080.動き出す物語
朝日が差し込む中、私はカリストリア聖王国新聞社に向かっていた。昨日オルフェウスさんと約束した交換条件を思い返し、頭の中にはこれからの動きについて、次の布石の妄想が渦巻いている。ただ、今日は別の課題がある。「魔術集会通信」のオルフェウスさんが希望している禁書室の調査を、トーマス編集長――典籍卿トムフォード・グレインハーストに説明しなければならない。
十年前に何があったのかは知らないが、魔術集会通信としては既に出禁となっているらしい。典籍卿の名前を使用することを避けているように見えるトーマス編集長を、説得することは出来るのだろうか。
到着後、編集長のデスク前まで行くと、トーマス編集長は書類を整理しながらペンを走らせていた。
「おはようございます、編集長」
「ん? おはよう、ロベリア。何か用か?」
私は軽く頭を下げると、編集長が書類から顔を上げた。
「昨日の医術集会で知り合った……えっと、オルフェウスさんという方から依頼を受けまして……。国立図書館の地下の、禁書を調べたいそうなんです」
私は言葉を選びながら説明を始めた。
「彼から提示される予定のエリザベスの情報が非常に貴重である可能性が高いので、取材を承諾していただけないでしょうか……」
「ふむ、オルフェウス……?」
編集長は首を傾げ、少し考え込んだ。
「……おそらく、編集長は面識のない方だと思います。物好きな研究家らしいのですが、情報収集が得意な方でして……。どうしても禁書室の資料を調べたいと言われていまして」
私はそう補足する。オルフェウスさんが魔術集会通信の記者だということは、もちろん話せない。十年前にあの通信社が出禁を言い渡されたことを考えれば、編集長にバレたら即座にオルフェウスさんも出禁となりかねない。もっと無難な説明があれば良かったのだが、咄嗟にこれ以上の言い訳は思いつかなかった。
「なるほど……彼が持ってきた情報がそれほどの価値を持つということなら、無視はできないかもしれんが……」
トーマス編集長は腕を組み、しばらく黙り込んだ。その表情には明らかに渋いものがある。
「禁書室――国庫に保管されている資料を閲覧させるとなると、こちらにもいくつか厳しい条件がある。まず、閲覧には必ず俺自身、もしくは俺が承認した部下の同席が必要だ。同席は新聞社の人間ではなく、国庫の管理担当者だよ。時間は俺たちも限られているから、頻繁には対応できん。もちろん、資料の持ち出しは禁止だ。閲覧するページすべてを記録し、見た内容も確認させてもらう。さらに、写しの作成も一切認められん」
編集長はそこで一息つき、私に鋭い視線を向けた。
「そして、身分証明が必須だ。彼には正式な書類を提出してもらうよう伝えておいてくれ。国庫の資料は軽い気持ちで見せるわけにはいかん。この条件でいいか、確認しといてくれ」
「……承知しました」
私は思わず背筋を伸ばして返事をした。編集長がここまで厳しく条件を並べるのも無理はない。禁書室に保管されている資料は、国家の歴史や秘密に深く関わるものなのだから。
私は頭を下げ、編集長デスク前を離れた。
廊下を歩いていると、奥の方からヴェルナードさんとポートリーさんが姿を現した。二人とも印刷作業を終えたばかりらしく、少し汗ばんでいる。ポートリーさんは肩を軽く回しながら、ほっとした表情を浮かべていた。
「お疲れさまです、ヴェルナードさん、ポートリーさん」
私が声をかけると、ポートリーさんがにこやかに笑みを返してくれた。
「お疲れさま、ロベリア。どうしたんだい?」
「実は、今日オルフェウスさんという方が新聞社に来る予定なんです。取材に協力してくれるとのことで、来られるんですけど……」
私が説明を終える前に、ヴェルナードさんが少しそわそわし始めた。
「そうですか。なら……変装、したほうがいいですかね……?」
「そりゃあ、見つかって面倒にならないようにしたほうがいいんじゃないかなぁ」
