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030.潜入

「では、ひとまず支度を。ここは尋問室であるため、貴殿にはここで過ごす際の居室を準備する。とは言え、快適とは言い難いが、我慢して欲しい」


 クラウス様の冷静な声が今いる尋問室に響く。私は黙って頷く。


「ちなみに、殿下と私の『この件』を知っているのは、私の配下でもごく限られた少数。秘匿となっているため、文典卿配下とて、不用意に話しかけることのないように」


 忠告を受け、再び頷く。その横で、殿下が人差し指と中指を揃え、クビの前をピッと横切る仕草をした。「情報を漏らせば首を切る」という脅しの動きに、私の視線が思わず吸い寄せられる。無言でこちらを見据える殿下の目に、「分かったか」と言われた気がして、私は慌てて頷いた。


「では、尋問室を出るとしよう。案内する。ここから先は喋らぬよう」


 クラウス様が立ち上がり、部屋を出る。私もその後を追いかけるが、殿下が少し前に出ると、顔をこちらに向けて首をクイッと動かす。先に行けという合図だと察し、慌てて立ち上がる。殿下の気配を背中に感じながら、私はクラウス様の後ろについた。


 建物を出ると、磨かれた白い大理石に太陽光が反射して、目が痛くなるほど眩しかった。床も外壁も、そして建物全体が白すぎる。反射光で視界が滲む中、私は歩みを止めないように気をつけながら、無言で足元に集中する。


 無言のまま歩みを進めると、目の前に別の建物が見えてきた。白い壁と光が作り出す眩しさが少し和らいだ。しかし、ほっとする間もなく、クラウス様は立ち止まることなく建物内に歩いていき、目の前の階段を振り返ることなく登り始める。私はそれに続き、殿下の気配を背中に感じながら足を運んだ。その先の渡り廊下を進み、そのまま円形の塔のような建物の螺旋階段を登って行く。螺旋階段を少し登ると、重厚な南京錠が三つも取り付けられた扉が目の前に現れる。クラウス様が一つずつ鍵を外し、ゆっくりと扉を開ける。その先には、窓もない質素な部屋が広がっていた。広いとは言い難いが、最低限の家具は揃っている。


「貴殿にはここでしばらく過ごしてもらう。食事もここで済ませてもらう。娯楽はないが、必要なものがあれば言うように」


 クラウス様が淡々と告げる。私は無言で頷いた。


「潜入にあたって、必要なものはなんだ? 可能なものはこちらで準備しよう」


 クラウス様が静かに問いかけてくる。少し考えた後、私は答えた。


「……雑役に見える服装を、お貸しいただけますか?」

「黒か紺のドレスにエプロンといったところか。問題ない。清掃用具も念の為用意しておこう」


 そのやり取りを聞いていた殿下が、靴を脱いでベッドに潜り込む。


「……完全なる不在では、不審がられても致し方ない。我はここで留守を預かる」


 殿下はそう言うと、頭からシーツを被って動かなくなった。


 クラウス様が持参した服と掃除道具を置くと、「では」と短く言い残し、部屋を出ていった。部屋には私と殿下だけが残された。


 着替えを始めようとしたが、ベッドに潜り込んだままの殿下が気になって動けない。シーツがぴくりとも動かないことを確認してから、ようやく手を伸ばす。だが、念のためにシーツを観察し続けた。動く気配はない。


(さすがに「着替えるから退室してください」なんて殿下に言えるわけないし……)


 仕方なく恐る恐るブラウスのボタンを外し始める。布地にはヴァリク様の血がこびりついており、すっかり乾いていて硬くなっている。それを目の当たりにすると胸が痛んだ。この服をいつまでも着ているわけにはいかないが、捨てるには忍びない。続いて履いていたスカートも脱いで、軽く畳む。

 脱いだブラウスとスカートを手にし、どこに隠そうかと周囲を見渡した。殿下が隠れているベッドの下なら、誰にも気づかれないだろう。慎重に床に這いつくばり、隙間に押し込むと、一つ深呼吸をする。


