040.「天誅!」
ライラから大まかな事情聴取をした後、数日後。
馬車の中、私、ユアン、ライラは北の町を目指して揺られていた。窓の外には初夏の風が木々を揺らし、青々と茂った葉が陽光を受けて輝いている。日差しは暖かさを感じさせるが、時折吹き込む風はまだ爽やかさを保っていた。馬車内には適度な涼しさが漂い、ライラが膝を抱えてじっとしていた。
「ライラ、少し話しておきたいことがある」
私は彼女にそう切り出した。ライラがこちらを向く。その目は期待と不安が入り混じったように見えた。
保護してから数日間、ヴァレンフォード家に滞在して頂いて気付いたことがある。どうやら、彼女は敬語や謙った態度が少し苦手なようだ。これまで周囲にそういった態度を見せる人物がいなかったのかもしれない。それに気が付いてから、敬語を止めて「ライラ殿」と呼ぶのを止めたところ、少しだけ態度が軟化したように思う。彼女の濃い隈はそのままだが、ここ数日の療養で随分と顔色が良くなった。
「ダリオン殿の状況に関して、そろそろライラにも知っていてほしいのだ」
「……パパ様、どうしてるの?」
少し震える声でそう問うライラに、私は言葉を選びながら答えた。
「どうやら、ダリオン殿は、聖王国教会に捕まっているらしい」
その一言に、ライラの顔がみるみる曇った。
「……わたし、迎えに行くことできる?」
「……ああ、その希望は叶えたいと思っているのだが、今はどこへ行けば良いのか私にも分からないのだ」
私は冷静に説明を続けた。
「今すぐにでも動きたい気持ちは分かる。しかし、無計画に動いても、彼を救うどころか、むしろ私たちが危険に晒されてしまう可能性が高い。だからこそ、ライラの情報をこれから会う記者殿に共有することで、次に繋がる手掛かりを見つけることができるかもしれないと思っているのだ。彼らは、そういった調べ事に得意な人たちであるのだ」
ライラはその言葉を聞いて黙り込んだが、しばらくして小さく頷いた。
「……分かった。がんばる」
その声はかすかに震えていたが、彼女の決意の色も垣間見えた。
「あ~……しっかし、だんだん暑くなってきたっすねぇ」
ユアンが明るい声でそう言い、冗談めかしてみせた。ライラが少しだけ口元に笑みを浮かべるのを見て、私はユアンに小さく頷いた。
北の町に到着すると、初夏の暖かい風が私たちを迎えた。青空の下、木々は青々と茂り、足元には新緑が日差しを受けて鮮やかに輝いていた。馬車が停車場に着くと、既にエドガー殿とリリィ殿が待っていた。リリィ殿はピクニック用のバスケットを持ちながら手を振り、エドガー殿は気だるげに手を挙げた。
「遅かったなぁ」
エドガー殿のその一言に、私は軽く頭を下げた。
「お待たせして申し訳ない。道が悪くて時間がかかりました」
リリィ殿がバスケットを掲げながら、「いい場所を見つけたの!」と楽しげに話す。
「本当にピクニックやるつもりかよ……」
エドガー殿が呆れたように呟くのが聞こえ、私は思わず苦笑した。
「とりあえず、日陰で話しませんか?」
私が提案すると、エドガー殿が「そうだな」と頷き、全員で近くの湖畔へ向かった。
町からいくらか離れた湖畔の木陰の一角に集まった私たちは、敷物を敷いてその上にちょこちょこと遠慮がちに座る。ここまで馬車を操っていたシグルドが、どこから出したのかよく分からない紅茶を、優雅な所作で淹れる。そして、これまたどこから出したのかよく分からないトレーにそれらを乗せ、「給仕はお任せください」とだけ言って傍に控える。シグルド、やはり出来る男である。
「……給仕セットのピクニックは想定してなかったぜ……」
「まぁ! 給仕さんがいるお茶会なんて産まれて初めて~」
記者達は各々反応を返すが、不快感を持っている者はいないらしい。
ユアンは何を考えているのか、何も考えていないのか、特に気にする様子もなく、若干の粗雑さを含んだ所作で紅茶に口をつける。
