042.魔術の発動条件
セシル殿とフィオナ殿の協力が明確になったことにより、その場の緊張はようやく解けた。
フィオナ殿は鋭い吊り目が特徴的な女性だ。その視線には常に強い意志が宿り、長い白髪をポニーテールに束ねた姿は凛々しく、戦士としての生気に満ちている。鍛えられた体躯と義足が彼女の強さを物語っており、その存在感は一目でただ者ではないと分かる。義足は鋼鉄製で、部分的に白い革で覆われており、動きやすさを追求した実用的なデザインだ。
彼女の服装は動きやすい丈の短い上着と白いショートパンツを合わせたシンプルな装いで、使い込まれた革のベルトが腰を引き締めている。何も飾り気はないが、その姿は逆に彼女の実直さと強さを引き立てていた。
一方、セシル殿は落ち着いた雰囲気を漂わせる青年で、目深に被ったハンチング帽が特徴的だ。その右目の周囲には奇妙な紋様が浮かび上がっており、よく見れば右目自体にも同じような紋様が淡く浮かんでいる。その瞳にはどこか冷静さが宿るが、同時に鋭さも感じさせる。
彼の服装は、くすんだ茶色のジャケットとシンプルなシャツを合わせたカジュアルなものだ。ジャケットは動きやすいよう少し薄手の布で仕立てられており、袖にはところどころ擦り切れた跡が見える。ズボンも同じく実用的で、ポケットには細々とした道具が入っているらしい膨らみがあった。
私は彼らに、こちらが誠実であることを伝えられるようにと、にこやかに微笑んで言う。
「私たちの立場をご理解いただけたなら、問題ございませんよ。これ以上の争いは無用に思います。ライラも、許してくれておりますしね」
「……あ? なんか違うけど、いいよ」
素直ではないのだなぁ、などと思いながらライラを眺めると、彼女は少し居心地悪そうに眉根を寄せた。
私は落ち着きを取り戻した場を見渡しながら提案する。
「それでは、改めてピクニックを仕切り直そうではないか。私たちは、この湖畔にてお茶をしておりましたので」
「あー、マジか。それをフィオナがぐちゃぐちゃにしちまったわけか」
「そ、それについては謝罪をだなっ……!」
私の言葉にセシル殿、フィオナ殿が反応したところで、いつのまにかこの場を離脱して戻っていたらしいシグルドが、予備の敷物を片手に胸に手を当て礼をした。
「改めてご準備いたしますので、しばしお待ちを」
「うむ、頼んだ」
そんなシグルドと私のやりとりに、面々が呆気にとられたのを感じた。
簡単に整えたピクニックの敷物の上、改めて情報交換が始まった。シグルドが持参していた紅茶と軽食が場を和ませる。
「まず、俺たちがこの国に戻ってきた理由を話すか」
セシル殿が口を開き、フィオナ殿も頷きながら話に加わる。
「俺たちは六年前に脱走したけど、ヴァリクとダリオンがこの国に残っちゃっただろ? しかも、ヴァリクはどうやらさらなる実験を加えられて、酷い状態になってる。だから、俺たちは五年くらいの準備期間を経て、ヴァリクの救出を目的に動いてた」
「……が、わたしたちはやらかしてしまったのだ。同行していたザフランが聖騎士の一行に捕まってしまったのだ。無作為に森の中に潜んでいたのが良くなかった」
フィオナ殿の補足に、セシル殿が大きなため息をつく。
「ザフランとは……たしか……」
「ザフランは腎臓。よく分かんないけど水を操れる」
私のつぶやきに、ライラが返事をする。それを受けたセシル殿が解説をしてくれる。
「俺たちに施されたのは、魔術式を刻み込んだ部位によって、それぞれどういう効果が発現するのかを検証する実験なんだよ。俺は右目で、このおかげで魔術を発動させると、夜にも昼間と同じくらい見えたり、物を透過して仕組みを確認したりができる」
