余白のない日々
1日は時に24時間では足りないものである。特に彼女の場合は、ほぼ毎日がそうである。
朝、目覚ましが鳴る前に目が覚める。
眠りが浅いわけではない。ただ、身体のどこかが、まだ終わっていない何かを覚えている。
昨日の続きが、まだどこかに残っているような感覚。
その“続き”が何なのか、彼女には分からない。
洗面所で顔を洗いながら、今日やるべきことを思い浮かべる。
仕事、買い物、洗濯、連絡、片付け。
どれも大したことではない。
それなのに、胸の奥に小さな圧がかかる。
通勤電車の中、彼女は窓に映る自分の顔をぼんやりと眺める。
疲れているようにも見えるし、そうでもないようにも見える。
ただ、どこか“薄い”。
輪郭が曖昧になっているような気がする。
会社に着くと、彼女は淡々と仕事をこなす。
メールを整理し、書類をまとめ、電話を取り次ぐ。
仕事は問題ない。
むしろ、仕事をしている間だけは、時間がまっすぐに流れる。
余計なことを考えずに済む。
昼休み、コンビニへ向かう。
棚の前で立ち止まり、何を買うか迷う。
迷うほどの選択肢はない。
それでも、決めるまでに妙に時間がかかる。
決めたあとも、何かを忘れている気がして落ち着かない。
午後の仕事が終わり、帰り道。
空はまだ明るい。
時間はある。
だが、彼女の一日はすでに“押し詰まっている”。
家に帰ると、夜のタスクが一斉に押し寄せる。
玄関で靴を脱ぐと、まず郵便物を確認する。
チラシ、明細、案内。
どれも急ぎではない。
それでも開封してしまう。
開封したら、捨てるかどうか考える。
考えているうちに、時間が過ぎる。
キッチンに向かう途中で、洗濯物が目に入る。
今日やらなくてもいい。
でも、やらないと落ち着かない。
洗濯機を回す。
回した瞬間、洗剤の残量が気になる。
残量を確認し、買い物リストに追加する。
リストを見て、前から入っている項目が気になる。
「いつ買うんだろう、これ」
そう思いながら、削除もできない。
冷蔵庫を開ける。
食材はある。
でも、賞味期限が近いものが目に入る。
それを使うべきか、別のものを作るべきか迷う。
迷っているうちに、また時間が過ぎる。
結局、簡単なものを作る。
食べる。
味は分からない。
食べながら、テーブルの上の小さな汚れが気になる。
拭く。
拭いたら、今度は床の埃が気になる。
掃除機をかけるほどではない。
でも、気になる。
コロコロを取り出して、気になる部分だけ転がす。
転がしているうちに、別の場所も気になる。
気づくと、30分が消えている。
食器を洗う。
洗いながら、スポンジのへたり具合が気になる。
買い替えるべきか迷う。
迷っているうちに、また時間が過ぎる。
洗濯機が止まる。
干す。
干しながら、ハンガーの数が足りないことに気づく。
足りない理由を考える。
考えても分からない。
分からないまま、別のハンガーを探す。
部屋に戻ると、スマートフォンの通知が光っている。
アプリの更新。
ポイントの期限。
ニュースの見出し。
未読のメッセージ。
どれも急ぎではない。
でも、放置できない。
開く。
読む。
閉じる。
また別の通知が来る。
机に向かう。
今日こそは何かを整理しようと思う。
書類の束を手に取る。
一枚目を見た瞬間、別のことを思い出す。
思い出したことをメモする。
メモしているうちに、また別のことを思い出す。
そのメモも増える。
気づくと、机の上はメモで散らかっている。
片付けようとする。
片付けながら、どのメモが必要でどれが不要なのか分からなくなる。
時間が溶けていく。
夜の10時。
彼女はまだ“今日の夜”に入れていない気がする。
何もしていないわけではない。
むしろ、ずっと何かをしている。
ただ、その“何か”があまりにも小さく、あまりにも多い。
夜の11時。
ようやくベッドに入る。
入った瞬間、洗濯物を取り込んでいないことを思い出す。
起き上がる。
取り込む。
畳む。
畳みながら、明日の天気が気になる。
スマートフォンを見る。
天気を見るつもりが、別の通知が目に入る。
開く。
読む。
閉じる。
気づくと、日付が変わっている。
彼女はベッドに戻り、天井を見つめる。
今日もまた、24時間では足りなかった。
理由は分からない。
ただ、確かに何かが彼女の時間を奪っている。
その“何か”は、どれも些事で、どれも無視できず、どれも終わらない。
明日もまた、同じ夜が来る。
同じ些事が押し寄せる。
同じように、時間が消えていく。
彼女は目を閉じる。
眠りに落ちる直前、こう思う。
「私は、今日の何を生きたんだろう」
答えはない。
ただ、時間だけが確実に減っていく。




