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051.広がる衝撃

 私が未だ軟禁状態にある、塔の一室にて――。

 第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリア様と私ロベリアは、魔術工房と魔術の集会に関する資料の確認作業に追われていた。魔術工房の所在等については文典卿クラウス・グランディエ様の管轄。魔術の集会の開催記録についてはトーマス編集長――典籍卿トムフォード・グレインハースト様の管轄であるから、情報を揃えるのは簡単であった。

 分厚い名簿に目を通しながら、殿下は静かに手を動かし、何かを書き記している。私はその横で、集会の議事録を読み込んでいた。


 その時、クラウス様が扉を軽くノックして入ってきた。その仕草はいつもと同じ落ち着きがあったが、私には何かが違うように思えた。彼が手にしている一枚の紙――その紙が、この部屋の空気を重くするような、不吉な存在感を放っているように見えた。


「殿下、ご報告が。今しがた、広場に貼りだされた告知とのことです」


 彼はそう言うと、手に持った紙を王子に手渡した。私は思わず、その紙を覗き込む。文字を追う目が、一瞬止まった。そこには、簡潔に、だが冷たく記された言葉が並んでいた。


「本告示にて、重大な罪を犯した者に対する刑罰を……ダリオン……ハドリー……」


 視線がその一文に釘付けになった。息が詰まり、手が無意識に震え、血の気が引いていく感覚が全身を支配する。視界の端がぼやけていくような錯覚に襲われ、頭の中で同じ言葉が何度も反響していた。

 ダリオン・ハドリー。公開処刑。あと五日……

 震える手をどうすることもできず、紙を覗き込む自分を俯瞰しているような感覚に陥る。


「……これ、本当ですか?」


 声が自分のものとは思えないほど掠れていた。クラウス様は無言のまま頷く。紙をじっと見つめていた殿下が、静かに口を開いた。


「処刑まで、あと五日……異様な早さだ」


 彼の声は驚くほど冷静だった。だが、その冷静さがかえって私の焦燥感を煽る。


「そんな、早すぎます……! こんな、急に! なんとかならないんですか?!」

「……貴殿の話を受け、既に手は回してみたのだ。異端審問前の処刑等、許されざる行いだと律法卿に申し入れた。だが、時間稼ぎにもならなかったのだ。……『目撃者も多く、言い逃れは困難。裁きは下された』と、門前払いを受けた」


 クラウス様は淡々と語っていた。いつものように冷静な口調だが、その声の奥に微かな陰りが混じっているように感じた。眉間に指を当てる仕草――その指先が僅かに震えているのを見逃さなかった。

 この人もまた、重い責務を背負っているのだろう。

 冷徹な現実を語る彼が、本当にこの処刑を許容しているとは思えなかった。


「ロベリアよ、我とてこれが良いこととは思わん。だが、この決議には我が父上、カスパール・マクシミリウス・カリストリアが直接関わっていたのだ。我にはそれを覆すだけの力はない」


 殿下の静かな声が、私の動揺を抑えようとするかのように響いた。殿下の瞳には鋭い光が宿っていた。その静かな声の下には、深い憤りと悲しみが渦巻いているのが分かる。いずれこの国の仕組みと向き合わなければならないと、殿下は既に覚悟を決めているのだろう。

 私に何ができるのか?

 不安に押しつぶされそうな自分を叱咤するように、私は深く息を吸い込んだ。


「……王とはなんだ。支配者とはなんだ。……かつてクラウスから習った『王たる姿』とは、父上はかけ離れすぎているではないか……!」

「殿下……」


 殺意に満ちた殿下の声色に、私は必死に平静を装って返事をしようとしたが、言葉が続かない。


「……これは、王族たる我の罪だ。ロベリアよ、我は行くぞ」

「ど、どちらにですか?」

「公開処刑にだ」


 殿下は静かにそう言いながら、紙を机に置いた。その言葉が、この部屋全体に重くのしかかった。窓から差し込む日差しがまるで霞んだように感じられる。殿下の言葉が沈黙の中に染み渡り、私の胸を締めつけた。


「……これは、我が一族の罪だ。民草を守るべき存在たる我らが、民草の命を身勝手に何度も奪い、罪に罪を重ねていくのだ」

「そんなこと――」


 私がたまらず言葉を投げかけようとするのを、殿下が手で制した。


「我は、この目に焼き付けるのだ。……この国の罪を、我の罪を」


 殿下の目に宿る仄暗い決意を前に、私は何も言い返せなかった。ただ、彼の背中がこれほど重い責任を背負っているのだと思うと、自分の矮小さに打ちのめされそうになる。

 けれど――ここで立ち止まっているわけにはいかない。殿下がその罪を焼き付けるというのなら、私は記者としてその殿下を見届けるべきなのだ。



 ◆



 北の町から一人戻ったその夜。

 酒屋の扉を開けると、酒と木の匂いが鼻先に広がった。カウンターの向こうでは、馴染みの親父が手慣れた様子でグラスを磨いている。いつもの顔ぶれが、笑い声を交わしながら酒を傾けていた。俺は少し肩をすくめて笑い、奥のカウンターに腰を下ろす。


