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103.ユアン先生の大陸基礎知識講座

 朝焼けが海を照らし、漁村の一日が始まろうとしていた。波の音が静かに響く中、村の外れの街道を二つの影が歩いてくる。

 先頭を歩いていたのはユアンだった。相変わらず軽い足取りで、まるで昨日までここにいたかのように自然に歩いている。対して、その隣にいるセシルの様子はまるで違った。


「うへぇ……もう無理……」


 六年振りの再会の俺の知る限りではあるが、ここまで疲労困憊のセシルは珍しいように思う。目の下にはくっきりとクマが浮かび、足取りは重い。まるで意識だけで身体を動かしているような状態だった。

 彼も、ライラと同じく不死の魔術式を消失しているらしい。髪は枯草のような明るい茶色になっていた。ライラには外から見る限りでは特に違和感は無いようだが、彼女にも疲労に弱い等の変化があるかもしれない。


「お、やっと着いたっすね」


 ユアンがのんびりとした声で言うが、セシルはもうそれどころじゃないらしい。


「俺……寝る……」


 俺たちが一晩滞在したこの建物にたどり着いた瞬間、セシルは背負っていた僅かな荷物を入口に放り出し、そのまま奥の部屋へ進んでいく。俺が何か言う前に、彼はまっすぐ俺が昨日使っていたベッドへと向かい、崩れ落ちるように倒れ込んだ。


「お、おい、セシル!?」


 フィオナが驚いた声を上げるが、当の本人は「悪いけど借りる……」とだけ言い残し、掛け布団もかけずにそのまま眠りに落ちた。その寝息は、数秒もしないうちに安定していく。


 ……よほど疲れていたんだろう。


 俺は少し呆れながらも、ユアンに視線を向けた。彼は申し訳なさそうに頭を掻いている。


「魔術式が消えて身体に違和感がある状態で、空酔いさせちゃったみたいで。すいませんした」

「そっか……でも、ここまでセシルを連れてきてくれてありがとう。ユアン……さん」


 俺はふと、相手の年齢を思い出し、少し慎重に言葉を選ぶ。ユアンは俺たちより年上だった。これまで何となく気楽に接してきたが、三十二歳と聞いた今、少し気を遣うべきかもしれない。

 しかし、ユアンが目を丸くしたと思った次の瞬間、堪えきれないといった様子で笑いはじめた。


「あはははは! いやいや、ユアンさんって何すか? 急によそよそしくなって!」


 俺が困惑している間にも、ユアンは腹を抱えて笑い続ける。


「いや、だって、ユアン……俺より年上だったから……」


 俺がしどろもどろに言うと、ユアンはニヤリと笑い、満面の笑顔で言った。


「今まで通りでいいっすよ、ヴァリク様」


 その言葉に、俺は少し肩の力が抜けるのを感じながら、安堵の息とともに小さく頷いた。

 ユアンの笑いがようやく落ち着いた頃、レオンハルト殿下が静かに口を開いた。


「我からここにいる全員には、すでにユアンのことについて説明しておいた」


 その一言に、ユアンは「おっ」と小さく声を上げ、軽く眉を上げる。


「マジっすか?」

「当然だ。余計な誤解を招くより、最初に話しておいたほうがいいと判断した。貴様が帝国の調査員であることも、我々に敵意がないらしいこともな」

「なるほどっすねぇ」


 ユアンは納得したように頷きながら、視線を俺たちへ向ける。


「じゃあ、みんなもうオレのこと知ってるってわけっすね。うーん、隠しごともナシってことで、逆にスッキリっす」


 そう言って、いつもの調子で軽く肩をすくめる。

 俺も殿下の言葉に思わず納得した。確かに、何も知らないままユアンの正体を後から知るよりは、先に聞かされていた方が変に警戒しなくて済む。


「分かりました。じゃあ、我らが女王陛下との謁見の前に、我々、アストラル帝国側の事情の説明をしましょうか」


 ユアンはそう言うと、俺たちのほうを見てにっこりと笑った。


「さて、と」


 ユアンは軽く腕を伸ばし、身体をほぐすような動きをしてから、俺たちを見回した。


「こっちでは、帝国のことってほとんど知られてないっすよね?」


 俺もフィオナもレオンハルト殿下も、特に否定はしなかった。ライラに至っては、そもそも「帝国」という言葉がよく分かっていないようで、ぽかんとした顔をしている。


「まあ、そうっすよね。聖王国って、外の情報が全然入ってこないし、国境も閉じられてるし……知る機会ないっすもんね」


 ユアンはそんな俺たちの反応を見て、軽く頷いた。


「じゃあ、まず大前提から説明するっすけど……この大陸で、今一番影響力を持ってる()()の国は、間違いなくアストラル帝国っす」


 その言葉に、俺は思わず息を呑む。

 帝国が大国であることは、漠然とした知識として知っていた。だが、ユアンの言い方はそれとは違う、別の意味を含んでいるように聞こえる。……と言っても、俺は十歳になる直前までは、北の端のノルヴァル王国で暮らしていた。だから、この『()()()()()』が、()()()()()()ことは知っている。

