047.砕かれたセラフ
「ダリオン、立て!」
重厚な扉が静かに開く音が、耳に届く。その音は広間の静寂を切り裂き、冷たさを伴って胸に突き刺さった。鉄の枷に繋がれた足を引きずり、聖騎士に挟まれて進むたび、床を擦る枷の音が耳障りに響く。俺はただ、無力感を噛み締めながら、広間の中央に連行されるのを受け入れるしかなかった。
膝をつかされ、顔を上げると、王を中心にした連中が俺を見下ろしているのが目に入る。王の厳かな姿。その横には冷笑を浮かべるエリザベス。その周囲には軍防卿、律法卿、築造卿――国を支える重鎮たちが揃っていた。誰もが、この場で俺をどう扱うかを値踏みしているようだった。
「……さて、これでようやく先延ばしにしていた宿題も片付くわね」
エリザベスが冷ややかな笑みを浮かべる。
「……お待たせしてしまって、悪かったわ。実験は全て終了した。彼はもう私の被検体ではない。ただの罪人として、あなた方にお返しするわ。特に新たな発見は無かったけれど……やはり、無垢な子供でなくてはいけないという、確認実験にはなったわね。そういった意味では、お借りする時間を頂けて感謝しているわ」
その言葉が俺の耳に届いた瞬間、左太腿の痛みが一際鋭くなった。実験が終わった――それは俺が道具としての価値すら失い、単なる廃棄物になったことを意味していた。見下ろす彼女の冷たい瞳が、俺の存在そのものを否定するようで、胸の奥が焼けるように痛んだ。
築造卿エゼクリオン・バスクロフト――艶のない黒髪をきっちりと七三に分け、細い指先で袖口を気にし続ける神経質な男――が小さく「魔女めが」と毒づく声が聞こえた。エリザベスはちらりと築造卿エゼクリオンに目線だけを送り、僅かに目を細めて威圧する。睨まれた築造卿エゼクリオンは、鼻に皺を寄せて押し黙った。
ややあって軍防卿ガルヴェイン・ストラグナー――短く刈り込んだ灰色の髪に傷跡が走る顔つき、鍛え上げられた体躯が戦場での経験を物語る壮年の男――が苦々しい表情で呟いた。
「はあ……その『罪人』とやらに、どれだけ苦労させられたか……。儂の部下が何人失われたと思っている? 公開処刑で、しっかりと見せしめにすべきと進言するぞ、王よ」
「……公開処刑にするなら、罪状を明確にしておく必要があるがね」
律法卿アザリウス・ヴォルデン――鋭い目元に金縁の眼鏡をかけた、痩身で厳格な雰囲気を纏う中年の男――が淡々と言葉を挟む。
「民衆に分かりやすい罪が必要である。『セラフへの侮辱罪』――これが適切であろうよ。だが、具体的にどうするのかね?」
軍防卿ガルヴェインが広間を見回しながら一歩前に出ると、冷たい声で答えた。
「罪なら、今ここで作ればいいだけのことよ!」
その言葉に誰もが黙り込む中、軍防卿ガルヴェインは無言で広間の隅に立てられたセラフ像に歩み寄る。彼は手に持った戦鎚を振り上げた。そして、ためらうことなく力いっぱい振り下ろす。
轟音とともに、セラフ像は粉々に砕け散った。砕けた石片が床に散らばり、その音が広間中に響き渡る。
砕けた破片が足元に跳ね、その音が耳にこびりつく。まるで、俺の命運を告げる鐘の音のように。
左太腿の痛みが鋭く増し、冷たい汗が背中を伝った。この場で決定される運命――それは、俺の意思も存在も無視した、一方的な宣告だった。
誰もが息を呑む中、軍防卿ガルヴェインは振り返り、冷静に告げる。
「これで証拠は揃った。この罪人がセラフ像を破壊し、儀式の場を冒涜した――それで十分であろう!」
「……ふむ、筋は通っているがね」
その言葉に、築造卿エゼクリオンが額に青筋を浮かべ、軍防卿ガルヴェインに怒鳴る。
「な、何たることを! き、きさまあぁ! セラフ像の再建にいくらかかると思っている!」
「これは、儂の一撃に負けるような柔らかい像を作った先代の築造卿の怠慢である! 教会と王国の威厳を守ることこそが最優先なり。よって、問題はなかろう!」
律法卿アザリウスが小さくため息をつき、二人を鋭い目で制した。
「争っている場合ではないのだがね。……セラフ像の再建は、聖王国教会上層部に判断を仰ぐこととしよう。で、罪状であるが……儀式の場への侵入、そしてセラフ像への損壊――これだけでも十分であるが、さらに、聖職者たちへの威嚇、神聖なる場を汚した異端的行為の疑いもある、としておこうかね」
築造卿エゼクリオンが薄く笑い、肩をすくめた。
「異端的行為ねぇ。……それで『冒涜の代償』として処刑に持ち込むわけだ。ヒヒヒッ……この男がこの場で放尿したとでもしておくのはどうですか? これは喜劇、喜劇、ヒ、ヒヒヒ……ヒ……」
僅かに身体を揺らして笑い出した築造卿エゼクリオンを、軍防卿ガルヴェインが不気味な物を見るかのような侮蔑の目線で睨む。
軍防卿ガルヴェインが視線を律法卿アザリウスに戻し、戦槌を床に突き立てるように動かしながら低く言う。
「盛大なる公開処刑にし、儀式的な意味を持たせるべきだ。民衆が異端を恐れるように仕向ける。罪状など、口にすればそれらしく聞こえるものだ」
「罪状を声高に述べ、その重さを示せば、教会の威厳は保たれるか。異端を許せばどうなるか、しっかりと知らしめるべきであるがね」
築造卿エゼクリオンがそこで口を挟む。
「……それでぇ……処刑は何で行います? 火刑ですかぁ? 絞首刑ですかぁ?」
「火刑だ!」
「却下。派手な手段は目立つ。捏造がばれるリスクを減らすためにも絞首刑で十分……であるが、その罪を深掘りされても面倒。公開処刑にする以上、あまり刺激的な方法は避けるべきだと言わざるを得んがね」
軍防卿が即座に答えるが、律法卿がその提案を静かに却下した。
そのやり取りを眺めていたエリザベスが、冷笑の中に奇妙な優しさを滲ませた微笑を浮かべ、静かに俺に言った。
「良かったわね、ダリオン。……あまり苦しまなくて済みそうよ」
玉座に座る王は、そのやりとりをただ静かに聞いていた。彼の目が一瞬、砕けたセラフ像に向けられたが、すぐに泳ぐように逸らされる。その口元は微かに震えていたが、誰もそれを指摘しない。
「……その通りにせよ」
彼の声は、かすかに掠れていたが、それに気付くものはこの場にはいなかった。
王の声が広間に響いた瞬間、左太腿の激痛が脈打つように全身を苛み、俺は膝の上で拳を握りしめた。この場の全員が、俺を弄ぶためだけに存在しているように思えた。それでも抗う術はどこにもない。ただ、冷たい床に自分の影が滲むのを見つめることしか許されなかった。
突きつけられた終焉――それは、俺の存在を完全に消し去る冷酷な宣告だった。




