104.殿下の頑張り次第
ユアンは水を一口飲み、軽く腕を組んで考え込むような素振りを見せた後、口を開いた。
「じゃあ、アストラル帝国がこの国をどう見てるかって話っすね」
そう前置きしながら、俺たちを見回す。そして、少しだけ考え込むように顎を撫でた。
「ただ、先に言っとくっすけど、オレは調査員なんで、女王陛下がどこまで考えてるかまでは分かんないっすよ。だから、オレが話せるのは、あくまで『オレの知る限りの話』っす」
ユアンは椅子の背に軽くもたれながら、少しだけ口元に手を当てて考えるような仕草を見せた。
「正直な話、アストラル帝国から見たカリストリア聖王国は、かなり異質な国っすね」
その前置きに、レオンハルト殿下は微かに眉を寄せた。
「異質?」
「そうっす。まず、外との関わりがほぼない。交易も存在しないし、そもそも国境を越える手段すら存在しない。だから、帝国側でもこの国の実情を知ってる人はほぼいないっす。どんな政治体制なのか、どういう経済状況なのか、帝国どころか、大陸のどの国も全くと言って良いほど把握出来てなかったっす」
ユアンの言葉に、俺たちは沈黙するしかなかった。確かに、カリストリア聖王国の外に出るには、間にそびえる奇妙な山脈――ノクスリッジ山脈を越えるか、海を行くしかないだろう。
フィオナが少し考え込むように呟いた。
「……つまり、この国は外からはほとんど見えない国ということか?」
ユアンは軽く肩をすくめる。
「そうっすね。だから、オレみたいな調査員が派遣されてるわけっす」
「……やはり、帝国はこの国に興味を持っている、ということか?」
レオンハルト殿下が低く問うと、ユアンは「まあ、そういうことっすね」と頷く。
「帝国が興味を持つ、この国特有の特徴が……手付かずで存在するマナ資源っす」
ユアンは水を一口飲み、軽く腕を組んで考え込むような素振りを見せた後、俺たちを見回した。
「さっき話した、至上種――竜や大精霊がこの大陸を支配してるって話、覚えてるっすよね?」
俺たちはそれぞれ頷いた。ライラはよく分かっていないのか、相変わらずぽかんとしたままだったが。
「で、その至上種たちが管理してるものの一つが、大気中のマナっす」
「マナの管理……?」
フィオナが眉を寄せると、ユアンは軽く頷いた。
「マナってのは、至上種が作り出しているエネルギーの一種っす。で、この大陸のマナは至上種が一定の範囲で管理してる。人類がどれだけ使っていいか、明確な数値が決まってるわけじゃないっすけど……まあ、至上種たちは、大気の流れとかを見て、だいたいの使用量を把握してるらしいっすね」
レオンハルト殿下が小さく息をつく。
「つまり、人類は、至上種の許可のもとでマナとやらを利用しているということか」
「そうっす。至上種が『人間がこれ以上マナを使ったらダメっすね』って判断したら、そこで停止させられるってわけっす」
「……もし、それを超えたら?」
俺の問いに、ユアンは少し肩をすくめた。
「そこは、誰にも分かんないっすね。だって、そんなことが起こった例が、ここ数百年はないんで」
俺たちは押し黙った。至上種の逆鱗に触れた国が、どうなったのか――それを知る術はない。
「ま、そんな感じで、他の国々は至上種に気を遣いながら、マナをやりくりしてるわけっす。でも……この聖王国は、ちょっと特殊なんすよ」
ユアンはそう前置きすると、軽く指を立てた。
「カリストリア聖王国って、ずっと鎖国状態だったじゃないっすか。至上種との交渉からも何故か切り離されて独立状態にあって、しかも何故か精霊術を使用しない。だから、外の国々みたいにマナのやりくりを気にする必要がなかったと思うんすよ。……だから、この半島には未使用のマナが潤沢にある」
その言葉に、レオンハルト殿下の眉が僅かに動く。
「つまり、帝国から見れば、ここはエネルギー資源が放置された未開拓の地ということか?」
「まあ、そう表現出来るかもしれないっすね。でも、資源が潤沢だから寄越せって話がしたいわけじゃないっすよ」
ユアンはそう言いながら、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「とにかく、カリストリア聖王国のマナ資源は、他の国と比べてほぼ手つかずの状態で残ってるっす。これは大陸における人間の国としては、相当珍しいことなんすよね」
俺は、ユアンの言葉を噛み締めながら、カリストリア聖王国という国の異質さを改めて実感していた。
