024.贈り物
※生々しい拷問・グロテスク描写注意。
苦手な方は◆までスキップ推奨。
あとがき部分に◆の前の部分の要約をポップな感じに記載しています。
目を開けると、俺の白い前髪が最初に見えた。
俺は何度目かの深い呼吸を繰り返す。だが、どれだけ深呼吸をしたところで、ここから逃げられるわけではない。真っ白な部屋。無機質な光に照らされているその空間には、俺の声や息遣いさえも吸い込まれていくような静けさが漂っている。
俺の体は、冷たい金属製の台にうつ伏せで固定されていた。手足は四隅に鎖で繋がれて動かない。上半身は裸にされていて、無防備すぎる自分の状態がひどく心もとなかった。体温が奪われていく感覚がじわじわと襲いかかるが、恐怖のせいで震えているのを認めたくなくて歯を食いしばった。
目の前には、何らかの器具と器具が当たる音を立て、準備を進める金髪の女性がいる──エリザベスだ。彼女は白衣を纏い、俺のことなど目にも入っていないような態度で、かちゃかちゃと音を立てながら作業を進めている。その傍ら、俺の顔のすぐ近くに置かれた火がゆらゆらと揺れていた。その熱と光だけで、俺の鼓動はさらに早くなる。
「……こうしていると少し懐かしいわね……ヴァリク」
ふいにエリザベスが口を開いた。俺の方を見もせず、ただ作業に集中したまま淡々と話し始める。
「……最初の頃はね、魔術式を書き込む方法に本当に難儀したのよ。インクを浸した針で刺して刻んだ子供は、何の魔術も発現できていなかったわ。おそらく、皮膚の中でインクが滲んでいたからなのでしょうね。その後、食事をしていて、肉を見て思いついたわ。……焼けば良いって」
その声はまるで旧友に思い出話を語るように親しげな言い回しだったが、俺にとっては冷や汗を増幅させるだけのものだった。目の前で揺れる火に視線を落としながら、俺は必死に息を整える。
「最初の個体はそれなりだったわ。でも、すぐに死んでしまった。そして思ったわ。簡単に死ぬような仕組みでは碌に使えやしないって。……戦場で簡単に死なれては困るでしょう? だから、研究の途中からは、不死の魔術式を最初に焼き入れることにしたのよ。でも、魔術式も完璧ではないわ。魔術式そのものに傷が付けば、不死の魔術も解けてしまう……」
彼女は振り返って、薄い革の手袋をした両手を開いた。空中で何か、大きな塊を掴んでいるような、引っ張り上げているような仕草を俺に見せてくる。
「……だから、目に見えない部分がいいと思ってね。腹を開いて、身体に繋がったままの消化器をそっと持ち上げて吊るして、その下の背中側、腹腔の内側に小さく書き込んだのよ。……こんな感じで、臓物が崩れないように、そっと持ち上げてね」
その仕草に、脳裏にあの日の恐ろしい光景が蘇る。寸分も動かせないよう、手足を固定される。途中で窒息されては困るからと、顔には顎を開いたままにできるような固定具を装着される。腹にひやりと金属が当たる感覚がした後、熱なのか痛みなのか分からない激痛に襲われる。曇る視界の中、天井から吊るされるフックと天幕のように広げられた布。それが見えなくなったと思ったその後、視界の下からゆっくりと、慎重に、持ち上げられていくその布の上には、自分の臓物と思われる肉の塊が乗っていた。
そこで俺の意識は一度途絶えたが、頬を強く張られて目が覚めた。目を開けると、視界いっぱいにエリザベスの顔があって、彼女は「呼吸し忘れるだなんて、いけない子ね」と言ってきたのだ。
彼女はまたくるりと後ろを向くと、言葉を続ける。
「そのせいで、後から魔術式を追加するのに、えらく手間取ってしまった。……でも、それもヴァリクがいたから色々と助かったわ。どうすれば後から魔術式を追加できるかの実験に、何十回も耐えられるのはあなたくらいだもの」
彼女の言葉が耳に届くたび、俺の体は勝手に震えていた。あの時の痛みが、記憶の奥底から這い上がってくる。全身にじっとりと汗が滲み、視界が揺らいでいる気がする。
