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084.舞台裏

 俺――セシルは楽屋の隅の椅子に深く腰を下ろし、肩で息をしながらぐったりと背もたれに預けた。舞台は大成功だったらしいが、俺にとってはただひたすら精霊術を酷使し続けた消耗戦だった。


(やれやれ……このまま眠っちまおーかな……)


 そんなことを考えながらも、楽屋のざわめきが収まる気配はなかった。舞台を終えた劇団員たちは興奮冷めやらぬ様子で語り合い、興奮した俳優たちの笑い声が響いている。


「はははっ! 見たか、あの観客の反応を!」


 劇団の演出家、ヘクトル・ヴァレンフォードが満足げに笑いながら台本を掲げた。


「俺の演出がすべてを引き立てたといっても過言じゃないな! いや、最高だった! まさに芸術の極みだ!」

「同感だ!」


 団長のバルドル・グレイソンも力強く頷き、豪快に両手を叩いた。


「こんなに盛り上がるとは思わなかったぞ。これほどの舞台、滅多にない! いや、それどころか、今までで一番だったかもしれん!」


 団員たちも興奮した様子で同意し、主演女優が微笑みながら口を開いた。


「観客の目がね、ずっと私たちを追っていたわ。まるで本当に天使が舞い降りたと信じていたみたい」

「いやいや、それは俺の演技が良かったからだろ?」


 救国の英雄役の俳優が得意げに胸を張ると、ヘクトルが肩をすくめて笑った。


「まあまあ、どっちも素晴らしかったよ。だけど、ここで終わらせるには惜しいな。次の公演は、さらに大規模にすべきじゃないか?」


 その提案にバルドルが即座に同調する。


「その通りだ! このまま勢いに乗って、さらなる公演を打とう! しかも今回は――」

「せっかくだから、ライラ様本人を舞台に上げて、演説でもさせよう!」


 楽屋が一気にざわついた。俳優やスタッフたちは驚きと興奮の入り混じった表情を浮かべ、次々に賛同の声が上がる。


「それは名案だ! 本物の天使が自ら語るとなれば、観客の熱狂は最高潮に達するぞ!」

「実際の出来事と劇を重ねれば、より強い印象を残せるはずだ!」


 俺はその流れを横目で見つつ、じわじわと嫌な予感を覚えていた。


(これは……先走りすぎだ……)


 舞台が大盛況だったことは事実だが、そこにライラ本人を関与させるのは、明らかに別の領域に踏み込むことになる。俺は何度も口を開こうとしたが、周囲の熱気に飲み込まれ、言葉を発することができなかった。

 そのとき、楽屋の奥から静かに足音が響いた。第二王子レオンハルトが、ゆっくりと姿を現した。


「おや……これはこれは」


 ヘクトルが興味深そうに目を細め、第二王子に視線を向ける。


「貴殿も、今回の公演の出来栄えには満足されたかな?」


 第二王子は静かに微笑を浮かべ、軽く頷いた。


「ああ、素晴らしい舞台であった。民衆の熱気も予想以上だ」


 しかし、その目にはわずかに警戒の色が滲んでいた。劇団が熱狂しすぎて、予想以上に深入りしようとしていることに気付いたのかもしれない。


「だが……次の公演については、慎重に考えるべきだ。ライラ本人を舞台に上げるというのは、果たして適切な判断だろうか?」


 その言葉に、バルドルとヘクトルは一瞬だけ考え込む。しかし、すぐにヘクトルが口元を歪めて笑った。


「問題はないさ。芸術は観客のためにある。彼らが求めるものを与えるのが、我々劇団の使命だろう?」

「そうとも! この流れを止めるわけにはいかん!」


 バルドルも深く頷き、ヘクトルに同調した。

 第二王子は静かにため息をつき、視線を俺へと向けた。俺はじっと拳を握りしめ、周囲の熱気とは裏腹に、ひとり冷や汗をかいていた。どこか浮ついた空気の中で、俺だけがこの展開に対する危機感を募らせていた。

 俺は喉の奥で小さく息を飲んだ。このままでは、劇団が勝手に盛り上がりすぎて、王子の計画以上に突っ走ってしまう。俺には、それが危うい道に見えて仕方がなかった。

 ちらりと王子の顔を盗み見ると、彼もまた楽屋全体を見渡しながら、何か考えを巡らせているようだった。だが、その表情は相変わらず読めない。俺は握った拳をそっと開き、ゆっくりと息を吐いた。


(……悪い方に転がらなきゃ良いんだがな)


 俺は内心、そう結論を出すしか出来なかった。





 数日前、俺は街中で奇妙な侍女──いや、第二王子から直接チラシを手渡された。

『昼下がりにきらめく翼――失われし希望の再生譚』

 嫌な予感がした。まさか、と思いながらも、そのままチラシを持って新聞社に向かい、ロベリアさんに相談した。彼女は真剣な表情で内容を確認すると、「これは観ておくべきです」と断言した。


 そして、今日。俺は実際にその舞台を観た。

 劇場を出ると、少し陽が傾いて冷たくなった風が頬をかすめた。舞台の熱気がまだ身体に残っている気がして、心の中がざわつく。俺は無意識にチラシを握りしめたまま、隣を歩くロベリアさんに目を向けた。


