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029.我の誇りは我の命より尊い

 私は、目の前で起こっている光景をただ呆然と見ていた。

 第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアが、何の前触れもなく、可愛らしい侍女に変身してしまったのだ。今や私はただ椅子に縛られたまま、口をあんぐりと開けて固まっている。


 まさか、あの威厳に満ちた殿下が、こんなにも突然、可愛らしい侍女の姿に変わるなんて……その変化は恐ろしいほど自然で、私の理解を遥かに超えていた。彼がまるで、何事もなかったかのように、私の前で顔も声も変えた上で侍女の仕草を完璧にこなす様子に、ただただ目を見開いたまま、動けないでいる。


「……ククク……アハハハハハ!」


 殿下は目の前で高笑いを上げた。その笑い声には、どこか楽しげな響きがあったが、私にとってはその笑顔が不気味に感じられた。


「……我が悪戯を真正面から仕掛けられる者などそういない……あー、非常に有意義であった。貴様のその顔であと十年は笑える」


 そう言って、殿下はにこやかな笑顔を見せながら、私を見下ろした。その言葉に、私は動けずにただただ言葉を飲み込んでいた。今はただ、冷静さを保とうと必死だった。

 殿下は手慣れた様子で、私が縛られていた椅子の縄を解き解放してくれた。そして、そのまま、聖騎士の姿の時に座っていた椅子に、侍女らしい所作で座り直す。まるで何事もなかったかのように、まったく無理なくその姿に馴染んでしまう。


「……で、貴様にはしばらく罪人ごっこをしてもらうことになるのだが……」


 殿下はちょこんと椅子に腰かける侍女の恰好のまま、真面目な顔をしながら私に告げる。


「ただ遊ばせておくのは性に合わん。で、あるから……ひとまず、ここまでの経緯と、貴様が知ることを全て吐け」


 その言葉に、私は内心で一瞬、驚愕した。そのふざけたような姿のまま言うものだから、お遊びのように感じられたが、これがどうしても私にとっては単なる冗談に思えなかった。だが、実際にその目は真剣そのもので、私は冷や汗をかきながら、言われた通りに答えることを考え始める。


「はぁ……」


 思わず息を吐き出すと、私は自分の口をひとまず閉じ、心の中で整理をつけ始めた。ヴァリク様の取材を思いついた経緯から、聖王国教会本部への道順、取材メモの中身、ヴァリク様の買い物の内容……本当に何もかもを、洗いざらい話すように言われてしまった。


 その途中、私はつい、「この話は役に立たないと思うんですが」と言葉を挟んだ。だが、殿下の目が鋭くなると、その答えは一瞬で返された。


「……役に立つか役に立たないかは、我が決めることだ。貴様如きが何を勝手な判断をしている」

「ヒッ! ……も、申し、申し訳ござい……ませ……!」


 その声には、今まで感じたことのないような凄みがあった。まるで命を奪われるかのような重圧が私を押しつぶす。私はガクガクと震えながら、必死で洗いざらい全てを説明することに注力する。

 ヴァリク様が言っていたこと、ライラが言っていたこと、目の前で見たこと。

 私は無意識のうちに、過去に得た情報を一つ一つ吐き出していく。息を詰めながら、出てくる言葉を一つ一つ組み立てていく。私の目の前で殿下は、冷静にそれを聞きながら、時折「ふーん……」と呟いた。


「物事を動かしたという意味では、手を回して英雄の元に送り込んだ聖騎士も役に立ったではないか。本来は、何かしらの魔術実験に関する情報を持ち帰らないかと期待したのだが……まあよい」


 殿下のその言葉には、少しばかりの期待外れがにじんでいたようだ。しかし、次に彼が言った言葉は、私を再び震えさせるものだった。


「それよりだ、貴様、記者であるな?」


 その問いかけに、私はひどく動揺し、少し間を取ってから答える。


「え、は、はい。そうですが……」


「では、英雄ヴァリクとやらの居場所を探ってこい。潜入取材というやつだ。特に軍防卿、財務卿はこの件に関わっている可能性が濃厚であるから、そこを探れ。貴様の顔を知る可能性が高い律法卿を調べる際は、慎重に事を運べ」


