068.三流オカルト雑誌風情が
セラフ天啓聖報の執務室は、聖王国の権威を象徴するかのような豪奢な内装に彩られていた。壁にはセラフ像が彫刻され、窓辺には高価なレースのカーテンが揺れる。そんな中、編集長シャルロッテ・ラヴェルは、薄桃色のドレスを身にまとい、手元の紅茶を優雅に持ち上げていた。
「編集長、大変です!」
執務室の扉が乱暴に開かれると、若い部下が息を切らしながら駆け込んできた。手には一部の紙束が握られており、その慌ただしい様子にシャルロッテの眉がわずかに動く。
「大変とは、一体何事ですの? ノックも無しに飛び込んで来るだなんて、礼儀がなっていませんわよ」
その声は冷たく響き渡り、部下は身震いしながら頭を下げた。しかし、彼はすぐに顔を上げ、手に持っていた紙束を差し出す。
「申し訳ありません、編集長! ですが、これをご覧ください。オカルト雑誌『クロニクル・トレイル』の増刊号の内容です! 内容があまりにも不敬でして……」
「『クロニクル・トレイル』?」
シャルロッテは興味を引かれたように紙束を手に取り、優雅にページをめくり始めた。しかし、数行読み進めたところでその表情が一変する。唇をわずかに引き結び、目に怒りの火を灯す。
「……これは一体、何ですの? 魔術工房? 白髪化現象? くだらないにも程がありますわね。三流オカルト雑誌風情が、聖王国の威厳を汚す記事を書いておいて、無事で済むと思っているのかしら? 反吐が出ましてよ」
シャルロッテは激昂し、手元のテーブルを軽く叩いた。部下たちはその様子に緊張しながらも、すぐに意見を述べた。
「確かに、これは見過ごせない内容ですね」
「編集長、どうしますか? すぐに対策を考えたほうが良いかと」
シャルロッテは立ち上がり、紙束を振り上げながら声を張り上げた。
「教会の威光を侮辱するなど、断じて許せませんわ! これは聖王国そのもの……否、神への挑戦でしてよ!」
その声に呼応するように、部下たちは「確かにその通りです」と静かに頷いた。その様子は、冷静ながらも一種の緊張感を帯びていた。
「今すぐ編集部を集めなさい。会議を開きますわよ!」
シャルロッテの命令を受けた部下たちは、すぐに執務室を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、彼女は手に持った紙束を睨みつけた。
「何を考えて記事なんて書いていますの? 法律も知らないくせに、よくもまあ我々に喧嘩を売る気になれましたわね。頭の中が空っぽなんですの? 名誉毀損、魔術工房に対する無責任な噂の流布、挙げ句の果てには民衆を惑わす行為――どれだけ罪状を重ねれば気が済みますの?」
豪奢なカーペットに彼女のヒールの音が小さく響く。シャルロッテは独り言のように苛立ちを漏らし、机に手をついて怒りを鎮めようとした。
「三流オカルト雑誌風情が! アホ面晒して星占いや作り話でも書いていれば、まだ可愛げがありますのに! 現実に手を出した結果がこれでしてよ。無様にも程がありますわね!」
怒りに満ちた声が執務室に静かにこだまする。すると扉の向こうから、再びノックの音が響いた。
「失礼します、編集長!」
先ほどの部下の一人が顔を覗かせる。
「命令を受け、すぐに準備を進めておりますが、追加の指示があればと思いまして……」
「明日の朝刊で刺し返しましてよ! 民衆がこんな記事に影響されれば、魔術工房や教会への信頼が揺らぎ、聖王国全体の秩序が危うくなりますわ。それに……馬鹿共が仮に真実を掴んだつもりでも、こんな形で広めるのは無責任ですわ!」
最後の一言は、どこか鋭く突き刺すような調子だった。
部下の一人が恐る恐る口を開く。
「確かに、あの記事には問題が多いですね。特に、聖王国教会の魔術実験の話は……あまりに荒唐無稽に見えますが」
「……そ、そうですわね。それを信じる愚か者がいれば、まさに我々の敵ですわ」
シャルロッテは振り返り、冷たく笑う。
「この私たちが黙って見過ごすと思っているのかしら?」
