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012.三本のローズ

 馬車の中。

 私の横にヘンリーさん、私の前には変装して体を小さくするヴァリク様が座り、聖王国協会本部の敷地外から外に出るのを今か今かと待っている。しばらくして、大きな正面の門を無事潜り抜け、安堵の息が漏れた。

 その時、金属の擦れる音が私の耳をくすぐった。音の方を振り向くと、ヘンリーさんが甲冑の胸プレートを外し始めていた。


「えっ、ちょっと待ってください! 何してるんですか?」


 私は目を丸くし、座席から少し身を乗り出した。


「あ、申し訳ない。さすがに町中で甲冑を着たままでは目立ちすぎますので、地味な服に着替えさせていただきます」


 ヘンリーさんは軽く笑いながら、肩当てを外し、鎧を器用に膝の上でまとめていく。

 その下に着用していた白いギャンベゾンの止め紐をスルスルと解いていった一瞬、チラリと肌色が見えたような気がして慌てて顔を背ける。


「そ、そういうことをされるなら、一言何か言ってからにしてくださいっ!」

「ああ、確かにそうですね。申し訳ない」


 私の言葉に、隣に座るヴァリク様も、居心地悪そうにヘンリーさんに苦言を呈す。


「……女性の前でそういうのは、良くないと思うよ」

「そうでしたね。私は箱入り息子なもので、毎朝十人くらいの侍女に着替えを入れ替わり立ち代わり、着替えをさせられているのですよ。なので、あまり何も思うことがないのですよ。良くありませんでしたね」


 ヘンリーさんは悪びれる様子もなく言葉を続けた。


「ロベリア殿、そんなに目を背けなくても大丈夫ですよ。ちゃんと下着はつけていますから」

「いや、そこが問題じゃ……!」


 最初こそ紳士的で礼儀正しい常識人のように見えていたが、そこそこぶっ飛んだお貴族様のようだ。私が顔を背けている間に、ヘンリーさんはあっという間に着替えを終えてしまったようだ。ふう、と一息吐いたのを察してゆっくりヘンリーさんを見やると、地味なシャツとズボンを身にまとい、得意げなポーズを取る。


「どうです? 平民風の私。ユアンから借りておきました」


 私は肩の力を抜き、呆れたように答えた。


「……お似合いです」


 腰に輝く手入れの行き届いた綺麗な剣が無ければ、と心の中でツッコミを入れる。

 ヴァリク様も「うん……いいと思う」とぎこちなく頷いたが、その表情はまだどこか複雑だった。



 ◆



 馬車が町の入口に到着すると、御者台にいるヘンリーさんからシグルドと呼ばれていた老紳士が小さく合図を送った。馬車のドアを開けたヘンリーさんが最初に降り、周囲を見回して安全を確認する。


「さて、ここからはお二人だけで行動していただきます。私は少し離れた位置から護衛として見守りますので、どうぞご安心を」


 そう言ってヘンリーさんは、ヴァリク様と私に軽く一礼する。


「はい、ヴァ……様の案内は、お任せください」


 うっかり名前を出しそうになって、慌てて誤魔化す。街中ではなんと呼べば良いかまでは、事前に決めていなかった。先日のヘンリーさんは終始「あの方」と呼んでいたが、本人を目の前にあの方と呼ぶのはおかしいだろう……名字でも尋ねてみようかと、考えを巡らせる。


「では、外出を楽しんでください。何かあれば、すぐ駆けつけますので」


 ヘンリーさんは微笑みを浮かべながらそう告げると、早速、馬車の陰に隠れて見張りの態勢に入った。

 ヴァリク様はちらりとヘンリーさんの姿を確認しながら小さく息を吐く。そして、改めて私に向き直った。


「では……行きましょうか」

「はい!」




 町に一歩足を踏み入れると、そこには活気溢れる光景が広がっていた。市場では野菜や果物が山のように積まれ、商人たちが威勢よく客を呼び込む声が響いている。私はその賑わいに目を輝かせたが、隣にいるヴァリク様の様子が少し違うことに気づいた。


「ヴァリク様、大丈夫ですか?」


 私が心配して尋ねると、彼は「問題ありません」と短く答えたものの、その視線はどこか警戒しているようだった。


(やっぱり、普段はこういう場所には来られないのね……)


