020.揺れる正義
冷たい空気が肌に刺さるようだった。ロベリアは鉄製の椅子に縛り付けられたまま、目の前に立つ騎士たちを見据えていた。ただ、その場の重苦しい空気を飲み込むように静かに息を吸い込んだ。厳しい視線を向けられるが、表情を崩さないように口を引き結ぶ。
部屋の隅には奇妙な装置が置かれている。それを見たときから、嫌な予感が広がっていた。けれど、何があっても口を割らないと決めていた。
ロベリアは、ヴァリク様の真実の一部を知った今になって思う。もしかすると、聖王国教会というのは民衆に仇なす存在なのかもしれない。
ただ、ヴァリク様とライラからの証言でしかそれを知らない。分からないことが多すぎる。おそらくは、ヴァリク様側が真実だ。嘘が苦手なあの青年が、あそこまで真実味のある演技を出来るとは思えない。妙に子供っぽい言動をしていたライラも、そういった策略的な振る舞いが出来るとは到底思えない。
ただ、今、ここでどちらに味方をするか、答えを出すのは早計な気がしていた。どちらにしても、情報が足りない。この件を記事にするなら、どれほどの下調べをすれば良いのだろうか。トーマス編集長なら何かしらの助言をしてくれただろうか。エドガーさんなら、調査を手伝ってくれただろうか。
今ここにいない人たちの手助けを想像しても無駄だ。私一人で、今この窮地を切り抜けなければならないのだ。
「戦闘に巻き込まれて、何も知らぬ存ぜぬ、ということはないだろう」
「知りません! 私はたまたま遭遇しただけです!」
「一緒にいたところを、植物店と定食屋で目撃されているようだが」
「た、たまたまお会いして、私が声をかけてご一緒していました……あの方の道案内をしていただけで、何も知りません! お話することはありません!」
「……」
私の返答に、聖騎士同士が目配せをした。これから何か酷いことをされてしまうのではないかという、足元から這い上がるような恐怖心に支配される。
その時、扉が軋む音が響いた。首だけで振り返ると、高位の司祭の格好をした男が護衛と思われる一人の聖騎士を連れて現れた。そのままゆっくりと部屋に入ると、高位の司祭の格好をした男が低い声で命じた。
「全員、部屋を空けろ」
聖騎士たちは一瞬だけ視線を交わしたが、命令には逆らえず、無言で退室していく。司祭はその姿を視線だけで見送り、その後ろに立つ護衛と思われるそばかすの浮いた平凡な顔をした聖騎士は私の顔をじっと見ている。
そして鉄の扉が閉じられる音がしたとき、部屋には司祭と護衛の聖騎士、そして私だけが残されていた。
司祭は無言で机の隅に置かれた装置を引き寄せた。それは手の形をした台座、おそらくは指を固定する台と、肉叩きのような凹凸を持つ金属部分を内蔵した機械だった。彼は冷静に私の右手を掴み、その台に押し付けた。
金属製の留め具が手首を覆い、私の指を完全に動けないよう固定する。
「本当の事を話さなければ、これで指を潰す」
冷たい声が響く。
「指が潰されれば、二度とペンを持つことはできなくなるぞ。貴殿は記者としてはやっていけなくなるだろう」
胸の奥で、心臓が暴れるように音を立てていた。まるで檻に閉じ込められた獣が逃げ出そうとしているかのように、不規則に、そして激しく鼓動を刻んでいる。
息を整えようとするが、浅い呼吸が止まらない。喉の奥に突っかえた空気がまともに抜けていかず、胸が重く、締め付けられるような感覚に襲われた。冷たい汗が額から流れ落ち、固定された右手の指先がじんわりと痺れてくる。
恐怖が全身を支配し、ある程度自由の効くはずの足は石のように硬直し、身動ぎすることもできない。怖い、逃げたい、今すぐにでも逃げ出したい――そう思っても、椅子に縛り付けられ、右手まで固定されてしまった今は、何をすることも叶わない。ただその場に縛り付けられ、恐怖の影に飲み込まれていくことしか出来なかった。
「今、知っていることを全て話せば、無事に帰そう。これ以上の拘束もしない。貴殿が、英雄ヴァリクの取材担当記者であることは把握している。何の事情も知らないことはないはずだ。貴殿が知る情報を話すだけで、無事で済むのだぞ」
「……いいえ、お話することなどありません」
私はそれでも押し黙った。司祭の後ろに立つ聖騎士が、面白いものを観察するかのように、僅かに目を開く。
司祭が私の右腕に取り付けられた装置に手を置く。レバーのような部分に力を入れると、装置がわずかに動き、金属が擦れる音を立てる。冷や汗が背中を流れるのを感じたが、目を閉じ、それを視界に入れないようにする。
「では、これまでの取材の詳細を話せ」
「言えません!」
「貴殿は目撃者のはずだ。では、その目撃した内容でいい。話すのだ!」
「言えません! 絶対に、私は何も話しません!」
その間にも、司祭はじわじわとレバーにかける力を強めていく。指に装置の金属部が当たり、爪を弾いてカツンと音が鳴る。ヒヤッとした冷たい金属の感触が指に伝わり、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
僅かに笑みを浮かべた護衛の聖騎士が口を開く。
「……何故なんです?」
「それは、私が記者だからです」
二人をキッと睨み返し、恐怖で震える声で言い返した。
「権力や圧力に屈せず、真実を伝える。それが、記者であると、教わったからです!」
「……ほう?」
「私は、どんな拷問にも耐えてみせます。女だからって、新人だからって、記者が簡単に口を割るとは思わないでください! ……ジャーナリズムを、舐めないでください!」
言い返したのに、じわじわと涙が溢れてくる。カッコ悪いと思っているのに、後から後から涙が溢れて、頬を伝い流れていく。
エドガーさんが飲みの席で調子良く言っていた言葉、トーマス編集長が帰り道に話してくれた説教臭い記者の在り方。そんな、まだまだ先の未来に意識すべき姿勢を、知ったような口で話して、この人達を説得すること等できるのだろうか。
「アハハ……アハハハハハ!」
突然、隣に立っていた護衛の騎士が不自然に笑い始めた。その声は大きく、場違いなほど響き渡る。
「もうよい。やめよ」
「ですが……」
「貴様の下手糞な演技を聞くのも、耳が耐えられん。即刻やめよ。余興は終いだ」
騎士が笑いを止め、自分のすぐ前にいる司祭に指示をする。司祭は急に纏っていた雰囲気を崩し、どこか恐る恐るといった態度に変わる。
私は驚きに目を見開き、その言葉の意味を測りかねていた。
「記者か……面白い。我は口の堅い手駒が好きだ。良いようにも悪いようにも使える」
次の瞬間、騎士はゆっくりとそばかすの浮いた地味な顔そのものを外した。否、顔のように見える仮面を外したのだ。その下から、先程までとは違う顔が露わになる。
その顔を見たとき、ロベリアの中で緊張が爆発するように広がった。新聞で何度も見た顔がそこにあった。
「第二王子殿下……?」
金の髪に赤く鋭い瞳。整った顔立ち。その男の鋭い視線が私を見据える。彼は冷酷さを感じさせる微笑みを顔に張り付け、スッと目を細めて言った。
「よい。面白い。我の手駒になることを赦そう」
彼は短く言い放つ。
「レオンハルトが命ずる。我に従え。よいな」
その言葉が部屋の冷たい空気に響いた瞬間、私の中で安堵と恐怖が交錯した。




