038.面会
戦場から戻されて、もう何日が経ったのか分からない。独房に閉じ込められてから、俺はただぼんやりと天井を見つめることしかできなかった。
(俺はこれまで一体何をしていたんだろう……)
戦場での光景が頭から離れない。あの血にまみれた手、倒れた人々、そして焦点の合わない目で何かを呟きながら水を操っていたザフランの姿。それが幻覚ではないと分かっているだけに、胸の中の感情はぐちゃぐちゃだった。
俺の手は震えているのか、それとも何も感じていないのかさえ分からない。時間だけが過ぎていく。独房に差し込む光の変化をぼんやりと眺めるうちに、どれだけの時間が経ったのかも曖昧になっていた。
そんな中、扉の外から声が聞こえた。
「おい、面会希望者が来た。準備しろ」
若い声の聖騎士が独房の扉を開け、俺に指示を出す。その言葉に一瞬驚いたが、どうせエリザベスか誰かの命令だろうと考え、俺は黙って立ち上がった。
◆
ヴァリク様の居場所が分かって数日。
「私も、彼に会わせてください」
そう申し出た私に、侍女の格好の第二王子──レオンハルト殿下は、短く「何故だ?」とだけ尋ねた。その作ったであろう高い声は冷静で、どこか興味を持たれているようにも感じた。
殿下は、何故か私が軟禁状態にあるこの部屋で、度々やって来ては、顔を変えて侍女の格好になり、声まで変えて過ごしている。過ごしていると言っても何もしていないわけではなく、私の髪を編んでは解いて編んでは解いてと、人の頭をおもちゃとしてめちゃくちゃにして過ごしたり、私に与えられたベッドのシーツを何度も敷き直してみたりと、何をしているのかよく分からない。
思い切って尋ねてみたところ「我の暇つぶしに文句があるとでも言うのか?」と回答を断られた。よくよく観察して気が付いたが、おそらく殿下は、侍女として潜入か何かをする時の練習をしているのだ。大体のことをそつなくこなすように見える殿下だが、並々ならぬ努力の上に成り立っているのかもしれない、とふと思う。
「彼がどんな状況に置かれているのかを確認したいんです。そして、ヴァリク様に私と殿下の行動でヴァリク様を助けられるかもしれないって、伝えたいんです。もしかしたら今、とても酷い目にあってるかもしれないので」
私の言葉に、可愛らしい顔の殿下は一瞬考えるように目を伏せた。そして、ゆっくりと頷いた。
「……まあ、よいだろう。だが、面会には立会人の聖騎士がいるはずだ。立会人がどういった立場の者になるのかが分からんが、少なくとも我の息のかかった者ではないことは確かだ。明確な言葉で伝えるのは不可能となる。それをどうするつもりだ?」
その問いに、私は少し言葉を詰まらせた。
「……ちょっと、考えてみます。とりあえず言葉では難しいので、メモか何かを渡せたらなって」
「妙な差し入れ等、居の一番に止められるぞ」
殿下は私をじっと見つめた。その瞳には冷静な光が宿りながらも、わずかに面白がっているようにも見えた。
「……まあ、好きにすればよい。ただし、我も同席する。英雄の顔も分からんでは、今後やりにくい。我としても、そろそろ動いて良いかと思っていたところだ」
そう言って、彼は軽く肩をすくめた。
「ありがとうございます」
頭を下げる私に、殿下はわずかに笑みを浮かべたように見えたが、すぐにいつもの冷たい表情に戻った。
「怪しまれぬよう、服装も整える必要があるだろう。そう思って、すでにクラウスに用意させてある」
そう言いながら、彼は壁際に置かれた棚の一つから地味な色のワンピースを取り出して私に渡してくる。殿下の用意周到さには驚かされるばかりだ。
「それを着て、我が貸し与えた仮面をすれば、移動中に気付かれることもあるまい。精々、面会に来た身内といった風に装うことができよう」
彼の言葉に、私は小さく頷きながら、自分の決意を再確認した。
今ヴァリク様に伝えておきたいことを考える。第二王子と、この実験を公にするために動いていること、第二王子はヴァリク様を処罰するつもりはないこと。ダリオンさんのことは……伏せておこう。遠慮がちで自分を卑下することに躊躇のない彼のことだ、ショックを受けすぎてしまうかもしれない。
私はそれらを手帳から切り取った小さな紙にしたため、部屋の明かりに使われている蝋燭の溶けた蝋にそっと浸した。爪の先で持ち上げると、紙全体にしみ込ませることが出来た。幸いなことに、文字は滲んでいない。
殿下はというと、そんな私の行動を、腕を組んで興味深げに眺めていた。
私はその小さな紙片が乾いたのを確認してから、小さく折りたたんで耳の上部に挟んで隠した。
(記者として、彼に出来ることを私なりにやってあげたい。彼の為にも、私の為にも)
面会の準備が整い、私は侍女の服を身に纏った殿下と共に、面会室へと向かう。その短い道中、私は心の中で何度も祈るように、その言葉を繰り返した。
