032.傷痕に刻まれる罪
背中の魔術式を焼かれた後、そのまま独房に戻された。数時間で傷が治る不死の身体のせいで、普通の焼ごての火傷では治ってしまう。だから、魔術式を彫り込んだ特製の焼ごてを使って焼き消すのだ。その実験に何度も付き合わされたヴァリクの背中には、夥しい数のケロイド状の傷が残っている。
先程、その背中に新たな傷が追加された。ズキズキと痛みが続く久しぶりの感覚に、顔をしかめて俯く。
独房の空気は重く、湿り気を帯びていた。俺は薄暗い天井をぼんやりと見上げたまま、動く気力を失っていた。足元に巻かれた鉄の鎖が、限られた行動範囲をさらに狭めている。
外の通路からは、かすかに他の囚人たちの声が聞こえてきた。罵声や笑い声、時折歌のようなものも混じる。それを聞きながら、俺はそっと目を閉じる。
「俺、悪いことなんて、してないはずなのに……」
呟いた言葉は自分でも空々しいと思った。
いや、本当に何もしていないのか?
自分に問いかけた瞬間、胸が締め付けられるような感覚が襲ってきた。
「いや……してた」
昨日の出来事が、つい先程の出来事のように思い出される。
ライラ。彼女は、この六年間何をしていたのだろうか。突然ダリオンと引き裂かれた状態になってしまい、勘違いではあったが俺への復讐心を抱えて生き延び、そしてやつれきってしまったのだろう。元々細かった身体は成長と共に余計細くなったように感じる。目の下には疲労が原因か、濃い隈があった。
勝手に勘違いしたのだ、と思うことが出来るほど、ヴァリクは物事の白黒をはっきりさせるのが上手ではなかった。
そして、ロベリアさん。
彼女が巻き込まれたのも、俺のせいだ。俺がデートだなんて調子に乗らず、断っていれば、こんなことにはならなかったはずだ。どこに連れて行かれたのだろう。あの、小動物のようで優しくて可愛い人が、酷い目に遭っているかもしれないと思うと胸に重く苦しい罪悪感がこみ上げてくる。
「俺が、全部、悪いんだ」
声に出してみても、その言葉は重くのしかかるだけだった。涙が睫毛を濡らし始めるのを感じた。こんなところで泣く資格すらないのに。それでも、止められなかった。
ふと、自分の髪が視界の端に入り込む。黒く染められた髪。先ほどまでは違った。俺の所在を曖昧にするためか、染められたのだ。
(多分、映写魔法で写真が出回っているからだろうな……)
映写魔法の写真の中では、「英雄」として持て囃される俺の姿が、今ではこうして独房に閉じ込められているのだ。
「救国の英雄、だってさ……笑っちゃうな」
自嘲気味に呟いた声が、鉄の壁に跳ね返り、耳に届く。
突然、独房の扉からカタンと音が響いた。何かが動く音だ。思わず体が固まる。
扉の上部に取り付けられた小さな覗き窓が、ゆっくりとスライドして開いた。そこから覗くのは、暗闇の中にぼんやり浮かぶ影。誰かがこちらを見ている。
鉄格子越しの薄明かりに、目のようなものが動くのがわかった。だが、その目は焦点が合っていないように見える。虚ろな眼差し。何かを見ているようで、何も見ていないような、不気味な感覚がする。
俺は喉の奥がひりつくのを感じながら、ようやく声を絞り出した。
「だ、誰ですか……?」
自分でも情けないくらい震えた声だった。返事はない。ただ、無言のまま、その影はじっとこちらを見つめている。
一瞬、覗き窓から垂れる髪が目に入った。それは白かった。
誰だ?