 その指示に、私は一瞬息を呑んだ。


「あ、あの……見つかったら大変なことになるのでは?」


 と恐る恐る尋ねる。


「それは当然。見つからねば良いだけのこと」


 殿下はまるで気にすることもなく、そう言い放った。

 見つかってしまったら何罪になるのか、すぐには考えはまとまらない。しかし、国の中枢を担う存在に対する不敬、聖王国教会に対する侮辱に該当するのではないだろうか。本当に問題ないのだろうか。どうにか、潜入取材を回避する手段はないだろうか。

 恐怖のあまり視線を右往左往させるが、何もない床を映すばかりで、そこには何の答えも落ちてはいない。ふと顔を上げると、殿下の視線が鋭く私に向けられていた。

 私が再び小さく息を呑むと、彼の目が私を貫くように見ていた。そして殿下は、ただ一言放った。


「我の誇り(プライド)は我の命より尊い。この意味が分かるか?」


 その言葉が放たれると同時に、私は硬直した。無意識に首を横に振り、顔を背けることさえできなかった。


「わ、分かりませ……」


 震える声で答えたが、心の中では恐怖が渦巻いていた。ただ、今断ってはいけないのだろうという重圧が、私の胸に重くのしかかっていた。

 すると、殿下は立ち上がりそのまま私に近づき、私の胸倉を掴むと、冷徹な目で私を見下ろした。私は眼前の、美しく恐ろしいその眼光に、一瞬息を呑んだ。


「……我が出来ると踏んだ手駒が、それを確かめる前に断ろうと思う等、万死に値する」


 その声がまるで低い雷鳴のように私の耳に響いた。この人は心の声が読めるのだろうか。それとも、私が顔に出すぎているのだろうか。一瞬、断る手段がないかと考えを巡らせたことが、筒抜けになっていたのだ。彼の言葉の中に込められた威圧感と冷徹さが、私の背筋を凍らせる。


「……我は継承権第二位とはいえ、王の血筋である。断ってみよ。法を変えようとも、我の命を天秤にかけることになろうとも、貴様の存在諸共、叩き切ってくれる」


 私は瞬時に冷たい汗が背中を流れるのを感じた。

 その脅しが現実となったとき、私の体は無意識に震えた。力強く胸倉を掴まれ、どうすることもできない。この恐怖が、私を動かすことができないのだと痛感させられる。


「や、やります! やらせていただきます! 全力でやらせていただきます!」


 私は心から震えていた。声も手も震え、体の力が抜けるように、ただ彼の言葉に従うしかないと、涙が出そうなほどの切迫感で答えた。

 その言葉を口にした瞬間、殿下は冷笑を浮かべ、私から手を離した。まるで何もなかったかのように、彼は冷徹な顔をして、静かに言った。


「ならばよい」


 彼のその一言に、私は再び息をつくことができた。だが、同時にその恐怖が体に残り、再び冷や汗が背中を流れるのを感じる。


「貴様にこれを貸し与える」


 彼は再び手を動かし、侍女服のスカートの下から何かを取り出すと、それを私に渡した。


「……先ほど我がここに来た時の顔になれるものだが、装着者が異なれば若干の違いが出る」


 その仮面は、全体に魔術式が書き込まれた、そばかすが浮いたぼんやりとした印象の少年の顔だった。眠るように目を閉じ、ここだけ切り取れば今にも起きてきそうなほどの、まるで今も生きているような錯覚を覚えてしまう仮面だ。しかし、私の手に渡されたそれは、触れるだけで冷たい感触を伝えてきた。


「は、はい、やらせていただきます……!」


 その仮面を手に取る私の指は、まだ震えていた。内心ではどうしてこんなことに……と冷や汗を流しながらも、私はその仮面を万が一にでも落とすことのないよう、しっかりと握りしめた。

 再び、恐怖が心の中に満ちていく。だが、今はただ与えられた命令に従うしかなかった。第二王子の思惑、そしてこれから自分が果たさなければならない役割に、どこかで諦めを感じつつも、私は無意識に潜入取材のための算段を頭の中で練り始めていた。

 そして、頭の片隅で、こんなことなら律法卿に尋問されていた方が安全だったのではと、顔に出さないように慎重に、思うのであった。

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