「親父、いつもの頼む。それと、何か軽く腹にたまるもんもな」

「おう、エドガー。飲みすぎんなよ?」


 親父が軽く笑う。俺も「分あってるよ」と適当に返しながらカウンターに肘をついた。遠くで昔の仲間のバズが、大声で話しているのが聞こえる。声を聞くだけで、あいつがまた自慢話でもしているのが想像できる。適当に話に乗っかりながら、噂の糸口を探るにはうってつけだ。


「よ! バズ」

「おお、エドガーじゃねぇか! 久しぶりだなぁ! 記者さんがこんな場末の酒屋で何やってんだ?」

「おい、バズてめぇ! もうツケてやんねぇぞ!」


 カウンターの向こうの親父が怒鳴り、バズはわざとらしく頭を掻いて誤魔化す。これに関しては毎度お馴染みのやり取りだから、誰も気にする様子はない。

 俺が育ったこの聖王都外れの裏路地は、所謂「貧民街」と呼ばれる場所だ。とはいえ、飢えて死ぬほどの貧乏人はいない。あまり聖王国教会に対して信心深さを持っていなかったり、宵越しの金を持たないような連中がつるんでいるだけの、少々治安が悪い通りでしかない。

 そんな同じ裏路地の住人であるバズは、口の軽さと顔の広さには定評があった。ひとまずバズに話をしておいてから、他の心当たりにも噂を流しておこうと思ったのだ。


「……でさ、国が裏でヤバい実験してるらしいって話、聞いたことないか? 白い髪の――」


 俺が軽い調子でバズに声をかけると、バズが振り返り、にやりと笑った。


「おいおい、エドガー。記者さんやってるってのは本当みてぇだな。お偉いさん相手に記事でも書こうってか?」

「まぁな。でも、そんな堅い話ばかりじゃ息が詰まるだろ? こっちはただの酒の肴にしたいだけさ」

「そりゃいいや。偉い奴の悪事だなんて話、昔から酒場の笑い話だろ? 本当かどうかなんて誰も知らねぇけどな」


 適当に話を転がしつつ、俺は周囲の反応を観察していた。笑いながら話をしているが、その中には、何か知っていそうな顔もちらほら見える。話が盛り上がってきたところで、バズが急に声を低めた。


「……そういや、お前、あの貼り紙見たか?」

「貼り紙? どの貼り紙だよ」


 俺は眉をひそめる。バズが深刻そうな顔になり、グラスを置いた。


「ダリオンとかいう男の公開処刑だよ。広場にでかでかと貼られてたぜ」

「……ダリオン?」


 その名前を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。酒の味が一気に消え失せる。


 ――ってことは……内部事情を知る関係者で、協力の依頼が可能な人物を当たる必要があるってことに。……最有力候補の証言者は、ダリオンさんってとこっすか……――。


 と、ヘンリーさんの連れてきた元聖騎士のユアンさんが言っていた。ダリオンという男は、実験に携わっていたうちの一人で、救国の英雄たちを逃そうと動いた結果、憂き目に遭うことになってしまった、可哀想なおっさんであったはずだ。


「おい、それ、何が書いてあった?」


 焦ってバズに訊ねると、彼は少し首を傾げながら答えた。


「『セラフの儀式を冒涜した罪で処刑』だとかなんとか……日取りは五日後だな。……広場で見かけた時、正直、気味が悪くてな」


 その言葉が頭に響く。事情聴取最有力候補であった処刑される? 広場に貼り出された告知文? 頭の中で情報が混乱して、酒場のざわめきが遠く感じられた。「セラフの儀式を冒涜した罪で処刑」というのは、自然に考えれば冤罪だろう。

 自分では全体像を把握することも出来ないような、巨大な存在に手のひらの上で転がされているような、不気味な感覚に襲われる。


「……それにしても、動きが早ぇな」


 なんとか冷静を装いながら低く呟くと、横からバズがいくらかの心配を含んだ声で話しかけてくる。


「おい……エドガー。本気でヤバい記事なんか書こうってんなら、目をつけられないように気をつけろよ。なんか怖ぇよ」

「心配するな。俺は慎重だっての」


 そう答えたものの、心の中はすでにざわついていた。ダリオンのことをどうするべきか、すぐに行動しなければ――。

 グラスを置き、俺は静かに立ち上がった。


「親父、代金は後でつけとく。また来る!」

「おい、エドガー! 勝手にツケ増やすなよ!」


 酒場を後にした俺は、少し肌寒い夜風を浴びながら歩き出した。次の手を考えなくちゃならない――その思いだけが、俺を駆り立てていた。

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