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015.俺の話を聞け!

 ライラの姿を目の前に捉えたとき、俺は一瞬だけ言葉を失った。頭に突き刺さった槍から滴る血が彼女の顔や手足を赤く染め上げ、その姿が緊張感をさらに高めていた。彼女の目には憎悪と狂気が渦巻いており、説得の余地があるとは到底思えなかった。

 それでも俺は声を掛けるしかなかった。


「ライラ、やめろ……その前に話を聞いてくれ」


 彼女は狂気じみた笑みを浮かべ、ゆっくりと一歩前に出た。


「あはははは! 今すぐに! 痛いにしてあげる!」


 その声には狂気と異様な歓喜が混ざり合い、空気を震わせるほどの力が込められていた。


「ヴァリク! ぶっ殺すっ! あははははは!」


 ライラの狂気を孕んだ笑い声とともに拳が振り下ろされる。

 俺は一歩後退し、迫る拳をかわした。拳が地面を叩きつけると、床が砕け、瓦礫が宙を舞った。その力は明らかに常人の域を超えている。被っていた変装用のかつらは早々に脱げてしまった。


「ライラ、やめろ!」


 再び叫ぶが、彼女は聞く耳を持たない。拳を振り上げ、執拗に俺を狙って攻撃を繰り出す。壁が砕け、天井が揺れ始めた。俺は眼鏡を外して適当に放り投げた。

 俺は歯噛みして服の下、背中にベルトで括りつけて隠していたセラフの聖槍を手にする。その槍を胸元に当て、大きく深呼吸をする。この選択をするたび、あの光景が蘇る。だが、今のライラを止めるには、これしかなかった。

 槍の切っ先が胸の中心に触れた瞬間、身体が反射的に拒絶する。だが、迷っている暇はない。俺は一気に槍を突き立てた。

 激痛が全身を貫き、視界が一瞬暗転した。肺が絞られるような感覚に襲われ、口から血が噴き出す。膝が崩れそうになるのを堪えながら、目の前が真紅に染まっていくのを感じた。

 次の瞬間、幻覚が押し寄せる。白黒に明滅する視界が目の裏に広がり、遠い声が耳元で呪詛の言葉を囁き始める。記憶の底から浮かび上がる声が、身体の中で反響し、全身を苛む。

 目の前には、血だまりの中からゆっくりとこちらへ手を伸ばす有象無象の幻覚が見えた。俺が踏みしめた地面はぬるりと滑り、手を見下ろすと真っ赤に染まった指先が震えている。


「……くそっ」


 苦痛に歯を食いしばる、冷たい汗が額を伝う。それでも手を止めるわけにはいかない。

 その時、背中から広がる六枚の光の羽根が地下室全体を青白く照らした。

 感情が薄れていく中で、俺はロベリアさんの姿を捉えた。彼女は崩れる瓦礫の中で動けずにいた。目の前の光景にガタガタと身体を震わせている。


 俺は何も言わずに彼女に近づき、その小さな身体を抱きかかえた。彼女が何かを言いかけた気配を感じたが、耳には入らなかった。ただ、この場から脱出することだけを考えていた。


 胸の奥に力を込め、俺は床を思い切り蹴り上げた。次の瞬間、体ごと天井に体当たりを仕掛け、瓦礫を突き破りながら地上へと飛び出した。

 地上にたどり着くと、崩れた瓦礫が背後に落ちていく音が聞こえた。俺は、俺の血を被って血塗れになったロベリアさんをそっと地面に降ろすと、再びライラの気配に意識を集中させた。


 彼女はすでにそこにいた。後頭部から広がる魔術の光がさらに輝きを増し、その目には狂気が渦巻いている。全身から発せられる魔力が、まるで空気そのものを震わせるようだった。

 地上に出てからも、ライラの攻撃は止むどころか激しさを増していく。

 ライラの踵落としが俺に向かって振り下ろされる。その動きは人間離れしており、正確無比だった。だが、俺はその攻撃をかわさなかった。槍を胸に刺した瞬間から、恐怖という感覚が完全に消え去っている。ただ真っ直ぐに前へ進むことだけを考え、ライラの足が俺の肩を砕く音を聞きながら一歩踏み出した。


「あ!? 止まれよ!」


 ライラが驚きに目を見開き叫ぶ。彼女の拳が肩に直撃し、骨が軋む感覚が伝わってくる。それでも俺は怯むことなく彼女との距離を詰め、無表情のまま拳を振り上げた。その拳が彼女の肩に叩き込まれると、俺の拳に彼女の肩の骨が折れた感触が伝わる。衝撃でライラの身体が瓦礫だらけの地面を転がり、その先で止まる。


「痛い! わたしが痛いになってる! 違う! 痛い痛い!」


 だが、ライラはすぐに立ち上がった。その目には憎しみしか宿っていない。肩は異常な方向に歪んでいたが、彼女は気にする素振りすら見せず、血に濡れた拳を握り直した。


「ヴァリク殺す! ここで殺す! 今殺す!」


 ライラがそう叫ぶと同時に、突進してきた彼女の蹴りが俺の脇腹を直撃する。お互いの骨が砕ける音が耳に届き、鮮血が飛び散った。それでも俺は一歩も引かなかった。

 感情はなかった。ただ、この戦いを終わらせる。それだけだ。俺はその蹴りを受けたまま彼女の懐に踏み込み、拳を放つ。


「ぎゃっ!」


 彼女は短い悲鳴を上げたが、俺に殴られた勢いのままに今度は足を振り上げて俺の顎を蹴り砕こうとする。それが僅かに外れ、俺の顔の横に来たのを、足首を掴んで、上に振り上げて、乱暴に彼女の身体を地面に叩きつけた。ライラの形に地面が陥没し、俺の顔に彼女の吐血が僅かに跳ねた。