 だが、大陸について全く学ぶ機会が無かった様子のフィオナとライラ。そして、カリストリア聖王国という閉じた世界で生きてきたレオンハルト殿下は、怪訝な顔でユアンを見つめている。


「今、帝国はこの大陸の半分以上を事実上支配してるっす。もちろん、全部を軍事で制圧したわけじゃないっすけど……技術、経済、貿易、情報、あらゆる面で他の国より抜きん出てるんすよ。だけど、それは、あくまで人類という、下等生物の領域の話っす」

「……どういうことだ?」


 ユアンはレオンハルト殿下の問いに、「それを今から話すっすよ」と、少し表情を引き締めた。




 俺たちがテーブルのある部屋まで来ると、前を歩いていたユアンは僅かに振り返って言った。


「……まあ、長くなるし、とりあえず座りましょうか」


 ユアンが軽く手を振りながら言うと、俺たちは各々、食卓の椅子を引いた。朝食の名残が少し残る木製のテーブルの上には、水差しと空になった皿がいくつか置かれている。

 俺は席に座ると、改めてユアンに視線を向けた。

 ユアンは椅子に腰かけると、パンと手を叩いてから俺たちを見回す。


「さあ始まりました、『ユアン先生の大陸基礎知識講座』っす!」


 食卓のテーブルを軽く叩きながら、ユアンはやたらと楽しそうに言い放った。俺たちは揃って彼を見つめる。


「……なんだそれは」


 レオンハルト殿下が呆れ気味に言うと、フィオナも「う、うむ……」と微妙な顔をする。ライラに至っては「こーざ?」と、そもそも単語の意味すらよく分かっていない様子だった。

 俺は腕を組んだまま無言で頷くことにした。正直、自分の記憶に自信は一切なかったから、子供の頃の生活を思い出す意味でも、これからの話は大いに勉強になるのではと思った。


「帝国の話をする前に、そもそも大陸の常識について知っておいたほうがいいっすよね?」


 そう言って、ユアンは椅子に深く座り直し、俺たちを順に見回した。


「というわけで、まずはこの大陸の成り立ちから話すっす。今から大体千年前くらい、この大陸では『魔』と『精霊』が戦争をしてたんすよ」


 ユアンの言葉に、俺は思わず眉を寄せた。


「そんな歴史があったのか?」


 フィオナも驚いたように腕を組む。ライラは相変わらずきょとんとしていて、レオンハルト殿下は表情を変えずに聞いている。


「で、戦いの末に勝ったのは精霊側っす。つまり、今この大陸は精霊種――つまり『至上種(しじょうしゅ)』が支配する土地ってわけっすね」


 ユアンは指を一本立てながら、さらりと言う。


「至上種……?」


 フィオナが首を傾げると、ユアンは頷いた。


「至上種ってのは、人間とは違う生命のサイクルを持つ存在っす。竜とか、大精霊とか……そういう方々っすね。俺たち人類は、至上種の支配する領域に、間借りさせて頂いている生き物という扱いっす」


 俺は無言でユアンの言葉を聞いた。

 至上種の存在くらいは知っていた。絵本に必ず出てくる、竜や大精霊のような、遥か昔から続く伝承の中に出てくる強大な存在。それらがこの大陸に実在していることも、少しばかりの知識としては持っていた。

 だが、彼らが「支配者」だという感覚は、これまでの俺にはなかった。どちらかと言うと、時々お祈りを捧げる神様のような認識に近かった。


 確かに、至上種が人間とは異なる理で生きていることは知っている。寿命が千年を超え、人間の手が届かない力を持ち、彼らが死ぬ時には大陸の地形を大きく変動させる程の強大な影響力を持ち、一部の個体は長い歴史の中で変わらぬまま存在し続けている。

