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046.庭主への進言を

「星空の中で毒に染まった星が、他の星座に影響を及ぼしている。その流れを放置することで、夜空全体が失われるかもしれないのだぞ」


 殿下の低く響く声が部屋の中に緊張感をもたらす。その言葉は、まるでこの静謐な空間を打ち砕く鐘の音のようだった。私はその声を聞きながら、視線をそっと動かし、典籍卿の反応を窺う。壁にかけられた絢爛なタペストリーや、窓越しに差し込む柔らかな陽光が、どこか無機質に感じられる。

 だが、典籍卿は眉一つ動かさない。彼の冷静な態度が、空間の張り詰めた緊張をさらに強調しているようだった。そして、落ち着いた声で静かに言葉を返した。


「殿下、星座が持つ本来の光と影を記録すること。それが私の役目です。星の軌道を無理に変えることは、さらなる混乱を招きかねません」


 その言葉に、殿下が僅かに眉を寄せた。その目に宿る苛立ちは、鋭く空気を切り裂く刃のようだ。声も自然と低くなる。


「卿は混乱を恐れて何もしないつもりか? 星の毒が夜空を蝕むのを、ただ見ているだけで構わないと?」

「……それは星座の守り手が決めることでございます。私の務めは記録し、見守ることに限られております」


 二人の間に緊張感が走る。部屋の空気が一段と重くなり、私はその重圧に押しつぶされそうになる。この部屋に飾られた豪奢な調度品も、二人の間で交わされる鋭い会話の中では意味をなさない装飾に過ぎない。


 (これ、まずい……。話が行き詰まってような気がする。なんか、殿下も典籍卿もお互い立場を譲らないことだけは、なんとなく分かる。トーマス編集長が仮に『魔術実験』を知っていたら、静観をするとは思えない。もしかして、何も知らないんじゃないのかな? なのに、殿下に何かを隠していると思われていて……話が拗れた?)


 私は焦燥感に駆られ、視線をさまよわせる。重厚な扉の向こうで、時間だけが冷たく流れていくようだった。殿下と典籍卿の視線の交錯に、私はこの場が完全に硬直していることを感じた。このままでは、誤解が深まるばかり――私が動かなければ。

 心臓が高鳴る中、手が自然と仮面へと伸びる。そして、大きく息を吸い込むと、仮面を外しながら声を上げた。


「トーマス編集長! ……いえ、典籍卿! 私です、ロベリアです!」


 仮面を外した瞬間、典籍卿の表情が一変した。目を見開き、言葉を失ったように一瞬黙り込む。その顔には驚きと戸惑いが入り混じっている。


「ロ、ロベリア……! な、なんでお前が……ここに……?」

「……典籍卿、卿はロベリアを知っているのか?」


 殿下が静かな声で言葉を挟む。

 典籍卿は私を指差しながら殿下を睨むように見つめ、冷たい声で問いかけた。


「……殿下、聖騎士に捕縛されたはずの彼女が、なぜ貴方の側にいるのですか? 貴方が……通じているということですか?」


 殿下が眉をひそめつつも、落ち着いた声で返す。


「……卿は何を言っているのだ? ロベリアは今、我の協力者だ」

「待ってください!」


 彼の言葉には、揺るぎない自信と真摯さが宿っている。それでも、典籍卿の視線はまだ鋭いままだった。私は慌てて典籍卿に向き直る。


「編集長、違います! 殿下は何か特定の勢力と関係しているわけではありません! 私は、とある調査のために、殿下の庇護下にいるのです!」

「とある調査……? それは一体何についての調査だ?」


 典籍卿は私の言葉に眉をひそめた。私は息を整え、慎重に答える。


「元々、編集長が私に任せていた取材の延長です。今は取材内容を少し変え……過去に何があったか、その背景に関するものを追っています」


 典籍卿が目を細めた。その視線が私を鋭く見据え、言葉を探るように尋ねる。


「お前が……あの方への取材を、今も継続していると?」

「はい!」


 私は強く頷く。


「彼がこれまでどんな影響を受けたのか、そしてその軌跡を正確に記録するために必要なことを調べているんです。殿下のご命令で動いています! 私は害されてなどいません、それだけです!」


 典籍卿は少し黙り込み、私から殿下へと視線を移した。


「……その取材に、殿下がどのように関与しているのか、具体的に伺ってもよろしいでしょうか?」


 殿下がそこで口を開いた。


「……よい、貴族ごっこは終いとせよ。ロベリア、遠回しに話す必要はない。典籍卿、卿も同じだ。……我が探しているのは『英雄に対する魔術実験』に関する記録である」


 殿下が私たちのやり取りをじっと見つめ、眉間にしわを寄せながら低い声で尋ねた。


「ロベリアよ、先程から貴様が呼んでいる『編集長』というのは、一体どういう意味だ?」

「編集長、というのは……そのままの意味です。編集長トーマス・グレイン……典籍卿、はカリストリア聖王国通信社の編集長です。記事の編集や方針の決定、取材の指示などを取り仕切る立場です。私が担当していた英雄に関する取材も、編集長の指示のもとで動いていました」


