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028.王とスナッピー

 私の兄上、農地卿(のうちきょう)アティカス・ヴァレンフォードはゆっくりと頷きながら、ユアンの話に深く考え込む様子を見せた。しばらく静寂が続き、その間、私とユアンは彼の反応を静かに待つことにした。彼の顔にはいつも通りの真剣な表情が浮かんでおり、その瞳の奥には何かを探し求めるような深さがある。

 兄上が何を言い出すのか、次の言葉が気になる。


「兄上はこの件、どのように思いますか? 私としては、ユアンの語る事は正しいように思うのですが」


 私が問いかけると、兄上は何度か深く頷いた。そして、私を一瞥し、ふと口を開いた。


「吾輩もユアンの言葉を信じよう」


 彼は静かながら、確信に満ちた口調でそう言い放った。私は軽く顎を引き、話を続ける。


「今お見せした通り、ユアンは私が知らない精霊術なるものを使っております。兄上は精霊術というものを存じておりましたか? 外に国があることを、存じておりましたか?」


 私はふと、先程までの光景を思い出していた。

 ユアンが目の前で繰り広げた大道芸のような精霊術の数々。炎を自在に操り、まるで空に舞う星々を手のひらで作り出すような鮮やかな技に、私は心を奪われた。それを見た兄上も、無意識のうちに声を上げていた。

「おおー」と兄上と私は同時に感嘆の声を漏らした。その炎が空中でくるくると踊り、まるで空を切り裂くような勢いで飛んだ後に空中に溶けるように消えた瞬間、思わず兄上と顔を見合わせたのだった。


 兄上は急に声を張り上げて言った。


「知らぬ!」


 その反応に、私は思わず笑ってしまうが、ユアンはその勢いに引き込まれ、真剣な表情で兄上の顔を見つめた。

 少し肩をすくめて、兄上は深く息を吸い込みながら再度口を開いた。


「精霊術に関しては分からぬが……正直なところ、他に外に国がある気はしていた。やっと腹落ちしたというか、理解が進んだと言うべきか。だが、理由は長くなるぞ。端的に言えば……」


 兄上はそこで一度大きく息を吐き、深いため息をつくと、何かを覚悟したかのように言葉を続けた。


「農業がしんどすぎるからであるな!」


 その言葉に、私は驚きの表情を隠せなかった。まさか、ユアンの精霊術と関係があると思っていた話の中で、兄上が農業の話を持ち出すとは思わなかったからだ。だが、兄上の顔は真剣そのもので、どうやらこれは本当に重要な問題であることを感じ取った。


「……最近、スナッピーとかいう、莢に入った豆が、害虫と寒冷でやられてしまったのだ」


 兄上は急に熱を込めて続ける。その顔には悔しさと怒りが入り混じっており、拳を強く握りしめた。


「畑一面分である! これだけあれば、我が国のどれだけの食卓に色どりを添えられたことかっ……!」


 その言葉を聞いた瞬間、私は思わず兄上を見つめ、彼の感情に共感せずにはいられなかった。自分の国の未来を託された兄上が、その重責に耐えながら、何もできずにいる現実。それがどれほど辛いことか、弟である私には痛いほど伝わってきた。

 兄上は拳を震わせながら、怒りの言葉を続けた。


「しかも! 今日、知らせが入った。キャベツも……遠方の畑の二面すべてが虫に喰いつくされてしまったのだ! 芋虫を見落とした農夫を責めることはできぬっ……! 我が国の、貴重な、吾輩の大事な農夫を……どうして責めることができようかっ……!」


 その声はどこまでも力強く、そして哀しみに満ちていた。兄上はその場に立ち上がり、両拳を力強く振り上げた。彼の背中には怒涛のようなエネルギーが宿り、悲しみと怒りが入り混じった感情が一気に爆発するかのような迫力を放っていた。


「だが、王は何もしないっ! 日々の食卓の平穏を守る吾輩、農地卿アティカス・ヴァレンフォードが、北の森の一部を切り開いて農地に転用すべきと進言しても、是と言わぬ! 吾輩の両肩には聖王国民、四十万の命が掛かっていると言っても過言ではないというのにっ!」


 その言葉を聞いた瞬間、私はつい立ち上がって拍手をしてしまった。兄上の言葉に込められた熱意と正当性に、私は心から賛同せずにはいられなかった。

 私の隣にいるユアンはというと、目を白黒させていた。顔に笑顔を浮かべているのに、怯えたように指先が微かに震えている。ふむ、何故(なにゆえ)か?

