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100.ばんざーい!

 王都の均衡が崩れ始めたのは、告発記事が出るよりも前のことだった。


 その日、三つの事件が立て続けに発生した。


 オカルト雑誌「クロニクル・トレイル」の二名が屋上から転落し、死亡したと見られている。

 彼らが報じようとしていた告発記事の情報の出所についての詳細を知る者は少なく、事件は単なる事故として処理された。だが、クロニクル・トレイルに注目していた人々の間では疑念が消えることはなく、王都の片隅に設けられた祭壇には花が手向けられるようになった。


 同じ日、軍防卿ガルヴェイン・ストラグナーが何者かの手によって殺害された。

 王国の防衛を担う要職にあった彼の死は、王国の軍事機構に大きな空白を生じさせたが、新たな軍防卿の選出には時間はかからないと見られている。軍防卿の家系は世襲制であり、次期軍防卿には彼の歳の離れた若き息子が就任するだろうと予想されていた。

 しかし、王国に忠誠を誓ってきた前軍防卿の死が、軍防卿配下の中枢にどのような影響を与えるのかは未知数だった。


 さらに、その夜、王都の劇場でエリザベス・クロフォードの部下であるエドモンド・カーターによる暴動が発生した。

 彼は突如として舞台上のライラに襲いかかり、場内は一時的な混乱に陥ったが、その場にいたフィオナによって殺害された。フィオナは事件直後に逃亡し、聖王国側では行方を把握できていない。劇場関係者であるオモカゲ劇団のメンバーは一時的に拘束され、事情聴取を受けたが、彼らは一貫してフィオナを擁護し続けており、情報を引き出すことはできなかった。

 事件の背景は未だ明らかにならず、調査が進められているが、王都では大きな騒ぎにはなっていない。


 そして、その三日後、告発記事が世に出た。

 告発されたのは、王直属の魔術技師エリザベス・クロフォード。彼女の関与していた非人道的な実験の実態が明るみに出ると、王都の空気は一変した。彼女に対する非難の声が高まり、王都の広場では彼女の処罰を求める者たちが現れ始める。


 さらに、オカルト雑誌「クロニクル・トレイル」の二名が、軍防卿の言論統制のもとで死に追いやられた可能性が高いという事実が明るみに出ると、世論は大きく揺れた。記者たちが何を報じようとしていたのかが明らかになるにつれ、人々の間には彼らは正義のために命を落としたという認識が広まり、世間は彼らに対し強い同情を抱くようになった。

 彼らの死はもはや単なる事故ではなく、「報道の自由への弾圧」として語られ始めていた。王都の片隅に設けられた追悼の祭壇は日に日に大きくなり、そこに手向けられる花の数は減ることがなかった。


 しかし、王は沈黙を貫いた。

 むしろ彼はエリザベスを庇い、彼女への告発を無視する姿勢を取った。これにより、王室内部の対立は決定的なものとなった。

 八卿の間では、エリザベスを巡る政治的な駆け引きが始まりつつあった。


 そんな中、王都から遠く離れたノルドウィスプでは、緊張が高まりつつあった。

 軍防卿の死を受け、軍防卿配下の統制が揺らぐ中、農地卿配下と軍防卿配下とが武力衝突寸前にあった。ノルドウィスプには、農地卿配下――第二王子レオンハルト・アルデリック・カリストリアを支持する勢力が根を張っており、軍防卿の交代が彼らにどのような影響を与えるかは未知数だった。

 王都ではまだ表立った動きは見られないものの、戦の火種が燻っていることを感じ取る者もいた。


 さらに、水面下では、アストラル帝国が動き始めていた。

 彼らの動きは公にはなっていない。しかし、帝国の一部の者が密かに第二王子派と接触を持ったという情報が上層部で囁かれている。これが単なる様子見なのか、それとも帝国がより深く介入しようとしているのか――。

 王都の民衆は何も知らず、王政の混乱だけが静かに広がっていた。


 王室、八卿、教会、そしてアストラル帝国。

 それぞれの思惑が交錯する中で、聖王国の均衡は今まさに崩れ落ちようとしていた。



 ◆



 フィロメーヌ・セラピム・ロートレイクは、聖王国教会本部の廊下を走っていた。石畳の床に、自分の革靴の足音がペタペタと小さく響く。視界の端で、自分の銀の髪が揺れている。