ポートリーさんが少し困ったように肩をすくめた。
「ヴェルナードさん、ほら、帽子被って仮面もしっかり着けておきなよ。そしたら安心だろう?」
「そ、そうですね……準備しておきます……」
ヴェルナードさんは帽子を手に取り、仮面を装着した。すっかり手慣れたようで、その大きな手が顔から離れる時には、眠そうな垂れ目のそばかすの浮いた顔になっていた。
「よし、これで大丈夫だねぇ。お客様が来ても気づかれないよ」
「ありがとうございます……助かります……」
ヴェルナードさんは静かにお礼を言った。
「さて、僕は今日はこれで退勤するけど、気をつけてね。無理はしないようにねぇ」
ポートリーさんは優しい口調で言うと、軽く手を振りながら歩き去っていった。
ヴェルナードさんは少しだけ落ち着きを取り戻したようで、私に向き直って丁寧に言った。
「助かりました、ロベリアさん。教えてくれてありがとうございます」
彼の物腰の柔らかさに、私は思わず笑みを浮かべた。ポートリーさんとヴェルナードさんの穏やかなやり取りに、少し気持ちが和らいだ気がした。
その時、正面の扉が開き、オカルト雑誌「クロニクル・トレイル」のハレックがのんびりした様子で入ってきた。
「邪魔するぜェ~。編集長いるかァ?」
彼は肩を軽く回しながら、私に声をかける。
「編集長ならデスクにいますけど……どうかしたんですか?」
「いや、特にねェけど、暇だからちょっと現状の確認でもしてェなと思ってなァ」
ハレックは気楽な口調でそう言いながら、手を頭の後ろで組んで体を軽く反らせた。
「あ、そういえば……魔女集会の情報が入るかもしれません」
私がその一言を口にした瞬間、ハレックの動きがピタリと止まった。
「……は?」
彼は一瞬聞き間違えたかのようにこちらを見た。
「昨日、医術集会でオルフェウスさんという方と知り合ったんです。その方が、魔女集会に関する記録を見つけてくれることになりまして……」
私が淡々と説明すると、ハレックの顔つきがみるみるうちに変わった。目を大きく見開き、驚きと興奮が混じったような表情になり、口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
「おいマジかよ……それ、本気で言ってんのかァ!?」
ハレックは手を頭の後ろから下ろし、勢いよく一歩前に踏み出して私に詰め寄る。私は思わず後ずさって返答する。
「え、ええ、本気ですけど……?」
「ふざけんな、これは大ニュースじゃねェか! こんな話、アーレンが聞いたら発狂するわ!」
ハレックは急に動きを止め、一瞬考え込むと振り返りもせず玄関へと向かった。
「アーレン呼んでくる! すぐ戻るぜェ! それまで話終わらせンじゃねェぞ!」
その言葉を残し、勢いよく扉を開けて外へ飛び出していった。
「えっ! すぐ戻るって、いつですか!」
私は驚いて声をかけたが、彼は片手を振り上げて応えるだけだった。
その声が遠ざかり、ハレックの姿はあっという間に見えなくなった。
「……なんだか、忙しくなりそうですね」
ヴェルナードさんがハレックの飛び出していった玄関を見ながら呟いた。
「はい……でも、今日の情報は、ヴェルナードさんの為になると思ってます」
私がそう言うと、ヴェルナードさんは一瞬ハッとしたように目を見開いた。そして、静かに生唾を飲み込む音がかすかに聞こえる。緊張しているのが伝わってきた。
確実に何かが動き出している――その予感が、私の胸の中で静かに広がっていた。
私と編集長は防音室でオルフェウスさんの到着を待っていた。落ち着かない気持ちを抑えながら、私は少し早足でテーブルに着いた。
しばらくすると、ドアがノックされ、ヴェルナードさんが扉の隙間から顔を出した。
「オルフェウスさん……という方が来たみたいです」
短く告げられて、私は立ち上がる。
「もう来たんですか?」
少し驚いていると、オルフェウスさんが鞄を片手に、にこやかに入ってきた。
