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077.プロパガンダ

 衝撃的な取材を終えた俺――エドガーは、ヴァレンフォード家を後にし、額を軽く拭いながら土の道を歩いていた。俺の斜め後ろには後輩記者のリリィもいる。

 ここノルドウィスプは聖王都とは異なり、地面は石畳ではなく、足元には乾いた土の道が続いている。見渡す限り、牧草地や木造の家々が立ち並び、都会とは違うのどかな空気が漂っていた。


「第二王子とアティカスの動向を追うか……。彼らが反旗を翻したのは確かだが、詳しい状況をもう少し把握しておきたいな」


 俺がリリィに向けてそう呟くと、彼女は軽く肩をすくめて見せた。


「確認するのは大事ですよねぇ。殿下とアティカス様がどう行動を起こそうとしているのか、もっと深い部分が分かるかもしれない分、取材のしがいがあると思いますし」


 リリィは相変わらず地味に肝が据わっている。


 俺たちがここノルドウィスプに再び訪れた理由は、魔術実験の元内部関係者であるダリオンさんとの接触が目的だった。だが、リリィが偶然この町で第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアと農地卿アティカス・ヴァレンフォードが現王政権に反旗を翻す宣誓を目撃していたため、ついでにその詳細を調べることにしたのだ。

 しかし、これを記事にするべきかどうか、慎重な判断が求められるだろう。


「これまで現王が完全に権力を握っていると思っていたけど……裏でこうした動きがあるとなると、実は水面下ではずっと八卿の一部は対立していたのかもな。事態は思った以上に複雑そうだ」

「ウフフ……でも、権力争いに隠された真実を探る――記者として燃えてくるじゃないですかぁ」


 そう言ってリリィが笑う。彼女の頼もしい態度に、俺も少し気持ちが軽くなった気がする。二人で目的地の広場を目指して歩を進めた。

 そして、そこで思わず目を疑う光景に出くわした。


「……あれ、もしかして……?」


 俺は思わず立ち止まり、目を見開いた。広場の中央には、通行人に親しげに声をかけながらビラを配る男性がいた。軽やかな動きで次々と手渡している。その顔を見た瞬間、俺とリリィは完全にフリーズした。

 ビラを配っているのは――第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアその人だった。


「……まさか……本人がビラ配りを?」


 隣でリリィも呆然と呟く。いや、わかるよ? ビラ配り自体は特段珍しいことじゃない。でもだ、それをするのが国の王族だなんて、どう考えても異常事態だろう。

 第二王子は人々に笑顔を向け、手慣れた様子でビラを渡している。どこでそんな配り方を覚えたんだよ。しかも、受け取った通行人たちも「あ、どうも」と言いながら普通に受け取ってる。

 おいおい、誰も突っ込まないのか? 目の前のこの人、王族だぞ? 周りに注意する奴はいないのか? そもそも、何故王子が一人でビラ配りを?


「……王子が、ビラ配りって……どんな状況だよ……」


 俺が混乱する中、レオンハルト殿下は流れるような動きでビラを渡し続けていた。王族特有の威厳どころか、むしろあまりにも手慣れたその様子が、庶民的すぎて逆に怖い。


「これは……どういうことだ?」


 俺は衝撃を隠せないままリリィと目配せをした。王族が自らビラを配るなど、通常の権威を保つための規律や伝統を考えればあり得ない行動だ。まして、現在の彼は政権に対抗する立場にある。こうした活動が民衆への印象操作なのか、それとも真摯な訴えなのか――冷静に見極める必要がある。

 喉がひりつくような緊張感が全身を支配した。取材中に想定外の事態に遭遇することは何度もあったが、これほど異常な状況は初めてだ。

 俺は一度深く息を吸い、顔の表情を整えてから意を決して彼に近づいた。それとほぼ同時に第二王子が俺に視線を向け、僅かにその目を見開く。


「これは奇遇。これは僥倖。……カリストリア聖王国通信社の記者達ではないか」


 第二王子は俺たちに気付き、歩み寄ってきた。しかし、その表情には一瞬戸惑いが浮かんだ。まるで知り合いに偶然出会ったような親しみが感じられるが、どこか動揺が隠しきれていないように見える。


(……一目見ただけで、俺たちがカリストリア通信社の記者だと分かったのか? 何故だ?)