 殿下がわずかに眉を動かし、典籍卿に視線を向ける。


「卿は新聞社の編集長も務めているということか?」


 典籍卿が微かに苦笑を浮かべながら、軽く頷いた。


「ええ、その通りです。記録を残す方法は多様ですからね。新聞もまた、重要な記録媒体の一つです」

「記録を扱う者が新聞を作る……だが、卿が民草に混ざって新聞社を率いている理由はなんだ? 他に典籍卿のこの事情を知る者はいないのか?」


 典籍卿は少し肩をすくめ、どこか淡々とした口調で答えた。


「事情を知る者はいませ……いや、最近うちの記者の何人かにバラしちまいましたが……。新聞社を立ち上げたのは、単に情報収集がしやすいという理由と……まあ、趣味ですな。それ以上でも、それ以下でもありません」


 殿下が少し間を置いてから言葉を継ぐ。


「なぜ、立場ある卿が編集長であることを伏せている? 周囲に知られたら都合が悪いことでもあるのか?」


 その問いに、典籍卿は一瞬だけ視線を逸らし、苦笑を浮かべた。


「周囲に知られると、面倒でありまして」

「面倒……?」


 殿下が半ば呆れたように繰り返した。


「ええ、肩書きが知られると、私の名前が新聞社の看板になってしまう。方々(ほうぼう)の取材に影響が出てしまいます。それに、余計な詮索を受けるのは好きではありませんからね。新聞社で働いている者たちにも、私が典籍卿だということは基本的には伝えていません。それも同じ理由です」


 私は思わず声を上げた。


「ちょっと待ってください! じゃあ、私たち社員は……知らされてなかったのは、ただ面倒だからって理由なんですか?!」


 典籍卿がわずかに肩をすくめ、困ったように笑みを浮かべた。


「まあ……そんなとこだな。肩書きに縛られて自由に動けなくなるのは、俺ぁ望んじゃいない」

「えぇ……そんな理由で……?」


 私は困惑しながら呟いた。

 殿下が軽く溜め息をつき、呆れたような声で言った。


「記録を扱う者が趣味で新聞を作り、自らの正体を隠すとは……して、魔術実験に関して、卿はどこまでの関与を? まさか、与する側ではあるまいな?」

「あー、いやぁ……」


 先程までの貴族然とした態度はどこへやら、いつもの編集長の口調にすっかり戻ってしまった典籍卿が、困ったように眉尻を下げ、頭を掻く。殿下はそんな典籍卿をじっと見つめ、ぽつりと呟くように言う。


「……まさか、『庭主』へ進言をする側であったとは」

「王族に反旗を翻すようで口にし難くありますが……誤解のないよう、明言させていただきます。私は魔術実験に関して、与する側ではありません。あくまで中立。記者として、その真実を明らかにしようとしている立場です」


 典籍卿は深く息をつき、口調を落ち着けて言葉を続けた。


「英雄が背負わされたもの、そしてその影で行われてきた魔術実験……それらがいかに不当で、いかに多くの犠牲を伴ったか。これをとある筋から情報を得まして、被害者との接触を図ることが出来る状況です」


 その言葉に、私は息を飲んだ。


「……もしかして、ライラですか?」

「ああ」

「編集長……つまり、知っていたんですか? あの……彼の置かれた状況や、背負ってきたことを」


 典籍卿は静かに頷いた。


「正確には、彼自身がどう感じているかまでは分からないが、背景にどのようなことが起きてきたか、何人かで調査を開始したところだ」


 殿下が少し間を置いてから短く言った。


「それであれば話が早い。卿が持つ情報をすべて共有してもらおう。我はこの件を公にすることを目的に動いている」


 典籍卿は目を閉じ、わずかに首を傾ける仕草を見せた後、頷く。


「もちろん、そのつもりです。殿下が真実を追求するおつもりなら、私も全力で協力いたします。ただ……」


 部屋の空気が僅かに緩み、私は心の中で安堵の息をついた。だが、典籍卿は続ける。


「それを以て、殿下は何をなさるおつもりで?」


 殿下はすっと立ち上がり、典籍卿をまっすぐに見据えた。


「……先程述べたではないか。『庭主』――この国の支配者たる者へ、正義の元に真実を進言することが目的である、と」


 殿下はそれ以上、言葉を足さなかった。

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