「もしも彼らが、この調子で新しい記事を出し続けるとしたら、どうするべきでしょうか?」
別の部下が問いかける。
シャルロッテは軽くため息をつき、椅子に腰を下ろした。そして、机に肘をつきながら、不敵な笑みを浮かべた。
「簡単ですわ。この記事を書いたクソボケ共を、追い詰めて差し上げますの。あの記事がどれだけ愚かなものか、私たちの手で証明してみせますわ。そして、教会の正当性をこれまで以上に世に知らしめるのです!」
彼女の決然とした口調に、部下たちは一斉に頷き、次の指示を待つように身を正した。
「まずは、あの記事の矛盾点を洗い出しますわ。教会の関係者や学者から意見を取って、徹底的に反論記事を作りますのよ。法律だの正論だのを使って、あのゴミカス共を片っ端から黙らせて差し上げますわ! それでも大人しくならないのなら……ほかに、もっと確実な方法もありますわね」
その言葉に、部下たちは一瞬だけ顔をこわばらせたが、すぐに無言で頷く。シャルロッテは軽く肩をすくめ、不敵な笑みを浮かべた。
「民衆を惑わす暇どころか、馬鹿共が呼吸を整える余裕すら残してはなりませんわ! あの連中を徹底的に追い詰めて差し上げましてよ。やれることは何でも使って、この聖王国で何が正しいかを身をもって教えてあげますわ!」
その目には鋭い光が宿り、明確に「法的手段」を超えた何かを語っていた。部下たちは口にするのは控えたが、その視線の先にはすでに具体的な策が浮かんでいることが明らかだった。
部下たちは、シャルロッテの言葉の裏にある苛烈な意図を感じ取り、緊張に包まれながらもどこか高揚感に満たされているようだった。
「……わかりました!」
部下たちは息を揃えて返事をすると、それぞれの持ち場に散っていった。その背中を見送りながら、シャルロッテは不敵な笑みを浮かべ、紙束を握りしめる。
「いい気になっているオカルト雑誌のゴミ共が……法で叩き潰すだけでは足りませんわね。あんな紙切れ、燃やして灰にして、この世から痕跡すら残さないようにして差し上げますわ。どこまで追い詰められるか、身をもって思い知らせて差し上げましょう」
彼女の声はどこか楽しげで、しかし冷たさを帯びていた。紙束を乱暴に机に投げ出しながら、シャルロッテは執務室を後にした。
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セラフ天啓聖報 特集記事
【危険な噂に惑わされるな――魔術工房と教会の正当性を考える】
近頃、ある民間雑誌の記事が社会に波紋を広げています。内容は、「魔術工房における人体実験」や「白髪化現象」に関するものであり、扇情的な表現を通じて、読者の不安を煽る意図が見て取れます。しかし、これらの主張には明確な根拠が欠けており、無責任な情報の拡散は、社会秩序に悪影響を及ぼしかねません。
《魔術工房――その役割と責任》
魔術工房は、聖王国における学術研究の中核を担う機関として、魔術理論の探求や新たな技術の開発を通じて社会の発展に寄与してきました。その活動は、聖王国の法律と規制の下で厳格に管理されており、人体に危害を加えるような研究が行われる余地はありません。
聖王国中央魔術工房の主任研究員であるエレオノール・アルディス氏は、「魔術工房は聖王国の未来を支える学術研究の拠点であり、人体に危害を加えるような研究は禁じられています」と回答しています。一部の雑誌が主張する「人体実験」の噂は、全く根拠のない中傷に過ぎないと、同氏は断言しました。
《『白髪化現象』をめぐる憶測》
記事で取り上げられた「白髪化現象」についても、専門家たちは懐疑的な見解を示しています。医術集会理事長のアーサー・ケインズ氏によれば、この現象の大半は極度の精神的負荷によるものであり、魔術工房の研究との関連性は一切確認されていません。
このような学術的見解を無視した無責任な報道は、読者を惑わせるだけでなく、学術機関への不信感を生み出し、秩序の乱れを招く危険性があります。
《聖王国教会と魔術工房――築かれる信頼》