「わたしは鎖骨から下全てに刻まれているのだ。私は、魔術を発動させると皮膚が頑丈になり、刀も槍も刺さらなくなる。あとは、肌からマナを感知することが可能だ」
「そして──」
セシル殿が言葉を続ける。
「ライラは前頭葉。感情が昂って狂戦士状態になる。ちなみに、魔術が発動していない時は、俺たちは腹腔内に刻まれた魔術式により、すげー死ににくい人ってくらい。……そして、それの発動条件というのが」
そう言って、セシル殿は太腿に沿うようにズボンに縫い付けられていた長細いポケットから、白銀に光る槍を取り出した。
「この『セラフの聖槍』で魔術式が刻まれた箇所を貫くことだ」
リリィ殿、エドガー殿、ユアンが顔色を変えたのが目の端に見える。貫くの意味が、文字通り物理的に身体に刺すことを意味するのか、何かしらの象徴的な意味なのか、図りかねているのだろう。
セシル殿は手元でくるりとセラフの聖槍を回すと、それの先端を自身の右のこめかみにピタリと当てた。
「こうやって、魔術式に直接打ち込む、ちょっとやそっとの怪我じゃ完治しちまう俺たちの特徴を生かした発動方法だ」
「な、なんでそんなことを……?」
エドガー殿が、メモをしていた手を止め、震える声で尋ねる。
「……ここでは、魔術を発動させるための魔由来のマナが足りないんだ。正確に言えば、この辺りのマナはおかしいと言えばいーのかなぁ。なんか──」
この話になった時、ユアンがぴくっと肩を跳ねさせ、慌てて口を挟んだ。
ユアンと協力関係にある私には、理由について察しが付いた。マナや精霊術、魔術に関する話は、私の国ではおそらくほとんど知られていない情報なのだ。ユアン曰く単なる調査であり、彼の目的の中には聖王国での工作活動は含まれていない。新たな情報を無作為に与えられることによって、聖王国内に余計な混乱が生じてしまう可能性がある。それを避ける為に、ユアンは口を挟んだのだろう。
次からは、私も口を挟まねば。何故なら、友であるユアンの為なのだからな!
「あ、あのー、救出に来るのに五年かかった理由ってなんすか?」
「ああ、簡単な話だ。一度山脈を越えたが、俺たちは仲間も一人行方不明になって、フィオナもこの通り足を失った。……ノクスリッジ山脈を安全に越えることが出来る条件が分からなかったからだよ。その調査で五年近く時間を食っちまったっつーわけだ」
「……単独行動だったライラちゃんは、どうしてたの?」
「あ? ……端まで行ったら、いっぱいの水があったの」
リリィ殿の質問に、ライラが曖昧に答える。
「いっぱいの水……海のことかな。ライラちゃん、それをどうしたの?」
「……回り込めば、辿り着くと思って……流されてた。そしたら、知らないとこにいたから、また流されて……お腹空いてもお腹空くだけで死なないから、それでここまで来た」
「んな……! まさか、お前はずっと流されてはどこかに漂着してを繰り返して、ここまで来たのか?」
「だって、死なないし」
ライラが平然と答えると、セシル殿は頭を抱えるようにしながらため息をついた。
「お前なあ……危ないだろうが! 普通は海で流されてたら死ぬんだよ!」
「でも、なんとかなった」
フィオナ殿も腕を組みながらライラを叱るように言った。
「全く以て、危なっかしいにもほどがある。少しは慎重に動け!」
それでもライラは肩をすくめ、「死なないから」と繰り返すだけだった。その言葉にセシル殿とフィオナ殿は顔を見合わせ、最後にはため息混じりに苦笑いを浮かべる。
「……まあ、無事だったならそれでいいけどよ。頼むから、次はもう少し頼ってくれよな。仲間なんだから」
セシル殿が呆れたように言い、フィオナ殿も「全くだ」と小さく頷く。
こうして、少し緊張がほぐれたところで、話はひとまず一区切りとなった。