思考が一瞬止まる。心臓が鼓動を早め、耳鳴りのように響く音が自分の中に広がる。
視線を釘付けにされたまま、無意識に体が動いた。誰なのかを確かめなければならない。立ち上がろうと足を動かした瞬間、鎖により鋭く引っ張られる感覚が足首を襲った。
「……っ!」
思い切り引っ張られる力に耐えられず、膝が床にぶつかる。鈍い音とともに、体がそのまま前に倒れ込む。床に叩きつけられた衝撃が全身に響く。冷たい鉄の感触が肌に伝わり、痛みがじんわりと広がっていく。
再び視線を向けると、覗き窓はすでに閉じられていた。
先程の視線の持ち主のものだろうか、自分がしているものよりもっと重い金属──鎖のようなものを引き摺る音だけが、今いる独房の前から遠ざかっていく音が聞こえる。
状況を飲み込めないまま、俺は扉を見つめ続けた。あの白い髪は誰だったのか。俺が知る、誰かなのだろうか。
心臓の鼓動がやっと落ち着き始める。
だが、胸の奥に残るのは、不安と苛立ち、そして奇妙な予感だった。
◆
ライラ殿が部屋に入ってきた時、私は彼女の緊張が手に取るようにわかった。侍女に促されておずおずと足を運ぶその姿には、まだ怯えが残っているようだった。
「ライラ殿、落ち着いてください。ここにいる三人は、君の協力者ですよ」
私はできるだけ優しく声をかけた。ライラ殿は小さく頷いたが、顔は上げない。彼女が私たちの目の前で立ち止まり、何かを言おうと唇を動かしているのがわかったが、言葉にはならない様子だった。
「ライラ殿、これまで、君がどんな風に生きてきたか、実験としてどんなことをされてきたのか、答えられる範囲でかまいません。教えてはくれませんか?」
重くならないよう心掛けて問いかけると、ライラ殿は一瞬肩を震わせた。その後、ためらいがちに口を開く。
「六年前……」
彼女の小さな声が部屋の中に響いた。私と兄上、ユアンは無言で耳を傾ける。
「パパ様が……私たちを逃がそうとしてくれたの。それで、パパ様とヴァリクとヴァネッサ以外はみんな逃げれた。わたしはヴァリクがパパ様を殺したと思い込んでたから、ユリウスに止められたけど復讐しようと思ってみんなと別れて一人で山のあたりをうろうろしてた」
彼女は少しずつ思い出すように話を続ける。その中でダリオン殿――彼女が「パパ様」と呼ぶ男の姿が浮かび上がってきた。彼は、ヴァリク様を一番に心配しているのに、いつも一歩引いた態度だったように思う。その理由にようやく合点がいったが、こんな残酷なものだったとは思わなかった。
「その……ユリウスとか、ヴァネッサとか……同じような実験をされていた人たちは、何人いるんすか?」
「えーっと……いち、にー、さん……七人……あ、わたしを入れたら、八人」
「ゆっくりで構わぬ。吾輩達に、ライラの仲間を一人ずつ教えてはくれぬか?」
兄上が自分が座る隣のソファーの座面をポンポンと手で叩くと、ライラ殿は緊張した様子でちょこんと浅く腰かけた。兄上の体格とライラ殿の体格の差があまりにも大きく、親子のように見えて思わず笑みが深まってしまう。
「えっと……ザフラン、フィオナ、セシル、ヴァネッサ、オスカー、ヴァリクはみんなの頼りにならないお兄ちゃんみたいな感じ。ユリウスは頼りになる方のお兄ちゃんみたいな感じ。ヴァリクは心臓、ザフランは腎臓、わたしは前頭葉に魔術式が書かれてるから、この三人の魔術式は見えない。わたしのときは、頭を金づちみたいなので開けて書いたって、エリザベスが言ってた」
ライラ殿は、自分の頭を指差し、たどたどしいながらも、垣間見える残酷な内容に、部屋の空気が張り詰めた。
彼女は次に、自分の鎖骨を指差す。
「フィオナはこの辺から下全部に書かれてる。頑丈で空気が分かるって言ってた。フィオナは山を登る時に右足無くなった。でも元気だった。セシルは右目。だから目が良い。一番器用で、おもちゃ作ってもらった。ザフランは水が自由に使える。理由は良く分かんない。聞いたけどよく分かんなかった」
彼女は右目、自分の腹と指差し、説明を続ける。次に喉を指差す。
「ヴァネッサは喉。超音波みたいなの出せるって聞いた。でも弱っちかったからエリザベスに嫌われてた。オスカーは両耳。耳が良かった。精霊の声が聞こえるって言ってた。ユリウスは顔。どんな顔にでも変形できた。よくオスカーの顔になってた」
