025.ユアンの正体
「……以上が、私が目撃し、ヴァリク様から聞いた話となります」
私――ヘンリーはそう締めくくり、ゆっくりと椅子に体を預けた。自分で話しておいて何だが、こうも一気に口にすると喉が渇く。編集長殿兼、典籍卿――本名はトムフォード・グレインハーストとのこと――は「なるほどな」と低く唸りながら、難しい顔をして腕を組んでいる。その横で、エドガー殿は何かを考え込んでいるように見えた。
だが次の瞬間、エドガー殿は突然机に頭を叩きつけた。大きな音に私は思わず背筋を伸ばす。
「くそおお! こんな話、聞くんじゃなかった!」
彼は頭を掻きむしりながら立ち上がり、部屋をぐるぐると歩き回り始めた。彼の荒れた息遣いが静まり返った部屋に響く。
「最悪だああああ! この貴族どもめがあああ! 巻き込みやがってええ!」
その怒声に、つい身が縮こまる。これ以上怒らせるのは得策ではないと思い、私は両手を前に差し出して謝罪した。
「あなた方を巻き込むことになってしまい、大変申し訳ない! ですが、私もこの状況をなんとかしたいと――」
「あー、気にするな。こいつ、いつもこんなんだから」
典籍卿が静かに口を挟む。エドガー殿を眺めながら「こいつ、頭使ってカリカリしてる時粗暴になるんだよ」と言った。その言葉に、私は少し肩の力を抜くことができた。
エドガー殿は、典籍卿に何かを言い返そうとしたのか、ごにょごにょと何かを口籠っていたが、突然踵を返し「誰か巻き込んでくる!」と一声上げて、防音室を勢い良く飛び出していった。防音室の重い扉は再びゆっくりと閉まり、この部屋に静寂がやってくる。
私には、何故かそのエドガー殿の背中が妙に頼もしく見えた。こう、なんというか……そう、端的に言うならば――。
「プロの記者っぽい!」
と思わず感嘆の声を上げると、典籍卿が「はぁ?」と気の抜けた声をあげた。ふむ? 仕事の為に頭を掻きむしるほど悩むというのは、プロっぽいと思ったのだが。
典籍卿は咳払いを一つすると話始める。
「……この件、他に知る者はいるのか?」
そう尋ねられた私は、にっこりと笑顔を典籍卿に向け答える。
「私の兄上……というか、我が屋敷の皆は承知済みです」
私が答えた次の瞬間、典籍卿が椅子からずり落ちる音が聞こえた。彼は床から立ち上がりながら、目を丸くして私を見つめる。
「おいおい……農地卿の立場を考えたら、普通巻き込むのに勇気がいる案件だと思うんだが、なんでもうそこまで先回りしてんだぁ? 農地卿も、なんでもう了承までしてんだ。お家そのものが傾く可能性もある話だぞ」
典籍卿にそう非難されると、私は胸を張って自信満々に答えた。
「私は愛されておりますので」
――その言葉に、トムフォードは一瞬絶句し、心の中で思った。農地卿の弟、やばいやつなのでは、と。
「……しかし、そのおかげで、この件の重要参考人であるライラ殿を、我が屋敷で匿うことができております。取材なら可能です」
私のその言葉に、典籍卿の目が一瞬輝いた。しかし、すぐにこう付け加える。
「しかし、映写魔法での証拠収集は難しいでしょう。我が家の侍女に確認させましたが、ライラ殿の身体には見てわかる魔術式の痕跡がありませんでした。他の仲間なら、表面に証拠となる魔術式の痕跡がある者もいるようなのですが……ライラ殿は、ダリオン殿の仇討ちのために六年間一人で行動していたらしく、他の仲間が今どこで何をしているのか、よく分かっていないようなのです」
私の言葉に、典籍卿は深く考え込むように俯いた。
「ライラ殿は白い髪や細い身体等、身体的特徴が多く街中ではある程度目立つことでしょう。誰が関係者なのか全く分からない状況では、ライラ殿を移動させてここまで連れてくるのは非常に危険です。私も、今日以降何度も新聞社に出入りすることがあれば、間違いなく目を付けられると思っております。ですので、本日を最後に、しばらくはここへは来ないつもりでおります」
その場の空気が重くなる中、ドアが開かれ、エドガー殿が一人の女性の首に腕を回し、ずるずる引き摺るようにして連れて戻ってきた。金の長い髪にロングスカートの彼女は、明るい笑顔を浮かべ興味津々に私を眺めている。
「巻き込んでおいた。同じく記者のリリィだ」
「あらあらぁ、忙しいのに連れて来られちゃったぁ。リリィ・マクダウェルです。災害とか事故とかの記事の担当でーす」
彼女はエドガー殿にヘッドロックをされたまま小さく手を振り、私に挨拶をする。
彼女に改めて今の状況を説明するが、彼女はエドガー殿とは異なり「あらあら」「まあ!」と時々返事をするだけで、室内をぐるぐる歩き回るようなことはしなかった。うむ、これはこれでプロの記者っぽい!