 ◆



 瓦礫の隙間から風を切る音が聞こえた。その音に急かされるように足を速め、私は荒れ果てた町の中心へ駆け込んだ。足元には崩れた建物の破片が散らばり、乾いた砂埃が舞い上がる。


「ヴァリク様! ロベリア殿!」


 声を張り上げながら辺りを見回した私の足が止まる。目の前に広がる光景に、体が硬直した。


「……なんだ、これは……」


 崩壊した建物の中で、血塗れの二つの影が交錯している。その一人、ヴァリク様は背中に六枚の光の羽根を広げ、無表情のまま拳を振り下ろしていた。血の滴る拳が見知らぬ少女の肩に叩き込まれ、瓦礫が飛び散る。その姿は、人間というよりも、何か異質な存在に見えた。

 ヴァリク様と相対する少女は、頭に刺さった槍が不気味に輝き、全身が血で染まっている。彼女の後頭部からは、光る羽根のような魔術の残滓が浮いている。それでも彼女は拳を握りしめ、骨の軋む音さえものともせずにヴァリク様へ反撃を繰り出していた。狂気と憎しみが滲むその瞳は、まるで化け物のようだった。


 喉が乾き、声が出ない。これが本当に現実なのか、目を疑いたくなるほどだった。


「ヴァリク様……これは一体……」


 口からこぼれた言葉は、自分でも情けないほど震えていた。

 その時、瓦礫の隙間で微かに動く影を捉える。ロベリア殿だ。彼女はぐちゃぐちゃになった新聞紙に包まれたローズを抱え、座り込んだまま戦いを見つめている。その服や顔は血と埃で汚れ、まるで魂を抜かれたかのように呆然としている。


「ロベリア殿!」


 私は駆け寄り、肩に手を置いた。彼女がゆっくりと顔を上げる。


「ヘンリーさん……」


 その声はか細く、震えていた。彼女の目には恐怖と絶望がありありと浮かんでいる。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 問いかけながらも、視線は再びヴァリク様と見知らぬ少女へと戻る。私の問いに答えた彼女の声は耳に届いたが、その内容を理解する余裕がなかった。

 瓦礫と砂埃に覆われた戦場で、二人の戦いは続いていた。拳と拳がぶつかる音、砕け散る瓦礫の破片。血が飛び散り、まるで地獄の一幕のようだ。


「これが……ヴァリク様が背負っているものなのか……」


 呟いた言葉に、私自身が一番動揺していた。これほどのものを抱えてなお、ヴァリク様はずっと孤独に戦ってきたのか──そう思うと、拳を握る手が震えた。



 ◆



「早く倒れろ! 痛いになれ!」


 身体を起こしたライラは、叫びとともに拳を突き出す。彼女の腕が伸び、咄嗟に俺も拳を突き出した。俺の拳と彼女の拳が正面からぶつかる。その瞬間、彼女の腕が不自然な方向に曲がる音が聞こえたが、彼女は構わず逆の拳を俺に向かって振り抜いた。その力強さに、瓦礫が再び舞い上がる。

 互いに血に塗れ、肉を削り合う戦いの中で、俺は彼女の狂気と力を実感していた。それでも俺の足は止まらなかった。ライラの拳が俺の顔面を直撃し、視界が一瞬歪む。血が額から流れ、目に入る。それでも俺は構わず前進し、背中の光の羽根を大きく広げながら彼女を追い詰める。


「狂ってる! 早く痛いになれよ! クソ野郎がああ!」


 ライラが再び叫びながら、拳を振り上げる。その拳が俺の腕に直撃し、骨が砕ける感覚が伝わったが、俺はその腕で彼女の肩を掴み、全力で押し込んだ。


「……そうなのかも、しれないな」


 自嘲にも似た言葉が口をついて出る。感情がないはずの俺が、「狂ってる」と言われ、どこか自分の中に残った感情の破片が疼く。だが、それでも俺の動きは止まらない。


 戦場となった孤児院は、もはや瓦礫と化していた。拳と拳が交錯するたびに壁が崩れ、地面が割れる。二人の血が空中に飛び交い、地獄絵図のような光景が広がる。


 ライラが腕を大きく振り上げ、俺の胸を狙う。それを受けながら、俺は彼女の胸倉を掴み、全力で建物の反対側へと彼女を投げつけた。道路を挟んで反対側の建物に衝突したライラは、建物を大きく破壊しながら、その瓦礫と共に砂埃の中に沈む。素早く彼女の元へ駆け寄ると、彼女は手足を大きく広げて瓦礫の上に横たわっていた。四肢の全てが不自然な方向に折れ曲がっており、すぐには起き上がれないだろうと判断する。


「終わりだ」


 そう呟きながら、彼女の頭に刺さった槍を掴むと、勢いよく引き抜いた。鮮血が噴き出すが、彼女は睨みを止めない。

 そして自分の槍を胸から引き抜き、ただ一言だけを彼女に告げた。


「俺の話を聞け!」

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