022.無職です
ヴァリク様の件があった翌日。
新聞社の入り口で、ヘンリーは軽く笑みを浮かべていた。社内ではバタバタ走り回る数人が見られ、思っていた通り、昨日のヴァリク様とライラ殿の事で大忙しのようである。
ふと、一人の女性が私の姿に気付いて足を止めた。赤茶の肩を越したくらいの長さの髪の毛を、カチューシャでオールバックにまとめたキリッとした妙齢の女性だ。彼女は私を上から下まで眺め、それから声をかけてきた。
「たしか、聖騎士の……」
と彼女が尋ねてきたが、私は即座に首を振った。
「いいえ」
私はたっぷりに時間をとってから、彼女に改めて笑顔を向けて言った。
「無職です」
「……」
目を見開いて、目の前の彼女は固まってしまった。眼鏡を押し上げて、何を発せば良いかと唇をわずかに震わせている様子が見て取れる。ふむ、つい先日まで聖騎士だった男が、突然無職になっていたら面白おかしいのではと思ったが、少々違ったようである。
「無職のヘンリーと申します。編集長殿にご相談がありまして。今、お話は可能でしょうか」
軽い調子で言ったせいで、彼女は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに「少々お待ちを」とだけ言って社内に駆けて行った。数秒の後に、その女性とあまり変わらない身長の、以前一度だけ顔を合わせた白髪交じりの中年の男がやってくる。慌てた様子で首のループタイを整えながら小走りでやってきたその男は、咳払いを一つしてから口を開いた。
「あんた、英雄様ンとこの、聖騎士の……」
「いえ、聖騎士は昨日解雇されました。きちんとしたご挨拶はまだでしたね。今現在は無職の、ヘンリー・ヴァレンフォードと申します。兄は農地卿アティカス・ヴァレンフォードです。私は、皆様が今必要とされている情報の提供が可能かと思いまして、ご訪問させて頂いた次第ですよ」
前にトーマス・グレインという名で編集長だと言っていたこの男は、私の言葉を受け額に汗を浮かべ驚愕に目を見開いた。
「ぼ、防音室を案内する。……誰か! 手が空いたやつおらんか! 手伝ってくれ! 重要な情報を持って来てくれたかもしれん!」
事務所に向かって編集長殿が叫ぶと、飄々とした雰囲気の身体に合わないサイズのシャツを着崩した男がふらりとやってきた。編集長殿がその男に向かって叫ぶ。
確か、ロベリア殿にヴァリク様とのデートのお願いをしたときに、この男と少しだけ会話をしたのだったと思い出す。
「はいはい、今日取材するはずだった宿が、何故かぶっ壊れてやることが無くなった俺が来ましたよ……っと」
ヘラヘラとした雰囲気をピシッと切り替えたそのたれ目の男は、私の顔を見て名乗る。
「エドガー・ヘイワードです。記者をしています」
ロベリア殿よりは年上だろうエドガー殿に、私はうんうんと頷いて手を差し出す。
「ヘンリー・ヴァレンフォード、子爵家三男で無職です。よろしく」
そう言って握手を求めると、エドガー殿は微笑んでそれを握り返してくれた。
「……む、無職というか……有閑貴族で良いのではないですか?」
「……ああ! そうだな。うむ、では、次からは有閑貴族と名乗ることにしましょう」
──この時、エドガーは内心でこう思っていた。貴族なら最初からそう名乗れよ、と。初めて会った時に気楽に「イケメンが来たぞぉ」等と軽口を叩いていた自分の横っ面を、ぶん殴ってやりたかった。
防音室の中に三人が揃い、扉が閉まると、私は表情を引き締めた。
「今日、ロベリア殿は?」
「……何故それを? 確かに今日はまだ来ておらん。そろそろ家に確認の使いを出そうと思っていたところだが」
それを聞いて、やはりと思う。
あの後、ライラ殿を回収する際、執事のシグルドを代わりに待機させ、ヴァリク様とロベリア殿を監視するように伝えた。
シグルド曰く、監視の為に孤児院廃墟の道路の反対側の崩壊した建物に近寄ったところ、端の方で呻き声が聞こえ、近寄ってみると男性が瓦礫の一部に挟まれて地面に横たわっていたという。すぐさま救出をして話を聞いたところ、この建物の主人であったらしい。たまたま井戸を使おうと建物を出たところ、大きな地響きのような音と誰かの叫び声……まるで戦場にいるのではないかと錯覚する程の轟音と振動と悲鳴が合わさった衝撃の後、壁が倒れてきたと言っていた。
そのやりとりの最中、聖騎士の一団が表れたため、シグルドはそのまま物陰に身を隠したと聞いている。やはりシグルド、優秀な男である。
「ロベリア殿はおそらく、聖王国教会に捕縛されました。聖騎士に連れて行かれたのを、我が家の執事が目撃しております」
その一言で空気が変わった。
「……取材から帰ったという記録が無いとは聞いている。英雄様が、出会ったばかりの女に手を出して、朝帰りさせるようなお人じゃないのは、見りゃあ分かる。……だから、てっきりロベリアの奴が、昨日気合いを入れすぎて、今日はダウンしたのかと……」