そしてすべて話し終えると、何度か頷いたリリィ殿は状況を瞬時に理解したようだった。そして、柔らかい笑みを浮かべながら提案する。
「じゃあ、別地点に向かって落ち合えばいいんじゃないかしら? 北の森に近い集落で落ち合いましょうよ。丁度取材で行こうと思っていたのよねぇ。私が行く分には、違和感ないでしょう? ヘンリーさんも、有閑貴族がお出かけしている風に見えるんじゃないかしらぁ。……あっ、ついでに皆でピクニックしましょう!」
「なんと……ピクニック!」
私はその楽しそうな提案に、ぐっと拳を握って返事をした。
そのリリィ殿の返事に、典籍卿は「おい」と突っ込み、エドガー殿はブッと飲んでいた茶を噴き出した。
生きているのか一瞬悩んでしまうほどに表情の変わらないライラ殿が、この明るいお姉さんといった雰囲気のリリィ殿に関わり、ある程度元気になったり明るさを取り戻したりしてくれれば、それは非常に良いことなのではと心の中で結論を出した。
「典籍卿、お手数ですがご準備の程……よろしくお願いします!」
私は勢いよくそう口にして、典籍卿の手を握って上下にブンブンと動かした。
すると、私のその言葉に「え? ええ?」とリリィ殿が目を見開き、戸惑った声を上げる。その反応に、私は思わず首を傾げた。
「このジジイ……実は記者が副業で、本業は典籍卿。本名もトムフォード・グレインハーストなんだとよ」
エドガー殿が混乱する彼女に補足する。
「そんなわけないでしょ~!」
と言って笑うリリィ殿だったが、典籍卿の気まずそうな顔を見て、その笑いを少し引きつらせた。ぱちくりと何度か瞬いたリリィ殿は、真剣な顔になってから典籍卿にいくらか緊張を含んだ声色で質問した。
「……玉の輿っていけますか?」
真剣な顔で尋ねるリリィ殿に、典籍卿が額に手を置いて言葉を返す。
「馬鹿か! 結婚しとるし嫁も生きとるし、三十の娘もおるわ!」
――この時エドガーは「編集長の娘、三十なんだ」と思い、自分の非常に小さい記憶領域に、必死になってこのことを書きこんでいた。
◆
屋敷の扉を開けると、冷たい外気から一転して、暖かな空気が体を包み込んだ。玄関の奥から足音が近づいてくる。顔を見せたのはユアンだった。彼は薄手のシャツの袖を軽くまくりながら、こちらに声をかける。
「おかえりっす、外寒かったっすか?」
「ああ。だが、この暖かさで一気に解けそうだ」
私は軽く笑って返した。
「そりゃあよかった」
とユアンは気楽な口調でそう言い、私と並ぶように歩き始める。
何でもない会話を交わしながら、私たちは廊下を抜け、自室へと向かう。部屋に入ると、既に整えられたデスクとソファが目に入り、やはりこの場所が一番落ち着くと改めて思った。
ソファに腰掛けるユアンに続くように、侍女が軽やかな足音で部屋に入ってきた。手にしたトレーには、湯気の立つ紅茶と焼き菓子が乗っている。
「どうぞ、お疲れさまでございます」
侍女がテーブルにそれを置きながら、丁寧に一礼する。
「ありがとう」
私は軽く頷いた。
侍女が再び一礼して部屋を出ていくと、静寂が戻った。ユアンは相変わらずソファに身を沈めているが、その目はぼんやりと天井を見つめている。
私はデスクの椅子に腰を下ろし、手元にある書類を軽く整理しながら彼に向かって、新聞社での出来事を説明した。
「なるほどっすね……で、それで?」
説明し終えると、ユアンがぽつりと尋ねる。その問いに、私は勢いよく話し始めた。
「だから、ユアンも当然私と一緒に――」
「んと……まぁ、別にやぶさかではないっすけど……協力して、その結果何かが起こるとして、それで何をしたいんすか?」
彼が私の言葉を遮る。その一言に、私は言葉を失った。何をしたいか? そんなこと、考えたこともなかった。
「……何も考えていなかった。ただ、私が知る人々が幸せそうな顔で笑っていてほしい。それだけだ」
そう語る私の胸には確かな思いがあった。にっこりとほほ笑んで言葉を続ける。
「もし私が死んで心から笑う者がいるなら、そのために死んでもいい気さえしているのだ。私は、私が好きな人の悲しい顔を見るのが、ともかく嫌いだ」
足を組みかえ、腕を組んで天井を見上げ、さらに考え込んでみる。
「……私の振る舞いに、大体の人が驚く。だが、その後はたいてい笑っている。私は、そうやって剽軽なことをして、人を笑わせたり驚かせたりするのが、好きなだけかもしれない。私は、私が好きな人と好きな人が、全員知り合いで笑いあっていたら、とても幸せなのにと思ってしまうのだ」
ユアンに視線を戻し、結論を述べた。
「……であるから、私は、ヴァリク様がそこから零れてしまうのが嫌なだけなのだ」
自分が思っていることを伝えると、ユアンはしばらく私を見つめていたが、やがて吹き出した。
「わはははは! ……まーいっか。もしヤバくなったら、この件は抜けさせてもらうっす」
彼の言葉が軽い調子に戻り、私はほっとした。彼はソファから立ち上がって何度か伸びをする。
「だったら、こちらの事情を開示しておいた方が、動きやすいような気がしたんで、明かすことにしたっす。……応えたまえ、応えたまえ、炎の精霊。姿を現せ」
次の瞬間、何事かを唱えたユアンの手のひらの上に炎が生み出された。そして、ユアンは先ほどより真剣な声色で私に言い放った。
「……オレは、この半島の調査のために来た。竜の峰の先、『精霊に見捨てられし地』の調査に派遣された、アストラル帝国の調査員っす」
その告白に、私はただ目を見開くしかなかった。




