第一話
*2-3ヶ月に一度の更新となりますので、3ヶ月ほど更新が停止する場合があります。 一度の更新は一週間ほどに分けまして、一章分の投稿となります。 活動報告にて執筆状況はご連絡します。
この世界には三つがある。 大きく分けての三つだ。
ひとつ、法という能力。
ふたつ、異法という能力。
みっつ、魔術という能力。
法を使う者は法使いと呼ばれ、異法を使う者は異法使いと呼ばれ、魔術を使う者は魔術使いと呼ばれている。 それらの力は似ているようで異なり、それぞれがそれぞれの能力を良しとしていない。
現在、この国の大部分は法使いが取り仕切っている。 人類の大半を占める法使いの持つ力は絶大で、絶対だ。 力というのも、ただ単純に能力的なものではなく、権力なんてのも含まれてってこと。 んで、どんくらい法使いが力を持っているかと言うと。
巨大、かつ広大な都市、昔でたとえると日本列島ということになるのかな。 今となってはかつての一大戦争を経て国境も何もかも消えてなくなってしまったけども。 まぁそれは置いといて、かつての日本と呼ばれた場所は地区という名称で区切られている。 アルファベットのAからZまでに区切られたそれは、順番が早ければ早いほど、つまりAが一番繁栄していて、Zが一番田舎って言えば分かりやすいと思うし、そう思ってもらって構わない。 そういう風に分けられているんだ、俺たち人間は。 まぁ、ここまで言えば分かると思うけど、A地区からU地区までは法使いの物で、残ったVからZまでが異法使い、魔術使いで分けているってわけ。 もっと具体的に言えば、VからYは異法使い、そして最後に残ったZ地区に魔術使いが暮らしている。
そしてそんな、簡潔明瞭に言ってしまえば負け組のひとつである魔術使い。 魔術使いは今言ったように、都市部から遠く離れた未開拓のZ地区で暮らしている。 暮らしているというのは良い表現だが、現実はただ隔離されただけだ。 法使いにとっては、魔術なんてものは差別対象でしかなく、その能力を持つ者は拒絶され、そして隔離された。 それが、この世界での現実ってこと。 彼らに関しては少々生き方というか、信念みたいなものも違うみたいだから、逆にそっちの方が都合が良いのかもしれないけど。 それこそ昔は仲良しこよしはしていたが、大戦での敗戦、その原因の擦り付け合いの末、法使いは異法使い、そして魔術使いへと責任を擦り付けた。 もう、何十年も前の話だね。 結局それ以降、魔術使いたちはZ地区から出てきていない。 法使いが居住する法地区で新たに生まれた魔術使いだけがZ地区へ隔離され、移動させられる。 そんな一方通行の状態はもう何十年も続いているんだ。
それじゃあ、最後に異法使い。
彼らが暮らすのも法使い同様に都市部だ。 法使いが取り仕切る都市部で、日々ひっそりと暮らしている。 というかそうするしかない。 元はと言えばX地区で生活を強制されいたが、魔術使いみたいな信念なんてものはない彼らは人並みの生活が送りたくて、結局は過疎地区から都市までやってくる。 例えるなら上京みたいなものか。 だが、その生活は散々なものである。 異法使いに人権はない。 異法使いには何をしても良い。 異法使いはただただ異常で異質で異端なのだ。 たとえばの話、法使いが誰かと間違えて異法使いを殴ったとしよう。 それを見た人々は口を揃えて言う。
「悪いのは異法使いだ」
それがここでの常識だ。 この世界での常識だ。 どんな理不尽なことも、ここでは全ての責任は異法使い、及び魔術使いに生じる。 きっと、彼ら異法使いから見れば魔術使いの待遇というか生き方は、喉から手が出るほど欲しいものだろう。 隔離されることさえ許されず、たとえ殺されようが殺される方が悪い。 そんな常識が存在する空間で暮らすことが、どれだけつらいものなのか。 それが嫌になって過疎地区へ戻っても、結局は地獄みたいな日々だけ。 ゴミに埋もれて寝て、ゴミを食い漁る日々。 あはは、それはとても滑稽だ。
「それはあくまでも暗黙の了解だろう? 矢斬」
「そうだった。 けどさぁ、俺の予想だといつか痛い目に遭うと思うんだよね、法使いたちは」
