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094.護るための剣、断ち切られた因縁

 カリストリア聖王国通信社の入り口が見えた。私は息を切らせながら、全力で駆け込む。頭の中は混乱していた。だが、伝えなければならない。今、この瞬間に起こっていることを――。

 勢いよく扉を開け放つと、編集部の空気が一瞬にして張り詰めた。中にいた記者たちが、驚いた顔で私を見つめている。


「クロニクル・トレイルで何かが起きているかもしれません!」


 私は声を張り上げた。胸の奥が痛くなるほど早鐘を打っている。


「殿下がクロニクル・トレイルに走って向かっていて……ヴァリクさんとカミラさんが、後を追っています!」


 編集部が一瞬、静まり返った。誰もが言葉を失ったように、目を見開いている。だが、その沈黙はすぐにざわめきへと変わった。


「何だって!? クロニクル・トレイルが!?」

「第二王子が、直々に向かったってことは……」

「何が起きてるんだ……」


 動揺と不安が広がっていくのを感じた。だが、私には今、彼らに説明している暇はなかった。


「私も現場に行きます!」


 それだけ叫ぶと、私は編集部に背を向けて駆け出した。視界が揺れ、心臓が激しく脈打つ。何が起きているのかは分からない。

 私は街の喧騒を突っ切り、全速力で通りを駆け抜ける。人混みを縫うようにして、私はひたすら前へと進んだ。頭の中は混乱している。なぜ、殿下がそんなに焦っていたのか。相当な事態が起こる可能性があるに違いない。

 私は喉の奥がカラカラに渇くのを感じながら、さらに足を速めた。


 その時、遠くの空に、黒い煙が立ち上っているのが見えた。


「……あれは……」


 私は足を止めた。目の前の光景が信じられなかった。黒煙が空高く渦を巻いている。風に煽られて不規則に揺れながら、黒い帯が空を覆っていく。

 心臓が跳ね上がった。


(まさか、クロニクル・トレイル……!?)


 その瞬間、全身が震えた。息が詰まり、胸が締め付けられる。あの場所で、何かが起きている。私は再び駆け出した。足がもつれそうになるのを必死に抑えながら、全速力でクロニクル・トレイル編集部へと向かう。ハレックさんとアーレンさんが、大変なことになっているかもしれない。


 クロニクル・トレイルの事務所が入っている建物前にたどり着いた時、目の前の光景に言葉を失った。

 建物四階の窓から激しい炎が吹き出していた。窓ガラスが割れ、炎が渦を巻きながら黒煙を吐き出している。赤々と燃え盛る火柱が、天を突くように立ち上がっていた。

 群衆が遠巻きに見守っている。誰もが恐怖に凍りつき、声を失っているようだった。悲鳴やざわめきが交錯し、現場には混乱が広がっていた。

 私は胸が締め付けられるような息苦しさを感じながら、建物を見上げた。


(何が……何が起きているの……!?)


 私は煙をかき分けながら、クロニクル・トレイル編集部の外階段を駆け上がっていた。足元には数名の気絶した聖騎士が転がっている。煙が鼻を突き、目が痛んだ。熱気が押し寄せ、額に汗が滲む。

 鉄製の階段は熱くなり、足を踏み出すたびに軋む音を立てた。手すりに触れれば火傷をしそうなほど熱く、私は手を浮かせながら必死にバランスを保った。

 彼らは、この建物の中にいる。燃え盛る炎の中に。


(無事でいて……!)


 四階に辿り着いた時、目の前の光景に息を呑んだ。

 開け放たれた入り口から、黒煙が勢いよく空へと昇っている。空気が揺らめき、熱気が渦を巻いていた。煙が壁を伝うように漂い、内部からは木材が焼ける激しい音が聞こえてきた。

 私は胸が締め付けられるのを感じた。ここは、クロニクル・トレイルの編集部だったはずだ。だが、今は――。

 私は足を震わせながら、薄く煙を吐く入り口を見つめた。


(クロニクル・トレイルの二人はどこに……! ヴァリクさん、カミラさんも……!)


