校正で失敗したこと――ブロッコリーに救われて
先日、校正プロダクションの事務所へ納品に行き、次の仕事を待っているとき、空いている時間に少し見てほしいと別のゲラ(校正紙)の校正を頼まれた。
ひとりの時間を大切にする、大人の女性のための雑誌。スローライフのすすめ、といった内容のもので、私に渡されたのはモデルやエッセイストとして活躍するある女性の、シンプルで美容にも配慮したレシピのページだった。全6ページ。
写真に写るキッチンは、きれいに整頓され、洗練された食器や道具が並ぶ。テーブルにはクロスが掛けられ、さりげなく花が生けられている。スタイリッシュ。いいなあ。虚しいとわかっていながら、我が家の乱雑なキッチンと比べてみる。そんな余計な考えを頭から追い出し、内容の校正に入る。
チキンのトマト煮込み。鶏肉はヘルシーな胸肉を使っています。ふうん。写真をよく見ると、皮や身の感じが何となくもも肉のように見える。いちおう、「胸肉でよいですね?」などとエンピツを入れる。表面に焦げ目をつけたら火からおろし、湯むきしたトマトを……出来上がり。あれ、この工程のままだと、鶏肉ってまだ火が通っていないような気が。頭のなかで調理工程をなぞりながら、気になるところにチェックを入れていく。材料のリストにあるのに、作り方に出てこない食材があったりする。出来上がりの写真に、材料にあったものが全部入っているかどうかも確認する。意外と見る観点が多い。きっとこの特集を見て、彼女の生活スタイルに憧れる人が真似をして作ったりするのだろう。読者が美味しく作れるように、気をつけて確認しないと。何より、火の通りが足りないことで食中毒などが出たらたいへんなことになる。
と、さも読者に配慮した仕事をしています、という顔をしているが、実は別の事情がある。こういったレシピの載っている本の仕事で、苦い経験があるのだ。
十数年前、昔の人の生活の知恵のようなものをまとめた本の校正を担当した。当時流行っていた、「おばあちゃんの知恵袋」といったような内容だった。「うどんのゆで汁は捨てずに、洗い物に使うと汚れがさっぱり落ちる」とか、「買い物へはふろしきを持っていく」「野菜の皮は捨てずにきんぴらに」なんてことが書いてあった。装丁もおしゃれで、意識の高い若い女性をターゲットにしたものだ。
先に言い訳をしてしまうと、私はこの本の前まで法律とか、経済などのかたい仕事が続いていた。そして、この仕事が来たのはある年の8月8日。そして納品は13日。巷はお盆休みの時期だ。――はい、言い訳はここまで。
初めにゲラを見たとき、ああ、こんな感じなら調べ物も少ないし、写真が多いから文字も少ない。納期は短いけど、まあ大丈夫かな、と思った。実際、それほど焦ることなく仕事は終えられた。
ところが、しばらくして校正プロダクションから一本の電話。
あまりにも見落としが多かったので事情を聞きたいという。すぐに事務所へ。私が校正したゲラには、たくさんの付箋がつけられていた。すべて問題のあった箇所だ。
このときの問題点をまとめたメモがあったので、いくつか書いてみる。やわらく→やわらかく、おきしましょう→おきましょう。これはひらがなの見落とし。塗らして→ぬらして(濡らして)。単純な漢字の間違い。ほかにも、文字統一表にそったトジヒラキでは粗塩→あら塩、隠し味→かくし味、などというのもあった。
このときのことは、今思い出しても変な汗をかいてしまう。この本の出版社から校正プロダクションへは仕事が今も来ているが、この件以来、私にはこの出版社の仕事は回ってこない。
冒頭の雑誌の女性のレシピには、ふだん聞きなれない食材も出てきた。「アーティチョーク」どんな野菜だっけ。検索すると、とげとげした多肉植物のような写真が出てきた。そして、ロマネスコ。これは知っている。黄色っぽくてごつごつした円錐形で、カリフラワーのような、ブロッコリーのような味がする野菜だ。
ここで、ちょっと気分が落ち込んでしまったので、ブロッコリーの話を。
ブロッコリーの品種には、おもしろい名前があるというのを別の仕事で検索していて知った。その名も「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」。いずれもサカタのタネが開発したもので、「おはよう」は中早生、「こんにちは」は中生、「こんばんは」は晩生の品種なのだそうだ。そして、それをここに書くためにサカタのタネのホームページを確認していたら、もうひとつ見つけてしまった。
ブロッコリーよくばり。
NEWとついているので新品種なのかもしれない。商品説明には、「側花蕾もとれる新たなタイプのブロッコリー!」とある。メインの部分だけでなく、そのわきに出てきた部分も収穫できるそう。だから「よくばり」なのね。なんだかわくわくする。少し気分も晴れてきた。
全6ページのレシピの仕事は無事終わった。どうか、この雑誌を手にとった方が楽しく読んでくれますように。今度はまぎれもない本心から。