聖王国教会と魔術工房は、長年にわたり社会の発展を目的とした連携を続けてきました。その成果は、農業改革や都市基盤の改良、教育支援といった多岐にわたる分野で確認できます。例えば、魔術理論を応用した農業技術の開発により、収穫量が飛躍的に向上しました。また、都市部では魔術を活用した給水機構や建築技術が導入され、より快適で持続可能な環境が整備されています。さらに、魔術工房による基礎研究は、教育分野における魔術理論の普及にも貢献し、次世代の魔術師育成に大きな役割を果たしています。
こうした取り組みは、民衆の生活を支え、社会の安定に寄与するものです。教会と魔術工房が共に歩む姿勢は、透明性を重視し、法と秩序の枠組みの中で行われています。
《社会の秩序を守るために》
問題の記事は、読者の不安を煽る過激な内容であり、その結果、特定の地域で魔術工房や教会への誤解や不信感を助長しているとの報告が寄せられています。本紙はこうした無責任な情報拡散を厳しく非難するとともに、正確な情報提供を通じて読者の皆様に安心を届けたいと考えています。
《読者の皆様へのお願い》
私たち聖王国の民が築き上げてきた秩序を守るためには、噂や憶測に惑わされず、事実に基づいた判断を下すことが求められます。本紙は、教会や魔術工房の正当性を引き続き伝え、民衆の生活を守るための情報発信を行います。
読者の皆様におかれましても、不確かな情報に流されることなく、冷静かつ正確な目で真実を見極めていただきたいと願います。
《結論》
教会と魔術工房は、聖王国の基盤を支える存在として、社会の発展と秩序維持に努めてきました。それを揺るがすような噂や憶測は、我々の社会に混乱をもたらす危険があります。本紙は引き続き、真実を読者の皆様にお伝えし、信頼ある情報提供に努めてまいります。
◆
聖王国の片隅にある小さな家の中、ランプの柔らかな光が辺りを包み、穏やかな時間が流れていた。アランの母親であるミレーヌは、ダイニングテーブルの上に新聞を広げながら、隣に座る長男のカイルに向かって話しかけた。
「ねえ、この記事のことだけど……魔術工房の噂がどうとか書いてあるわね。これ、そんなに大事になっているのかしら?」
ミレーヌの手元にはセラフ天啓聖報の朝刊が広がっている。カイルは新聞の見出しに目を走らせ、気のない調子で肩をすくめた。
「ああ、この話か。若い連中の間じゃ、別の雑誌が話題になってるよ。『クロニクル・トレイル』って名前の雑誌、母さんは聞いたことある?」
「いいえ、そんな雑誌、初耳よ。何を書いているの?」
ミレーヌが眉をひそめると、カイルは苦笑しながら説明を続けた。
「まあ、怪しい話ばっかりだよ。魔術工房が人体実験をしてるとか、髪が真っ白になる『白髪化現象』ってのが魔術の副作用だとか……さすがに信じちゃいないけど、内容が派手だから話題になってるんだ」
「それ、本当に大丈夫なのかしら……?」
ミレーヌの不安げな声に、カイルは小さくため息をつきながら首を振る。
「まあ、あの記事を本気にしてるやつばかりじゃないさ。セラフ天啓聖報でも、あんなの噂話だってきっぱり否定してるだろ? だから大事にはならないと思うけど……」
ミレーヌはしばらく新聞を見つめた後、小さく首をかしげた。
「……それならいいけれど。それより、アランはどこに行ったのかしら。もう何日も帰ってきていないなんて、あの子にしては珍しいわ」
ミレーヌは心配そうにテーブルを見つめながらつぶやいた。カイルは椅子に寄りかかり、新聞をぱたんと閉じて答える。
「牢番の仕事が忙しいんだろ。泊まり込む日もあったし、いつも通りだと思うけど? 夜勤だのなんだの……あいつ下っ端だから、休みなんてまともにもらえないんじゃないか?」
「でも、いつも忙しくても何かしら言ってくれるじゃない。それに、三日以上も帰ってこないなんて今までなかったわ」
ミレーヌの声には焦りが混じり始めていたが、カイルは軽く肩をすくめる。
「牢番なんてさ、地味だけど面倒な仕事だろ? 急に詰め込みで仕事させられることだってあるんじゃないか? 母さんは心配しすぎだって」
