好奇心が抑えられない王太子妃は今日もメイドのふりをする
「……リリアーヌ!」
王宮の裏庭から続く廊下は人影が少ない。
大きな声で名前を呼ばれ、リリアーヌは飛び上がった。うっかりと洗濯籠を取り落としそうになり、むっとその柳眉をしかめる。
大きな翡翠色の瞳に大きな眼鏡をかけ、淡く輝く金髪はメイド服の帽子の中に押し込まれていた。
豊満な肢体を無理矢理お仕着せのなかにねじ込んだ、美しい娘の正体はーー。
「またメイドの真似事か?」
「もう、声が大きいですわ、殿下」
シュアルナ王国の至宝と謳われる美貌の持ち主であり、社交界の令嬢達が憧れてやまない王太子エリオットが愛してやまない寵姫。
王太子妃、リリアーヌ・ドゥ・ガーデナー・シュアルナフィアだった。
「この姿の時はリアとお呼びくださいとお願いしているはずですわ、殿下」
「俺は王太子宮から勝手にでてくれるなとあれだけ言っているはずだが」
リリアーヌは元・ガーデナー公爵家の姫である。
蝶よ花よと美しく育てられた、筆頭公爵家の嫡子である生粋の令嬢だ。
ただし彼女はとんでもなく好奇心旺盛なおてんばだった。長兄であるアーネストや幼なじみであるエリオット、侍従であるカイルと幼児の頃から領地を走りまわっていたからである。
このままではとても社交界に出せないと頭を抱えた公爵夫妻が泣きながら「頼むからおとなしくしてくれ」と娘にすがったのは彼女が6歳の春だった。
シュアルナ王国では、7歳で貴族の子供達が一堂に会するお披露目会がある。
王家にとっては王太子の婚約者を見繕う場であり、貴族達にとっては令嬢、令息の交友関係が決まる大事な場だ。
公爵家にとっては王太子の婚約者などは正直どうでもいいが、可愛いリリアーヌにおてんばで跳ねっ返りなとんでもない娘というレッテルが貼られることだけは許せないことだった。……らしい。
「お願いはされましたけど、了承したつもりはございませんわ」
「そう言うと思った」
結局リリアーヌは淑女教育でもその優秀さを見せつけ、完璧な令嬢の仮面をかぶったが、相変わらず好奇心旺盛なおてんばぶりで、王立学院に入学後も、エリオットと婚約した後も、卒業と同時に18歳で王太子妃になってからもなにも変わらなかった。
ちょっと仮面をかぶるのが上手なおてんば姫のままである。
「で、今日はどこにいたんだ? 見るところ、洗濯場のようだが」
リリアーヌよりも色の濃い金髪と紫の瞳を持つエリオットは、開国以来の優秀さで政務に取り組んでいると評判だ。その上、剣の腕も立つ。
逞しい肢体と整った顔立ちは王家の兄弟のなかでも群を抜いていた。
彼の培った評価は相当なものであるけれど、その努力の源が可愛らしい幼なじみだと言うことを知るのは両陛下と公爵夫妻、そしてリリアーヌの兄アーネストだけである。
「当たりですわ。洗濯場って、面白いお話の宝庫ですの! 殿下、ご存じでした?」
リリアーヌは胸を張った。
「俺が洗濯場の事情に詳しいわけがないだろう」
仮にも王太子であるエリオットは呆れかえる。
「だが洗濯場には騎士や従僕たちも出入りするだろう。――お前を男の目に晒すのは、俺は好まないんだ。知っているだろう?」
「存じておりますわ」
甘ったるい声を潜めて愛しい妻に囁いたエリオットだったが、リリアーヌはそんなことをものともせずに首を振った。
「ですが、私の顔は王太子宮の者しか身近ではっきりと見る機会はありませんし、王宮の外にはでていませんもの。そこまで目立っておりませんわ。大目に見てくださいませ」
しれっとした顔をして得意げに言うそのちいさな顔を、エリオットはやれやれと言う顔で突く。リリアーヌははっとした。
「あっ。いけませんわ。こんなところで王太子殿下がメイドの頬に触れていただなんて噂が立ったら困ります」
「……はあ。それについては、もう遅い」
「殿下、こちらです」
ぐいっとエリオットの腕を取り、リリアーヌは回廊の裏手の木陰へと隠れる。
「さあ、こちらでしたらよろしくてよ、殿下」
「なにがよろしいんだ? リア」
「……? ええと。……ですから、メイド服で洗濯場に出入りしていたことを叱っていただいても……?」
よろしいですわ、といいかけて、ふと何かがおかしいと気がついた。
王宮の外れ。誰もいない裏庭。王太子とメイド服の女。
「あら……?」
何か間違っている気がするわ、とリリアーヌは口元に手をやって首を傾げた。
エリオットはくくっと笑って妻の頬に手を触れ、そっとその可憐な唇を奪う。
「まあ。いけませんわ、こんなところで」
リリアーヌは頬を真っ赤にして顔を背けた。
「そうだ。君がこんなところに連れ込むから、俺は明日にはメイドに手を出した王太子になっていることだろう」
「そんな……!大変ですエリオット様、私、そんなつもりは」
そんなつもりはなかった。リリアーヌが顔を青くすると、エリオットは首を振る。
「大丈夫。払拭する手はある」
「殿下……」
「違うだろう、リリ」
「……っ。はい、エリオット様」
二人きりの時にだけ呼ばれる甘い愛称に、リリアーヌはますます顔を赤くする。
そんな彼女の身体に自分のマントをばさりとかけて覆うと、エリオットは彼女の豊かな金髪を丁寧に帽子から降ろした。たっぷりとした髪を手で梳きながら流してやり、そのままひょいと抱き上げる。
「あら」
「このまま俺が王太子宮へ連れて帰れば、メイドとの噂は仲の良い王太子夫婦の噂に取って代わるだろう」
抱き上げられ、王宮へ続く回廊へと戻る。何人かの従僕やメイドが気がついてさっと頭を下げた。
リリアーヌはぎゅっとエリオットの首に抱きつき、少し眉間に皺を寄せて小声で言った。
「なんだかエリオット様の手のひらで転がされたような気分ですわ」
「そうか?」
「はい。ーーそれに……」
「うん?」
「これでは、しばらくメイドの真似事はできませんわ」
「それでいい。俺の気が休まる」
「まあ。やっぱり計算の内でしたの?」
拗ねた顔をしてむいっと王太子の頬を引っ張る美しい王太子妃の姿は、まるで女神のように美しかったと、メイドから侍女へ、侍女から貴族へと広まっていった噂は盛大に宮中を席巻したのだった。
おかげでしばらく閉じ込められるようになったおてんば姫は、仕方なく妃教育――は終わっているので、お茶会などに顔を出すことにした。
もちろん、王太子妃の姿では無く、どこぞの貴族に変装して。
□ □ □
「……リリアーヌ!!」
「まあ、そんな大きなお声をだすと皆さんが驚いて仕舞いますわ」
再び呆れた顔の王太子があっという間に迎えに来て連れ去ったことに気がついたのは、高位貴族の一部の令嬢達だけだった。
再び勢いで書きました。おてんば王太子妃リリアーヌが自由に王太子妃ライフを満喫(?)している話です。
少しでも楽しんでいただけますと嬉しいです!




