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072.一体、何がどうなってるんだ?

 ノルドウィスプの町が夕陽に染まる。馬車の揺れがようやく収まり、俺――エドガーは窓の外を覗いた。静かすぎる町並み――それが最初に抱いた印象だった。

 反旗を翻したはずなのに、町は妙に穏やかだ。人々は行き交い、農夫たちは畑仕事を終えたばかりといった様子で家路についている。その姿も、特に違和感を覚えることはない、平和そのものの姿だった。

 馬車の扉を開け、俺とリリィが外に降り立つ。後ろではユアンさんが馬を下り、手綱を引いていた。御者の男は軽く帽子を触れて、「ではまた」と一言だけ告げると、すぐにその場を離れていった。


「オレも、借りてたこの子返しに行くんで、またあとで」


 それだけを告げると、ユアンさんは馬の手綱を引きながら、町の奥へと消えていった。その背中をしばらく見送った後、俺は町の光景に視線を戻す。


「……なんか、ある程度覚悟して来たはずなんだが、なんか普通だな」

「はい、そうなんです。農地卿の求心力がとても強くて……誰も勝手な行動を取らないんですよねぇ。それだけに、農地卿と第二王子の宣誓が始まった途端、町全体が一気に熱を帯びていって……。でも、終わった瞬間にその熱気がすっと引いて、急に静かになったんです。その空気の変化が怖くて、ユアン君にお願いして、馬で大急ぎでカリストリア通信社に戻ったんですよねぇ」


 リリィの小声に、思わず鼻に皺を寄せた。


「……農地卿って、すごい人らしいけど、相当いかれてるって噂だよな」


 俺がぽつりと呟くと、リリィが「いかれてる……?」と不思議そうに首を傾げた。


「ああ、巷じゃ有名な話だ。農地卿は自分の配下の人間全員の名前を覚えてるって話だ」


 そう言うと、リリィはと怪訝な表情を浮かべる。


「え、それってつまり……?」

「そのままの意味だよ。農地卿の領地には数万人の農夫とその家族が暮らしてる。だが、あの人は全員の顔を覚えてるだけじゃない。畑の広さ、作付け、家畜の数、さらには家族の病歴まで頭に叩き込んでるらしい」

「……え?」

「たとえばだ。畑を歩いてると、すれ違った農地卿に『お前の弟、先週熱を出してたが、もう大丈夫か?』とか、『お前の畑、今年は土の調子が良さそうだな』とか、普通に話しかけられるらしい。本人はそれを特別なことだと思ってねぇみたいだがな」


 リリィは軽く身を引き、と苦笑いを浮かべる。


「なにそれ、こ、怖いんですけど……」

「……で、その結果、どうなるか分かるか?」

「……分かりません」

「農地卿が言葉を発したら、誰も逆らわない」

「えっ?」


 俺は腕を組みながら続ける。


「いや、厳しく統治してるとかじゃねぇぞ? 逆なんだ。農地卿は配下のことを本気で大事にしてるし、誰よりも理解してる。だから、あの人に『お前のことをちゃんと見てるぞ』って言われたら、誰も逆らう気にならねぇんだよ。一番偉い奴に、誰もが知るお貴族様に、髪型変えただけで気付かれるんだぜ? 本気で自分を気にかけてくれるんだ、思わず心酔させられちまうんだよ」

「うわぁ……。それは確かに、すごいけどヤバい人ですねぇ」

「だろ?」


 俺は肩をすくめた。農地卿アティカス・ヴァレンフォード――この国において、最も農作を愛し、最も民草を知る男。そして、おそらく、八卿の中で最も常識外れな男。そんな人物が、第二王子と共に動き出した。

 ――そりゃあもう、ただの反乱じゃ済まねぇだろうな。


 そんな中、町の奥から一人の男がこちらへ向かってくるのが見えた。長身に明るい茶髪を左右に分けた髪型、小奇麗なスーツを着た青年――農地卿アティカス・ヴァレンフォードの弟君のヘンリーさんだ。

 俺とリリィは、ほぼ同時に口を噤んだ。ついさっきまで兄上のことを 「すごいけどヤバい人」 などと言っていたばかりだ。タイミングが悪すぎる。いや、別に何か悪いことをしたわけじゃないが、なんとなく気まずい。

 リリィがちらっと俺を見た。俺も無言でリリィを見返す。


(……聞かれてないよな?)

(……たぶん、大丈夫ですよね?)