俺の横で言ったのは、凪正楠。 俺がこのD地区にある法使いの高校、法執行第一学園に入学し、最初に知り合った奴だ。 白い制服に身を包み、颯爽と歩く姿は実に絵になる。 長い髪を一本に結び、腰まで伸ばし、ピンと伸ばされた背筋は芸術並みとも言えるが、本人の前で言うと殴られかねないからやめておこう。 というわけで、いやぁ今日も格好良いですね凪さん、と思いながら俺は凪のことを見る。 こいつともまぁ、今ではなんだかんだ、日常会話くらいは交わすくらいにはなっている。 それなりにはね。
「そのときはそのとき、異法使いを片っ端から拘束するだけだ。 それに矢斬が言った「痛い目」にもしも遭うのだとしたら、それは私たちだぞ。 分かって言っているのか?」
「あっは、そうだったっけ。 そういや、俺も法使いの端くれだったね。 いやぁ、自分が弱いもんで忘れちまうんだよ、いっつも」
笑いながら、自身の頭を指でとんとんと叩き、俺は言う。
そう、俺とこの凪という奴は法使いだ。 同じ法使いと言っても、その実力差は天と地の差。 分かりやすく言ってしまえば、俺が成績最下位で凪が成績最上位で……そんなところ。 すっげえ分かりやすいよね。 凪が良く言われる三つの言葉は「格好良い」と「綺麗」と「すごい」だ。 ちなみに俺が言われる三つは「弱い」と「雑魚」と「頭がおかしそう」である。 別に文句はない、事実だしさ。 けどひとつ言わせてもらうと、弱いと雑魚は同じ意味だよってことかな。 頭がおかしそうってのは良く言われるから、それは別に全然構わないよ。 そう言われる理由も分かるし、自覚だってあるからね。 だからそれはどうでも良いんだけど、問題はやっぱり俺と凪の立ち位置ってことだろう。 俺が一番底辺だとしたら、凪は頂上だ。
しかも、そんな俺とは正反対な凪はそれに加えて歴代の中でも随一の才能を見せている。 羨ましくは思わないが、やっぱり天才ってのは存在するんだと感じさせる出来事だったっけ。 そんで、同時にアレ。 理不尽だなぁって俺は思ったんだ。
「矢斬、良いか? どんな状況でもどんな状態でも、正しいのは法使いだ。 法に則って行動するわけじゃない、私たち法使いが起こすことこそ、法になるんだよ。 もちろん、現状は良くないよ、変えていかなければならない」
凪は言う。 そんな、耳を疑うようなセリフを平気な顔をして、俺に向けて。 うーん、やっぱこいつは根っからの法使いだ。
「お前のその考え方は大っ嫌いだ。 俺はさーあ、もっと良い未来にしたくてここに居るんだ。 今よりも良い世界を見てみたいんだ」
俺は言う。 そんな、耳を疑うようなセリフを平気な顔をして、凪に向けて。
これが俺と凪の関係。 話はするし、飯も一緒に食う。 遊びもするし、冗談も言い合う。 だが、こいつのことは好きじゃない。 むしろ嫌いなくらいで、それは凪も一緒だろう。 凪は完全に法使いで、家系的にも由緒正しく法使い。 将来は都市中心部にある法執行機関に入るのが約束されているしね。 凪家の娘は優秀だとは、耳にたこができるほどに噂されているんだ。
俺たちは同じ法使いだが、その信念が違いすぎる。 しかし、多数決で考えてしまえば異端なのは俺の方でしかない。 異法使いはいつだって貶され、咎められる。 いきなり殴りつけられたとしても文句を言えないのが異法使いで、いきなり殴りつけたとしても文句を言えるのが法使いだ。
……この世界は、面白いほど理不尽にまみれている。 本当に、笑ってしまうくらいに。 だから俺は好きなんだ。 たまらなく、今すぐ叫んでこの喜び、楽しさ、嬉しさ、幸福感を誰かに伝えたいくらいに。
「そういえば、さっき矢斬が言っていた「痛い目」ってのも強ち間違いじゃないかもしれんな」
「なんだよいきなり。 心当たりでもあるのか? 凪」
「なきゃ言わない。 実は、これは出回っていない情報なのだが」
校舎の屋上、そこは生徒達には開放されていて、昼休みなんかは絶好の溜まり場だ。 法使いが通う学校は基本的に規則や規律、内容だってそりゃ厳しいもので、だから基本的には昼休みなんてものは存在しない。 各自が各自の訓練に励み、自身の鍛錬に使うべき時間というのが、この昼休みの実態である。 だから、今こうして屋上に居る人間は二種類のみ。
「異法使いに組織的な動きが見られる……っていう話は前にしたよな? 異法使いの内、何人かが集まっているという話だ」
