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055.赤陽の宣誓

 夕暮れの陽が傾き、北の町「ノルドウィスプ」の広場に赤い光が差し込む。農夫たちとその家族が舞台を取り囲み、誰もがその場に立つ農地卿アティカス・ヴァレンフォードに視線を向けていた。

 アティカスは舞台の中央にゆっくりと歩み出る。その堂々とした姿と鋭い眼差しに、集まった者たちの間に沈黙が生まれる。彼は一歩踏み出すごとに空気を震わせるような存在感を放っていた。


「吾輩の愛する農夫たちとその家族よ!」


 アティカス・ヴァレンフォードの声が、沈みゆく夕陽に照らされた広場に響き渡った。その第一声に、集まった農夫たちとその家族が一斉に彼へと顔を向ける。彼の存在感は言葉だけで広場を支配し、静寂を生み出した。


「吾輩はこれまで、農地卿として王に仕え、この聖王国の食糧庫を守ることに命を捧げてきた。吾輩の愛する農夫たちの汗と血の結晶を、この国を支える糧に変えるため、そして吾輩の愛する農夫たちの家族を飢えさせぬため、ひたすら尽力してきたのだ!」


 アティカスは胸を張り、拳を振り上げた。その姿に、人々の間からざわつきが広がる。


「だがッ!」


 その一言に広場の空気が一変した。アティカスの声が低くなるが、かえって鋭く響き渡る。


「その努力が報われたことはあるか? 聖王都の中心にいる者たちは、汝らが田畑で流す汗と血を知ろうともせぬ。それどころか、彼らは我々の実りを搾取し、さらには人命を冒涜する魔術実験に手を染めたのだ! 見よ!」


 彼は胸元から一束の紙を取り出すと、それを高く掲げた。そして、それを人々の中にばら撒いた。風に乗った紙片が舞い降りると、それを手に取った人々から驚愕の声が漏れ始める。そこに記されていたのは、魔術実験の記録、被害者の証言、そして「救国の英雄」と呼ばれる者がいかにして創られたのか、その忌まわしい実態の一部だった。


「これが真実だ! 救国の英雄『ヴァリク』? ……否! その実態は忌まわしき実験によって生み出された人間兵器に過ぎないッ! 彼はその魔術実験の被害者なのだ。だが、教会と現王はそれを隠し、嘘で国を支配しているッ!」


 アティカスの声に、群衆の中で怒りと混乱のざわめきが広がる。彼は一歩前に出て、人々を見渡した。


「吾輩はもはや見過ごせぬ。この狂気の王の支配を断ち切り、この国を救わねばならない!」


 その言葉に、人々は次第に静まり、彼の次の言葉を待つように息を飲んだ。


「農地卿アティカス・ヴァレンフォードとして宣言する! 今日この場をもって現王の支配から離れることをここに誓う!」


 その言葉に、農夫たちが驚きの表情を浮かべる。だがアティカスは続けた。


「……だが安心せよ。我らの使命は変わらぬ。吾輩の愛する農夫たちとその家族を、これまで以上に守り抜く。そして、汝らの労働が実りとして全うされるよう、この北の地を新たな砦とするのだ!」


 彼の目が人々一人一人を見つめる。そこには、揺るぎない決意が宿っていた。


「吾輩の愛する農夫たちとその家族よ、聞いてほしい。この土地はこれから、汝らが未来を築くための拠点となる。吾輩はここで種を蒔き、大地を耕し、新たなる豊穣を手に入れるのだ!」


 アティカスの声に、広場の人々の視線が集まる。その瞳には既に希望の光が宿り始めていた。だが、その想いをさらに支えるように、彼は続けた。


 彼がただの口先だけの主張で民衆の信頼を得たわけではない。アティカス・ヴァレンフォードという人物がいかに異常とも言える情熱を持ち、農夫たちとその家族を深く愛しているか――それは広場にいる全ての者が知るところだった。

 アティカスは、彼の管理下にある()()()()()()()()の農夫とその家族の名前を()()記憶しているだ。それだけではない。彼らの年齢や生家の状況、さらにその家族が抱える問題までも、アティカスは詳細に把握していた。それは「管理者」としての義務などではなかった。彼にとって、それは生涯を懸けて守り抜く「家族」そのものであり、名を呼ぶたびに血肉が震えるような――己の存在全てを捧げるに値する、絶対的な絆の証明でもあった。