 普段なら、こんなに慌てて走ることはないのじゃ。だが、今日は別であるのじゃ。

 リヒトが……リヒト・ストラグナーが心配なのじゃ。


 わらわは息を切らしながら、長い廊下を駆け抜ける。その時、不意に視界に大きな鏡が映り込んだ。


「……うぉっ」


 思わず足を止める。細長い鏡に映る自分の姿は、いつもと違っていた。

 白を基調とした儀式用の衣をまとい、青い目を大きく見開いた少女が、驚いたようにこちらを見返している。ふわふわとうねる銀の髪は走ったせいで前髪が乱れ、ふわふわと肩のあたりで浮いておる。頬もやや赤らみ、焦りの色がありありと浮かんでいた。


「……はぁ、なんとも落ち着かぬ顔をしておるのじゃ」


 わらわは、反射的に衣の裾を整え、髪を手で撫でつける。このボサボサ頭のままリヒトに会ってしまったら、きっと馬鹿にされてしまうのじゃ。

 深呼吸を一つして、また廊下を走り出す。


 リヒトの父、先代の軍防卿ガルヴェイン・ストラグナーが死んだ。しかも、王国の情勢が不安定になっているこの時期にじゃ。

 リヒトは、とうとう軍防卿になってしまったのじゃ!


 わらわにとって、リヒト・ストラグナーは生まれた時からずっと側にいる存在じゃった。

 軍防卿の家系に生まれた者として、武の道を進むのが当然とされていたはずの彼は、しかしその厳格な家風に馴染もうとせぬ男じゃった。武勇を誇るよりも、王都の喧騒を面白おかしく語り、戦の話よりも街の流行やくだらぬ噂話をしておる方が楽しそうに見えた。

 そのせいか、わらわとは気が合い、何かと話す機会も多かったのじゃ。


 軍防卿ガルヴェイン・ストラグナーの訃報を聞いた時、わらわの頭に真っ先に浮かんだのは、父を亡くしたリヒトのことじゃった。

 先代の軍防卿が、優しい父親であったとは到底言えぬ。軍事を司る者として厳格で、息子であるリヒトにも容赦がなく、幼い頃からあまりにも理不尽な厳しい訓練を課していた。リヒトの兄が死んだのも、先代軍防卿の厳しい教育のせいじゃ。

 彼はリヒトのことも「弱い」と断じ、強くするために鍛え上げようとした。リヒトがそのことを激しく嫌っておったのは、わらわも何度も聞いていたし、見てきた。


 それでも、実の父親が死んで何も感じぬはずがないのじゃ。たとえ憎んでおったとしても、血のつながりがある者が亡くなるというのは、そう簡単に割り切れるものではない。

 ましてや、彼は自ら望んで軍防卿になったわけではない。生まれながらに決まっていた道とはいえ、いきなり重責を背負わされる気持ちは、いかほどのものか。


 今、リヒトは何を思うておるのじゃろうか。


 年若くして重責を担うことになったリヒトが、どうしておるのか。普段は飄々としているリヒトも、さすがに落ち込んでいるかもしれぬ。父のことを酷く嫌っていたとはいえ、家族の死を悲しまぬ者などいないのじゃ。

 それに、そもそも父の死というものは、何にせよ大きな変化をもたらす。生まれながらに軍防卿の座を継ぐ定めだった彼は、どんな心持ちでおるのか。


 そんなことを考えていると、いつの間にか目的の部屋の前に辿り着いていた。木製の扉を前にし、フィロメーヌは小さく息を吐く。手を伸ばし、躊躇いがちにノックをしようとしてやめた。

 扉の向こうから、小さく祈りの声が聞こえる。


 やはり、父の冥福を祈っているのかの……?