成績優秀者。 言ってしまえば鍛錬する必要がない者。 昼休みを昼休みとして満喫できる余裕がある奴らだ。
「そーいえば聞いたっけ、そんな話も。 えっとなんだっけ、名前」
そんで、俺みたいな落ちこぼれ。 もう鍛錬することすら諦め、やめてしまった奴ら。 その二つの人種のみ。
とは言っても、俺みたいに本当に何から何まで諦めた奴なんてそうそういないけどな。 凪も当初こそ「しっかり鍛錬しろ」なんてことを言っていたが、サボり続ける俺を見て、ついには諦めてくれたところだ。 だから俺は自由を謳歌している。 俺がだいっすきな、自由をね。
「異端者」
そして今、起きているひとつの問題。 法使いの中でもごく少数しか知らない情報だったりする。 ならば何故、凪がそんな情報を持っているかというと……凪は法使い上層部とも深い繋がりがあり、同時に法執行機関というところに出入りできる権限があるんだ。 そのおかげで、出回らない情報も持てることができる。 そんな機密事項とも言える内容を俺に話すのは、不用心としか言えないけどね。
その法執行機関というのも分かりやすく言えば法使い、異法使い、魔術使いがなんらかの犯罪を犯したときに、法を使って裁くといった感じの機関かな。 警察みたいなものと思えば良い。 警察とは別の組織にはなるけど、持っている権力も人数も、今じゃ警察より断然上だ。
「そうだったそうだった。 んで、そいつらがどうかしたの?」
そんな凪が得ている情報のひとつに、異法使いが妙な動きを見せている、というのがある。 なんでも、異法使いの中でも力のある奴らが組織を作り、法使いに対抗しているという話。 そりゃもう物騒な話で、けど一応今のところはそこまで目立った動きはないようで。
と、ここで説明すると、法と異法は似ているようで異なる。 これは魔術使いもなのだが、体内に回路を持っている。 魔術使いの回路と法使いの回路は酷似しており、その発動形態もほぼ同一だ。 反面、異法使いの回路は全く異なっている。
法使いと魔術使いは体内の回路を使い、現象に影響を与えることや、現象を起こすことが根幹にある。 回路を通じ魔力体を生成し、それを外に出す。 そうすることで法の執行、魔術の行使を可能としている。
が、異法使いはそこからして異なってくる。 法使いが起こす法は、現象の強化が主軸にあるんだ。 例を出すなら、持っている武器の威力を上げたり、自分自身の筋力、脚力を強化したり、そういうプラス方向への変化……現象を正しい方向へと進ませる能力だ。 水なら流れ、火なら燃え、風なら吹き荒れる。 そんな類のもの。 それは時に概念的なものにも作用でき、だからこそ法使いは強い。
もちろん個人差はあるし、使える対象になる現象だって限られる。 目の前に居る凪はそりゃもうとんでもないものだしな。 結局は法使いも異法使いも魔術使いも、回路の強さに影響を受けるんだ。 一人は火の勢いを小から大にできるが、もう一人は小の火でも辺り一帯を燃やすほどの力を扱えたりね。 これも全て、回路の強さからきている。 んで、対する俺が法を執行できるのは「眼」のみ。 眼とかいくら強化しても意味ないよねぇ……笑えてくるほど弱い力だ。 それに法使いとしての俺は、物凄く回路も弱い。 解析には便利な力だけど、俺の法も使う奴が使えば未来予知に近い真似だってできるだろうさ。
んで、魔術使いは「現象を起こす」こと。 火を起こし、水を生み、風を吹かせる。 通常起きない現象を発現させることができるのだ。
最後に、異法使い。 彼らが使うのは、現象を別方向へと進ませる力だ。 法使いと真逆と考えれば分かりやすいだろう。 だからこそ、彼らは蔑まされている。 法に、常識に背くその能力が根本的なところにあると言っても良い。 法使いの主軸が強化なら、異法使いのそれは捻じ曲げることに主軸があるのだ。
一見すれば、異法使いも法使いと同程度の力があると思うだろう。 だが、その数がそもそも少ない。 更に加えて、回路も弱い。 法使いを十とするならば、魔術使いは七、異法使いに関しては精々三くらいかな。
「異法使いの集まりだから、異端者ね」
だが、イレギュラーは存在する。 それは目の前に居る凪だったりな。 当然魔術使いにも、異法使いにも、イレギュラーは居るものなんだよ。
