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007.英雄の食卓

 隣の部屋にあった簡素なキッチンで、私たちは和気藹々と昼食を作り始めた。身体の大きなヴァリク様を加えて三人で作業をするには、少々スペースが足りない。私はダイニングテーブルを作業台代わりに野菜を切るヴァリク様を横目でチラリと観察した。ユアンさんの軽快な指示に従いながら、私も野菜の下ごしらえを行う。

 途中、ユアンさんが「邪魔っすね」と言って、肩当てや肘当てを慣れた手つきで脱いでポイポイと床に置いていく。良いのだろうか、そういう感じで。

 ヴァリク様は細かな作業が苦手なのか、ぎこちない手つきで包丁を握っている。その姿が妙に微笑ましかった。


「ヴァリク様、それ分厚すぎっすよ! ほら、もっと薄くしないと火が通らないっす!」

「そ、そうか……えっと、こうかな……?」


 ヴァリク様が真剣な表情で包丁を握り直す。その時、ほんの一瞬だけ彼が手を引っ込めるのが見えた。


「あっ……」


 微かな声を漏らす彼に、私は反射的に問いかけた。


「どうかしましたか?」

「い、いや、大丈夫です。気にしないでください」


 慌てて手を隠すヴァリク様の仕草に、私はそれ以上追及するのを控えた。だが、ユアンさんはちらっとその手元を見て、小さく笑っている。


「いやー、ヴァリク様の治癒力ってすごいっすよね。これだから怪我しても平気なんだなーって」


 その言葉にヴァリク様はさらに顔を赤らめた。そのユアンさんの言葉で思い至った。


「……あ、指切っちゃいましたか? 止血した方がいいんじゃ?」

「いや、ヴァリク様って怪我すぐ治るんすよ。ほら!」


 そう言ってヴァリク様が後ろ手にしていた左手を、ユアンさんが彼の手首を掴んで私の前にズイッと突き出してきた。人差し指の先に僅かな切り傷があり、そこから血が滲んでいる。それが、まるで見えない絹の針で縫い合わされるように、切り傷が瞬く間に消え去り、元の滑らかな肌へと戻っていく。


「ね? すごくないっすか?」


 ユアンさんがそう言って、ヴァリク様の背後からひょいっと顔を覗かせ、楽しそうにこちらを伺っている。


「す、すごっ……!」


 私はそれに反射的に言葉を返し、ヴァリク様の人差し指の傷が塞がった部分を指でなぞった。というか、背もとても高いが手も大きい。今まで出会ったことのある人の中で一番大きい。思わず「うわぁ」と感嘆の声を漏らしながら、彼の左手をペタペタと触ってしまった。で、でかーっ!


「あ、あの……その……そ、そろそろ……」


 手の大きさ比べをし始めたところで頭上から声が聞こえて、ゆっくりと顔を上げた。

 今まで見た中で一番顔を真っ赤にしたヴァリク様が、右手で自分の口元を覆っている。眉を下げ、顔を赤くしながら、困惑と照れが混じった視線を彷徨わせていた。

 私は慌てて彼の手を離すと「し、失礼しました!」と言って胸に手を当て軽く頭を下げた。

 ふとヴァリク様の背後に視線を向けると、ユアンさんが肩を揺らし声を殺して笑っていた。




 やがて食事が完成すると、ユアンさんがダリオンさんを呼びに行った。廊下の向こうから「ダリオンさーん! メシっすよー!」という軽快な声が聞こえてきた。そして直後に鈍い打撃音と「あだっ!」というユアンさんの声が聞こえてきた。

 何を言っているかは分からないが、ダリオンさんから何か小言を言われているらしい。

 数分して戻ってきたユアンさんは、頭をさすりながら不満げな表情を浮かべている。


「いやー、ダリオンさんは相変わらず厳しいっすね……結局、一人で食べるって言われちゃいました」


 そう言いながら席に着くユアンさんに、ヴァリク様は苦笑いをしていた。


 昼食は野菜と干し肉のスープと丸パンとチーズが何種類か。至って普通の食卓である。食事は美味しく、穏やかな雰囲気の中で進んでいった。

 ユアンさんが軽口を叩きながら、昔の出来事を楽しげに語る。その話題が一段落したところで、私はふと思い出したようにヴァリク様に問いかけた。


「ヴァリク様はどんな子供時代を過ごされていたんですか?」


 彼は少し驚いたように手を止めたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……子供の頃は、父上が騎士だったから、俺もその道を目指して訓練を受けていました。母上は病弱でしたが、体調の良い日は庭の散歩を共にしていましたね……あとは双子の弟達の世話なんかも。昔から身体が大きかったので、馬役をさせられて、庭を四つん這いで歩かされていました」