「汝らの名も、その子らの名も、吾輩の魂に刻まれている! 汝らは吾輩の誇り、吾輩の命、吾輩の全てだ! 汝ら一人ひとりが、吾輩の誇りである!」


 広場の中で涙を浮かべる者たちが現れる。彼の声には熱があり、それが人々の胸を強く揺さぶっていた。その声が届くと、人々は一瞬静まり返った。だが次の瞬間、どよめきと拍手の波が広がる。その姿を見ながら、アティカスは満足げに頷き、次の言葉を口にした。


「だがこれだけでは終わらぬ! この国の暗部が今まさに暴かれようとしている中、我々はその腐敗を正すために立ち上がらねばならぬ! だからこそ、吾輩に力を貸してほしい! 汝らの力なくして、この国の未来を切り開くことはできぬのだ!」


 アティカスの声がさらに力を帯びる。その言葉に応えるように、農夫たちの中から次々と拳を振り上げる者が現れる。「ついていきます!」「我々も力を尽くします!」という声が次第に大きくなり、広場全体が熱気に包まれていった。

 彼は手を天に向けて掲げた。その姿は、まるで荒れ果てた大地を耕し、未来への収穫を約束する鋤の如き存在だった。その熱気を見渡しながら、アティカスは一拍置き、さらに深い声で続けた。


「しかし、腐敗を正すには、その中心を叩かねばならぬ。汝らも知っているはずだ、この国の真の問題はどこにあるのかを――現王の傀儡の支配だ! 奴の名ばかりの王位が、民を苦しめ続けているのだ!」


 その言葉に、群衆の熱気がさらに高まる。「その通りだ!」「王を変えなければ!」という声があちこちから上がり始める。アティカスはそれを受け止めるように、両腕を広げて叫んだ。


「この国には、新たな光が必要だ! その光を宿す者は、既に決まっている――この国の正統な王位継承者は、ただ一人! 現王カスパールではない! もし信託をもらい直せば、それが必ず証明されるのだ!」


 息をつく間もなく、彼は力強く続けた。


「吾輩はその人物――第二王子、レオンハルト・アルデリック・カリストリア殿下を新たな王として擁立する! 殿下こそが、この国の腐敗を断ち切り、民のために立ち上がる真の王である!」


 彼の声に、群衆の間に再びどよめきが広がった。アティカスはその反応を一瞬受け止めた後、さらに声を張り上げた。


「レオンハルト殿下は、この国を腐敗から救う光となるお方だ! ……我々は今、歴史の分岐点にいるのだ!」


 その言葉が響き渡ると、広場全体が湧き上がる。人々は拳を突き上げ、声を上げ、未来への期待を滲ませた表情でアティカスを見つめていた。




 舞台の奥から、フード付きのマントを羽織った男が静かに歩み出てきた。その威風堂々たる姿が、集まった者たちの視線を一身に集める。彼は広場の中央に立つと、フードをゆっくりと外し、その端正な顔を露わにした。


「……殿下……!」


 どこからか、感嘆の声が漏れる。

 レオンハルトは一礼すると、深い声で語り始めた。その声は、広場全体に響き渡り、瞬く間に空気を震わせた。


「我が愛しき民たちよ、顔を上げよ! 我はそなたらを見下ろすためにここにいるのではない! この場に立つ理由はただ一つ――この国の未来を、共に奪い返すためだ!」


 彼の言葉に、広場の熱気がさらに高まる。

 その視線は強い光を宿し、集まる全員の胸に刺さるようだった。


「そなたらに問う。神の言葉に誤りはないと言う。それが教会の教えだ。だが――!」


 レオンハルトの声が鋭さを増す。


「果たして、あの信託は正しかったのか? 民を搾取し、命を弄ぶ現王が、果たして神の選びし者なのか? この国を腐らせ、民草を血反吐に沈める者を、神が許すというのか?」


