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027.違和感

「……では、ヴァリク様がこれまで戦わされていた相手は、人間だったのか?」


 私がユアンに問いかけると、ユアンは少し不思議そうな顔をして、立ったまま腕を組んだ。


「……人間と戦っていては、問題があるんすか?」


 その言葉が、私の胸に引っかかる。瞬時に顔が強張り、言葉が出てこない。どう答えればいいのか分からなかった。自分の中で、まだ言葉を整理しきれていないのだ。


「い、いや……」


 私はすぐに言葉を紡ごうとしたが、うまくいかない。喉が渇いてきたのか、口の中が妙に乾く。

 どうしてこんなにも言葉が出てこないのか。答えたくないのか、それとも答えがないのか――そんな思いが頭をぐるぐると巡る。

 私は少し言葉を切って、深く息を吐く。ユアンはじっと私の顔を見つめている。


「これは、私たちだけの感覚なのかもしれないが……人同士で争い、殺し合うという発想が、なかった」


 その言葉が漏れると、胸の奥が冷たくなるような気がした。


「だから今、とてつもなく恐怖している」


 その言葉をユアンに伝えると、ユアンは黙って私の顔を見たまま、少し考え込んだように見える。その間、私は何も言えなかった。静寂が部屋を支配する。私の胸の中で、ただ重い思いが渦巻いているのが分かる。


 ──ユアンはその言葉を受け、思った。

 この国は、隣国が存在することすら知らなかった……もしくは、国民には知らされていなかったんだ。国を出たところにあるのは、言葉もろくに通じない魔獣の国とされていたらしい。人間同士の領土争いなど、これまで誰も身近に存在する可能性を想像したことはなかったんだろう、と。


 私は、ユアンの返事を待たず。言葉を続ける。


「……それに、どうにも違和感があるのだ」


 私はうっすらと顔をしかめ、思わずつぶやいた。


「ヴァリク様は、このことを承知されているのか……?」


 その問いかけには、理由もなく湧いてきた直感があった。なぜだろうか、ヴァリク様がこの状況をどう受け止めているのか、という疑問が心の中で膨れ上がっていた。私自身も、その感覚に戸惑っているのだが、どうしてもその違和感が拭い去れない。

 ユアンは少し考えた後、肩をすくめ、無造作に答えた。


「んー、オレはヴァリク様は承知されてるもんだと思ってたっすけど」


 意外な見解に、私はユアンの顔を見つめる。


「だって、ヴァリク様はこの国の出身じゃないっぽいですし、大丈夫なんじゃないすか。……おそらくは、もっと北方の……『ノルヴァル王国』の出身だと思ってるっす」


 ユアンはソファに座り直して茶菓子を一つ口に放り込んでから、指を立て、私に向かって説明を始めた。


「まず、仕草っすよ。上体を倒して挨拶や謝罪をするのは、もっと雪深い北方中心の文化。服を大量に着込んだ状態では、外にいるときに頭を少し下げるだけでは伝わりにくいんすよ。だから、遠くからでも視認しやすく、縮こまったままでも可能な仕草になったって学んでるっす」


 ユアンは説明を続ける。


「あと、オレがロベリアさんの取材に同席した時に口を滑らせてた……『騎士の家の出』という出生。これも、帝国周辺では馴染みの無い言葉。帝国では、帝王直轄部隊である騎士は男爵以上の特権階級の職業とされてるっす。帝国の周辺も似たような階級制度。平民やその他は、騎士ではなく兵士に割り振られる。……だから、ヴァリク様の話には、オレは少し違和感があったっす」


 ユアンはさらに茶菓子を一つ摘まみ上げ、口に放り込んだ。そして天井を見上げながら首をひねる。


「……聖騎士が単なる『職業の名称』であるこの国では、『騎士の家の出』なんて言い方にはならないはず。隣の帝国やその周辺の出身であるなら、騎士の家の前に、男爵や子爵なんかの、貴族階級であることを言いそうなのに、そうすることもしなかった。……これは、騎士爵を置いている国の出であることを示唆しているのかと思ったっす」


 ユアンは一息ついて、また少し考えるように目を細めて言った。


「……それで、騎士爵自体は北方以外の国にもあるけど、ヴァリク様の仕草のことを踏まえると北方に限られてくる。そして、北方で騎士爵制度を採用しているのは……北の果て、『北海(ほっかい)の番人』として名高い、ノルヴァル王国……ってことかなって思ったっす」


 ユアンは一息ついて、再びお菓子をつまみながら、リラックスした様子で話を締めくくった。

 私は少し黙ってその内容を噛みしめた。ユアンが提供してくれた情報は、どれも的確で、まるでひとつのパズルのピースがぴったりと嵌まるような感覚だった。ヴァリク様が北方の出身である可能性、そしてその文化背景についての説明は――そもそも北海(ほっかい)の番人も、ノルヴァル王国も、仕草の件も何もかもが初見の私ですら説得可能な、整理された、理路整然としたものだった。