 ヴァリク様は遠くを見つめ目を細めて昔を懐かしむように語る。彼の語る思い出は、どこか上品で、穏やかさを感じさせるものだった。


「そうだったんですね……じゃあ、お父様の背中を追いかけるようにして育ったんですね。十五歳ぐらいで聖騎士見習いならなれるんでしたよね。そのまま聖騎士になられたんですか?」

「……そう、ですね。ええと……」


 一瞬、彼の言葉が詰まったように感じたが、すぐに頷いた。しかし、それ以上の話は出てこなかった。そして、ヴァリク様の今に至る経緯を思い出した。確か、森の中の村のお生まれで、その村は既に──。

 (まず)いことを聞いてしまったかもしれない。慌てて話題を変える。


「えっと、あの、じゃなくて、森の中の村って、どんな感じだったんですか? 私、聖王都育ちであまり詳しくないんです。林業の方が多くて建物も木造が多くなってくるとは聞いたことがあるんですけど」

「……森? ……あっ、えーと……ど、どうなのかな。あのー、そ、そんな感じですね」


 どこか話が噛み合っていないような感覚を覚えたが、それが何なのかははっきりしない。ただ、話題を続けるべきか迷いながらも、それ以上深く踏み込むのは良くないような予感がする。


 その時、扉が開いてダリオンさんが無言で入ってきた。

 彼はユアンさんを睨みつけ、凍りつくような視線を投げかける。ユアンさんは下を向いて縮こまり、黙り込んだ。ダリオンさんの威圧感に、私も思わず息を呑む。


「……ユアン。ヴァリク様は一昨日戦地から戻られたばかり。話が弾むのも良いことだが、あまり無理をさせるべきではない。それを止めるのが、我々聖騎士であることを忘れたのか?」

「いやっ! あの、ヴァリク様が楽しそうだったんで……」

「ユアン。私は言い訳が聞きたいわけではないのだが」


 さらに眉間の皺を深くし、そのまま視線だけで射殺さんばかりにユアンさんを睨みつけるダリオンさん。ヴァリク様も、自身が招いた事態だと感じているのか、緊張した面持ちでダリオンさんを見つめ、口を僅かに開いたり閉じたりしている。

 この空気に耐えられなくなって、私は勢い良く立ち上がった。


「あのっ!」


 三人の視線が一斉に集まり、思わず顔が熱くなる。


「えっと、今日はこれで失礼しますね!」

「あ、み、見送ります!」


 私に続いて、ヴァリク様が立ち上がって、私達はそそくさとダイニングを後にした。




 玄関を出て庭の小道を歩いてるところで、後ろから着いてきたヴァリク様が声をかけてくる。


「……あの、すいません。ダリオンが……その……」


 振り返ると、ヴァリク様は視線を左右に泳がせ、両手の指先を触れ合わせながらモジモジと動かし、不器用に言葉を探しているようだった。そんなヴァリク様に、私は笑顔を向けた。


「いえ、全然気にしてませんよ」

「……良かった」


 ヴァリク様がふと息をつき、肩の力を抜いた。その瞬間、彼の緊張が和らいだ顔には、どこか安心したような柔らかな表情が浮かんでいた。普段はどこかぎこちなく、居心地の悪そうな雰囲気を纏っている彼が、こんなにも穏やかな顔を見せるなんて──思わず視線が引き寄せられてしまう。

 それに気が付いた時には、心臓が一拍跳ねていた。何でもないと自分に言い聞かせて目を逸らす。


「また来てほしい……です。あの、記事とかも、思ったより嫌じゃ……じゃなくて、嬉しかった……です」

「あ、ありがとうございます! もちろんです。またお邪魔しますね」


 そう返事をして、この場を後にした。

 ヴァリク様が何故か村のことを言い淀んだことや、ダリオンさんがあんな剣幕で会話を中断させたこと等、いくつか気になることがあるが……ダリオンさんの反応を踏まえると、あまり触れるべき話題ではないのかもしれない。

 しかし、記者としての好奇心が湧き上がる。あの優しいヴァリク様になら、こっそり尋ねてみても良いのかもしれないと思うのであった。

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