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049.独房の試行錯誤

 独房の静寂は、いつも以上に耳に重く響いていた。どこからか漏れる水滴の音が、遠くで絶え間なく続いている。床に腰を下ろし、鉄の枷が触れる足首の冷たさを感じながら、俺は膝に顔を埋めていた。

 思い返すのは、先日の面会のこと。いや、正確にはロベリアさんの行動だ。俺に向かってキスを──手紙を渡す為とは言え、大胆すぎたあの行動だ。思い出すだけで顔が火照ってくる。驚きすぎて咄嗟に動けなかった。でも、不思議と胸の奥が少しだけ暖かくなったのも事実だ。

 そんな気恥しいことをしてまで、彼女は俺を助け出そうとしていることを伝えてくれた。もし頼ることを許してくれるのならば、こちらの事情も伝えたい。

 ロベリアさんに相談したいのは、ザフランのことだ。

 あの時戦場で出会ったザフランの姿。俺の知っている彼は、まるで兄や姉に甘える末っ子みたいに、無愛想で我儘な少年だった。でも、ここで見た彼は違っていた。虚ろな目で戦場を眺め、何かをぶつぶつと呟いている。何が彼をあんな風にしたのか、それを考えるたびに胸がざわつく。おそらくは、洗脳か何かの類の魔術をかけられているのだろう。


「どうして……ザフランが……」


 独り言が口から零れる。このままじっとしているだけなんて、俺には耐えられそうにない。どうにか、どうにかして俺からも何か伝えなくてはいけない。そうだ、手紙だ。手紙を書いて、ロベリアさんと同じ手段で、ザフランのことを――。


 考えた瞬間、視線が独房の隅を探し始める。でも、紙もペンもない。いや、それどころか、この鉄の檻の中に「手紙を書く」なんていう行為に使えるものがあるわけがない。それでも、何とかしなきゃと焦りだけが先走る。


「……ペン、ペンくらい……頼めば……くれる、のか……?」


 思わず小さく呟いた自分の声に驚きながら、立ち上がった。独房の扉の向こうで見張りをしている聖騎士に頼むしかない。どうせ断られるに決まっているけど、それでも試さなきゃ何も始まらない。

 扉の向こうに立つ聖騎士に、思い切って声をかけた。


「あ、あの……ペン、紙……その……あれば、貸して……ほしい……のだが」


 自分でも情けないくらい、声が震えていた。相手は聞き取れたのかどうかも怪しい顔でこちらを見ていたが、しばらくすると軽く鼻を鳴らした。


「……は? ペン? 紙? 何だ、日記でもつけるつもりか? そんなもん、いらねえだろ。戻れ、囚人」


 軽薄な声に、俺は無意識に顔を俯けていた。「囚人」と呼ばれるたびに胸に刺さるような感覚が広がる。それでも、ロベリアさんに返事を書くためには、それでも何か方法を見つけなければならない。

 俺が独房内を行ったり来たりしていると、いつのまにか見張りが交代していた。先日立会人だった聖騎士が面白そうにこちらを見ている。


「おい、何してんだよ。どうせまた座り込んでウジウジしてるだけだと思ったら、今日はやけに元気じゃねえか?」


 軽薄な調子の声に、俺はぎくりと肩を跳ねさせた。何も言い返せず、視線を逸らす。


「……あ、もしかして、キスしてもらったからか?」


 その言葉に、顔が一気に熱くなるのを感じた。そうだ、ロベリアさんがキスをしたあの瞬間、この聖騎士はすぐそばで見ていたんだ。間違いなく、一挙手一投足の全てを見られていた――いや、横から静止すらされていたんだ。思い返すだけで恥ずかしさが胸を締め付ける。聖騎士は俺の反応を見て、さらに調子を乗せる。


「いやいや、あの劇場っぷりは凄かった。お前、愛されてるなぁ。……なんでこんなとこにいるんだ?」

「……っ、ちが……」


 何か言い返そうとするが、口から出る言葉は全く続かない。聖騎士は肩をすくめて、「まあ、いいか」と言って他の場所を見回る為か、この扉の前を立ち去っていった。


 俺は膝の上で拳をぎゅっと握りしめ、独房を見回した。何かないか。書けるもの、書ける方法。紙とペンの代わりになるものがあるかもしれない。そう思い、狭い室内の隅々まで目を凝らした。

 まず目を向けたのは、囚人服の袖。端を引っ張り、布切れを作れるかと試してみるが、想像以上に丈夫で裂ける気配がない。それでも諦めきれず歯を立ててみたところ、思っていたのと逆の方向に裂けて、肘の手前まで袖に切れ目が入ってしまった。しかし、この部分を切り離すことが出来れば、あるいは……。

 今度は床に膝をついて、自分の手のひらをじっと見つめた。血で書く――そんな考えが脳裏をかすめる。だが、手に爪を立てる寸前で、その考えを振り払った。おそらく、文字のような細かいものを描くことは出来ないだろう。


「……何やってんだ、俺……」


 自嘲の声が部屋の壁に吸い込まれていく。思いつく方法をすべて試したつもりだったが、どれも形にならない。ただ、ロベリアさんに手紙を渡したいだけなのに――それさえもできないのかと、胸の中が締め付けられる。

 最後に辿り着いたのはベッドの隅。冷たい床に膝を抱え込むようにして座り込む。下着に挟み込んでいたロベリアさんの手紙をもう一度読み返す。嬉しかったはずなのに、それが今はむしろ心を痛めつける。


「俺は……何もできないままだ」


 声に出してみると、その重みが胸の奥に沈んでいく。それでも――その沈んだ重みの底から、何かが自分を突き動かそうとしている気がした。

 少しだけ身を乗り出して、独房の小さな窓を覗き込む。鉄格子の向こうには見張りの影が動いている。俺が今できることは――何もない。それでも、何とかしなきゃならないんじゃないか?

 拳をぎゅっと握り締めた。

 今はただ、何かできる事を探すしかない。小さな窓越しに外を覗き、耳を澄ませ、見張りの動きや巡回を観察する。それがどう役に立つかは分からない。けど、このまま動かないわけにはいかない。


「ザフラン……俺が、助けるからな」


 小さな声で呟くと、胸の奥に少しだけ灯がともった気がした。俺にはまだ何もできていない。それでも、次の行動を考える――それしか、今の俺にできることはないのだから。

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