016.英雄の真実
「パパ様が生きている……?」
ライラが驚きと戸惑いを隠せない様子で呟く。その声はか細く震えていた。彼女は瓦礫の中に座り込み、顔を上げたまま動けずにいた。疲れ切っていたせいだろうか、俺はその横に尻をつくようにどっかり座り込んだ。
「だから話を聞けって言ったんだよ……ダリオンは生きてるよ。多分、ライラは皆と別れた後の俺たちを見たんだろう?」
「そう。ヴァリクが血だらけで立ってて、パパ様はその近くで血だらけで倒れてた」
「あー……あれ、俺の血を頭から被って、その後俺の拳がダリオンに当たっちゃって……気絶して……みたいなことがあって」
「……あ゛? ヴァリク、なんでパパ様殴ってるの?」
「いや! 事故だって!」
ライラの言葉を慌てて否定するが、彼女は訝しげな視線を向けるのをやめない。しかし数刻の後、彼女は目元をくしゃっと歪めて問いかけてきた。
「嘘じゃない……?」
消え入りそうな声で問いかけるライラに、俺は真っ直ぐに答える。
「嘘じゃないよ」
その一言が、ライラの心に届いたのだろう。彼女は肩を震わせ、次の瞬間、崩れるように地面に伏せた。
「パパ様、生きてた……良かった……本当に良かった……」
声を詰まらせながら、彼女は啜り泣き始めた。その涙は、安堵と悲しみの感情が混ざり合ったものだった。
そんな彼女を見つめていたが、言葉をかけることはしなかった。ただ、その場に座り込み、静かに彼女の感情が落ち着くのを待った。
◆
遠巻きに見守っていたロベリアとヘンリーは、瓦礫の上に腰を下ろしながら、複雑な表情を浮かべていた。
「……ヴァリク様、大丈夫でしょうか」
私のその声はかすかに震えていた。
「危険だと思います。彼女がまた暴れだしたら……私たちでは止められませんから」
ヘンリーさんの声は低く、警戒心を隠そうともしない。
私とヘンリーさんの目は、ライラの動きに釘付けだった。先ほどまでの狂気を思えば、彼女が再び何かを仕掛ける可能性は否定できなかった。
そんな中、ヴァリク様の側にいたライラが、地面に伏せて身体を震わせはじめた。それを見たヘンリーさんが即座に立ち上がり、声を張り上げた。
「ヴァリク様! 危険です! その危険人物からお離れください!」
ヘンリーさんのその態度からは、ヴァリク様を守ろうとする意志が強く滲み出ていた。ヴァリク様自身の変わりようにはあまり恐怖心を抱いていないようだ。
ヘンリーさんがヴァリク様の元に駆け寄るのを見て、私も慌てて立ち上がり後を追った。
彼の言葉に、ヴァリク様は短く息を吐き、一瞬だけ視線を伏せた。ヴァリク様の肩が微かに震える。
「……心配してくれて、ありがとうございます」
顔を上げたヴァリク様は静かに言葉を口にした。その声はいつもの冷静さを保ちながらも、微かに感情が滲んでいた。
「怖い思いをさせたのに……俺を気にかけてくれて、嬉しい。こんなにめちゃくちゃにして、ごめんなさい」
そう言うと、ヴァリク様は小さな笑みを浮かべた。その笑みは感謝の気持ちと、どこか罪悪感を含んでいるようにも見えた。
◆
「……俺たちは、聖王国の、肉体改造の魔術実験の被験者だったんです」
俺が言葉を切り出すと、ロベリアさんとヘンリーが息を呑んだのが分かった。
「選ばれた……いや、集められた子どもたちが、次々に実験台にされました。俺たちの肉体は、そのために改造されてるんです」
「わたしは前頭葉に、ヴァリクは心臓に、表面に魔術式を直接書き込まれてる……お腹を開いて熱した金属製のペンで焼き入れるの……何回も気絶して、とても痛かった。他にも、身体全体とか、腎臓とか、眼球とか、顔全体とか……人によって色々」
ライラが俺の言葉に余計な補足をしたせいで、ロベリアさんとヘンリーの顔から血の気が引いていく。俺は咳払いをして話を続ける。
「ダリオンは、俺たちを観察する立場にいました。彼は……最初は素直に従っていましたが、段々非道さに耐えられなくなった……と言っていました。そして、ライラを含む何人かを逃がしてくれました」
「逃がした……?」
ロベリアさんが小声で尋ねた。
「そう。でも、パパ様がわたしたちを逃したのが、実験してた奴らにバレた」
ライラの言葉には苦みが滲んでいた。
「俺たち全員が消えたら、残されたダリオンが処刑されるのは分かってました……俺は、俺たちを気にかけてくれたダリオンが殺されるのを無視して逃げることが出来なくて、一人で引き返してこの国に留まったんです」
俺は拳を握りしめ、視線を地面に落とした。