「……俺、あんな風に描かれてたのか……」


 ぽつりと零れた言葉に、自分でも驚いた。舞台の中で俺の姿は、天使――ライラに力を与える、光を背負った英雄として描かれ、観客たちはそれに喝采を送っていた。


「民衆がこうして英雄を求めているのは、時代の流れかもしれませんね」


 ロベリアさんは腕を組みながら、淡々と分析するように言った。


「でも、実際の俺は……そんな立派なものじゃないですよ」


 劇の中の「救国の英雄」と、俺自身が歩んできた現実。それがかけ離れすぎていることに、言いようのない違和感を覚えた。舞台の中では、俺は人々を救うために戦い続ける孤高の存在だった。しかし、現実はそうじゃない。俺は何かを守るためではなく、生きるために戦い続けていただけだ。

 ロベリアさんはそんな俺の表情をちらりと見て、少しだけ口元を引き締めた。


「でも、こうして噂が広がれば……」


 彼女が言いかけたところで、俺は静かに首を振った。


「……それが俺にとって良いこととは限らないと思うんです」


 ロベリアさんが軽く息を飲むのが分かった。


「……どういう意味ですか?」

「俺は英雄なんかじゃない。ただの人間です。それなのに、舞台のような話が広まれば……俺を知る人たちは、現実の俺を見ずに、勝手な幻想を押し付けてくるかもしれない」


 舞台の中の「俺」は、あまりにも美化されすぎていた。俺が本当に戦った理由も、血に塗れた過去も、何も知らないまま、ただ理想化された存在として扱われる。それに対して、妙な焦燥を感じていた。実際には言われるがままに戦わされていて、みっともなく傷だらけになって、挙句の果てにはただ逃げ出すことを選んだと知られてしまえば、どう思われるのだろうか。

 ふと横を通り過ぎた市民に目配せする。この人が、いつか戦場で見たような、殺意の籠った視線を俺に浴びせてくることになってしまうのだろうか。

 俺がそんな弱音を口にした後、ロベリアさんはしばらく沈黙し、小さく頷いた。


「……確かに。それは少し気になりますね」


 俺はため息をつきながら、遠くに見える劇場の灯りを振り返った。舞台は幕を閉じても、その影響はまだ消えていない。


「う、上手く説明出来ているか分からないんですが……このまま噂が勝手に広まっていけば、俺自身がどこかへ消えてしまうような、そんな気がするんです……」


 俺の漠然とした説明を聞いたロベリアさんは、じっと俺を見つめた。そして、まるで何かを決意したように、ゆっくりと口を開いた。


「なら、どうすればいいのか、一緒に考えましょう」


 俺はそのロベリアさんの言葉に、小さく頷くしか出来なかった。





 カリストリア聖王国通信社に戻ると、新聞社の灯りはまだ消えていなかった。劇の興奮が街中に残る中、俺とロベリアさんは今まさに原稿の調整をしている防音室へと足を運んだ。


「戻りました」


 ロベリアさんが静かに告げると、トーマスさんは机に肘をつきながら顔を上げた。


「どうだった?」

「民衆の熱気は予想以上でした。舞台が終わっても、劇場の外では観客たちがあれこれと語り合っていました。クロニクル・トレイルの影響もあってか、あの舞台を本当の出来事として信じる人も多かったです」


 ロベリアさんの報告に、トーマスさんは小さく唸りながら視線をテーブルの上の書類に落とした。


「なるほどな……こうなると、今後の風向きがどう変わるか、慎重に見極める必要があるな」


 そのとき、印刷部から戻ってきたポートリーさんが顔を出し、手を軽く振った。


「劇の話題が広まるのは間違いなさそうだねぇ。民衆の間で『英雄』や『天使』の話が何度も語られ、まるでそれが当然の事実であるかのように認識され始めれば、それはもはやただの物語ではなく、人々の記憶に刻まれた現実として扱われるようになる……って感じかなぁ」

「……それが、一番怖いんです」


 俺は低く呟いた。


「これ以上、俺が英雄として持ち上げられるのは、どうも落ち着かないんです。これまでの情報や、舞台の中で作られた英雄像が、いつの間にか俺の人物像として広がっていって……そんな中で、本当の俺は単なる実験体で、戦わせられてた存在だって公表されたら……そしたら、どうなるんでしょうか。俺は、どんな人間に見えるんでしょうか」


 ロベリアさんが静かに頷いた。


「……劇が単なる娯楽として受け入れられるならいいですが、今の流れを見る限り、そう単純な話ではなさそうです。レオンハルト殿下の思惑もありますし、民衆がどう受け止めるか……ちょっと気になりますね」


 トーマスさんは腕を組み、しばらく沈黙してからゆっくりと言葉を継いだ。


「問題は、これがどこまで広がるかだな……舞台が次の公演へと進めば、さらに大衆の意識に刷り込まれていく。下手をすれば、単なる噂では済まなくなるぞ」


 ポートリーさんが苦笑しながら肩をすくめた。


「こういう話題は民衆が求めるものでもあるんだよねぇ。信じるか信じないかはさておき、劇場で観たものが事実かどうかを論じるうちに、どんどん話が膨らんでいっちゃう。そして、それが現実に影響を及ぼす。まるで一つの流れのようにね」

「流れ、か……」


 俺は天井を仰いで息を吐いた。


「もう、ただの新聞記事じゃ済まなくなってきてるんですね」


 誰もその言葉を否定しなかった。劇の興奮は、すでに社会全体に影響を与え始めている。これがどこまで波及し、何を引き起こすのか――それは、俺たちにもまだ分からなかった。

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