ヴェルナードさんはその様子を一瞥し、顔を引っ込めて扉を閉めた。同席しても良いのではと思ったが、彼は彼でやることがあるのかもしれない。
「やや! 昨日振りです、ロベリアさん。……やや! あ、あなたが! トーマス・グレイン編集長様ですかぁ! どうぞよろしくお願いいたします!」
彼は深く一礼すると、軽やかにテーブルの前に立った。
「あんたがオルフェウスさんか。よく来たな。例の記録を見せてもらえるかね?」
トーマス編集長が穏やかに声をかける。
「はい。しっかりと準備してまいりましたので、ご確認ください」
オルフェウスさんは、革製の鞄をトンとテーブルに置き、中から分厚い資料を取り出した。
「ふふ……こちらが、アーカイブ室の二万三千四百十七冊の記録の中から探し当てた、魔女集会に関する記録になります。そして、エリザベス・クロフォードが参加していた頃の、最後の魔女集会の内容も含まれていますよ」
彼は手際よく資料を開き、ページをめくりながら説明を続けた。
私はその記録を受け取り、慎重にページをめくる。すると、目に飛び込んできたのは、異様な研究内容だった。
「……牛の胎内で、別の生命体を育てる実験……?」
私は思わず声に出してしまう。オルフェウスさんはうなずき、記録を指さした。
「ええ、はい。その実験がエリザベスの研究の一つです。結果として、生まれた生命体は非常に異常な外見をしていたそうです」
私は記録に記された情報を目で追った。
エリザベスが発表した研究は、「新たな生命体を創造する」ことを目的としたものだった。牛の胎内で犬を育てることに成功したとされ、その個体は魔女集会で披露された。しかし、その犬は明らかに通常の犬ではなかったようだ。
二つの首を持ち、どちらの目も異様に赤く輝いていた。手足の先端だけが猿か人間のような形状をしており、骨格も奇妙に変形していた。体内の臓器は過剰に増殖しており、腹腔に収まりきらず外に飛び出していたため、地面を引きずりながら歩くという異様な姿だった。
「これは……」
私は思わず息を詰めた。頭の中に異形の姿が浮かび、背筋が冷たくなる。
その姿を目の当たりにした魔女集会の参加者たちは、研究を「冒涜的」として糾弾した。集会はそれまで暗黙の了解で行われていたが、この研究をきっかけに解散を余儀なくされ、秘密裏の開催も禁じられた。
さらに別の資料には、その後の処置についても記されていた。悲惨な姿で生まれたその犬を安楽死させるため、苦痛の少ないとされる注射での毒殺を試みられたが、効果がなく、最終的には首を切断することで処分されたとある。
その記述の一つ一つが重く、私の中に異様な感覚を残した。
「冒涜的だとして、彼女の研究そのものが、集会を取り仕切る上層部から激しく非難されました。そして、エリザベスは集会を追放されることになったのですが……問題はそれだけに留まらず、結果として古代魔術研究全体への偏見が強まり、古代魔術の研究自体が急速に廃れていったようなのです」
オルフェウスさんは淡々と説明する。
「……そうだったんですか」
私は記録から視線を外し、言葉を飲み込んだ。エリザベスの研究が、ただならぬものだったことを改めて思い知らされる。
オルフェウスさんは資料を閉じ、静かに言葉を続けた。
「……私の生まれる前の出来事ですから、詳細は知らなかったんです。今回、私としても改めてこのことを調べてみる良いきっかけになりました。ありがとうございます」
私は、エリザベスが何を目指していたのかを考えながら、ふとオルフェウスさんに視線を向けた。
「エリザベスさんが追い求めたものは、何だったのでしょうか……」
私が呟くと、オルフェウスさんは小さく首を振った。
「それを知るには、もう少し資料を掘り下げる必要がありそうですね。ただ、現時点ではここまでが判明していることです」
そう言って、オルフェウスさんは私たちを見渡した。
