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117.『協力』の内容

 石造りの宿の談話室には、早朝の静けさが満ちていた。私はヴァリクさんの隣でノートを抱えながら、ひんやりとした空気を感じ取っていた。ここの建物に戻って来るまでにヴァリクさんから聞いた話では、漁の閑散期には誰も管理する者がいない、農夫たちが繁忙期に寝泊まりする民泊のような建物とのことだ。簡素な調度品だけが置かれた部屋には、どこか時間が止まったような寂しさが漂っている。

 その静けさを破ったのは、控えめな足音だった。


「……オスカー様、お待ちしておりました」


 柔らかな声が響き、私は思わず顔を上げた。そこにいたのは、ユアンさんだった。浅黒い肌に、僅かにくるくると巻いた黒髪。しかし、纏ったシャツはいつか見た時とは違い、きっちりとボタンが上まで留められている。

 だが、私の記憶にあるユアンは、そんな風に礼儀正しく振る舞う人ではなかった。


(……え? ユアンさんが『オスカー様』?)


 私は思わず目を瞬かせた。

 ユアンさんはヴァリクさんの護衛の聖騎士で、以前、取材で顔を合わせたことがある。その時の彼は、ヴァリクさんに対しても私に対しても、気さくに接する、軽い調子の男だった。なのに、今目の前にいる彼は、別人のように背筋を伸ばし、オスカーさんに対してだけ、丁寧な言葉遣いで話している。

 別人と勘違いしているのかと思い、思わず顔をまじまじと観察するが――いや、間違いない。私の知っているユアンさんだ。

 私は困惑しながら、そっとユアンさんの顔を見つめた。だが、彼は私には一瞥もくれず、まるで別人のように丁寧にオスカーさんへと話しかけ続けている。


「ユアン……こっちの状況は?」


 オスカーさんの静かな問いに、ユアンさんは即座に答えた。


「拠点を急遽移した以外は、特に異常はありません」


 その声は柔らかく、まるで忠誠を誓う部下のようだった。

 ユアンさんを見て困惑する私に気付いたらしいヴァリクさんが、私の肩をつんつんと指先でつついてから、顔を近付けて耳打ちをする。


「ユアンなんだけど、アストラル帝国の人らしい……です。調査員だとかで」


 私はペンを握る手を止め、内心で混乱していた。あのユアンさんが、国外の調査員?

 その時だった。


「おはようございます、皆さん。ダリオン殿は寝ていますので、起こさない方がよいでしょう」


 今度は別の声が広間に響いた。私が視線を向けると、そこにいたのはヘンリーさんだった。


「あなたがオスカー殿ですね。ダリオン殿とのご挨拶は、また後ほどお願いします。今は怪我をされていて、全快とは言えないのです」

「うん。いいよ」


 オスカーさんは短く答え、静かに広間を見渡した。彼の視線が向かった先――そこには、第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアがいた。

 談話室の奥、古びた木製の椅子に腰を下ろした彼は、私たちの方を見据えていた。その瞳には僅かな警戒心のようなものが滲んでいた。


「……君が、オスカー……なのだな?」


 彼の声は低く、慎重な響きを帯びていた。

 私は、ノートの上にペン先を走らせながら、殿下の言葉の真意を探っていた。疑念ではない。むしろ、彼の態度には負い目のような感情が見え隠れしている気がする。


「一度逃げ出すことに成功した国に、遠路はるばる……感謝する。我々のために、アストラル帝国がこうして力を貸してくれることにも、感謝している」


 殿下は一度深呼吸をすると、浅く腰かけ直してから言葉を続ける。


「して、君の具体的な『協力』の内容を、聞かせてもらおう」


 談話室に漂う空気が、微かに重くなった。オスカーさんは静かに口を開く。


「そう。僕がオスカー。女王陛下の命令で、殿下の協力者としてここに戻ってきた。僕の任務は、第二王子レオンハルトを王位に継がせること。それのための、工作活動要員として使ってほしい」


 その言葉は淡々としていたが、帝国の意思を背負う者の冷静さがあった。



 ◆



 俺――ヴァリクは、オスカーを案内しながら、静かに寝室へと足を踏み入れた。

 ヴァレンフォード家の使用人がいくらか整えてはくれたが、木のベッドがいくつか並び、毛布がかろうじて掛けられているだけの質素な空間だ。

 隣の部屋のベッドでは、ダリオンが静かに休んでいるらしい。足を怪我している彼は、ヘンリーの言葉どおり、まだ安静が必要だった。部屋を覗くくらいしても良いだろうかと一瞬悩んだが、今はそっとしておいた方がいいだろうと思い、ダリオンの部屋は素通りした。


