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083.『昼下がりにきらめく翼――失われし希望の再生譚』

 劇場の入り口前には、開演を待ちわびる民衆が詰めかけていた。ここは、街の隅にある小さな劇場だが、オモカゲ劇団の新作公演とあって、普段よりも多くの人々が集まっていた。劇場の壁には、大胆な色使いの宣伝ポスターが貼られている。


『昼下がりにきらめく翼――失われし希望の再生譚』


 ポスターには、処刑場で光に包まれながら救いの手を差し伸べる天使のような女性が描かれている。その足元には、絶望に沈む一人の男が膝をついている姿が映し出されていた。群衆はその絵を眺めながら、あれこれと噂を交わしている。


「これって、処刑場で起きた奇跡の話だろ? 天使が現れて男を助けたっていうやつ」

「クロニクル・トレイルにも記事が載ってたな。救国の英雄のお姿そっくりだったとか何とか……」

「そんな話、教会が認めるわけないだろ」

「けど、実際に見たってやつもいるらしいぜ」


 若者たちは目を輝かせながら話し合っている。その一方で、保守的な年配者たちはやや険しい顔で群衆の様子を見ていた。とはいえ、彼らもただの冷やかしではなく、家族や知人に誘われて渋々観劇に来た者や、舞台が教会を侮辱する内容ではないかを確認するために足を運んだ者たちだった。


「これだから最近の若い連中は……。あんな根も葉もない噂話を集めただけのオカルト雑誌に煽られて、正しい信仰を見失っている」


 しかし、その小言も若者たちには届いていないようだった。何人かの若者は、最近連続刊行されているクロニクル・トレイルの増刊号を手にしていた。白黒印刷で二つ折りにされた簡素なつくりのそれを広げ、あれこれと噂話に花を咲かせている。


「なあ、これ見たか? 魔女集会に出入りしてた女が天使を造り出したって話」

「いやいや、こっちだろ。処刑場にいた男が救国の英雄の影武者だったとか……」

「マジで? そういう話もあるのかよ!」


 若者たちは次々に記事の内容を語り合い、舞台がその噂とどう繋がるのかを興奮気味に想像していた。賑やかな空気が広がり、劇場前は期待と興奮に満ちていた。


 やがて、開演の時間が近づく。劇場の扉が開かれ、観客たちは次々と中へ入っていく。舞台には厚い緞帳が下りており、観客たちはざわざわとしながらも席に着いていった。

 場内が暗転すると、静寂が訪れる。次の瞬間、天井から青白い光が差し込んだ。それは星々が瞬くように散りばめられ、幻想的な世界を演出する。

 緞帳が静かに上がり、舞台に光の輪が現れる。その中央には、天使のような衣装を纏った女優が立っていた。長い白髪が舞台照明を受けて淡く輝き、その髪の毛の先には儀式を思わせるようにリボンが結ばれていた。その独特な姿に、観客の誰かが息を呑む音が聞こえた。


「……あれがライラ役か」


 誰かが小さく囁く。その声はあまり注目されず、ざわつく観客の中に埋もれてしまった。その声の主である眠そうな目をしたそばかす顔の大男は、やや目立つ体躯のせいか、すぐ後ろの客に背中を軽く叩かれた。


「ちょっと……邪魔だよ!」


 男はハッとして振り返り「す、すいません」と小声で謝りながら中腰になった。周囲の視線が一瞬自分に集まったことに戸惑い、しばらくの間、落ち着かない様子で頭をかがめていた。その横にいる小柄な快活そうな女が、後ろの客に「ちょっと……」と何か言いかけたが、大男の方がそれを止めた。


 ざわついていた観客たちも、天使役の女優がゆっくりと動き出した瞬間、一斉に静まり返り、視線が舞台に集中した。天使役の女優は腕を広げ、光の中でゆっくりと語り始める。


「絶望に沈む愛する彼に、私は救いの光をもたらす為に生まれてきたのです……」


 その声が舞台全体に響き渡り、物語が静かに幕を開けた。


 舞台は、静かな祈りの場面から始まった。天井から柔らかな光が差し込み、舞台中央には天使役の女優が佇んでいた。背後に星空を模した光が淡く広がり、幻想的な雰囲気が漂う。

 そのとき、舞台の奥からもう一人の登場人物――白髪を持つ救国の英雄役が現れる。彼は天使の羽根を模した大きな装飾を背に纏い、威厳ある佇まいでゆっくりと歩を進めた。光が彼の衣装に反射し、観客たちの視線を釘付けにする。