そんなイレギュラーが集まった組織。 それこそが凪が今言った「異端者」だ。 法使いは異法使いに対してランク付けというのを行っていて、基本的には異法力Dがほとんど。 というか、大半はもっとも弱い異法力Dだ。 それが少し強くなると、異法力C。 脅威となると、異法力B。 あくまでもこれは噂話、言ってしまえば都市伝説の一種だけど、どうやら法使いは異法力Bから強制排除対象と見なしているらしいね。 異法使いは異法力Bと判断されたら即処刑。 そういう裏話がたまーに耳に入ったり、入らなかったり。
そして、異法力Bよりもっと上。
それが、異法力A。 異法力Aともなると、執行機関の人間ともほぼ対等に戦える。 それどころか、凌駕するほどの危険性を持っている。 聞けば異端者のメンバーの半数は異法力A以上。 つまり、機関の人間でなければ対処は不可能だ。 それも、しっかりと編成を練ったメンバーでないと返り討ちに遭う可能性だってある。 危ないんだ、彼らは。 執行機関だって黙っているわけがない。
だから彼らは力が強い者が集まり、そして法使いに対しての襲撃を繰り返している。 殆ど出回っていない情報だが、近頃起きている殺人事件の大部分は異法使い……異端者によるものなのだ。 殺される前に殺す……ではないか。 殺されてきたから、殺すんだ。 今まで何百人、何千人と殺されてきた同胞たちの復讐というわけだろう。
「あいつらにとっては、法使いの私たちこそが異法使いなんだよ。 だから異端者というのも、自分たちのことを指した意味ではないだろう。 昨日も一件、嫌な事件がひとつあってな」
「ふうん? 誰か死んだの?」
「ああ……執行機関の人間が一人殺された。 非戦闘員ではなく、過去に結果も出している人が。 優秀な方だったんだけどな」
「ってことは、やっぱり異端者ってことだね」
異端者と呼ばれる組織のトップは不明。 その影すら掴めていないという。 だが、ある程度はその構成も割れている。 構成人数はトップを含めて十人、素顔までは掴めていないが、大体の能力、そして強さは見切れているとのこと。 その情報を凪を介して俺は知っているけど、ただのお手伝いさんな凪に漏らすとは、機密は守らないと駄目なのにねぇ。 それで、今までの事件と異端者の動き方、それらを考慮して異端者のトップは暫定だが異法力Aとのこと。
「異法使いランク三位の狐女。 それとランク四位の刀手。 そいつらが関与してるって話だ」
ランク、というのは要するに危険度。 さっきの能力脅威度認定と呼ばれるランクとはまた別物で、異端者内での順位付けだ。 見て分かるように、聞いて分かるように数値が低くなればなるほど危険で、強い。 たとえば今の二人ともなれば、その強さは法執行機関本部の幹部にも匹敵する……らしい。 詳しいことは凪でも知らないらしいけど。 それでも、めちゃくちゃ強いってことは伝わっている感じかな。 もちろん、今の二人は異法力Aの奴らだ。
「そいつはまた。 その人たちって一体どんな異法を使うんだろ?」
「刀手に関しては大体分かっている。 あいつの手はよく切れるってな。 文字通りの通称ってわけだ」
……なるほど。 通常刃物にはならない素手を刃物として扱うってことか。 そりゃ常に武器を持ってるようなもんだね、怖い怖い。
「凪くんも大変だねぇ。 とっととその組織の頭をとっ捕まえちまえよ。 余裕だろ? 天下の凪正楠嬢にかかればさーあ」
「もちろんそのつもりだ。 人殺しに法使いに対する反逆行為、黙っているのは耐えられんよ。 けど、影すら掴めていない現状じゃあな。 それに私が独自に動いたら、私の方が機関に捕まり兼ねないよ」
まそうだね。 いくら出入りできるといっても、凪は学生だ。 この法執行第一学園に属するただの学生。 あまり、首を突っ込んでも逆に迷惑になってしまうのだろう。
最近では一連の事件のせいで、俺たちの通っている学校に来ている臨時職員も減っている。 各地の地区にある支部、及びA地区にある執行機関本部に箱詰め状態なのだろう。 前代未聞といっても良いくらいに荒れている今、それも無理はないけどね。 ぐらぐら揺れている地面は、今にもバランスを崩してしまいそうだ。 あっはっは。