 そんな目配せをしているうちに、ヘンリーさんがゆるやかな足取りで近づいてきた。微笑を浮かべた彼の顔は、いつもの丁寧な雰囲気を保っている。

 ……が、どことなく「何か知ってる」ような気がしてならないのは、気のせいだろうか。


 ヘンリーさんは軽く一礼しながら、俺たちの前で足を止めた。


「お久しぶりです、エドガー殿。遠路遥々、お疲れ様でした。リリィ殿も無事戻られて、安心いたしました」

「お久しぶりです、ヘンリーさん。あの……色々と、大丈夫か?」


 俺が尋ねると、彼は少しだけ目を伏せた後、苦笑する。


「我が兄上がご迷惑をおかけして申し訳ない。ご心配には及びません。……ですが、状況は落ち着いているとは言い難いですね。兄上と殿下の宣誓があったのは事実ですから」

「それは事実なのか……」


 俺は腕を組んで思案する。

 この町に来た理由の一つは、告発記事を執筆する上で最も重要なインタビュー先となる、ダリオンさんの状況を確認するためだ。それが、このノルドウィスプでどう過ごしているのか――そして、俺たちは彼らの話を聞くことができるのか。

 俺が調べた限りでは、聖王都の噂の中の通りであれば、ダリオンさんは何らかの怪我をしているはずだ。

 彼は処刑寸前の状態から、ライラさんによって劇的な救出を遂げた。その瞬間を、多くの市民が目撃している。処刑場に集まった群衆は、あの場で何が起こったのかを直接見ていた。そのため、ダリオンさんの身に何が起こったのか、その身体に刻まれた傷が何を意味するのか、多くの噂が飛び交っている。しかし、それほどの出来事を引き起こしながらも、処刑を取り仕切っていた聖王国教会は一切の声明を出していない。

 教会の沈黙が、逆に民衆の間での憶測を加速させていた。処刑を執行するはずだった男が生き延びたという事実、そしてそれを黙殺する教会。そこにある違和感を、俺たちは記事として世に問わねばならない。


「あの……ライラちゃんとダリオンさんの様子を伺いたいのですが、取材は可能でしょうか?」


 リリィが丁寧に尋ねると、ヘンリーさんは少し考える素振りを見せた後、静かに頷いた。


「兄上にも念の為確認しますが、おそらく問題はないかと。ダリオン殿は、ヴァレンフォード家が用意した邸宅にて療養をして頂いています。憑き物が落ちたような様子なので、どこまで明瞭に話が出来るかは、分かりませんが」

「分かった。助かるよ、ヘンリーさん」


 ヘンリーさんは俺の返事に何度か頷くと、片手を上げてから元来た道を引き返していった。

 すると、彼と入れ違いに、遠くから小さな歓声が聞こえた。視線を向けると、人混みの向こうから二つの人影がこちらへ向かって駆け寄ってくるのが見える。

 白髪の二人、セシルさんとフィオナさんだ。ふたりは軽やかな足取りでこちらへと駆け寄り、嬉しそうに手を振りながら、勢いそのままに目の前までやってきた。


「無事であったか!」


 フィオナさんが勢いよくリリィの肩を掴み、嬉しそうに声を弾ませる。その横では、セシルさんが穏やかに微笑みながらも安堵の表情を浮かべていた。


「フィオナちゃん、心配してくれてありがとう。そんなに強く掴まなくても私は無事よぉ」


と、リリィもどこか嬉しそうに返しつつ、改めて尋ねる。


「それで……ここを離れる時に訊ねたっきりだったけど、二人は宣誓の事……どうするの?」


 フィオナさんとセシルさんは顔を見合わせると、互いに小さく頷き、改まった様子で俺たちを見た。


「うむ、わたしたちは、第二王子に協力することにしたのだ」

「俺たちは魔術実験から逃げ出すこと、そして仲間たちを逃がすことを目的としていたんだ。けど、告発記事の話を聞いてから、考えが変わった。もし告発が成功すれば、世間は第二王子に味方する層が一気に増えるはずだぜ」


 セシルさんが静かに言葉を紡ぐと、フィオナさんも小さく頷く。


「第二王子は、今の聖王国を変えようとしている。そして、わたしたちにも直々に協力を求めてきたのだ。ここで身を引く理由は、もはや存在しないではないか」


 フィオナさんの言葉には、迷いはなかった。


「だから、この戦いに加わる。ヴァリクとダリオンに救われた命を、ただ守られるだけでは終わらせはしない。今度は、わたしたちが戦う番なのだ。そして、今度こそヴァリクとダリオンと共に山脈を越えるのだ」


