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113.取材に来ました。答えていただきます

 私とアンドリューさんは、闇に包まれた道を馬で駆けていた。馬の足音だけが、静まり返った夜道に淡く響く。街灯もない田舎道を抜け、目的地と思われる地点が近づくにつれて、周囲の風景は徐々に木々の影と潮風に変わっていく。夜の帳が降り、空にはうっすらと星が瞬いていた。


 馬の背に揺られながら、私はアンドリューさんに問いかけた。


「……アンドリューさん、あの……外に人の国があるのは分かったんですが、この国って何がおかしいんですか? ノクスリッジ山脈の何が不可思議なんですか?」


 彼は前を見据えたまま、肩越しにちらりと私を見て、肩をすくめるように笑った。


「この国の地理って、ちょっと不自然だと思わないか? ノクスリッジ山脈、あの巨大な山脈がまるで壁みたいに、他の大陸とこの国を遮ってる。人為的っていうか……何かを封じてる感じがするんだよな」

「……封じてる?」

「オレたちはそれを調べに来た。あの山脈の成り立ちと、その向こうに何があるのか。精霊術でも越えられないように感じる境界……まるで『誰かが設けた限界』ってやつだ」


 私はその言葉に、思わず背筋を正した。ノクスリッジ山脈。それは私たち聖王国の民にとって、越えるという発想すらない『外』そのものだった。


「オカルト雑誌の記者ってのは本当さ。ただ、オレたちの本業は潜入調査だ。この国と山脈の謎を追っててな。案外真面目にやってんだぜ」


 彼の声は冗談めいていたが、その奥には真剣な熱が感じられた。調査のために命を張って、この地に潜入するほどの覚悟。


「……だから精霊術の道具も?」

「ま、あっちじゃこういうのも結構出回ってるからなぁ。使えるものは使う」


 やがて、道がさらに細くなり、視界がきかなくなってくる。月明かりも届かない林の縁で、馬が警戒するように足を止めた。アンドリューさんが手綱を引いて馬を落ち着かせ、静かに言った。


「真っ暗すぎる。馬じゃ進めねぇな。少し歩こう」


 私は頷き、馬の手綱を握り直す。アンドリューさんに続いて道を下り始めた。馬の背にいた時よりも、足元から伝わる土の感触が鮮明になる。湿った空気が肌を撫で、遠くから潮の香りが鼻をくすぐる。視界の先、月明かりの切れ間から、海沿いの集落のような輪郭がぼんやりと浮かび始めた。海辺の建物らしき影が連なり、その光景は夜の静寂に溶け込むように、ひっそりと佇んでいた。


 静まり返った夜の道を、私はアンドリューさんの背中を追いながら進んでいた。木々のざわめきは止み、ただ潮の香りと、遠くから聞こえる波の音だけが耳に届く。私たちは馬の手綱を引いたまま、人気のない小道を静かに歩いていた。

 家々の影が、暗がりの中にぼんやりと現れはじめる。灯りはほとんど灯っていない。まるで時間が止まってしまったかのように、あたりは静まり返っていた。遠くに見える海の輪郭が、夜の中に溶け込むように揺らいでいる。


 私は無意識に歩を速めていた。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。緊張しているのだと自分で分かっていても、体が勝手に先へ先へと進もうとする。


「この辺だな。英雄くんは、すぐそこにいる」


 前を歩いていたアンドリューさんが、立ち止まって振り返りもせずにそう言った。彼の声は低く、どこか確信に満ちていた。

 私はその言葉を噛みしめるように聞いてから、静かに頷いた。


「……はい。行きましょう」


 夜の静寂の中、私たちの足音だけが、控えめに土を踏みしめていた。馬たちも静かに従っている。彼らの気配を背後に感じながら、私は再び前へと視線を向けた。そこに、私が追いかけてきた人がいる――その確信が、胸の奥で静かに熱を帯びていた。

 いくつかの建物がぽつりぽつりと並ぶ中、アンドリューさんが一軒の家屋の前で足を止めた。石造りでしっかりとした造りの家だった。窓の隙間から、かすかに明かりが漏れている。外観に特徴はないが、彼の迷いのない動きからして、ここに間違いはないのだろう。


「ここだ」


 彼の短い言葉に、私は無言で頷いた。馬の手綱を軽く引き、傍らの柱に括りつける。動きを止めた馬は、何かを察するように静かだった。

 私は歩を進め、扉の前に立つ。拳を軽く握って、木の表面を二度、静かに叩く。

 しばしの沈黙があった。息を詰め、音のない空気の中に耳を澄ます。やがて、かすかな気配。誰かが動く音。床板の軋む音。そして、ゆっくりとドアが開いた。

 現れたのは、あの人だった。

 高い長身。毛先の乱れた黒髪が無造作に揺れる。前髪の隙間から見える、白く長い睫毛に縁取られた目にはオニキスのように黒い瞳。肌は白く美しいが左目の上から右頬にかけて斜めに大きな傷がある。その傷を隠すように、男性にしては少し長めの前髪が目元を覆っている。そして、筋肉質でがっしりとした体格が、救国の英雄らしい威厳を感じさせる。