減っている人員、異法使いの集団、学園最強の女子、無能な俺、そして全地区でもっとも優秀な法執行第一学園。 うん、実に良い感じだ。 面白いことが起きる気がするよ。
「こーいうときに限って、厄介ごとは起きるからねぇ」
そう、決まっていること。 厄介ごとは必ず起きる。 嫌な予感ってのは当たるからこそ嫌な予感で、勘が鋭いと言われてきた俺には分かるのだ。 あのときだってそう、こんな感じを受けたっけ。 ああでも、今日のそれは少し違うかな? うん、そうだね。 いやぁ、今日も憂鬱な一日が幕を開けそう。
「ねえねえ、あれなに? なんかの撮影?」
「どれどれ? うお、ほんとだ……手品じゃない?」
そんな声が後ろから聞こえた。 振り返ってみると、女子生徒が二人、空を見上げている。
俺はゆっくりと視線をずらす。 その二人が見ている空へ。 すると、そこには。
「始まった」
「何か言ったか? ん……あれは」
人が、宙に浮いていた。 同時に、その光景からひとつの単語が浮かんでくる。
「ねぇ凪。 確か前に、空を飛ぶ異法使いが居るって言ってなかった?」
「……ああ、言ってたな」
空を飛ぶことができる異法使い。 異法使いランク六位。 通称、天狗。 天狗の面を着け、そして空を飛ぶその姿から付けられた通称だ。
「え? 何これ! ねー見て見て、超可愛いんだけど!」
声が聞こえ、俺と凪は遥か遠くに居た天狗から一度視線を外し、そっちに顔を向ける。 すると、ついさっき声をあげた女子生徒が何かを持っていた。 持っていた……とは違う。 女子生徒の手に、何かが止まっていた。 黒く、小さな物体だ。
「なんだ、これは」
横で、凪は言う。 見ると、凪のところにもソレは居た。 これは……カラス? 小さい、手のひらサイズのカラスだ。 そして、俺はそれを視る。
「くぇ。 くぇ、くぇ」
鳴き声は奇妙だが、確かに可愛らしい見た目はしている。 だけど、こりゃ……。
「……凪、そいつを今すぐ投げろ。 それ、ちょっとヤバイ」
「は? 何を……」
「いいから早く。 急いで」
「ッ……!」
凪は俺の顔を見て、すぐさまそれを行動に移した。 一見して、可愛らしい見た目の、小さいカラス。 だが、あれは。
「くぇぇええ」
横で、鳴き声がする。 女子生徒の手の上に乗ったカラスだ。 もう、あっちは間に合わない。 別に見捨てたわけじゃないし、諦めたわけでもない。 だけど、今から俺が声をかけたとしても、俺たちが巻き込まれる可能性の方が高い。 それに、残念ながら俺はあの子を知らないんだ。 だったら、助けるメリットも、ない。
「え?」
直後、低い音が聞こえた。 そして熱風が俺たちを襲う。 一瞬にして肉の焦げた匂いが辺りに立ち込め、それが一体なんなのか理解するのに、その場にいる誰一人として分からない者はいない。 風によってすぐに煙は流れ、残されたのは頭が吹き飛んだ死体だ。 異法、それもかなり強い異法。 恐らくは何かを媒体としていたあのカラスは、内部に緻密な回路を有していた。 そしてその回路は、いつでも破壊できるような構造だった。 だから、俺には視ることができたし理解することができた。 あのカラスが異法による生物で、超小型の爆弾だと。
「ゴミがうじゃうじゃいやがるなぁおい! 個人的な恨みはねぇが仕方ねぇ、ポチさんの指示には逆らえねぇからなぁ」
言い、天狗は降り立つ。 丁度俺と凪の目の前へと。 見た目は……当然、俺たちと似たような外見だ。 頭があり腕があり、そして足がある。 だが、その顔は天狗の面で覆われている。 短髪の黒髪で、体つきと声からして男か。 素顔を隠している辺り、この男にも異法使いの生活というのがあるのかも。
「ひっ……!」
丁度、天狗の真横に居た女子生徒が悲鳴をあげる。 先ほど爆弾によって殺された生徒の連れだ。 何が起きたのか理解できずに立ち尽くし、今もまともに反応はできていない。
「おう? へへ」
それを見て、天狗は笑い、そして腕を振るう。
「――――――――あっ」
たったそれだけの動作で、いとも簡単に女子生徒の頭部が消し飛んだ。 首からは血が噴出し、その血は俺と凪の顔に少しだけ飛び散る。
「まずは一人。 ああさっきのカラスも含めると二人か? んまどうでも良いか。 くっはは! コンニチハ学生さん。 今日はちょいと挨拶にきてやったぜー、法使いのゴミどもに。 てめぇは強そうだな、凪正楠」