「そうかしら……でも、何かあったんじゃないかって考えると、不安でたまらないのよ」
カイルはため息をつき、椅子から体を起こした。
「じゃあ、職場に様子を見に行ってみるか? 誰かあいつを知ってる人がいるだろうし、そこで確認すればいいだろ」
「それは……そうね。でも、もし何かあったら……」
ミレーヌが不安げに声を震わせる中、玄関のドアがノックされる音が聞こえた。ミレーヌとカイルは顔を見合わせ、珍しい訪問者に驚きつつも、カイルが慎重にドアのほうへ歩み寄った。
「こんな時間に誰だ……?」
その時、玄関のドアが突然ノックの音を立てた。ミレーヌとカイルは顔を見合わせ、珍しい訪問者に軽い警戒心を抱きながら玄関に向かった。
カイルが慎重にドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは、頭を軽くドア枠の上部にぶつけて「あっ……す、すみません……」と謝る男だった。がっしりとした体躯のその男は、黒いコートを羽織り、垂れ目の眠そうな表情をしている。その顔にはそばかすが浮かび、どこか無害そうな雰囲気すら漂わせていた。
男は軽く咳払いをし、どもりがちな声で口を開いた。
「あ、あの……夜分遅くに……すみません……アランさんのご家族の方、でしょうか……?」
カイルが驚きに声を失っている横で、男の背後から現れたのは、真っ白な髪をした青年――アランだった。その姿を見た瞬間、ミレーヌは声をあげた。
「アラン……? あなた、その髪は……!」
青年は一歩家に踏み入れると、泣きそうな顔をしながら震える声で「母ちゃん……!」と叫び、ミレーヌの腕に飛び込んだ。その背中をさするように、彼女は「アラン、どうしたの? 大丈夫?」と問いかけた。
その様子を見守る男――ヴァリク・ヴェルナードは、家の中を鋭い目で見回し、玄関の外へも警戒の視線を向けていた。大きな体躯とは裏腹に、落ち着かない様子で肩を小さく震わせながら、アランの家族に説明を始めた。
「あ、あの……事情を説明します……実は、アランには……その……襲撃の危険がありまして……えっと……記者たちが彼を匿うことになりました……」
その声はどこか緊張しており、早口でどもりがちだったが、その中には必死な真剣さが滲んでいた。
「お、お守りしますので……でも、危険だから……ここに長くは、いられません……」
カイルは戸惑いの表情を浮かべながら、ヴェルナードの言葉を受け止める。
「襲撃って……そんな、何がどうなってるんだ? アラン、何に巻き込まれてるんだよ?」
アランは泣き顔のまま「ごめん」と小さな声でつぶやき、うつむいた。その様子に、ミレーヌはさらに不安を募らせる。
「それじゃあ、これからどうするつもりなの? あなたたちだけで何とかできるの?」
ミレーヌの問いに、ヴェルナードは一瞬視線を伏せ、緊張した声で答えた。
「そ、それは……完全に安全とは言えませんが……信頼できる記者たちが……その、匿う場所を……提供してくれることになっています……。もし何かあれば、ここに連絡を……」
そう言いながら、ヴェルナードは懐からメモを取り出し、住所を書き記すとミレーヌに手渡した。
「ここが、その……アランさんが今後、滞在する予定の場所です……。どうしても必要になったら、ここに……来てください……」
ミレーヌは紙片を見つめ、まだ不安げな表情を浮かべながら頷いた。
「でも、また何かあったら……本当に大丈夫なのかしら?」
ヴェルナードは真剣な目で彼女を見据え、力強く言葉を紡いだ。
「はい……できる限りのことをします……必ず守りますから……」
再会の喜びも束の間、家族たちは不安と悲しみの入り混じった表情を浮かべていた。ヴェルナードはその場を見渡し、一瞬立ち止まった後、小さくため息をついてドアの外に視線を向けた。
「……時間がありません。すみませんが、急いで準備をお願いします……」
短い沈黙の後、ミレーヌは息子の手を握り、「必ず、無事で戻ってきて」と強く訴えた。アランはもう一度涙を浮かべながら頷き、母親の手をぎゅっと握り返した。