 次に、クラウス様が持参した質素なドレスを手に取る。汚れが目立たないようにか、足首までの丈のそれには、装飾はほとんどない。これを頭から被り、布地を整える。腕を通し、最後に腰にエプロンを巻くと、ようやく、よく居そうな「雑役係」の姿に仕上がった。


 さらに、頭巾を取り出して壁にかかっていた小さな鏡を見ながら被る。簡単に形を整え、きっちりと頭を覆うと、自分が本当に「掃除をするただの下働きの者」に見えるような気がしてきた。

 最後に殿下に渡されていた仮面を顔につける。どうなってしまうのかと少しの恐怖心が湧き上がったが、目をギュッと閉じて顔にそっと乗せる。すると、仮面の方からギュッと顔に張り付いてくるような感覚があり、それ以上に何かが起こることはなかった。そっと目を開けて顔を触ってみるが、薄皮が一枚張ったような感覚以外は特に気になるところはない。指で鼻をなぞると幾分か普段より低いことに気がつく。おそらく、今の自分の顔は、あのぼんやりとした印象のそばかすの少年の顔になっているのだろう。鏡を覗き込むと、眠たそうな目の、頬にそばかすの浮いた、素朴な印象の女の子がそこにいた。


「よし……」


 小さく声を出して自分を鼓舞し、心の中で覚悟を決めた。

 改めてもう一度ベッドを見る。殿下はシーツの中で微動だにしない。「あの」と声をかけ、殿下に財務卿の居場所を尋ねた。


「……財務卿は聖王国教会本部にはあまりおらぬ。財務局に引き篭もっていることが多い」


 殿下はシーツを被ったままで説明する。私は殿下のその言葉を聞き、頭の中で地図を思い浮かべた。とりあえず行ってみるだけでも、今日は良いのかもしれない。


「では、行ってまいります」


 幾分か気合の籠った声で殿下に告げると、殿下はシーツの中から手だけを出し、ひらひらと手を振って見送られた。


 部屋を出てゆっくり扉を閉めると、入り口に知らない聖騎士が立っていた。一瞬たじろいだが、聖騎士はなんでもないように

「清掃は済んだか?」

 と簡潔に尋ねてきた。

 慌てて軽く頭を下げ、急いでその場を後にした。


 足音を殺して建物を抜けると、あの眩しい光景が再び目に飛び込んできた。床も壁も建物も、どれもこれも白すぎる。光が目に痛い。


 私は顔を伏せ、まぶしさをやり過ごしながら財務局に向かう道を進んだ。殿下に聞いた話によれば、財務局は聖王国教会本部に隣接する建物だという。だが、本部の巨大さが災いして、距離は実際よりも遠く感じられる。


(これをまた戻らないといけないのか……)


 心の中で愚痴をこぼしつつ、足を前に進める。近づくほどに財務局の建物がはっきりと見えてきた。その佇まいは教会本部とは異なり、装飾は控えめで無機質な印象を与える。いかにも事務的な空間という雰囲気だ。

 建物の入口が目の前に迫ったところで、私は足を止めた。深呼吸をひとつ。慌てて入れば疑われるだけだ。気持ちを落ち着け、雑役係としての振る舞いを心に刻む。


「よし……」


 もう一度深呼吸してから建物に足を踏み入れる。聖王国教会本部の入口の聖騎士とは違う鎧の警備兵が、一瞬私を見たが、手元の道具を見て、特に咎める様子もなく視線を外した。どうやら問題なく潜入できたらしい。

 私は何事もなかったかのように歩き出し、廊下へと進む。モップを片手に持ち、視線を左右に走らせながら少しずつ足を進める。清掃をしているふりをしながら、どこまで入っても問題ないかを慎重に探る。

 廊下は静かだ。耳を澄ませても、人の声や物音はほとんど聞こえない。だが、それがかえって緊張感を高める。誰かが現れたらどうするべきか、頭の中で言い訳を考えながら歩を進める。


「とりあえず、奥まで行けるだけ行こう……」


 小さく息を吐き、もう一度モップを握り直して廊下の奥へと進んだ。

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