこと。 凪が持つ『時間』の法を使えば、間違いなく学園最強だろう。 だからこそ、今回の事件で凪があっさりと敗北したことに衝撃が走っているんだ。 中には「もしかしたら俺でも勝てるんじゃね?」とか思った馬鹿が挑んでいるらしいし。 凪にとっちゃ良い迷惑だろうな。
「ま底辺にはいっつも俺が居るから安心しようぜ。 あてか、そんな俺だから死ぬことが怖くなかったりすんのかな? 死んだらどうなっちまうんだろうなぁ」
「はは、まだ言うか。 そこまで気になるのなら試してみればいいさ」
凪の言葉は冗談だと思う。 そういう言い方だったし、そんな調子だったし、そんな会話の流れだったからだ。 けど、俺はわりと本気で気になっているんだよね。 というわけで。
「うん、やってみよう」
言い、俺は道端に落ちている木の枝を手に取った。 先は尖っており、怯まずに突き刺せば肉体は貫けるだろう。 法使いの体は回路のおかげで丈夫なものだが、俺の場合はそんな丈夫さもあまり持ちあわせていない。 回路が弱ければ、それに体も伴うということだ。 ちなみにこれは中等部で習うことである。
「……は?」
凪は一瞬、呆気に取られたように俺のことを見る。 そんな凪の顔が面白く、俺は笑いながら木の枝を逆手に持ち、首に刺すため振るう。
「な、やめろ矢斬ッ!!」
「おおう……あっはっは、冗談だって。 さすがにそこまで被虐趣味じゃないよ、俺は」
寸でのところで、凪が俺の腕を掴んできた。 反射神経、すごいな。
「お……お前なぁ……!」
「あっはっは! はは、ごめんごめん。 まさかそこまで慌てるとは思わなかったんだって。 一応俺にだって、今死んだら心残りもあるんだから死なないよ。 それは凪も知ってるだろ?」
俺は手に持っていた木の枝を放り、凪に向けて言う。 凪の顔は少し青ざめていたが、すぐにそれは怒りとなったようだ。
「まったく……お前といると命がいくつあっても足りない気がするよ。 しかし、そうだな。 会えると良いな」
「いやぁ、別に会えなくても良いんだけどね。 生きてるか死んでるかだけが知りたいんだ。 ま案外タフな奴だし、生きてるだろうけど」
俺と凪が指している人物は、俺の妹のこと。 小さい頃……あいつが六歳のときに、生き別れとなってしまった妹のことだ。 凪にはただ生き別れになったとしか話していないから、その原因は俺しか知らない。 ただ、生存を確認したいというだけのこと。 生きてたら俺は「ああやっぱり」と思うだろうし、もしも死んでいたとしても、俺は結局「ああやっぱり」と思うだけ。 そんなことを凪に言ったら、怒られるだろうから言わないが。
「妹さんは会いたがっているさ、お前に」
「それはそうかもね、というか多分そうだと思うよ。 けど、俺はあいつのこと苦手だからなぁ……」
「ふふ、そんなに手の掛かる妹なのか?」
「いーや、そういうのとはちょっと違う。 ブラコンなんだよ、重度の」
本当に、重度の。 どのくらいヤバイかっていうと「にぃ、わたしと一緒に死のう」とか言い出すくらいヤバイ。 俺が一番最初に聞いた言葉、それだからね。 だから俺はあいつに会いたくないんだ。 んで、生存を確認しておきたい。 もしも生きていたら来るべき日のために色々と備えをしないといけないから。 感動の再会じゃなく、恐怖の再会ってやつだ。
「それはそれで面白そうだ。 ぜひ、会えることを祈っているよ」
「祈らなくていいからね、マジで」
まー、もしも曲がり曲がって会うとしても先の話だ。 今では俺は法使いにすぎない。 ひょっとしたら、会わない方がお互いのためなのかもしれない。 それも結局は運命のみ知るところで、世界のみが知るところ。 だから迷わずに俺は俺で居る。 思い付きで、気ままに。
「そういえば矢斬、今日の授業で手合わせがあったな。 どれ、久し振りにお前が成長したのか見てやろう」
「お、それってまさか俺の提案飲んでくれるってこと? わざと負けてくれんの?」
「いいや、さっき私をからかった礼として、可愛がってやる。 覚悟しておけ」
……うーん、あんま人をからかうものじゃないね。 覚えとこっと。