そこで、編集長が口を開いた。
「オルフェウス君、他にエリザベスの研究記録は残っていないのかね? 彼女が行っていた研究がこれだけとは思えないが……」
編集長の質問に、オルフェウスさんは少し考え込むように視線を落とした。
「そうですね……実は、関連する記録があります。あまり知られていない話ですが、エリザベスは身体の恒常性を異常なまでに高める魔術の論文を提出したことがあるという記録がありましてね」
「恒常性……ですか?」
私は聞き慣れない言葉に眉をひそめた。
「ええ。要するに、生物が体内の状態を維持する力――その能力を極限まで強化しようという考えの元、書かれた論文のようです。これの理論が原因で、あの犬が注射による安楽死を受け付けなかった可能性があるのではと思ったんです」
オルフェウスさんは説明しながら、鞄の中からもう一冊、古い記録を取り出して見せてくれた。
「ただし、これは魔女集会に書面で提出されただけで、具体的な成果はなかったとされています。多くの参加者は絵空事と判断して、ほとんど相手にしなかったようですね」
私はその資料に目をやりながら、エリザベスの研究の異常さと、そこに込められていた目的の断片を想像していた。
「なるほど……その魔術が、本当に効果を発揮していたとしたら……」
編集長は資料に目を通しながら、最初は渋い表情を浮かべていた。しかし、途中で何かに気付いたのか、手が止まり、ゆっくりと目を見開いた。驚愕と戸惑いが入り混じった表情を見せながら、静かに言葉を発した。
「……これ、不死の魔術に似ているんじゃないか? 外部からの影響を受けず、体の機能を極限まで維持する……ここに書かれている『恒常性を高める魔術』と、実在する被験者達は非常に近いように思える。異常な治癒力を持つ者たちの状態が、まさにこれに当てはまるんじゃないか?」
編集長は静かに言葉を重ね、資料を指で軽く叩いた。
私は全身に冷たいものが走るのを感じた。魔術実験の被検体たち――ヴェルナードさんをはじめ、異常な回復力や耐久力を持つ人たちの存在を私は知っている。それがエリザベスの研究と繋がっているという事実が、今、目の前で、証言以外の形で繋がろうとしていた。
これなら……この事実をついに表に出せるかもしれない。
私はそう思わずにはいられなかった。魔術実験の被検体たち――ヴェルナードさんをはじめとする異常な身体能力を持つ者たちに関する、非人道的な魔術実験の真実。これまで隠されてきた国家規模の闇。それを明るみに出すための確たる証拠として、これらの資料は十分な価値を持っているように思える。
「これで……やっと動かせるかもしれませんね……」
私は資料を見つめながら、強く心の中で言葉を噛みしめる。編集長は資料を閉じ、ふっと小さく息を吐いた。
「……まぁ、法律家からのご意見も確認しておこうじゃないか。確か、アーレンさんがこのあと来るんだろう?」
「あ、はい。ハレックさんが呼びに行ってますので、たぶんすぐに……」
私は頷いて答えた。編集長は静かに頷き返すと、手元の資料を整えながら続けた。
「よし。記事にするなら法的なリスクもあるからな。アーレンさんの判断を仰いでから、次の手を考えよう」
その言葉を聞きながら、私は少し安堵した。これで話が進むかもしれない。だが、ふと前に目を向けると、オルフェウスさんがどこか落ち着かない様子で肩をすくめていた。
「……いやあ、ちょっと待ってくださいよ……。結構、いけない話に首を突っ込んじゃいましたか? あれえ? 私、もしかしてやってしまいました?」
オルフェウスさんは苦笑いを浮かべながら、軽く頭を掻いた。
「あの……すいません。覚悟しておいてください……」
私が目を逸らし小さい声で言葉を返すと、オルフェウスさんは深いため息をつきながら、さらに苦笑いを浮かべた。
その場には一瞬の静けさが訪れ、けれども確実に物語が動き出したことを全員が感じ取っていた。