 不安が胸を締め付ける。彼らがこの中にいるかもしれないと思うと、身体が震えた。

 しかし、記者としての本能が身体を突き動かした。逃げるわけにはいかない。真実を知るために、この目で確かめなければならない。

 私は決意を胸に、開け放たれた入り口へと向かって駆け出した。熱気に耐えながら四階のフロアへと踏み込んだ瞬間、低く唸るような声が聞こえた。


「……誰だ?」


 私は背筋が凍るのを感じた。目の前には、黒い軍服を纏った男が立っていた。短く刈り込まれた灰色の髪に、傷跡が走る鋭い顔つき。鍛え上げられた体躯は、戦場での経験を物語っている。彼は戦槌を肩に担ぎ、冷酷な目で私を見据えていた。


(まさか、軍防卿……!)


 私は全身が強張った。声が出ない。身体が硬直し、喉が焼けつくように痛んだ。

 軍防卿ガルヴェイン・ストラグナー。私が記者を志すきっかけとなった人物。だが、それは記者としての興味ではなく、私個人の因縁だった。


(お父さんが戦場で死んだのは、この人が……)


 怒りが胸の奥から湧き上がった。だが、同時に恐怖が身体を支配していた。

 その時、ガルヴェインの目が細まり、冷酷な笑みを浮かべた。


「お前、何者だ? ……ああ、記者か。お前ら新聞記者共は、何かあればすぐに儂の周りを這い回りおって!」


 その声には、苛立ちと怒りが滲んでいた。

 私は身体が震えるのを感じた。逃げ出したいのに、足が動かない。喉が詰まるように苦しく、視界が滲んだ。


(逃げなきゃ……でも……)


 身体が凍りついたように動かない。恐怖が足を縫い止めている。ガルヴェインが一歩前に出た。


「何の権限があって、儂を嗅ぎまわる!」


 怒号と共に、ガルヴェインの巨体が突進してきた。目の前が一瞬で埋め尽くされる。反射的に身を翻そうとしたが、間に合わなかった。


「きゃあッ!」


 喉元を掴まれた。鋼鉄のような手が首を締め上げ、呼吸ができなくなる。意識が遠のく。そのまま体を壁に叩きつけられた。激痛が背中を走り、視界が揺れた。頭がガンガンと鳴り響き、目の前が暗くなる。

 ガルヴェインの顔が目の前にあった。冷酷な目で、私を見下ろしている。


「お前ら記者どもは、ゴキブリのようにしぶとい……」


 喉が締め付けられ、呼吸ができない。視界が滲み、意識が遠のいていく。私は手足をばたつかせたが、ガルヴェインの腕は微動だにしなかった。


(誰か……ヴァリクさん……)


 意識が薄れ、視界が闇に飲み込まれていく。



 ◆



 聞き慣れてきた声――ロベリアさんの悲鳴が聞こえた瞬間、俺の身体は反射的に動いていた。

 炎と煙に包まれた四階の部屋。黒い軍服の男――軍防卿ガルヴェイン・ストラグナーが、ロベリアさんの細い首を鷲掴みにして壁に押さえつけていた。


「何の権限があって、儂を嗅ぎまわる!」


 ガルヴェインの怒号が響き渡り、ロベリアさんの身体が壁にめり込まんばかりに強く押さえつけられる。喉が圧迫され、苦しげに足をばたつかせている。


(ロベリアさんが、殺される……!)


 喉が乾く。手のひらには冷たい汗が滲んだ。だが、足が動かない。


 目の前のガルヴェインその人は、俺にとって決して怖い存在ではなかった。しかし、俺に強烈なトラウマを植え付けた人物であった。あの日、地獄のような戦場で見た光景のせいだ。

 あの男は、何の躊躇もなく人を焼いた。自分の部下ですら、まだ息のある者たちに油をかけ、火を放った。その目に何の感情もなかった。怒りも、憎しみも、哀しみも――何一つ。

 理解できなかった。人間としての感情が欠落した存在だと思った。


 今、目の前で、ロベリアさんが苦しげに足をばたつかせている。彼女の目が虚ろに揺れ、指先が痙攣している。その姿を見た瞬間、胸の奥が抉られるように痛んだ。まるで、自分の心臓が掴まれたかのような感覚だった。


 俺は、剣を握る手に力を込めた。ロベリアさんを守らなければならない。それは、俺に課せられた仕事であり、義務だった。だが――それだけではなかった。


(俺が、動かなきゃ……!)