 夜の暗がりと室内の灯りの境界に立つその姿を、私は見上げる。彼の顔は驚きを隠していなかった。私を見て、確かに一瞬、言葉を失っていた。

 だが、私は迷わずに口を開いた。


「お久しぶりです。カリストリア聖王国通信社、ロベリア・フィンリーです」


 自分の声が、思ったよりも冷静に響いていた。内心では緊張で指先が強張っていたけれど、それを表に出すわけにはいかなかった。ヴァリクさんは何も言わなかった。ただ、目を見開いたまま私を見つめている。その奥にあるのは驚きか、戸惑いか、それとも──。

 その後ろから、足音がひとつ近づいてきた。アンドリューさんが扉の手前に追いつき、私の横に立つ。彼は軽く片手を上げて、ヴァリクに向けて笑った。


「よう、英雄くん。相変わらず、しけた面してるじゃんか」


 返事はなかった。扉の内側から漏れる灯りが、私たち三人を照らしている。その先に、何が待っているのか。私にはまだ分からない。でも、今この瞬間だけは、はっきりしていた。

 私は、彼に会いに来たのだ。そして今、ようやくその扉が開かれた。


「ヴァリクよ。どうしたのだ」


 そのヴァリクさんの後ろから顔を出した人物に、私は目を見開いた。

 切れ長の目に赤い瞳、金の髪を揺らして顔を出したのは、レオンハルト・アルデリック・カリストリア殿下その人だったのだ。


「あ、え、あの……!」


 ヴァリクさんが上ずった声を出した。それと同時に殿下も大きく目を見開いた。


「ロ、ロベリアではないか! どうしてここがっ……!」

「で、殿下?! ノ、ノクスリッジにいたんじゃないんですか?!」


 返事はなかった。扉の内側から漏れる灯りが、私たち三人を照らしている。その先に、何が待っているのか。私にはまだ分からない。でも、今この瞬間だけは、はっきりしていた。

 私は、彼に会いに来たのだ。

 そして今、ようやくその扉が開かれた。


「ヴァリクよ。どうしたのだ」


 そのヴァリクさんの後ろから顔を出した人物に、私は目を見開いた。

 切れ長の目に赤い瞳、金の髪を揺らして顔を出したのは、レオンハルト・アルデリック・カリストリア殿下その人だったのだ。


「あ、え、あの……!」


 ヴァリクさんが上ずった声を出した。それと同時に殿下も大きく目を見開いた。


「ロ、ロベリアではないか! どうしてここがっ……!」

「で、殿下?! ノ、ノクスリッジにいたんじゃないんですか?!」


 予想外の人物の登場に、私は言葉を失いかけた。夜の静寂の中で波の音が遠くから聞こえている。潮の香りに混じって、焚き火のような微かな煙の匂いが漂っていた。

 ヴァリクさんは私を見て、戸惑いを隠せない表情だった。彼の視線には警戒と後悔が混じっているようにも見えた。それでも私は、ためらわなかった。


「……ヴァリク・ヴェルナードさん。取材に来ました。答えていただきます」


 はっきりとした口調でそう告げた。私の声が夜気に溶けるように響いた。だが、ヴァリクさんは何も言わなかった。ただ沈黙のまま、視線を外した。彼の大きな背中が、かすかに揺れて見えた。

 私は、彼の沈黙の意味を測りかねていた。まさか本当に何も語ってくれないのか? それとも、語るべき言葉が見つからないのか? 目の前にいるのに、遠く感じた。

 そのときだった。


「ヴァリクは……言葉を選びかねているようだ」


 静かに、けれど威厳を持った声がした。レオンハルト殿下が一歩前に出る。彼の姿は扉の灯りに照らされ、まるで夜の帳を裂くように、そこに立っていた。


「ロベリアよ。我が話そう。貴様の取材に、我が応じる」


 その言葉に、私は息を呑んだ。殿下はまっすぐ私を見つめていた。瞳には迷いがなく、その瞳に映る私は、決して記者としてではなく、一人の人間として、何かを問われているように思えた。