 私は彼に少し安心してもらおうと、話題を変えることにした。


「植物店はこの先の角を曲がったところにありますよ」


 そう言いながら先に歩き出すと、ヴァリク様は戸惑いながらその後をついてくる。


 植物店に到着すると、店主がにこやかな笑顔で出迎えた。店の外には色とりどりの花々が並び、店内に足を踏み入れると、さらに豊富な植物が目に飛び込んでくる。壁沿いには小さな棚が設置され、その上には観葉植物が整然と並べられている。店内はほのかに湿った空気で、土と植物の香りが心地よく広がっていた。

 店の奥では明るい色のランがいくつも並び、手前のテーブルには寄せ植え用の小さな鉢植えが所狭しと並んでいる。他に切り花のコーナーもあるようで、そこには可憐なローズやチューリップが並んでいる。私たちのほかに客の姿はなく、店主はどことなく暇そうにしているのが印象的だった。


「いらっしゃいませ! 今日は何をお探しですか?」


 店主の問いに、ヴァリク様は少し間を置いて答えた。


「……庭の手入れに、何か良い植物を探しているんですが」


 その返答に私は自然と微笑む。ヴァリク様が少しずつだが落ち着いてきた様子が伺えたからだ。


「どんな植物がお好きなんですか?」


 私が尋ねると、ヴァリク様は鉢植えの方に目を向けた。


「……明るい色の花がいいかもしれない」


 店主が「こちらの花は初心者にも育てやすいですよ」と勧めると、ヴァリク様は興味深そうにその花に触れ、少し専門的な質問を投げかけた。たとえば、「これは直射日光に強いですか?」や「剪定のタイミングは?」など、専門的なやり取りが続いていく。


「すごくお詳しいですね」


 私が感心した声を漏らすと、ヴァリク様は少し恥ずかしそうに視線を外した。


「……これくらいしか、やることが思いつかなかったので。それで、少しだけ勉強しただけです」


 ヴァリク様が自信なさげにそう言うと、店主が「いやいや、少しどころじゃないですよ。こんなに具体的な質問をされる方はそういません」と感心した声を上げる。ヴァリク様はその言葉を聞いて少し照れたように頬を指で掻いた。


「こちらの切り花もおすすめですよ。特にローズは女性に人気です。食卓に一輪あるだけで華やかになりますし。お客様もいかがですか?」


 店主がそう言って、私に切り花のコーナーを紹介した。

 私は、ここで何も買うつもりはなかったのだけれど……。

 それでも、なんとなく眺めていると、ヴァリク様が少し強張った声で店主に話しかけた。


「あっ、あの! 彼女になにか、おすすめを一本……いや、三本お願いします!」

「え、いいのですか?」

「は、はい。今日のお礼、ということで」


 顔を真っ赤にして視線を右往左往させているヴァリク様に、思わず吹き出してしまう。

 赤いローズを新聞紙で包んでまとめてくれた店主は、私ではなくヴァリク様にそれを手渡す。ヴァリク様は受け取った後、真っ赤な顔のままぎこちない動きでそれを私に手渡してきた。

 お礼を述べてそれを受け取ると、手元にやってきた赤いローズに目を落とす。どこに飾ろうか――。

 そんなことを考えていると、ふと内側の記事に目が止まり、ギョッとする。先日書いた、ヴァリク様の横顔付きの私の初記事がそこにはあった。

 ギギギと変な音が出そうになるのではないかという不自然な動きで店主に顔を向けると「ど、どうも~」とだけ言って、大急ぎでその場を離れた。それを見てか、必要な代金を店主に手渡したらしいヴァリク様が追いかけてきた。

 店を出てすぐのところで、私が記事の部分を無言で指さしてヴァリク様にお見せすると、ヴァリク様もギョッとした様子で目を丸くして驚いていた。しかし、店主は気付かなかったのか、追いかけて声をかけてくるようなことはなかった。




 ヴァリク様は目標の買い物を達成されたことに安堵したのか、両手に抱えた小さな植木鉢を見つめて小さく息を吐く。


「この後、どうされますか?」


 私が尋ねると、ヴァリク様は少し考え込むように視線を落とした。


「……少しこの辺りを歩けたらと。あまり長くは外にいられないが……町の様子も見ておきたいので」


 私は頷き、「じゃあ、こちらに」と彼を誘導する。

 その後ろをついて歩くヴァリク様の表情は、どこか柔らかく見えた。

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