 あの日、何もできなかった。地獄のような戦場で、ただ立ち尽くしていることしかできなかった。あの時と同じ後悔を、繰り返すわけにはいかない。


 でも、それだけじゃない。ロベリアさんを守りたい。彼女は、蹲っていた俺の背中を押して、前に進むきっかけをくれた。あの日、俺が現状を変える決意ができたのは、彼女のおかげだった。彼女は、俺の弱さを知って、それでも手を差し伸べてくれた人だ。彼女の言葉は、俺にとっての救いだった。彼女がどう思っているかは知らないが、俺は救われたんだ。

 彼女の正義感と優しさが、俺に立ち向かう理由を教えてくれた。だから、彼女がピンチの今こそ、守らなければならない。

 俺は、俺の横で微笑むロベリアさんを見たい。彼女を守りたい。


 そして、今、俺は分かった。これが、俺が戦う理由だ。

 守りたいと思う気持ちが、こんなにも強いものだったなんて。剣を振るう意味が、こんなにも重いものだったなんて。きっと、父上は、こんな気持ちで戦っていたんだ。守りたいもののために、迷いなく剣を振るっていたんだ――。


 俺は一歩踏み出し、視線をガルヴェインに向ける。人に剣を向けることが怖くないわけじゃない。だが、恐怖に囚われる理由はなかった。守りたいものが、今、目の前にあるのだから。


(ロベリアさんを、助けなきゃ……!)


 胸が熱くなった。心臓が鼓動を速め、血液が沸騰するような感覚が広がる。手のひらに汗が滲み、剣の柄が滑りそうになった。

 俺は、剣を構え直した。


(殺さなきゃ……こいつを……!)


 呼吸が荒くなり、視界が赤く染まる。心の中が燃え上がるように熱くなり、全身に力がみなぎった。


 ――その時。

 胸の奥で、何かが弾けた。

 心臓に刻まれた魔術式が、熱を帯びて脈打った。それは爆発するかのような衝撃を伴い、全身に火を灯した。指先が熱を帯び、血液が沸騰するような感覚が広がる。全身が燃え上がるような熱に包まれ、意識が白く染まった。

 俺は、口を開いた。声が震え、唇が焦げ付くような感覚が走った。


応えたまえ(ㇻトゥ・リカ)応えたまえ(ㇻトゥ・リカ)炎の精霊(イグニス)


 その瞬間、全身を駆け巡った爆熱が、剣へと伝わった。炎が剣を包み込み、赤々と燃え上がった。

 精霊術が発動している。それに心臓に刻まれた魔術式が呼応し、爆熱を生み出していた。身体の奥底から湧き上がる熱が、剣先へと収束していく。


「炎よ、爆ぜろ! ……ロベリアさんを離せッ!」


 怒号と共に、俺は炎を纏った剣を振り下ろした。燃え盛る炎が剣先に絡みつき、空気を焼き焦がす。ガルヴェインが驚愕の表情を浮かべた。目を見開き、反射的に戦槌を掴んでいた右手を放した。

 次の瞬間、ガルヴェインは空いた手で俺に向かって掴みかかってきた。あの巨体が驚くべき速さで迫ってくる。


「貴様ァァァァ!」


 獣のような咆哮が部屋中に轟いた。しかし、俺は怯まなかった。俺は叫びながら、剣を振り下ろした。炎が唸りを上げ、ガルヴェインの顔に直撃した。


「ぐあああああああああッ!!」


 ガルヴェインの顔が炎に包まれ、皮膚が焼けただれた。右目が焼き潰され、肉が焦げ、髪が燃え上がる。その瞬間、ガルヴェインの腕が緩み、ロベリアさんが床に崩れ落ちた。

 俺は、剣を振りかけた手を止めた。ガルヴェインの首に突きつけた剣先が震えている。焦げた臭いと共に、黒煙が渦を巻いて上がっていく。


「待って……!」


 俺の足元で震える声が聞こえた。床に崩れ落ち、肩を震わせているロベリアさんの声だった。


「待って……この人を……殺さないで……!」


 俺は目を見開いた。殺意を込めた剣先が、僅かに揺らぐ。ロベリアさんは喉を押さえ、苦しげに喘ぎながら、それでも懸命に叫んでいた。


「……まだ……聞けてない……取材できてない……!」


 ガルヴェインの顔は、半分が焼け爛れ、髪が焼け落ち、右目が潰れていた。だが、残った目は憎悪に燃えている。そして俺を、そしてロベリアさんを睨みつけていた。


「……お父さんが……」


 俺の心臓が軋んだ。剣を握る手が震えた。

 ガルヴェインの首を斬り落とすことは簡単だ。今すぐ、この場で、こいつを殺せば終わる。だが、ロベリアさんは何故をそれを止めるんだ?