 その問いかけに、人々の間から小さなざわめきが生じる。だがレオンハルトは、さらに声を張り上げた。


「いや、断じて否! もし神が誤りなき存在であるというのならば――なぜ、あの信託が現王の暴虐を許しているのだ? この国の神聖なる加護が真実であるならば、神はなぜ民が搾取され、命が弄ばれるのを黙認しているのだ!? ならば我らが正さねばならぬ! 神の誤りを正し、この国を再び清らかな道へ導くべきではないのか!」


 その声には、怒りと決意が混じり合っていた。人々は静まり返り、ただ彼の言葉を待つ。

 彼は拳を固く握りしめ、深い声で続ける。


「我の父、カスパール・マクシミリウス・カリストリア――この国の王は、民を守るべき王の義務を忘れた! 神の名を騙り、無辜の命を弄び、民を犠牲にし、魔術実験という狂気に手を染めた! 我は断じてそれを許さん!」


 レオンハルトの拳が高く掲げられる。


「その所業、まさに神への冒涜! 民の信仰を汚す行い! 父上といえど、この罪だけは見逃すことはできぬ! 我が血に刻まれた誇りに懸けて、この国の正義を貫く!」


 彼の言葉に、人々の目が熱を帯びる。彼は一歩前に進み、さらに力強く語った。


「この国は、本来、民のための国であるべきだ! 民のためにあり、民の声を聞く王が治めるべきだ! そして――その王は、真に神に選ばれし者でなくてはならぬ! 現王ではない、我こそがその王に相応しいのだ!」


 その宣言に、群衆から歓声が湧き起こる。レオンハルトはその声を一身に受け止め、さらに拳を天高く掲げた。


「聞け、我が愛しき民たちよ! 神の加護を、今こそ取り戻す時だ! ただの王ではない、神と共に歩む王として、我はこの国のために立つ! 我が誓いは、民のため、民と共にある。共に戦おう! この国の未来を共に創ろうではないか!」


 彼の声が広場を満たし、熱気と歓声がさらに膨れ上がる。

 レオンハルトはその全てを受け止めるように立ち尽くし、民衆を見渡した。その姿は、まさに新たな夜明けを導く光のごとき存在だった。




 それは、この国の歴史における大きな転換点だった。

 北の町「ノルドウィスプ」の広場で響いた二つの演説は、腐敗と絶望に沈みかけた聖王国に新たな光をもたらしたと言われている。

 一人は、農地卿アティカス・ヴァレンフォード――その声は民を支え続けてきた土地の守護者としての愛と決意に満ち、彼の異常とも言える農夫とその家族への情熱が、民衆の胸を揺さぶった。

 もう一人は、第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリア――王の血を引きながら、現王の暴虐を公然と非難し、自らを民のための王として宣言したその姿は、まさに新たな希望の象徴であった。


 この二つの演説は、それぞれが独立した言葉として響きながらも、一つの大きな流れとなり、腐敗の根を断ち切ろうとする民衆の熱意を結集させたのだ。

 あの夜、ノルドウィスプで放たれた言葉は、後に「赤陽の宣誓」と呼ばれ、聖王国の未来を大きく動かす原動力となることとなった。





 広場の熱気に押されるように、この私、リリィ・マクダウェルは人々の歓声に耳を塞ぎながら思わず後ずさった。


「ひ、ひえぇぇぇ……」


 これから記事にしようとしていた内容が、まさかこんな大事に繋がるなんて。魔術実験の隠蔽を暴く――そのつもりだった。ただの告発記事で、せいぜい教会と現王にプレッシャーをかけるくらいかなぁなんて思っていた。それがどうして、どうしてこんな国家レベルの離反と擁立劇に……!


「いやいやいや、話がデカすぎるでしょお……!」


 震える手で胸元の手帳を押さえながら、舞台上のアティカス卿と第二王子を見上げる。彼らの言葉に応えるように熱狂する農夫たちの声が、もう頭に直接響いてくるようだった。


「これ、ほんとに記事にしたら、私……消されるんじゃ……?」


 背中に冷たい汗がじわりと広がる。まるで歴史の渦に無理やり放り込まれたような感覚に、私は膝がガクガク震えるのを必死に耐えていた。

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