「……精霊の声? ライラは、精霊の存在について、知ってるんすか?」
ユアンがライラ殿に訊ねる。彼女は少しきょとんとした顔になり答える。
「みんな知ってた。でもエリザベスが知らなかったから、黙ってた」
「ライラ殿、その……先ほどから名前が出ているエリザベスというのは、誰ですか?」
「エリザベスが、わたしたちに実験してたの。他に四人いて、そのうちの一人がパパ様だった」
女性と思われるその名前に、思わず息を飲む。おそらく、それがこの狂気の実験の首謀者なのではないだろうか。
「……それで、最後にヴァリク。ヴァリクは心臓。怖くなくなって、バーンって出来るようになるって言ってた。でも見たことなかったから、ヴァリクがあんなに強いと思わなかった」
最後に、ライラ殿は胸の中央を指差してヴァリク様の説明を入れる。彼女が言うバーンが何かは分からないが、ヴァリク様が恐怖心を感じなくなるような能力をお持ちなのは理解できた。
「ありがとうございました。それで……ライラ殿、これから何をしたいか、希望はありますか?」
私は慎重に言葉を選びながら尋ねた。
ライラ殿はしばらく黙ったままだった。彼女の小さな肩がわずかに震えているのがわかった。そして、意を決したように顔を上げると、小さな声でこう言った。
「……パパ様を、迎えに行きたい。パパ様に会いたい」
その言葉に、私の心がぎゅっと締め付けられる。ダリオン殿――その震える声色だけで、彼女にとってどれほど大切な存在であるかを改めて痛感した。
「そうか……」
あの後ダリオン殿の行方を家の者が捜索したが、足取りは聖王国教会本部で途絶えていた。おそらく、我が家での些細な用事を済ませた後、ヴァリク様の邸宅へ向かってしまったのだろう。ユアン曰く、聖騎士に囲まれて酷い暴力を受けたという。恐らくは、ダリオン殿もその後──。
ダリオン殿は間違いなく捕縛されている。無事でいるとは思えない。しかし、彼女の目に浮かぶ決意の色を見て、これ以上は何も言えなかった。
「これから数日の後に、北の森近くの町に移動して、記者の取材を受ける予定です。ライラ殿は、取材を受けても問題ありませんか?」
この話題を持ち出すと、ライラ殿は少し戸惑った様子で眉を寄せた。
「……取材はいいけど、ここじゃダメなの?」
その質問に、私は静かに首を振る。
「ここだと目立つので、取材を受けるのも危険なのです。だから、少しでも人目を避けられる場所で進めたいと考えています」
ライラ殿はしばらく考え込むように視線を落としていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……わかった」
その声には、不満ではなく諦めにも似た静けさが漂っていた。
ライラ殿がふと視線を上げ、私に尋ねる。
「……ヴァリクはあの後、どうなったの?」
その問いに、私は一瞬答えあぐねた。正直に伝えるべきかどうか、迷いが胸をよぎる。それでも、彼女を前にして、隠すことはできなかった。
「彼は……連れて行かれてしまいました」
私がそう答えると、ライラ殿は一瞬だけ目を見開いたが、それ以上は何も言わなかった。ただ、わずかに肩を落とし、視線を床に落とした。
「そっか……」
その声はあまりにも小さく、かすれていた。彼女が何を思っているのか、私にはわからない。ただ、彼女の表情がそれ以上何も語らないことが、余計に心に刺さるようだった。
部屋の中に静寂が戻る。ライラ殿が何かを考え込んでいるような沈黙を見せる中で、私は次に何を言えばいいのかを探していた。
こんな回で言うのもアレなんですけど、新年のご挨拶をうっかり失念しておりました。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
更新を追っていてくれそうな方を、アクセス解析からうかがい知れることが今一番の更新モチベになっております。いつもありがとうございます。
まだ物語の序盤です。まだまだ続きます。しかし着地点は確定しているので、このままストーリー迷走してどっか行ったり空中分解したりすることはないことだけはお約束できます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