ノルヴァル王国で育った俺にとって、精霊との共存は当然のものだった。大陸のどの国も、至上種である精霊や竜の庇護のもとにあり、精霊術を生活の基盤としていた。風を操ることで船を動かし、火を灯し、水を清める――そういった力を、精霊との謳を通じて人々は享受していた。それが、この大陸における当たり前だった。
だが、カリストリア聖王国だけは違う。
この国には、精霊術がない。
大陸のほぼすべての国では、精霊の加護を受けながら暮らすことが、ごく自然な流れとして根付いていた。誰かがそれを強制したわけではなく、精霊術が便利であり、安全であり、人々の暮らしに溶け込んでいたからだ。結果として、精霊術を通じて至上種との調和が保たれ、それが文化や技術の発展とともに受け継がれてきた。
だが、カリストリア聖王国は、そのどれにも属していない。
この国では、精霊との交渉役すら持たず、精霊術を用いた生活が存在しない。代わりに根付いていたのは、かつて大陸で忌み嫌われた魔術だった。精霊の力を借りるのではなく、生命力を消費して奇跡を起こそうとした技術。しかし、それは人類が扱うにはあまりにも不安定で、制御を誤れば暴走し、数々の悲劇を生んできた。千年前の精魔戦争の最中、多くの国が魔術を危険視し、精霊術へと移行していった。
だが、何故かカリストリア聖王国だけが魔術の体系を保持し続けている。
それは――まるで、この国だけが、何かから逃れるように山脈の向こう側に閉じこもり、他の国々と交わることなく、独自の道を歩んできたように思えた。
なぜ、この国だけがそうなったのか。
どうして、精霊の力を借りずにここまで続いてこられたのか。
そして――至上種は、そのことをどう考えているのか。
俺は、カリストリア聖王国という国の異常性を改めて思い知らされながら、ユアンの話の続きを待った。
レオンハルト殿下が僅かに眉を寄せる。
「つまり、この国は至上種の未開拓の地ということか? もしくは、至上種からも見捨てられた地と言えるのか?」
ユアンは少しだけ口元に苦笑を浮かべた。
「まあ……そこは至上種に確認してみないと、何とも。至上種と直接の交友がある女王陛下曰く、至上種はカリストリア聖王国を忘れているわけでも、見捨てているわけでもないらしいっす。至上種って、何言ってんのか基本的にはよく分かんないから、多分と念押ししてたっすけど」
その言葉に、レオンハルト殿下は静かに目を細める。
「……では、帝国としては、このカリストリア聖王国にあるマナ資源に、どう関与するつもりなのか?」
ユアンは指先でテーブルを軽く叩きながら、慎重に言葉を選ぶような仕草を見せた。
「帝国がこの国をどう扱うつもりかって話になるっすけど……」
少し間を置き、俺たちを見回す。
「オレの知る限りでは、帝国はこの国を敵とは見てないっす。むしろ、関係を築けるなら築きたいって立場っすね」
「……それは、本当なのか?」
レオンハルト殿下が静かに問いかける。その瞳は鋭く、ユアンの言葉の真意を探ろうとしていた。
ユアンは軽く肩をすくめると、苦笑を浮かべた。
「少なくとも、オレが受けた指示の中に敵対的に動けって話は一つもなかったっすよ。むしろ、協力者のこちら側への引き込みとか、可能であれば帝国への招待とかを任務としていたんすよね」
ユアンの言葉にピクリと肩を揺らしたレオンハルト殿下が、勢いよく立ち上がり怒鳴った。
「貴様! それは、我が国の民を、アストラル帝国が拉致したと同義ではないかッ!」
室内に響いた声の余韻が消えるより早く、俺たち元被験者三人は思わず顔を見合わせた。カリストリア聖王国は、俺たちを他国から連れてきた国だ。言葉を選ばなければ、拉致だ。
俺も、フィオナも、ライラも――この国に生まれたわけではない。幼少期にこの国へと攫われ、被験者として扱われてきた過去がある。
「……あのねぇ、殿下がそれ言うんすか? ライラ、フィオナ、ヴァリク様。どう思う?」
俺たちは、それぞれ口を開こうとしたが、絶妙に言葉が出てこなかった。フィオナは腕を組んで考え込み、ライラは目を伏せる。俺も、何か言おうとしたが、適切な言葉が見つからず、結局、気まずい沈黙が落ちた。
サッと顔色を青ざめさせたレオンハルト殿下が即座に謝罪した。
「……すまない。我は、重大な矛盾を犯していた」
殿下は静かに椅子へ腰を下ろし、短く息を吐く。
「貴様たちがまさに他国から連れてこられた存在であったことを、今この瞬間、失念していた……」
俺たちは、特に責めるつもりもなく、その言葉を受け止める。フィオナが軽く肩をすくめる。
「ま、まあ、殿下がわたしたちの拉致を主導したわけじゃないからな。責める気はないぞ」
ライラも小さく頷いた。俺も、殿下を責めるつもりはなかった。