「……ふう。 私の名を? まぁ良い、関係ない。 敷地内への無断侵入、生徒の殺害、脅しともとれる発言。 死罪になったとしても文句は言えまい」
横に居た凪は言うと、背中から剣を取り出した。 仕込み武器とか……おっかないねぇこいつ。 噂だと凪は特殊な剣を持っているって聞くけど、今取り出したのは普通の剣。 噂のそれとは多分違うか。
にしても、落ち着いてるな。 目の前で人が殺されたのに、こいつは本当に落ち着いてる。 他の学生は悲鳴をあげて逃げているというのに、冷静だ。 眼で視る限り少し動揺はしているけど、たったそれだけか。
「凪、ここで戦うのは良い策じゃなさそうだよ」
「構わん。 殺す」
声から見えたのは、怒りの感情だ。 それこそ僅かなものだけど、その僅かが判断を鈍らせているのかもしれない。 少なくとも、この相手と屋外で戦うのは良案だとは思えないね。
「早まるんじゃねーよ法使い。 事態はてめぇが思ってるより甘くはねーんだぞ?」
天狗が言った直後、建物が揺れた。
……爆発、かな。 それにしても、あの爆弾カラスは一体何匹動かしているんだろう? 俺たちのところに二匹で、更に下の方にも数匹か。 もっと出せそうだけど、建物自体を破壊しようというわけではないってことかと思われる。 一番手っ取り早いのは建物ごと俺たちを殺すということだが、敢えてそれをしない。 つまり目的は力の誇示か。 最優秀とされるこの学校を狙ったのもそのためだろう。 タイミング、状況、目的。 凪のことを知っているってことは、この学校にある戦力も把握されているはず。 それでも仕掛けてきたってことは、勝算があるってことだ。 法使い、それも飛び切り優秀な第一学園の襲撃、異端者の目的は力の誇示で決まり。 ならその場合、天狗の目的は。
「凪、状況変更だ。 今この場に居る生徒を集めてお前は下へ行ってくれ。 さっき逃げて行った人たちもまとめてくれると助かる」
「なに寝言を言っているんだ、矢斬。 そんなことすれば、お前が殺される」
あら、そういうタイプだったんだこいつ。 いやぁ、嫌われてるなりに好かれちゃったかな、俺。
「状況を考えてだよ。 天狗の目的は凪、お前の足止めだ。 足止めしている間に、この学校に侵入者が入ってくる。 上はこいつだけ、下は人数は分からないが一人よりは多いはずだ。 それならどっちに行くべきか分かるでしょ? 俺のことなら心配しなくていいからさ、眼があるんだし」
それに、俺一人で足止めができるなら充分すぎる。 持久戦なら、法使いとしての俺の力は便利だしな。 使いどころがこんなところで出てくるとは、神様に愛されちゃったかなぁ。
「……必ず戻ってくる。 死ぬなよ、矢斬!」
叫ぶように言うと、凪は既に避難を始めている生徒達と一緒に校舎内へと入っていった。 切り替え、判断力、やっぱり凪はどちらかと言えば実践向きだ。 その背中を見て、俺は呟く。
「死なない死なない。 俺にはやることがあるんだからさ。 ……さてと」
俺はようやく顔を天狗へと向ける。 天狗は変わらずそこへ立っていた。 その表情は見えない、しかし笑っていたように思えた。
世界は回る。 世界は転がる。 世界は始まる。 法使い、異法使い、魔術使い、それらが三派に分かれた時点で、始まることは決まっていたんだ。 いつかこうなり、いつか幕を開けるということは決まりきっていた。 法使いは言う。 自分たちこそが世界を統べる存在だと。 異法使いは言う。 行いを省みろと。 魔術使いは言う。 原点は魔術に遡ると。
それぞれにはそれぞれの考え方というものがあって、きっとそのどれも正しいものだ。 そして同時に、間違ったものでもある。
そんな正しいことと間違ったことを繰り返し、回り続ける。 故に世界は回る。
正しいことと間違っていること、それはいつだって隣り合わせで、ひとつ違えばどちらにでも転がっていく。 故に世界は転がる。
一人から見ればそれは正しく、一人から見ればそれは間違い。 結局、誰がどう見るかによって変わってくるものなのだ。 だから止まることなく、始まる。 故に世界は始まる。
さて、幕があがる準備は既に終わったようだ。 始まりがあれば終わりだって当然ある。 故に俺は――――――――。