 どう声をかけるべきか悩んだ。このまま静かに去るべきか、それとも――。

 そう考えていると、不意に扉が開いた。


「あ……」


 目の前にいたのは、全身真っ白の喪服姿のリヒトじゃった。

 茶髪のゆるくうねった髪は、乱雑にかき上げたような真ん中分けになっている。喪服の襟元から覗く肌は浅黒く、琥珀色の瞳はどこかぼんやりと濁っていた。普段の飄々とした雰囲気は影を潜め、長身の青年は、泣きはらしたような目でこちらを見下ろしている。目元は赤く腫れ、まるで長い間泣いていたかのようじゃった。

 フィロメーヌは驚き、思わず口ごもりながら声を発した。


「……あ、あの……リヒト……わらわは……」


 リヒトは、ぼんやりとした目をこちらに向けたまま、呟くように言った。


「クソガキ、聞いてくれよぉ……親父殿が死んじまったぁ……」


 リヒトは、ゆっくりとこちらを見つめる。次の瞬間、彼の口から出た言葉に、フィロメーヌは息を飲んだ。

 震える声。涙を浮かべた目。喪服姿の青年が、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 やはり、父の死を悲しんでいるのか と思った――その直後。


「おれが親父殿を殺したかったのに!」


 リヒトは拳を握りしめ、悔しそうに歯を食いしばった。まるで、悔しがるように。


「え……?」


 フィロメーヌは思わず目を瞬かせた。リヒトは憮然としながら天を仰ぐ。その表情には、悲しみなど微塵もない。


「おれが殺すつもりだったのにさぁ、どこかの誰かに先を越されちまったよ。まったく、何してくれてんだか。でも、親父殿を殺してくれてありがとう、どこかの誰か! 大感謝! 大大大感謝!」


(……父が殺されて、感謝しておる!?)


 フィロメーヌは、完全に理解が追いつかず、呆気にとられたままリヒトを見上げた。リヒトはそんなフィロメーヌの視線を気にも留めず、ふぅ、と大きく息を吐く。


「はぁ……これで、おれもやっと自由だ。まぁ元々、老人だったし、恨みも沢山買ってたし、いつ死んでもおかしくなかったよな! うんうん」


 そう言うリヒトの目には、どこか解放感すら漂っていた。彼は喪服の裾を翻し、両手を大きく掲げた。


「よーし! 今日からは、おれが軍防卿だ! フィロメーヌ、祝ってくれよ! 今日からお前の同僚だぜ!」


 フィロメーヌは、眩暈がした。リヒトが父を嫌っていたことは知っておる。けれど、ここまであっけらかんと喜ぶとは思わなかったのじゃ……。

 だが、リヒトは心底嬉しそうな顔で、満面の笑みを浮かべている。


 フィロメーヌはしばらく呆然としていたが、ふと息をつく。


(まあ、本人が喜んでおるのじゃし、いいのかの……?)


 フィロメーヌの本音を言うならば、ガルヴェイン・ストラグナーが死亡し、リヒトに軍防卿の順番が回ってきたのは、嬉しい出来事なのだ。喜ぶべき場面ではないことは分かっているが、どうしても浮足立ってしまう。

 フィロメーヌは十四歳になったばかり。他の卿と年齢が離れすぎているフィロメーヌは、八卿の中で自分がどう立ち回って良いのか、判断がつかなかったのだ。

 ただでさえ、仕事の少ない祭儀卿という、肩身の狭い立場のフィロメーヌは、必要最低限のやりとりだけをするように心がけていた。


(怖い顔のおじさんたちに囲まれる生活も、これでおさらばなのじゃ!)


 これで侍女たちに「今日もフィロメーヌ様がぼっちでいらっしゃるわ」などと軽口を叩かれたり、子供扱いされて文典卿クラウス・グランディエにお菓子を餌付けされたり、農地卿アティカス・ヴァレンフォードに突然高い高いされて悲鳴をあげたりすることもなくなるのじゃ! リヒトの横におれば、きっとわらわが浮くことはなくなるのじゃ!


 フィロメーヌはなんとも言えぬ気持ちになりながらも、リヒトの方を向き、ゆっくりと手を上げた。


「……う、うむ。では、祭儀卿フィロメーヌ・セラピム・ロートレイクが、これを儀式として執り行うのじゃ。祝福の万歳なのじゃ!」


 リヒトが満面の笑みで応える。


「おう! せーのっ!」

「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」


 二人の声が、聖王国教会本部の静寂の中に、ひどく場違いに響き渡った。

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