「あなた……背中のこれを罰だと思っていたようだけれど、違うのよ」
エリザベスが手を止め、俺の背中に刻まれた魔術式を指先でなぞる。これは、ダリオンとの逃走に失敗した後に刻まれたものだ。そのエリザベスの指先の感触が妙に冷たく、背筋に鳥肌が立つ。
「言って聞かせてもあなたは理解しなかったようだけれど……これは、唯一残ってくれたあなたへの私からの『贈り物』だったの。……なのに、あなたは私を裏切った」
彼女の声には怒りもなく、ただ淡々とした響きがあった。それがかえって怖かった。
「ライラは生きていた。あなたはそれを知っていたのに、私に嘘をついた。……いえ、もしかしたら、ちゃんと死亡を確認していなかった……の方が正しいのかもしれないわね」
俺は何も言えなかった。ただただ鎖で固定された手足が震える音だけが部屋に響いた。
「……職業柄、『子供の扱い』には慣れているの」
エリザベスが焼きごてを火に炙る音が聞こえる。その音が頭の中で何度も反響する。
「……あなたは知っていたかしら。悪戯が過ぎる子供には罰を与えないといけないのよ」
次の瞬間、焼きごてが俺の背中に押し当てられた。痛みが脊髄から脳に直撃し、俺は絶叫した。しかし声はすぐに途切れ、喉が焼け付くように痛むだけだった。涙が勝手に溢れ出し、目を閉じることもできずに台を濡らしていく。胃の中に何もないのに吐き気が込み上げ、透明な胃液だけが喉を焼いた。
「ほら、これで悪戯をする気も失せたでしょう?」
耳元で囁く声を最後に、俺はただ声を殺して泣くしかできなかった。
◆
ヴァレンフォード家の屋敷、その屋根の上にはユアンが一人、そこが草原か何かであるかのように頭の後ろで手を組み、空を眺めている。
屋敷の庭はやけに静かだった。ユアンはぼんやりと空を見上げる。突然聖騎士の集団に、ヴァリク様の邸宅に問答無用で踏み込まれ、あっという間に椅子に縛り上げられ、尋問を受けた。「どこまで知っている」等と言われ、「ヴァリク様がデート行ったことしか知らねぇ!」と怒鳴り返したところ、思い切り頬を殴られ、そのまま気絶してしまった。椅子に縛られたままの状態で放置されていたらしいオレを、ヘンリーが救出してくれた。
そして、翌日の今はヴァレンフォード家で療養をさせてもらっているというわけだ。
これからどうしたものかと考える。英雄周辺が特にきな臭いのは前から感じていた。やっぱり、あそこに何かあるんだよなぁ……。
とはいえ、どう動くかはまだ決めかねていた。下手に首を突っ込めば、命の危険だってある。そこまでの危険を冒してまで探る必要はあるのだろうか……。
「あ、やべ……歯が……」
ふと気付くと、奥歯がぐらついていた。昨日殴られたことで歯が折れてしまったのかもしれない。オレは慌てて上体を起こし、謳を口にする。
「……応えたまえ、応えたまえ、水の精霊……癒しの力を」
黄緑色の光がオレを包み込み、歯がピタリと元に戻った。危ない危ない。完全に折れて離れてしまっていたら、歯を失ってしまっていた。
「とりあえず、協力者の最有力候補はヘンリーかなぁ……でもあいつ、道楽貴族にしか見えないしなぁ」
屋根から庭を見下ろすと、ブランコに揺れる少女の姿が目に入った。ヴァリク様に似た白髪でツインテール、目の下に濃い隈。ダボっとしたワンピースがその細い体には少し大きすぎるようだった。ヴァレンフォード家から明らかに存在が浮いている彼女のことを、最初は幽霊かと勘違いしそうになった。
遠くを見るような目つきでボーッとしているその少女を見つめながら、オレはさらに今後の身の振り方について考えるのであった。
エリザベスに取っ捕まって、昔を思い出して怯えてるヴァリク。エリザベスからお仕置きとして背中にあった魔法陣をジューッとされてギャーってなって、オエーとなって、めそめそしました。要約おわり。