 その時だった。黒い煙の中から、黒い影が現れた。


「ヴァリク! よくやった!」


 レオンハルト殿下だった。黒煙を纏いながら、猛禽のような鋭い目でガルヴェインを睨みつけていた。


「貴様は……ここで終わりだ!」


 レオンハルト殿下は迷うことなく駆け抜けた。足を大きく広げ、地面を強く踏みしめる。次の瞬間、腰を捻り、全身の筋肉がバネのように収縮した。

 ――風を切り裂く音がした。

 レオンハルト殿下の身体が一瞬、炎の赤い光の中で弧を描いた。足を踏ん張り、腰を限界まで捻り込み、上半身を大きく反転させた。そして、全身の力を剣に込め、一気に振り抜いた。

 次の瞬間、剣が閃いた。剣は炎の中を切り裂き、銀色の軌跡を描いた。ガルヴェインの目が見開かれる。

 鈍い音が響き、ガルヴェインの首が斬り落とされた。切断面から血が噴き出し、頭部が床に転がった。焼け爛れた顔が、憎悪に歪んだまま、転がり落ちていく。


 レオンハルト殿下は、剣を振り切った体勢のまま、一瞬だけ静止した。足を大きく広げ、身体を捻ったまま、片手を地面に突き刺すようにしてバランスを取っていた。剣先から血が滴り、床に赤い染みを作った。その背中は、まるで何事もなかったかのように、静かだった。

 ガルヴェインの首が床に転がり、血の海を作った。炎の赤い光がその血を照らし、不気味な影を映し出していた。部屋には静寂が訪れ、遠くで炎の音だけが低く唸っている。


 その横で、ロベリアさんが両手で顔を覆った。肩が小刻みに震え、指の隙間から大粒の涙が伝って落ちた。


「……まだ、何も聞けてないのに……」


 彼女は嗚咽を漏らし、肩を震わせていた。その声には深い絶望と悲しみが滲んでいた。

 俺はその小さな背中を見つめていた。剣を握った手が震え、胸の奥に冷たい痛みが広がった。何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。


「どうして……お父さんが……どうして、戦場で……死んじゃったのか……」


 その言葉は弱々しく、かすかに震えていた。

 ――あの日、地獄の戦場で、俺は何もできなかった。ただ、手あたり次第に遺品を回収することしか出来なかった。赤黒い大地、焼け焦げた死体、吹き荒れる炎。無数の命が無惨に散っていった。その中に、ロベリアさんの父がいたのだ。

 喉が詰まり、声が出なかった。視界が滲み、ロベリアさんの背中がぼやけて見える。罪悪感が冷たい鎖のように胸を締め付けた。


 横にいるレオンハルト殿下の表情が強張った。目を大きく見開き、動揺を隠せていない。剣を握る手がわずかに震え、唇が乾いたように動いた。


「……ロ、ロベリア……」


 その声はかすれ、痛みを帯びていた。彼は目の前に膝を突くロベリアさんの姿を見下ろし、息を呑んだ。目は明らかに揺れており、冷徹な視線は影を潜めている。


「……すまない……貴様の父君のことを、何も知らなかった……」


 レオンハルト殿下のその言葉は、かすかに震えていた。彼は拳を握り締め、動揺を隠すことができないまま、目を見開いてロベリアさんを見つめていた。


「……ロベリアよ……許してくれ……」


 その言葉には、深い悲しみと後悔が込められていた。レオンハルト殿下の表情は、苦悩に満ちていた。ロベリアさんは何も言わなかった。ただ、涙を流し続けていた。

 俺はその光景を、ただ黙って見つめていた。

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