レオンハルト殿下が首謀者というわけではないのだ。むしろ、現王やその配下で動いていたエリザベスたちが悪いのだ。レオンハルト殿下は若い。彼の生まれる前から続く魔術実験に、彼本人の責任はない。
……と言いたいが、彼はこの国の王族なのであった。
ただ――。
「殿下、自分の国のこと、もう少し考えた方がいいっすよ」
ユアンはぼそりと呟くように、レオンハルト殿下の心の傷口を無遠慮につつくようなことを言う。
レオンハルト殿下は、その言葉には何も言い返さなかった。ただ、静かに息をつき、沈黙したまま視線を落とした。
どうやら、彼なりに反省しているらしい。
俺はその姿を見ながら、そっと話の続きを促すことにした。
「ユ、ユアン……それで、アストラル帝国としては、今後聖王国をどうする気なのかな……?」
俺の質問に、彼は顔を笑顔に戻してから指を一本立てて、強調するように言う。
「帝国はこの国をどうこうしようと考えてるわけじゃなくて、まずは何が起こってるのかを把握したいだけっすね」
顔を上げたレオンハルト殿下は腕を組み、わずかに考え込む素振りを見せた。少しの沈黙の後、殿下が口を開く。
「帝国はこの国に何を求めている?」
核心を突くその問いに、ユアンはわずかに目を細めた。
「……オレの立場じゃ、帝国の上層部が最終的にどう判断するかまでは分からないっす。でも、今の段階では『友好的に接したい』って姿勢が基本っすね」
ユアンは少しだけ身を乗り出し、真剣な表情になった。慎重に言葉を選びながら、彼は言葉を続ける。
「あと、こう見えてアストラル帝国は無駄な戦争をしたがる国じゃないっす。必要なら支援することも考えるけど、少なくとも敵対するつもりはない、ってことだけは確実に言えるっすよ」
「……ならば、帝国はこの国に手を差し伸べる可能性もあるのか?」
レオンハルト殿下の問いに、ユアンはわずかに笑みを浮かべた。
「支援には、かなり前向きっすよ。ただ、帝国としては、まずはレオンハルト殿下と信頼関係を築くのが先っすね。何を考えてるか分からない相手と交渉するより、信頼できる相手と関わる方が、どの国にとっても得策っすからね。帝国としては、友好的に事を進めたい考えっす」
その言葉に、殿下はわずかに目を伏せ、考え込むように口をつぐんだ。
沈黙の中、レオンハルト殿下が静かに言葉を紡ぐ。
「……つまり、帝国はこの国の未来に関与した考えがある。それは将来的に、友好的な関係を築くためのものである……ということか」
ユアンは頷き、「そういう理解で問題ないっすね」と微笑んだ。
フィオナが少し考え込むように言った。
「……ならば、アストラル帝国は既に現王にある程度見切りをつけていて、殿下の『王位簒奪』が成功すると踏んでいるのか? ならば、今後殿下がどう動くか次第……という理解で良いのだろうか?」
ユアンは指を鳴らし、「まさにそれっすね」と笑う。
「だから、今後どうなるかは、殿下の頑張り次第ってことっす」
その言葉とともに、部屋の空気はわずかに緊張感を帯びたまま、静かに落ち着いた。
◆
話が終わり、ユアンの提案で精霊術の検証が行われることになった。なんでも、カリストリア聖王国で精霊術が使われないのは、場所の問題なのか、それとも他に原因があるのかを確認するために、ユアンが今調査している内容とのことだ。
まずフィオナが試す。彼女は迷いなく手をかざし、謳を唱え、水の球を作り出した。かなりの大きさだが、不安定さはなく、制御されている。ユアンは満足そうに頷いた。
次に俺が試す。火の精霊術なら扱えるはずだ。集中し謳を唱えると、手のひらの上に小さな火の玉が灯る。フィオナほどではないが、普通に精霊術を行使できることは確認できた。ユアンは少し考え込んでいたが、特に驚いた様子はない。
レオンハルト殿下が試す。彼は手をかざしたまま静かに待ったが、何も起こらなかった。フィオナや俺が精霊の力を借りられたのとは対照的に、完全な無反応だった。ユアンが僅かに首を傾げる。
最後にライラが試す。彼女が精霊に呼びかけた瞬間、空気が変わった。凄まじい勢いで精霊術の波動が広がり、次の瞬間、巨大な火柱が噴き上がる。俺たちは驚愕し、慌てて消火に取り掛かった。フィオナの水の精霊術で鎮火し、ライラ自身も何が起こったのか分かっていない様子だった。
石の天井を焦がす火柱の跡を見ながら、ユアンは再びレオンハルト殿下を見た。殿下が全く精霊術を使えなかったことに対し、彼は何かを考えているようだった。
「……びっくりした」
ライラは自分が呼び出した火柱に、目を白黒させながらぽつりと呟いた。