 ユアンの言っていることには、明確な根拠があるように思える。そして、私が知っているヴァリク様の姿も、少しずつそのイメージと重なってきた。


 ――私の頭の中で、いくつかの事実が結びつく。


 私は立ち上がり、緊張した顔でユアンの隣に座り直す。普段ならあんなにリラックスしているユアンに、今はどうしても言わなければならないことがあって、身体が自然と動いていた。


「な、なんすか?」


 ユアンは少し驚いた顔で、こちらを見た。

 私はその肩にバンと力強く手を置き、真剣に目を見つめながら言った。


「ユアン……お前……」


 ユアンは息をのんだ。目を大きく見開き、少し硬直したように見える。その顔に、一瞬の驚きと不安が浮かんでいた。


「……めちゃめちゃかっこいいではないか! まるで推理小説の主人公だ!」


 私が今言わねばと思ったその言葉に、ユアンは耐えきれず、腹を抱えて笑い出した。私はユアンの表情を見て、少し幸せな気持ちになった。




 その時、私の部屋のドアが思い切り拳でノックされた。それと同時に「我が弟、ヘンリーよ!」と兄上の声がする。

 ドアを開けると、一番上の兄上──農地卿アティカス・ヴァレンフォードが威風堂々とした雰囲気で立っていた。

 小麦色に焼けた肌、日光で痛んで毛先の色素が抜けた金に近い茶髪。本来はさらさらのはずの長めのその髪を一つにくくっている大きな体躯の兄上。二十歳年上の彼は、堂々とした姿勢で立っていた。


「我が愛しの弟よ! 戻ったぞ!」


 と兄上が両腕を広げて近寄ってくるのを、私は胸に手を置き、兄の前に立って出迎える。


「おかえりなさい、兄上!」


 と答えると、兄上は私をぎゅっと抱きしめてきた。その力はとてつもなく強い。強すぎる。苦しい。肺から強制的に空気が追い出されていく。ギリギリと肋骨が締め上げられ、骨が軋む音がする。


「……兄上、このままでは私は死にます」


 兄上の背中をポンポンと手で叩くと、兄上はパッと離し、笑い声を上げた。


「がははははは! 記録は四十六秒! 三秒も伸びよった!」


 ユアンは居住まいを正し、ソファから立ち上がった。その仕草は、まるで何か大きな決意を抱えているかのように見えた。彼は真剣な面持ちで私に視線を向けると、きちんとした姿勢で、騎士の礼を取った。


「ユアンと申します。この度は我が身をお助け頂き、ありがとうございました」


 その言葉には、いつもの軽い調子はなく、重みが感じられた。

 ユアンは礼を取ると、私の目を一瞬だけ見つめてから、再び兄上の方へ視線を向ける。彼の視線には、少し不安そうなものが浮かんでいた。まるで、私がユアンの身の上についてどう采配するのか、答えを待っているような表情だった。

 私はしばらくユアンを見つめた後、にっこりと笑顔を向けた。そして、力強く頷いてから、兄上に視線を戻す。


「兄上、ユアンにもライラ殿の件、一枚噛んでいただけることになりました」


 私の言葉に、兄上は私の顔をしげしげと眺める。私は言葉を続けた。


「……そして、その件と関係するか分かりませんが、ユアンの身の上についても、この国の抱える大問題についても、アティカス兄上のお耳に入れたく。……問題ございませんか?」


 私は穏やかな口調で、少しだけ顔を真剣にして尋ねた。

 兄上は少し考え込んだ後、しばらく無言で私とユアンを交互に見つめてから、にこやかな笑顔を浮かべて言った。


「問題ない! ……なんだ、ヘンリーよ。妙にうれしそうではないか。王城に大岩でも叩き込んでくれる御仁だとでも言うのか?」


 その言葉に、ユアンは驚いたように目を見開き、思わずといった様子で私を振り返った。彼はその言葉にどこか困惑しているようで、少し硬直している。

 私はそのユアンの反応を見ながら、少し笑みをこぼす。


「ふふふ、このように、我が家は……というか、主にアティカス兄上は、大の王族嫌いであります。たとえこれからやろうとすることが敵対行為であろうとも、問題ないのです。我が家としては、王族とすでに敵対状態にありますので」


 ユアンは少し考えた後、再び兄上の方に視線を向け、何かを決めたように軽く頷いた。そして、兄上に向かって言葉を続けた。


「私がこの国に来た理由を、お伝えいたします」


 ユアンの言葉は、少し真剣なものが含まれていて、その決意が伝わってきた。

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