編集長殿がうわ言のように説明する。聖王国教会は、カリストリア聖王国通信社に対して碌な説明もしていないようだ。余計なお世話かもしれないとも思ったが、やはり訪ねておいて良かったと、内心自分の行動に対して安堵する。
目を見開いたまま微かに指先を震わすエドガー殿が、ややあって口を開く。
「……で、ロ、ロベリアは……どこに……?」
「……分かりません。ただ、理由をご説明することはできます」
そう言い放って立ち上がり、その後すぐに片膝を床につき、目を閉じて顔を下に向ける。
慌てて編集長殿とエドガー殿が立ち上がり、立たせようとしてくる気配を察して、私は叫んだ。
「この度の失態! ロベリア殿を巻き込んだことは、全て私の責任であります! ロベリア殿に、ヴァリク様の……救国の英雄様の、街案内を内密に依頼した私が、全ての元凶であります!」
「ま、待て! ヘンリーとやら、ともかく顔を上げ……!」
編集長殿が私の肩に手を置いた。私は顔を上げ、編集長殿の焦った顔を見つめて言葉を続ける。
「御社の大切な社員を! 危険な目に遭わせてしまっている! どのような言い訳も通用するとは思っておりません! 死をもって償えと仰るのであれば、私は喜んでそれを受け入れ、身一つで、必要とあらば全裸で、魔の軍勢の前に躍り出ましょう!」
「へ、ヘンリーさんっ! お、落ち、落ち着い……!」
「だが!」
私はエドガー殿の言葉を遮り、勢いよく立ち上がり叫んだ。
「だが、あなた方に問いたい! 新聞とはなんだ!」
エドガー殿が驚いた様子で「なんで?」と尋ねるが、私は答えず、さらに問いを投げかけた。
「報道とは! 記者とは! なんであるか! あなた方がどう思うのか、それを問いたい!」
私の突然の問答に気圧されている様子の編集長殿は、訝し気な表情を返しながらも、腕を組み慎重に言葉を選びながら答える。
「……真実を伝える存在だと思っている」
「でも、それだけじゃない。……民衆を導く力もある、と、俺はそう思っています」
エドガー殿がそれに続いて補足した。彼らの答えを聞き、私は一瞬目を細めた。
私は編集長殿に顔を向け、さらに言葉を続ける。
「……では、神か真実か、あなた方はどちらを信奉されますか?」
「な……」
神か真実か。
カリストリア聖王国は、聖王国教会の教えを基盤に、国家が成立し、これまで運用されてきた。
この問いは、カリストリア聖王国の中でも重罪とされている、聖王国教会の否定……「教義否定罪」「禁忌触発罪」「異端罪」、そういった死罪に直結する危険のあることと、ロベリア殿が連れていかれた件が関係していると、記者らしく察しの良い二人は気が付いたようだ。
しばらくの間、口を開けたまま驚いていた編集長殿は、顔にグッと力を入れて私の問いに改めて答える。
「我が身を思えば、神と言うんだろうけどな……だが、俺には記者の矜持みたいなものが、一応あるんでね」
そう言って一度目を閉じた編集長殿は迷いなく言い放った。
「真実だ。外じゃ口が裂けても言えんが、真実の前には、神も平伏さなきゃならない時があると、そう思っている」
「……お、俺もだ! それが『ジャーナリズム』ってものよ!」
この人達なら、ヴァリク様の過去について、知る範囲で打ち明けても問題ない。そんな予感がして、胸を撫でおろす。
一度深い深呼吸をしてから、改めて椅子に座り直すと、編集長殿とエドガー殿も座り直したのを確認してから、ゆっくり口を開いた。
「……救国の英雄、ヴァリク様に関して……民衆に伝えられる内容とは、実情が全く異なっております。彼……否、彼らは」
「あーっと! ちょっと待った! そちらが誠実に対応したんだ。こちらが不誠実では悪かろう」
そう言って、編集長殿はベストの内側、胸ポケットをまさぐった後に、金の懐中時計を取り出した。ジャッと音を立て、その懐中時計が鎖によって私の目の前に吊るされる。その表面には、紋章が刻まれている。樫の木の中央に巻物が巻きつき、枝に小さな本が実る。木の根元にインク壺と羽根ペンが置かれている。その紋章には、見覚えがあった。
「……名乗りが遅れて申し訳ない。俺の本名は、トムフォード・グレインハースト。典籍卿にしてグレインハースト伯爵――この名を持つのが俺だ。国家の書庫番が、俺の本来の仕事だ」
「なんと……! あなたが典籍卿であったとは! 兄がいつもお世話になっております!」
当然の挨拶をと思い、典籍卿のもう片方の手を両手で握ってブンブンと振っていると、典籍卿の隣でエドガー殿が椅子から転げ落ちた。
何事かと思いエドガー殿を見ると、彼は床に転がったまま口をあんぐりと開けていた。
「ジ……」
「どうされた」
口をモゴモゴ動かしながらよろよろと立ち上がったエドガー殿は、典籍卿を睨みつけ大声で言った。
「ジジイ! ちゃんと名乗っとけよ!」
……ん? だから今、名乗ったのではないのか?
私はイマイチ腑に落ちないながらも、彼らは仲が大変良さそうであるから、問題ないのだろうと結論を出すのであった。