 しかし、それはあくまで自分達の暮らしとは干渉することのない物語だと思っていた。

 そもそもこの国では、至上種について語られること自体が全くない。不自然なまでに精霊や至上種に関する情報が削除されている――そんな印象を持っていた。

 ユアンは軽く椅子の背に肘をついた。


「人間がこの大陸に住めてるのは、かつて人類が、至上種と交渉したからなんすよ」

「……交渉?」


 俺は思わず聞き返す。


「そうっす。要は、『ここに住んでいいですか?』って頼んで、至上種がそれを認めたってことっす」

「そんな話、聞いたことがない」


 フィオナが困惑した顔をする。ライラはぽかんとしたままだし、レオンハルト殿下は相変わらず静かに聞いている。


「まあ、この辺は……何故か聖王国じゃ語られてないっすもんね。でも、大陸では割と常識で、だいたい十代になる頃にその辺りの歴史の勉強をする国が多いんすけど……フィオナもライラも、多分ヴァリク様も、この辺りの基礎知識を学ぶ前にこの国に連れて来られてるから、認識が曖昧なんすかね?」

「……そうなのかもしれない」


 俺はかつて通っていた学校を思い出しながら答えた。基礎的な算術の他に精霊基礎言語術――初歩的な精霊術を行使するための(うた)の授業――もあったと記憶しているが、発音を暗唱させられるだけの、退屈な授業だったと記憶している。

 この大陸のそういった基礎知識を学ぶのは、おそらくは歴史の授業だが、それをきちんと受けた記憶はない。今のノルヴァル王国の王様の名前と功績を学ぶ授業くらいは、あっただろうか。


「……で、至上種と交渉できる人間は、精霊言語を話せる人に限られてるっすけど、各国にはそういう役職者がいるんす。それで、定期的に上位種とは交渉をしていて、結構仲良くやってるんすよ」

「……せーれーげんご?」


 ライラがぽつりと呟くように問いかけた。


「まぁ、人間がしゃべるには難しい言語っすけど、一部の言語は人間の生活の中でも出てくるっすよ。例えば、精霊への呼びかけに使う『応えたまえ(ㇻトゥ・リカ)』みたいな謳とか、魔に傾倒する人類を指す『原初の闇の徒(ズァキル・ァグル)』みたいな慣用句とか。……そんな感じで、オレたちの生活に密接に関わっている言語を話し、密接に関わっている存在でもあるのが、『至上種』の方々っす。そして、精霊言語を使って意思疎通できる役職者がいるからこそ、今の人間の暮らしがあるんすよ。……で、ここからが重要な話っす」


 ユアンが椅子の背にもたれかかりながら、俺たちを見回した。


「至上種ってのは、基本的には平和的な上に、人類にそこまで興味がないっす。でも――」


 ユアンは指を一本立て、少し声を落とした。


「もし、至上種の機嫌を損ねすぎたら、警告なしで国が消滅するらしいっす」


 少し間を空けてから、さらりと言う。部屋の空気が一気に冷えた。

 警告なしで国が消滅する――。

 至上種の力は強大で、人間の及ぶものではないと語られることはあった。けれど、それはどこか遠い存在としての話であり、彼らの機嫌ひとつで国の命運が左右されるなどという発想はなかった。


「……どういうことだ?」


 俺は思わず口を開く。


「まあ、数百年は起きてないんで、具体的に何が起こるのかは誰も知らないっすけど、大陸のどこかの国が、至上種の許可なくマナを使いすぎたせいで、地図から消えたって話があるんす。……大昔そういうことがあったって記録だけが残ってるんすよ」


 ユアンはさらっと言う。


「……本当に、そんなことが?」


 俺はユアンの顔をじっと見つめた。


「まあ、信じるかどうかは……殿下にお任せしますが。……でも、オレたち外の国の人間は、『そういうことがあり得る』前提で生きてるんすよね」

「……カリストリア聖王国では、そんな話は語られてはいない」


 呟くように言葉を言ったきり、レオンハルト殿下は腕を組んだまま、沈黙した。普段と変わらない冷静な表情を保っているように見えるが、微かに眉間に皺が寄っていた。

 彼が何を考えているのかは分からない。これまで聞かされてきた『歴史』と、今ユアンが語った『大陸の常識』を照らし合わせ、心のどこかで齟齬を感じているのだろうか。それとも、彼はすでにこの話を知っていて、改めて何かを確かめようとしているのだろうか。

 俺は殿下の横顔を窺うが、その内心を測るには、彼の表情はあまりに静かすぎた。


「そっすね。まあ、この国はずっと外と関わらなかったから……」


 ユアンは軽く肩をすくめる。


「でも、それもそろそろ変わるかもしれないっすね」


 その言葉に、俺たちは思わず息を呑んだ。


「……さて! これで大陸の基本的な話は終わりっす」


 ユアンは両手を広げ、明るい調子で言う。


「じゃあ、次は『帝国がこの国とどう関わっていきたいか』の話っすね」


 俺たちはそれぞれ違う形で、この情報を受け止めていた。

 ユアンのこの大陸に関する講義は、まだ続きそうだ。

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