 天使役の女優はゆっくりと英雄の前に進み出ると、跪いて声を震わせながら願いを訴えた。


「お願いです……愛する者を救いたいのです。あなたの力を、どうか私に授けてください……!」


 観客たちはその切実な訴えに引き込まれ、息を呑むように舞台を見守っていた。英雄役の男は静かに天使の姿を見つめ、やがて穏やかに微笑みながら手を掲げた。光が彼の手元から広がり、天使の周囲を包み込む。やがて天使はその光を受け取り、力を授かったことを示すようにゆっくりと立ち上がる。


 場面が転換し、魔術めいた光の演出が淡く広がる中、冷たい石造りの処刑場が舞台に現れた。絶望に打ちひしがれた黒髪の男が、足枷をつけられたまま跪いている。その姿は観客の目に痛々しく映り、息を呑む者もいた。

 そこへ、天使役の女優が再び現れる。長い白髪に結ばれた儀式的なリボンが揺れ、衣装の裾が光を反射して淡い輝きを放つ。彼女は光を背にして静かに男へと歩み寄り、救いの手を差し伸べた。


「どうか、もう絶望しないで……! 私はあなたを救うためにここへ来たの。どんな困難でも乗り越えて、あなたをこの場所から連れ出してみせるわ……!」


 その言葉が舞台全体に響き渡り、観客たちの胸を静かに震わせた。男は涙を浮かべながらゆっくりと顔を上げる。その瞬間、照明が淡く変わり、天井には星空を模した光の模様が現れた。星々が瞬くように輝き、幻想的な光景が広がる。


 劇場内は完全に静まり返り、誰一人として瞬きさえ忘れているかのようだった。天使役の女優が語り続ける中、舞台は一瞬一瞬、観客の心をつかんで離さなかった。

 やがて物語がクライマックスを迎える。天使が処刑人たちを退けると、男をそっと抱き起こし、涙を浮かべた彼の唇に優しく口付けをする。舞台全体が一段と強い光に包まれ、そのまま緞帳が静かに降りていった。観客たちは一斉に息を呑み、緞帳が完全に閉じるまで誰一人として声を発しなかった。

 緞帳が静かに閉じると同時に、場内には拍手が一斉に響き渡った。歓声や感嘆の声が上がり、劇場内は熱気に包まれていく。


 劇場の外へ出た観客たちは、舞台の余韻に浸りながらあれこれと語り合い始めた。


「あの天使と男の話って本当だったんだぜ! だいたいあんな感じだったんだよ、俺、実際に公開処刑で見たんだ!」


 興奮気味に熱弁する若い男は、仲間たちに向かって身振り手振りを交えて話し続けた。


「いや、マジで。本当の出来事だぜ! 目撃したときも天使の背中に光がバーッて広がって、まさに今日の舞台みたいだったんだよ!」


 若い男が興奮気味に仲間へ話しかける。

 そのすぐ横で、主婦らしき女性が目元を押さえながら、隣の友人に語りかける。


「涙が止まらなかったわ……」

「それにしても、あの天使役の人、すごいオーラだったわね。ほんとに光って見えたもの」


 一方、保守的な年配者は腕を組み、考え込むように呟いた。


「舞台は確かに感動的だったが、あれが本当に事実なのかは分からん。教会の言うことを信じたほうが安全だ」

「まあ、そうかもしれないが……最近は教会だって信用できないって噂もあるぞ」

「それはクロニクル・トレイルとかいう雑誌の話だろ? あんなオカルト雑誌を信じるなんて、頭がどうかしてる」


 民衆同士の議論は熱を帯びていく。ある者は教会を信じ、ある者は新たな噂に心を動かされていた。舞台をきっかけに、街中の話題はさらに広がりを見せていった。


「英雄の話もどこまでが本当なんだろうな」

「いや、だからさ。あの劇、きっと誰かがわざと広めてるんだって。教会の上層部が何か隠してるって話もあるじゃん」

「おいおい、そういうことを外で声高に言うなよ。下手したら異端審問に引っ張られるぞ」


 そう言い合いながらも、民衆は一人また一人と劇場前を離れていく。その背後には、舞台で描かれた光景が、まるで現実に重なり始めたかのような不穏な空気が漂っていた。





 街の広場には、クロニクル・トレイルの記事を宣伝するポスターが目を引いていた。「魔女集会の秘密!」「救国の英雄に隠された真実とは?」といった刺激的な見出しが大きく貼り出され、通行人たちの視線を集めている。