ちなみに、ユアンとアストラル帝国のことは、記者達には言わないことと決まった。妙な幼さを持っているライラにも、ユアン側の事情に巻き込むべきではないだろうと結論を出し、情報を伏せることとなった。
ややあって、リリィ殿がまずライラに声をかける。
「ライラちゃん、体調は大丈夫? 馬車の移動、長かったでしょ」
「あ? あ……うん、大丈夫」
ライラは少し驚いたように目を瞬かせながらも、控えめに答えた。それを聞いたリリィ殿は柔らかく微笑み、「無理しないでね。何かあれば遠慮なく言ってね」と続ける。彼女の気遣いにライラの緊張も少しほぐれたように見えた。
「それにしても、ここまでよく来たな」
エドガーが気だるそうに呟きながら、手を軽く振った。その言葉に私は苦笑しながら答える。
「私はほら、有閑貴族ですので。このユアンも、一緒に聖騎士をクビになった男です。要は我々は『クビ友』であります」
「オレはあの方の邸宅で口答えして、ボコボコにされた方の聖騎士っす。いや~、ヘンリーに庭師として雇ってもらえて助かったっす」
へらへらと言葉を続けるユアンに、エドガー殿とリリィ殿は目を丸くする。よく見れば「ク、クビ友……」とつぶやいたエドガー殿の肩が僅かに揺れている。よし! ウケたようだ。
「クビって何? 切られたの? よくくっついたね。わたしは首になったら多分死ぬと思う」
ライラが訝し気に訊ねてくる。
「いやいや、仕事を失ったという意味だよ」
「へー」
ライラは、興味があるのかないのか、よく分からない声色で返事を返す。
リリィ殿は一旦落ち着いた雰囲気を察してか、本題に入る。
「ライラちゃん。あなたのこと、教えてもらってもいい?」
ライラは一瞬躊躇したように見えたが、しばらくして「わたしが話すことで役に立つなら」と小さく頷いた。その言葉を聞き、私は「無理に話さなくてもいい。できる範囲で構わないから」とフォローを入れる。
エドガー殿がポケットからメモ帳を取り出し、軽い口調で言った。
「じゃあ、話してもらおうか。あー、もちろん、記事として書くときには、個人が特定できないように努める」
「……わたしがわたしって分かると、いけないことでもあるの?」
「ほら、想像してみな。俺たちが書いた記事を読んだ聖王国中の人が、ライラさんに話をもっと詳しく聞きたいって言ってライラさんに会いに来るんだぜ? ライラさんが一人でいたい時でも、お構いなしにやって来るんだ」
「それは……困る」
ライラが困ったように眉根を寄せ、僅かに膝を抱き寄せた。
和やかな空気が漂う中で、エドガー殿がメモ帳を構えながら表情を引き締める。
「さて、始めよう」
場の雰囲気が少し改まる。ライラの語る言葉が、この場にいる全員にとって新たな一歩となることを願いながら、私は彼女の横顔を見守った。
その時、突然シグルドが駆け出し、紅茶のティーポットやカップを蹴り倒しながら、敷物の真ん中に躍り出る。それとほぼ同時に、我々が座る頭上、エドガー殿の背後付近から誰かが飛び出してきて、シグルドが抜いた仕込み杖の刃に太い棒を叩きつけた。
「天誅!」
仕込み杖の刃に、その人物が持つ棒が中ほどまで切られ、その何者かは舌打ちをして後ろに飛び退く。
少し離れて分かった。その人物は、右足の膝から下が義足で、見たことが無い意匠の鎧の兜だけをつけている、おそらくは女性だ。彼女の一つに結われた長く白いポニーテールの髪が、初夏の風に揺れる。
「む! ご老人、強いではないか! これは……!」
勇ましい声をあげるその女性は、腰を落として両の腕を自身の前に構えた。格闘の心得がある人物のようである。
「高揚してしまうではないかッ! 全く以て、無駄戦であると言うのにッ!」
彼女はそう叫ぶと、姿勢をさらに低くし、シグルドに向かって駆け出した。