「ダリオンの処刑を回避してもらう交換条件で、俺は国の為に働くことになりました。追加の実験を色々して……俺はいくつかの副作用も出てるけど、実際に戦場に出て……その後は、知っている通りです。俺はほぼ軟禁状態で生活することになって、ダリオンも監視下でしか動けない。それが、今の俺たちの状態です」
「わたしはパパ様が死んだと思ってた。ヴァリクが殺したと勘違いしてた。ヴァリクは嘘が下手だから、多分殺してたらすぐ分かる」
「えぇ……」
ライラの言葉に、思わず気の抜けた反応をしてしまう。
そんなライラに、ロベリアさんが恐る恐る質問をした。
「あの……パパ様ってことは、ライラさんのお父さんが、ダリオンさんなんですか……?」
「あ? 違うけど?」
ライラがきょとんとした顔になる。
「ダリオン様がパパだったら良いのにって思って、パパって呼んだら、パパじゃなくてダリオン様って言えって言われて、それでパパ様になった」
「じ、実験中は奴隷と同じような扱いだったので、様付けで呼べと言われていて……ダリオンは、妙な勘繰りを防ぐために、他の人がいるときには様付けで呼べと言っていたんです」
ライラはずっと幼少の頃に実験の為に連れてこられたせいか、妙に言葉が拙く説明不足になることが多い。慌てて苦笑いで追加の説明をする。
「……で、もうライラ殿がヴァリク様を襲う必要はなくなった、ということで良いのでしょうか」
ヘンリーが緊張した面持ちでライラに言う。ライラはこくんと頷いた。
「うん。ヴァリクは殺してなかったし、もういい」
「……というか、ライラは俺たちが死ににくいのを分かってて、なんで俺を殴って殺そうとしたの……?」
俺は一番気になっていたことを質問する。セラフの聖槍の使用の為に、俺たちには共通して不死の魔法……の失敗作のようなものが刻まれている。それはライラも知っているはずなのだが。
ライラは俺をキッと睨みつけ、ふてくされたように返答する。
「……いっぱい殴れば死ぬと思った。ヴァリクの骨が固くて勝てなかった……悔しい……わたしの骨がもっと太ければ勝てたのに……」
「えぇ……」
ライラの回答に、今度はヘンリーが気の抜けた声を漏らした。
ライラがゆっくりと立ち上がる。彼女の目には、再び力が宿っていた。
「パパ様が生きているなら……わたしは、迎えに行く」
俺が止めようとすると、ライラは静かに首を振る。
「今すぐじゃない。森に潜伏して準備しとく。とりあえず、骨くっついたからもう行く。ヴァリク、ばいばい。またね」
俺とロベリアさん、ヘンリーはただ、ライラが歩き去る姿を見つめていた。
が、そこで小さく「あ」とライラが声を出した。と同時にライラの足首が地面に埋まった……否、脛の真ん中から骨がまたボキリと折れて、関節じゃない場所が地面の上で直角に曲がり、ライラの頭の位置がガクンと下がったのだ。理解すると同時にロベリアさんとヘンリーが「ぎゃあ!」と悲鳴を上げた。
「……まだくっついてなかった」
ライラが折れた脛の真ん中部分を軸にズルズルと脛から下を引き摺って歩き出そうとするのを、ヘンリーが慌てて止めに走った。
「ちょ、あの、その動きはよろしくないと思いますが……! ヴァリク様、申し訳ございませんが、ライラ殿をお送りしてきてもよろしいでしょうか。ヴァリク様のお仲間……でしたら、私としては、ライラ殿の為に動くべきと思っております」
ヘンリーの言葉に、思わず目を丸くする。
「い、いいの……?」
「ふふふ、構いませんよ。友人の為に動くことに、何の謂れがありましょう……おっと。目下の立場で、図々しい態度でしたね」
ヘンリーは俺にウインクして見せ、それからライラを横抱きにしてこの場を後にする。
座ったままぽかんと口を開けヘンリーの後姿を見つめる俺に、ロベリアさんが横から声をかけてくる。
「……良かったですね、ヴァリク様」
俺はロベリアさんを見上げ、小さく頷いた。
しばらくそうやって、戦闘後の崩壊したその一角に座っていたが、その静けさは長く続かなかった。
突然、金属が擦れる音が瓦礫の中から響いた。振り返ると、鎧に身を包んだ複数の聖騎士が現れる。その数は十人以上。彼らは整然とした動きで俺たちを取り囲む。
「この惨状……逃げよう等と思うなよ、ヴァリク」
一人の騎士──実験について知っている最前線配属のうちの一人──が前に出て、冷徹な声で問いかけた。その視線は俺を真っ直ぐに捉え、疑念と怒りが交じっている。
俺はゆっくりと立ち上がり、彼らを見据える。
そして、横にいるロベリアさんに視線を向け、内心で頭を抱えた。彼女にも、ここから早く離れるように伝えるのが先であった。俺はなんて迂闊なんだ。
己の愚かさに、胸の奥が軋むような虚しさが広がり、自分という存在そのものが嫌になってきた。