 数人の若者たちがポスターの前に集まり、劇場での興奮冷めやらぬ様子で噂を交わしていた。


「これ見たか? 魔女集会ってさ、実際にあったって話だよな。ほら、劇でも似たことやってたろ?」

「なんか、繋がってる気がするよな」

「教会は何も言わないけど、絶対なんか隠してるって!」


 彼らはポスターの内容を指さしながら、次々に自分たちの推測を語り合う。

 一方で、近くを歩いていた保守的な年配者たちは、その様子に険しい視線を向けていた。


「まったく……最近の若者は、あんなオカルト雑誌に煽られて。信仰心が薄れている証拠だ」

「異端審問がもっと活発だった時代なら、こんな話を信じること自体が罪だっただろう」


 年配者たちはため息をつきながらその場を通り過ぎていった。しかし、若者たちは気にする様子もなく、楽しげに噂を続けている。


「おい、次の増刊号も出るらしいぞ。もっとすごい秘密が暴かれるかもな」

「マジか! 絶対買うわ!」


 こうして、クロニクル・トレイルの噂はさらに広がりを見せていた。街中には新たな情報が飛び交い、民衆の心を少しずつ揺り動かしていく。




 一方、街の中心部では、セラフ天啓聖報の販売員たちが最新号を手に取り、通行人に声をかけていた。紙面には「異端思想への警告」という大きな見出しが躍り、クロニクル・トレイルを名指しで批判する記事が特集されている。


「最近、危険なデマが蔓延しています! 皆さん、教会の正しい教えを守りましょう!」


 販売員が大声で呼びかけると、足を止めた年配の男性が興味を示した。


「やっぱり、信仰を守るためにはこうした情報が必要だな」

「そうですよ。最近は若い者たちがデマに惑わされて、危険な思想に染まっていっていますからね」


 彼らは販売員から手渡された新聞を読みながら、教会の教えを支持する言葉を交わす。

 一方で、近くを通りかかった若者たちは、その様子を横目で見ながら小声で話し合っていた。


「また教会の言い訳かよ。こんな記事ばっか出してるから、クロニクル・トレイルが流行るんだっての」

「だよな。オモカゲ劇団の舞台の方が、よっぽど本当っぽい感じするし」


 若者たちは鼻で笑うようにしてその場を立ち去っていった。販売員たちは気にする様子もなく、さらに別の通行人たちに声をかけ続けている。

 広場の一角では、保守的な市民たちが集まり、セラフ天啓聖報の記事をもとに真剣な議論をしていた。


「最近の噂は危険だ。英雄や天使に関する作り話なんて、自分たちが危険思想を持つ野蛮人だと言いふらすようなものじゃないか」

「その通りだ。こうして信仰を守ろうとする努力がもっと広まればいいんだがな……」


 街には、保守と革新、信仰と疑念が入り交じるような空気が漂い始めていた。





 舞台の公演が無事に終わり、観客たちが劇場を後にする頃、舞台袖では一人の男が壁に寄りかかっていた。セシルだ。天使役の女優による華やかな演出の裏で、彼は精霊術を酷使していたのだ。疲労の色が濃く浮かんでいる。


「……ウゲェ、もう少しで倒れそうだったぜー……」


 セシルは荒い息を吐き出しながら、額の汗を腕で拭った。その身体は小刻みに震えており、まともに立つのも一苦労の様子だった。そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアが、舞台袖の暗がりから現れた。


「ご苦労、セシル。貴様の力がなければ、あの演出は成功しなかったであろう。民衆の反応を見よ。本日の公演は大きな成果だ」


 王子は微笑を浮かべながら優しい口調で言う。しかし、セシルは眉をひそめ、不満げに視線を向けた。


「本当にこれでいいのか? あいつらが信じているのは、ただの噂話だ……作り話を見せられて、勝手に感動してるだけじゃねーか。これで教会の連中に疑念を抱かせられるっていうのかよ」

「噂話でも作り話でも、民衆が考え始めることに意味があるのだ。真実というのは、時に形を変えて広まるも。強制ではなく、疑問を抱かせることが大事なのだ。だから、今回の舞台は直接的な批判を避けているではないか」


 王子の言葉に、セシルは舌打ちしながら壁に寄りかかった。


「……考えるだと? 本当にそこまで頭を使う連中なら、最初からこんな盲目箱庭暮らしなんか、しちゃいねーだろ」

「民草を信じよ、セシル。彼らも少しずつ気づいているのだ。街中では、英雄が姿を消した理由についてさまざまな噂が立っている。教会が何かを隠しているのではないか……そう思い始めている者も少なくはない」


 舞台袖の静けさの中、遠くから街のざわめきが微かに聞こえてきた。内容までは分からないが、誰かが通りで話している声がかすかに耳に届く。その声はすぐに遠ざかり、再び静寂が戻る。セシルは目を閉じ、疲れ切った身体を支え直した。


「……次の公演までに、少しは回復しねーとな」

「そうだ。貴様が倒れたら、この計画だけでなく、全体の計画そのものに歪みが生じる。無理はするな。しばし休め」


 王子は軽く肩を叩くと、静かにその場を後にした。セシルは舞台の奥へと消えていく彼の背中を見送りながら、自分たちが背負う情報戦の重さを痛感していた。

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