 俺は違和感を覚えながらも、王族という立場を考えればもう少し距離を保つのが普通だろうに、こんなに近くまで来ること自体が異様に感じた。

 俺は姿勢を正し、少し緊張した声で丁寧に名乗りを上げた。


「カリストリア聖王国通信社、記者のエドガー・ヘイワードと申します。突然お目にかかり恐縮ですが、こちらで何をされているのか、お聞かせ願えますでしょうか?」


 自分でも硬さが感じられる言葉だったが、目の前の人物が聖王国の王族である以上、まずは礼儀を尽くすしかなかった。


「簡単なこと。これを配っているのだ」


 第二王子は俺たちに親しげな態度を見せながら、広場に立って配っているビラを手渡してきた。俺はそれを受け取り、目を通す。

 タイトルには、大きく力強い書体でこう書かれていた。


【民よ、真実を知れ――カリストリア聖王国の未来のために】


 その文字が目に飛び込んできた瞬間、胸の奥でざわつくような不穏な感覚が広がった。これは単なる意見表明ではない。支配層を批判することで、民衆の感情を揺さぶり、世論を大きく変える力を持つメッセージだ。すでにビラとして配布されている以上、その影響はこれから加速度的に広がっていくに違いない。現王政権への疑念が民衆の間で増幅し、場合によっては大規模な政治的動揺を引き起こす可能性すらあった。俺はその未来図を想像せざるを得なかった。





【民よ、真実を知れ――カリストリア聖王国の未来のために】


《現政権の統治が抱える矛盾》

 カリストリア聖王国は、表面上の平穏を保っているように見える。しかし、その裏では腐敗と不正が静かに広がり続けている。現王による支配は、古い体制に依存しており、真に民衆の未来を考えたものではない。今、行動しなければ、仮初の安定は長く続かないだろう。


《隠された真実――恐るべき魔術実験》

 政権中枢と一部の教会関係者が、極秘裏に非人道的な魔術実験を行っていた事実が浮上している。その対象は罪なき子供達だったという。これを黙認していた現王が、本当にあなたたちの信頼に値するのか、考えてほしい。


《民が取るべき行動》

 私は、ただ恐怖を煽りたいわけではない。だが、真実を知り、自らの目で未来を見極めてほしい。民よ、立ち上がれ。自らの未来を決めるのは、君たち自身だ。私と共に新たな聖王国を築こう。



「私は、愛する民を守り、真実を追求し、未来を切り開くことを誓う。これまでの体制を打ち破り、民が安心して暮らせる新しい秩序を築くため、全力を尽くす」


共に未来を掴む日を信じて

――第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリア





 文字を追うのをやめ視線を上げると、殿下が俺を食い入るように見つめていたことに気付き、思わず肩が跳ねた。彼は何でもないといった風に両腕を広げてみせると、余裕を含んだ笑みを浮かべ言葉を発した。


「知りたいことがあれば、なんでも聞くがよい。我は隠し事を好まぬ。民のために、真実を語る覚悟はいつだって持っている」


 第二王子が不敵な笑みを浮かべながら言葉を発した。俺はその突然の余裕に一瞬気圧されつつも、質問を投げかけた。


「……殿下、これは一体?」


 俺が問いかけると、第二王子はビラを指し示しながら、どこか蠱惑的な笑みを浮かべた。その笑みには余裕と企みが入り混じっているようで、思わず目を逸らしたくなるような圧力を感じさせた。