 ややあって、兄上は少し沈黙した後、ようやく拳を下ろし、深い息をついて座り直した。彼の顔には一抹の落ち着きが戻り、少し疲れた様子が伺えた。


「……吾輩はいつも思うのだ」


 彼はしばらく黙ってから再び口を開いた。


「吾輩の農夫たちの悲しそうな顔を見る度に。土に汚れたその手で、吾輩になんと詫びようかと考えながら、芋虫共を一匹一匹取り除くその姿を見る度に。ちょっと寒いだけで、簡単に枯れてしまったスナッピーを見る度に」


 兄上はそこでまた拳を強く握りしめ、再度力を込めて言葉を放った。


「神が本当に正しく王を選んだのであれば、八卿の中で一番しんどすぎる吾輩を、真っ先に手助けするであろうと! ……あと、寒いだけでこんなにもすぐ枯れるスナッピーが、吾輩の知る聖王都内の原産というのは、無理があるではないかとっ!」


 その言葉を吐き出した後、兄上はようやく静まり返り、目を閉じて深い息をついた。


「……で、あるからして、吾輩はめちゃめちゃ王が嫌いになったのだ。無論、スナッピーもだ」


 理不尽な理由で王とスナッピーを嫌いになった兄上は、改めて腕を組んでぶつぶつと言葉を続けた。


「……王は収穫量の変動で、価格が上がるとすぐに文句を言ってくる。普段労うくらいのことがあれば、多少好きになることもあったかもしれぬが、平時と判断した時には何も言わぬ。その平時を保つために、吾輩がどれだけ苦心しているかも知ろうとは思わぬのであろう」


 その言葉に、ユアンはぽかんとした表情で兄上を見ていた。

 兄上は愚痴を続けながら、ふと顔を上げ、さらに言った。


「……八卿も、ほとんど協力関係などなく、それぞれの管轄内での出来事を秘匿しようとする傾向が強い。吾輩がこんなに苦労していることを誰も知らぬ。財務卿は価格変動の時だけ口煩いし、築造卿は水路工事の依頼をしても二年後等と平気で抜かす。文典卿はなんか偉そうだし、典籍卿なんてろくに会議に出ないものだから顔も忘れた。律法卿は……」


 とても長い愚痴になる予感がして、私は慌ててそれを止める。


「とりあえず、ユアンの方の『アストラル帝国』の件は今後、時間をかけて確認と協力をしていくとして……目下の問題、ヴァリク様とダリオン殿に関して、この件の当事者であるライラ殿を追加して、会話をいたしませんか?」

「うむ、そうするか」


 兄上は腹から声を出すように答えた。


「おい! 誰かおらぬか! ライラを連れて来るのだ!」


 兄上の声量で部屋中の家具が、僅かにビリビリと震える。

 ふと隣を見ると、兄上の声量に驚いたらしいユアンが、耳を塞いで目をぱちくりと瞬いていた。

 しばらくして、侍女に連れられてライラ殿がやってくる。彼女は私たちが貸し出した服の袖を握りしめ、無表情ながらも目をきょろきょろと泳がせている。


「ライラ殿、お待たせして申し訳ない。昨日の一件について、改めて話をいたしませんか?」


 と、私は静かに声をかけた。

 ライラはこくんと頷き、私の言葉に応じた。


「……わたし、馬鹿だからあんま分かんないと思う。でも、ヘンリーが良い奴なのは分かった。だから、知ってることは全部話す。パパ様のためにも」


 ライラ殿は、緊張したように唇を噛み締めていた。

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