 私の取材の目的はヴァリクさんだった。でも、彼が口を閉ざしている今、情報の糸口を失うわけにはいかない。


「……わかりました。お話、伺います」


 私は静かに頷いた。取材相手は変わってしまったが、それでも、ここにしかない真実がある。それだけは、確かだった。




 ヴァリクさんと殿下に促され、私たちは小道を少し奥へと進んだ。建物の裏手には、目立たぬよう控えめに設けられた馬繋ぎの柱があり、私とアンドリューさんはそこに馬の手綱を結びつける。

 夜の静けさが、ここにも深く降りていた。波の音が微かに聞こえる。どうやら海が近いらしい。湿り気を帯びた潮風が頬を撫で、辺りの空気をほんのりと塩辛くしていた。


 次に案内されたのは、先程ノックした石造りの建物だった。外から見た印象は素朴で、装飾らしいものも見当たらないが、扉を開けて中に入ると、思ったよりも整った印象を受けた。簡素ではあるけれど、整頓されていて、生活の息づかいが感じられる。木の床は丁寧に磨かれ、棚には最低限の食器や本が並んでいた。


「少々狭苦しいが、適当に座るがいい」


 レオンハルト殿下が、部屋の真ん中の食卓テーブルを指差して私たちに勧めた。殿下の声は相変わらず落ち着いていて、どこか貴族的な響きを持っている。無駄な言葉は使わず、しかし気配りは行き届いていた。

 私は素直に礼を述べて、促された椅子に腰を下ろした。アンドリューさんも隣に座り、軽く伸びをする。彼にとっては多少緊張の薄い場面かもしれないが、私の心臓はまだ少し早く鼓動を打っていた。


 レオンハルト殿下は一度この場を離れてすぐ隣の部屋に行くと、すぐに戻ってきた。手には湯気の立つポットと、陶器のカップを持っており、テーブルにカップを置くと、丁寧な手つきで茶を注ぎ始めた。


「粗茶ですまないが、喉を潤すには足るだろう」


 陶器のふちから、ほんのりと香ばしい香りが立ちのぼった。香草のような、しかしどこか穏やかな甘さも感じられる。ロベリアとしてではなく、記者として、私はこの空間と時間を目に焼きつけようと意識を集中させた。

 湯気の立つカップを両手で包み込みながら、私は一度深く呼吸をした。部屋を満たす潮の香りと、香草のような茶の香りが鼻腔をくすぐる。部屋にはまだ会話の余白が残っていたが、それを埋めるべきなのは、私だった。


「……殿下」


 私は顔を上げ、レオンハルト・アルデリック・カリストリアの真紅の瞳を見据えた。


「おそらく、私が殿下を取材に来たと思われたかもしれませんが……本来の目的は、ヴァリクさんへの取材です」


 私の言葉に、殿下は少しだけ目を瞬いたが、すぐに口元に薄い笑みを浮かべた。


「なるほど。我はてっきり、神託の儀式や我の動向について、聞きに来たのかとばかり思っていたのだがな」

「もちろん、殿下のことも後ほど改めて取材させていただきたいと思っております」


 そう言うと、殿下はテーブルを挟んだ反対側の椅子に腰かけ、静かに頷いた。

 一方、ヴァリクさんはというと――少し離れた場所に立って、私の目を避けるように視線を落とし、微妙に肩を強張らせていた。その様子に私は内心でため息をついた。やはり、簡単に話をしてくれる状態ではなさそうだ。

 私は、横に座るアンドリューさんに視線を向けた。


「そういえば……改めて紹介します。こちらは、私の協力者で、オカルト雑誌『クロニクル・トレイル』の――」

「……アーレンさん、なんですか?」


 私が言い終わるより先に、ヴァリクさんが小さく呟いた。驚いたように、そして信じられないという表情でアンドリューさんを見つめている。

 アンドリューさんはニヤリと笑って、ピアスを指で軽く弾いた。


「いやぁ、ばれた? まあ、あの時は黒縁眼鏡に地味なスーツだったから、バレないかと思ったけどさぁ」

「生きていたというのは、レオンハルト殿下から聞いてたんですけど……な、なんか、見た目が……」


 ヴァリクさんはごにょごにょと言葉を濁したまま、視線を逸らす。


「殿下に見つかった時は、肝が冷えました。その後、思惑通りに世論が動いたので、殿下が黙っていてくれたのだとすぐに気が付きました。ありがとうございました」


 アンドリューさんの言葉に、レオンハルト殿下が小さく息を吐いた。


「我があの場での発言を慎んだのは、貴様らの意図がすぐに判ったからだ。結果として世論を動かしたのなら、黙していた意味もあったというもの」


 私とアンドリューさんは、その殿下の言葉に静かに頭を下げた。殿下のその判断がなければ、あの記事はあれほどの影響力を持ち得なかったかもしれない。

 テーブルに置かれた茶の湯気が揺れている。私は指先でカップを支えながら、意識を集中させた。

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