 その言葉を聞いて、俺は自然と微笑んだ。


「……そっか。なら、安心していい」


 俺は二人を見て、確信を持ってそう告げた。


「ヴェルナード……じゃなくて、ヴァリク様は無事だ。何があったのかは分からんが、急に自力で脱獄してきて……今は聖王都で、新聞社とその関係者を守ってくれてるぜ」

「マ、マジか!?」


 セシルさんはそう叫んだ後、次第に顔をほころばせる。フィオナさんも目を大きく見開き、驚きに言葉を失う。


「マジか……! 良かった……本当に、良かった!」


 セシルが感極まったように呟くと、フィオナさんが「信じられん!」と笑顔でセシルさんの肩を抱き寄せ、二人はそのまま肩を寄せ合って大喜びした。

 その光景を見て、俺も自然と口元が緩む。長い間、彼らにとってヴァリク様は「仲間」だった。共に生き延びた者の無事を知ったのだから、この反応も当然だろう。

 ……が、次の瞬間。


「む、待て」


 フィオナさんが眉をひそめた。


「ヴァリクが、聖王都で新聞社を守っているのか?」


 セシルさんも同じく怪訝そうな顔をする。


「マジか……ヴァリクに、それが務まると思ってんのか?」


 その言葉に、俺は「え?」と間抜けな声を漏らした。


「いやー、だって木偶の坊のヴァリクだろ? あいつ――」

「全く以て甘ちゃんなのだ」


 二人の意見が綺麗に重なった。俺は思わず目をぱちくりと何度も瞬く。セシルさんとフィオナさんは腕を組み、うんうんと納得したように頷いていた。


「ヴァリクは相手に同情しすぎるのだ。自分がボコボコにされている最中にも相手を気遣うから、特に年下からは雑魚だのなんだのと言われまくっていたのだ」

「そーなんだよなー。敵が向かってきたら、ヴァリクはまず説得しよーとするじゃん?」

「ああ、そして血だらけになってトボトボと帰ってくるのが、いつもの流れなのだ。頑丈さだけは一番であったから、気絶するようなことはほとんどなかったが」


 まるでヴァリク様の戦い方を実況するように語る二人に、リリィが「ちょっと!」と慌てて口を挟む。


「そ、そんな言い方しなくてもいいんじゃないかしらぁ? ヴァリク様ってほら、『救国の英雄』なのよ?」

「いやいやぁ、だからこそ迎えに来たんだぜー? ヴァリクのことだから、どーせ戦場で血塗れのボロ布みたいになるまで戦って一人で落ち込んでるぜ? ダリオンだって、口下手だからどうしていいか分かんないだろーし」

「あー、心当たりがあるかも。たしかに躊躇なく自分を切ったり、自分が骨折する選択肢をしがちって話は、ロベリア……うちの後輩記者から少し聞いてたな」


 俺が苦笑いでロベリアから聞いた話をすると、フィオナさんが口をつぐみ、セシルさんが「うーん」と腕を組んだまま考え込む。


「新聞社を守るってことは……当然、戦闘の可能性があるんだよな?」

「いや、無謀ではないか? わたしたちは、欠損からの回復は出来ないのだが」


 そう言って、フィオナさんが自身の右足を指差す。そこには、特徴的な白い装飾の施された義足があった。

 気まずい沈黙が流れる。


「……ダリオンさんへの取材記録を送るついでに、ヴェルナードに無茶させないようにと言伝を入れておこうか」


 俺は苦笑いをしつつ、漠然とした不安に小さく溜息をついた。





 話が一区切りしたところで、町の奥から二人の姿が現れた。が馬を引きながら、ヘンリーさんが戻ってくるのが見える。どこで合流したのか、ユアンさんも一緒にいるようだ。


「お待たせしました、エドガー殿、リリィ殿。取材の件ですが、許可は取れました。ただ……」


 俺たちの前へとやってきたヘンリーさんが、微かに苦笑いを浮かべ言葉を続ける。


「少しタイミングが悪かったかもしれません。ライラが……しかし、来る分には問題はありません。私が案内いたします」

「ライラさんが? ま、まぁ……ありがとう、ヘンリーさん」


 俺が礼を言うと、ヘンリーさんは微笑みを浮かべて軽く頷いた。


「では、こちらへ」


 俺たちは案内に従い、町の奥にあるヴァレンフォード家の邸宅へと向かう。セシルとフィオナも同行することになり、一行は静かな町の中を進んでいった。

 邸宅の正門を通り、中庭を抜けて玄関へと辿り着く。古風ながら堂々とした扉が、重厚な存在感を放っていた。ヘンリーさんが扉に手をかけ、ゆっくりと開く。その瞬間――

 視界を何かが鋭い勢いで横切った。


「んきゅっ!」


 ドゴッという激しい衝撃音。続いて、横にいたフィオナさんが仰向けに転倒する姿が目に入った。


「フィオナさん!?」


 慌てて駆け寄ると、彼女は完全に意識を飛ばしてしまっていた。どうやら出血はないようだが、額がじわりじわりと赤く腫れあがってきている。床に倒れ込んだ彼女の横には、木製の小さな椅子が転がっている。どうやら勢いよく投げつけられたものが、たまたまフィオナさんの顔面に直撃してしまったらしい。

 屋敷内からは驚きの声とともに、慌てた様子の侍女たちが次々と駆け寄ってくる。青ざめた顔の彼女たちは、フィオナさんのもとにひざまずき、謝罪の言葉を口にした。


「も、申し訳ありません! 怪我は……ございませんか!?」

「ひゃあ! 気絶されていますわ! 中にお運びして!」


 周囲を見渡すと、リリィ、セシルさん、ヘンリーさん、ユアンさんの視線が、玄関の奥へと向かっていた。俺も視線を辿ると、そこには――

 左足を引きずりながら玄関ホールを横切ろうとする口髭の男性の姿があった。そして、ライラさんがその手を掴むようにして地団駄を踏み、大泣きしていたのだった。


「パパ様、嫌だ! 行かないでよ!」


 ライラちゃんの声が屋敷内に響き渡る。


「……一体、何がどうなってるんだ?」


 俺はあまりの状況に言葉を失い、ただ呆然と奥の光景を見つめた。

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