 寝室に踏み入れると、既に起きていたライラ、フィオナ、セシルの三人が、朝の支度を始めようとしていた。最初にオスカーの姿に気づいたのは、フィオナだった。


「……オスカー?」


 一瞬、彼女の瞳が驚きに見開かれた。だが、次の瞬間には、その驚きが喜びに変わっていた。


「オスカー、久しぶりではないか! よくここまで来れたな!」


 フィオナは迷いなく立ち上がると、笑顔のままオスカーに駆け寄った。その勢いに、オスカーも少しだけ目を見開いていたが、すぐに彼の唇にかすかな微笑みが浮かんだ。


「……そんなに久しぶりでもないよ、フィオナ」


 オスカーの声は相変わらず静かで、感情を抑えたように聞こえた。けれど、フィオナの無邪気な笑顔が、その壁を少しだけ崩しているように感じる。

 次に立ち上がったのはセシルだった。


「久しぶり、オスカー! 帝国の使いっ走りしてるって噂、本当だったんだな!」

「……セシル、元気そうだけど、髪の色変わった?」


 オスカーも、彼の名を呼びながら、わずかに瞳を細めた。彼の表情に浮かんだ微かな安堵を、俺は見逃さなかった。

 ライラは何も言わず、じっとオスカーを見つめていた。彼女の視線を受け止めたオスカーは、ゆっくりと頷いた。


「……無事だったんだね、ライラ。死んだと思ってた」

「あ? 生きてるよ? 死んだのはヴァネッサでしょ?」


 ライラのデリカシーの無い返事に、俺もフィオナもセシルも、思わず目をギョッと剥く。しかし、オスカーは顔色を変えず、ゆるゆると首を横に振った。


「皆にも伝えておこうと思ったんだ」


 オスカーが僅かに目を伏せ、言葉を続ける。


「ヴァネッサは、生きている。僕がこの国に戻ってきたのは、ヴァネッサを助け出すためでもあるんだ」



 ◆



 朝の静けさが、石造りの宿の裏庭を包み込んでいた。夜露に濡れた草がわずかに光を反射し、かすかな波音が耳に届く。私はノートを胸に抱えながら、アンドリューさんと並んで細い石畳の道を歩いていた。

 談話室の空気が少し重かったから、私はなんとなく外の空気を吸いたくなったのだ。アンドリューさんも同じだったのだろう。彼は私に「ちょっと外に行こうぜ」とだけ声をかけ、無言で私の隣を歩いていた。


「……リリィさん、ノルドウィスプで困ってるんじゃないですかね?」


 私がぽつりと呟くと、アンドリューさんは腕を組みながら少し顔を曇らせた。


「ノルドウィスプに行ったのは、第二王子の取材が目的だったはずだが……」


 彼の言葉はそこで止まり、あとはため息のように、重い空気だけが漂った。

 そう。彼女の取材目的だった第二王子は、何故かこちらに居たのだ。


「でも、私たち……リリィさんと連絡を取る手段がないんですよね……」


 ノートを抱きしめるように胸元に押し当てながら、私は小さく呟いた。


「そうなんだよな……通信手段さえあれば、状況確認くらいできるんだけど。この国に声と声でやりとり出来る通信機器なんて無いだろぉ?」


 アンドリューさんの質問に、私は首を横に振った。彼の口ぶりからすると、カリストリア聖王国の外にはそんな高度な技術が存在するようだが、残念ながらこの国には存在しない。


「……手紙しかありませんよね? それか、アンドリューさんだけに移動してもらって、リリィさんに情報を伝えて頂く事ってできますか? 往復となると、五日か六日かはかかると思いますが」

「うーん……」


 私は、言葉にできない不安を抱えたまま、小声でそう問いかけた。でも、アンドリューさんから返ってきたのは、ただの唸り声だった。

 この沈黙を破ったのは、意外な声だった。


「記者さんたちも、朝食いかがですか?」


 柔らかな声が背後から聞こえ、私は思わず振り返った。


 そこには、使用人と思わしきエプロンドレスの若い女性が、優しい笑顔を浮かべて立っていた。


「お湯も沸いてますし、パンとスープくらいですが、すぐにご用意できますよ」


 私は一瞬、言葉に詰まった。そんな悠長なことを言っていられる状況ではないし、相手が相手だ。私はアンドリューさんの方をちらりと見た。彼は無感情な瞳で私を見返してきたが、すぐに目を逸らした。

 政治的な意味合いが強い取材先で食事を振る舞われるのは、あまり良くない。そういう関係を持ってしまえば、取材の公平性が損なわれる。

 彼との一瞬の目配せで、意思疎通をしたつもりだった。


「……ああ、ありがたいね。頂こうか」


 だが、アンドリューさんの返事は、思っていたのと真逆だった。


「えっ?」


 私は思わず彼を見上げた。彼は軽く頷きながら、使用人の方を見て微笑んでいた。

「はい、すぐにご用意いたしますね」


 使用人の女性は柔らかく微笑み、軽やかに建物内へと戻っていった。


「ちょ、ちょっとアンドリューさん……! いいんですか!」


 私は小声で彼の袖を引っ張った。声には、思わず戸惑いが滲んでしまう。

 しかし、アンドリューさんは肩をすくめながら軽く笑った。


「朝飯くらい、いいじゃん? 腹が減ってる状態で、良い仕事なんて出来ないだろぉ?」

「んな! ……まあ、いっか」


 私は、ようやく肩の力を抜いて小さく息をついた。少しくらいなら、大丈夫……かな?

 朝の光が、ゆっくりと宿の静けさを溶かしていく。その中で、私はアンドリューさんと顔を見合わせながら、少しだけ心の重荷を下ろすことができた。

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