◆
年若い聖騎士に促されるまま、面会室に向かう。足を引きずるように歩く俺に、彼は何も言わない。ただ、淡々と廊下を進む足音だけが響いていた。
面会室に入ると、視界にまず飛び込んできたのは鉄の柵だった。
それは、顔がギリギリ通らないほどの隙間しかない頑丈な造りで、腕を通せなくもないが、それ以上の動きは制限されるだろう。
俺の手首には冷たい手枷がつけられ、その重みが一層、自分が「罪人」であることを思い知らせてくる。
柵の向こうには、簡素な椅子が二脚並んでいた。一人が座っているのが見える。その後ろに、付き従うように侍女が立っている。
地味な色合いのワンピースを来た女性と、一人の侍女のような姿をした女性。一人は見覚えのある顔――ロベリアさんだった。俺の胸が一瞬締め付けられる。
「……ロベリアさん?」
思わず名前を口にしてしまった。すぐに、俺は目を伏せた。どうしてここにいるんだ? そんな疑問が頭を駆け巡るが、それを表に出す余裕はなかった。
もう一人の侍女は……俺はその人物をじっと見ることを避けた。
俺の側にも同じような椅子が置かれている。座るよう促されるまま腰を下ろしたが、その背後に立つ聖騎士の存在がどうしても気にかかる。すぐ後ろに立つ彼の気配は重く、息遣いすら感じられるほど近い。その立会人の視線が、俺の首筋を這うように感じた。恐らく、「この罪人は一体何者なんだ?」とでも思っているのだろう。
聖騎士が俺のすぐ後ろに控えたまま、何も言わない。彼がいる以上、まともな話はできないことは明らかだった。
「元気でしたか?」
ロベリアさんが柔らかい声で問いかける。俺は少し間を置いてから答えた。
「……まあ……なんとか」
ぎこちない言葉が自分でも嫌だった。目は伏せたままで、顔を上げられない。
もう一人の侍女が続けて問いかけてくる。
「体調に問題はありませんか?」
その澄んだ高い声には妙な落ち着きがあり、俺は無理やりにでも答えなければならないと感じた。
「特に問題は……ない……です」
短い言葉を絞り出す。視線は相変わらず下を向いたままだった。
ロベリアさんは続けて何か言いたそうだったが、口を閉じた。その沈黙が重くのしかかる。
彼女は俺に伝えたいことがあるのだろう。けれど、言葉にできない葛藤が彼女の表情に現れている。俺は彼女の視線を感じつつも、目を合わせることができなかった。
この面会がどう終わるのか、それすら考えられないまま、曖昧なやり取りが続いていった。
「あの……久しぶりにお会いしたのです。もう少し近くで顔を見せてくれませんか?」
「え……?」
俺のすぐ後ろの聖騎士をチラチラと見ながら、ロベリアさんが椅子から立ち上がり顔を寄せてくる。立ち上がっても問題ないのだろうかと聖騎士を振り返るが、興味なさげな視線を投げかけているだけだ。目が合うと、首をくいっと動かして立つように促してくる。そのくらいのことは、許容するということだろうか。
中腰になってロベリアさんと顔を突き合わせる。どこか緊張感を孕んだ彼女の顔を見下ろす。
「あの、もうちょっと下で」
「は、はあ……」
「もうちょっと、下で。あ、あと一歩前に」
彼女はだんだんと顔を真っ赤に染めていきながら、俺に指示をしてくる。なんだ? だんだんと腰を落としていき、ついに小柄な彼女と同じ高さまで顔の位置が下がった。
すると、柵越しに、突然ロベリアさんが俺の頭を掴んだ。瞬間、強い力で引き寄せられ、顔面が冷たい鉄に叩きつけられる音が響く。
「っ!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。視界が揺れ、柵の冷たい感触が顔に痛みを残す。だが、次の瞬間、俺の混乱はさらに深まった。
唇に、何かが触れた。
それが何なのか理解する前に、心臓が跳ね上がった。硬い鉄の間から、ロベリアさんが俺の唇に触れている――いや、これは……所謂、接吻というやつなのでは?
「んむっ……!」
俺の呼吸が詰まる。目を見開いたまま、どう反応すればいいのかも分からない。ただ、頭を強く抱え込むように押し付けられた力は、まだ俺を逃がさない。
体が硬直する。混乱と衝撃で思考が追いつかない。
その間にも、唇に触れる感触がやけに鮮明だった。柔らかく、けれども不意打ちのような荒々しさがある。
やっとのことで顔を少し動かし、柵越しの相手を見ようとするが、力強い手が俺の頭を固定しているせいで、視界は柵の冷たい金属とぼやけた輪郭しか捉えられない。そんな俺の動きを補足するように、ロベリアさんが顔の角度を変えてさらに深く口付けてくる。
心臓が早鐘を打つ音が耳に響く。衝撃、混乱、困惑、そして頭から火が出そうなほどの羞恥に、俺の頭は大混乱に陥った。