「現王の統治によって保たれている平穏は、仮初のものだ。民衆が知らない巨大な陰謀が、この国にはまだ隠されている」

「陰謀……ですか?」


 リリィが少し眉をひそめながらビラを見て呟いた。


「そうだ。表面的には平穏が続いているように見えるだろう。しかし、裏では別の不穏な計画が進んでいるのだ。我はそれを警告し、民に真実を伝えているだけに過ぎない」


 その言葉は堂々としていたが、どこか戦略的な意図も感じられた。民衆の不安を煽る形で支持を集めようとしているのかもしれない。俺は慎重に言葉を選びながら応じた。


「……確かに、民衆が知らないことがあるのかもしれません。しかし、煽動的に受け取られる恐れもあるのでは?」


 俺がそう告げると、第二王子はまるで待っていたかのようにスッと目を細め、微笑を深めた。


「それも承知の上だ。だが、変革には痛みが伴うものであろう? 我は覚悟を決めている」


 その言葉には、彼の決意が感じられた。だが、俺はそれに簡単に乗るつもりはなかった。


「君たちが魔術実験の告発を進めていると聞いている。その件について、実に興味深いと思っている」


 第二王子がそう言った瞬間、俺の眉が僅かに動いた。どうして彼がそんな情報を知っている? 新聞社では秘密裏に進めていたはずだ。すぐには理由が思い浮かばない。


「ああ、もちろん知っている。君たちがあの闇を掘り起こしていることには感謝している。真実を世に知らしめるその姿勢、我も見習いたいものだ」


 俺はその言葉に少し間を置いてから、冷静に反論する。


「……私たちがやっているのは、協力ではありません。不正を暴くことが目的です。け、結果的に殿下に有利になるかもしれませんが……私たちは独立した立場ですよ」


 第二王子は一瞬驚いたように表情を強ばらせたが、すぐに微笑を浮かべて応じた。


「君たちがどう考えようと構わん。だが、世界という舞台は、機を逃さず機会を掴んだ者が勝者となるものだ。……そうは思わないか?」


 その軽い口調に、内心でわずかな苛立ちを感じたが、俺はそれを表に出さないように口を引き結んだ。


 取材を終える前に、俺たちは第二王子と軽く挨拶を交わした。


 「今日はお話を伺えて感謝します。殿下のお考えを知ることができました」


 俺が頭を下げると、第二王子はどこか挑発的な微笑みを浮かべながら軽く頷いた。


 「君たちの健闘を祈る。だが……民衆の心は繊細だ。慎重に動くがいい」


 その言葉に一瞬だけ背筋が冷たくなる。だが、王子は去ることなく、再び周囲の民衆たちに笑顔で声をかけ始めた。


 「君たち自身の未来を考えてくれ。この国に何が必要か、よく見極めるんだ」


 彼は民衆たちにビラを渡しながら、穏やかな口調で語りかけている。俺とリリィはその様子を横目で見ながら、広場を後にした。




 俺たちはノルドウィスプの広場から静かな路地裏へと歩みを進めたが、耳にはまだ民衆たちのざわめきが聞こえてくる。


「現王には裏がある……」

「王子が言っていること、絶対正しいよ……」


 断片的に聞こえてくる声が、広場全体に不安の影を落としている。これまで穏やかだったこの町が、静かに揺らぎ始めているのを感じた。

 俺は立ち止まり、ビラを読んでいる民衆たちを観察した。誰もが真剣な面持ちで王子の言葉を反芻しているようだ。その視線には、これまで持っていなかった新たな疑念と期待が入り混じっていた。


「……意外に人気があるんですね、殿下。あんな威圧感のある人なのに」


 リリィがそう感心したように言いながら、視線を広場に向けたまま考え込むような表情を見せた。その目には、単なる興味以上に状況を見極めようとする慎重さが感じられた。


「彼のあの大胆な行動……民衆の心をうまく掴んでいるように見えますけど、あまりに急激すぎる気もします。制御しきれなくなる恐れはないんでしょうか?」


 俺は民衆たちの様子をもう一度見やった。ノルドウィスプには、静かに変化の兆しが訪れている。


「……あの状況であれほど強いメッセージを出すのはリスクが高い。民衆の疑念が一度膨れ上がれば、制御するのは容易じゃない」


 俺はポケットに手を突っ込み呟いた。


「……皮肉なものだよな。彼が訴えている陰謀の証拠、それを作り出しているのが、俺たちの取材そのものなんだから」


 リリィが小さく頷いた。


「そうですね。第二王子は私たちの記事を利用するつもりなんですよ。うまくすれば、私たちが明かす事実が政権を揺るがす切り札になるかもしれないって、どこから察知したんでしょうか」


 俺はリリィの疑問に思わず眉をひそめた。


「ロベリアが、第二王子と関係があったな。……そこから情報が流れているのかもしれない。だとしても、向こうが先に仕掛けてくる可能性が高い。世論を煽られれば、俺たちの伝えたい真実なんて簡単にかき消される。……先に事実を明らかにする必要があるな」


 リリィが少し顔を上げて俺を見た。


「どういうことですか? こちらが先に事実を明らかにする必要って?」

「殿下が情報戦を仕掛け始めたってことは、事実と異なるプロパガンダが先行するリスクがあるんだよ。虚偽の情報が広がれば、世間が混乱し、真実が埋もれてしまう。だから、信頼できる証拠を基にした記事を早めに出さなきゃならないんだ」


 俺は一度深呼吸してから視線をリリィに向けた。


「つまり、世論を制するためには、こちらが先手を打ち、確実な行動を取ることが重要なんだ」


 リリィは納得したように静かに頷いた。


 俺たちはその場で立ち止まり、互いに視線を交わした。情報戦が本格化する前に、慎重な調査と記事作成が求められている。

 取材に追われる日々が続いているせいか、頭が重い。俺はふと心の中でぼやいた。


(こんな状況がいつまで続くんだか……。もう少し余裕があれば良いんだがなぁ)


 リリィも無言で歩いているが、その表情には緊張と疲労が見え隠れしていた。

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