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大空転!

「ミサカの大馬鹿野郎め!」

 と、ミナミニセコは寮で机を拳で叩いた。

 ミナミニセコは、函館本線を走行していた急行「ニセコ」に由来する名前で、この列車を牽引するC62蒸気機関車の機関士であった祖父が付けた名前だ。ニセコと言う名前で誤解されるがれっきとした男である。

 ミサカはニセコとミサシマには本当のことを言わず、「セイコと離れたくない」と嘘の理由を話していた。

「けっ。モデルに入り揚げやがって。こんなんじゃ、ミサカは何処行っても成功しねえよ。あれが本当に俺達の隊長機だったのか?まあ、俺はツバサのほうが隊長機に向いていると思っていたがな。ミサカがあんな奴だったなんてな。」

 と、ミサシマは言っていた。

 本当の理由を知るツバサは何も言えなかった。

 寮の荷物をまとめていたミサカはツバサに、

「Level―Zの隊長機にはお前が向いている。今後、彼らを頼む。何、俺は今回諦めたがいつかまたSL機関士を目指す機会があったら、志願するさ。」

 と言い残した。

 ツバサは本当の理由を言わないことにした。ツバサにだけ言って他の面子に言わないのは、セイコのために勇気を無くしてしまったと言えば、セイコまで非難されると思ったためではないかとツバサは考えたからだ。

「とにかく、残った面子でSL機関士を目指すんだ。ボイラー技士は取った。後は甲種蒸気機関車運転免許を取れれば、本線上での運転が開始されて、俺達はSL機関士だ。それを目指し、ミサカの分まで奮闘しよう。」

 と、ツバサは言った。だが、

「ミサカの事は忘れよう。未練たらたらで試験に落ちたら、もっと情けないぜ。」

 と、ニセコは、ミサカの分という言葉に反発した。

「奴の目を見たか?本当にモデルに入り揚げるような奴に見えるか?」

 ツバサも言った。

ツバサからしたら、SL機関士になった後、厳しい環境下でSLを運転する事が怖いという本当の理由のほうが情けないと思うからだ。

 気が付けば、ボイラー技士の研修で一ヶ月が経過していた。

 これから更に一年程かけて、甲種蒸気機関車運転免許取得に向けた講習が行われる。

 その内容は、シミュレーターを使った物がメインになるが、これで甲種蒸気機関車運転免許に向け本格的な講習が始まる。

 機関士志望のツバサと、機関助手志望のミサシマとニセコは最初のうちは同じ学科講習を受けていたが、実技になると話が違って来た。

 機関士志望のツバサはシミュレーターで模擬運転をするが、機関助手志望のミサシマとニセコは投炭訓練をするようになった。投炭訓練は、機関車の火室に石炭をくべる訓練である。簡単そうに思えるがこれはかなり難しい。火室の中に石炭をくべる際は、石炭が均一になるようにして火床を作らなければならない。石炭が偏ると蒸気が上手く上がらず、機関車は走れないのだ。投炭訓練は石炭、または石炭を模した石をスコップで火室に見立てた物の中に放り込むのだからかなり体力が要る。だが、これより厳しいのが機関士だ。

 機関士は、火室の中の状態を考えてシリンダーに送る蒸気の量を調節したり、加速する時に使う蒸気圧の量を調節したりしなければならない。まして、空転させてしまえば、せっかく機関助手が作った火床が崩れ、酷いと火床の石炭が不完全燃焼を起こしてしまう事もあり、機関助手に相当な負担を掛けてしまう。

 ミサシマとミナミニセコは投炭訓練で疲れきったが、そんな二人に負担を掛けないようにと、厳しい指導を受けながら運転シミュレーターに向き合うツバサを見ると、疲れは吹き飛んでしまった。

 機関士は、肉体労働者であると同時に、火室の状態や機関助手の負担を考えて機関車を動かす頭脳労働者でもあるのだ。

「甘くは無いぞ、SL機関士。」

 と、ツバサは自分に言い聞かせる。

 そんな最中、長野に居るツバサの妻の明里は、出産に備えて入院する事になったと知った。

 まもなく、彼女は子供を産むというのだ。

 毎日の電話は、病院からかけるので短い物になっていった。

 それでも、明里の姉の持田萌が明里の面倒をなるべく見るようにすると言い、明里の両親も、姉と同じく面倒を見ると言う。

 だが、ツバサは心配になってしまった。それと同時に、明里が出産すると言うときに、自分の夢を追いかけていていいのかと思うようになった。

 それが、シミュレーター訓練に現れてしまい、ある日、急な上り勾配を低速で走行中に空転を起こし、それを食い止めようとしたがなぜか食い止められず、最後は立往生してしまった。

 蒸気機関車は低速走行中に3回空転すると止まると言われている。

 空転で止まった時は後進して平坦な場所に戻り、再度加速して勾配に挑むのが通常なのだが、ツバサはあろうことか、後進させず、その場で蒸気圧が上がるのを待ち、見よう見まねで蒸気圧を圧縮させ、強引に圧縮引き出しをしようとしたのだ。だが、こんな事で機関車は動くはずは無く、大空転を起こして火室の中の火床に大穴が開いて石炭を不完全燃焼させたせいで機関助手に相当な負担をかけてしまう結果になり、見かねた教官が「止まれ!バックしろ!」と怒鳴った。

「一体君は何をやっているんだ!」

 シミュレーターが終わった時、教官は血相を変えて怒鳴った。

「あんな所で圧縮引き出しする奴があるか!火床に大穴を開けるだけじゃねえ!動輪のタイヤが歪むぞ!」

 ツバサもあのとき、何を考えていたのか分らない。だが、これは致命的なミスである。

「一度クレベリン検査をしろ。気が抜けたんだろあれは。」

「―。」

 ツバサは言われた通り、明後日クレベリン検査を受ける事にした。いや、教官に強制的に受けさせられる事になった。

「大丈夫か?」

 と、ミサシマが言う。

「明里が入院したって時に、俺は夢を追いかけていて良いのかって考えちまった。それが、今日の結果さ。悩みや考え事は乗務員室に入ったら切り離せって、海老原教官に散々教えられたのに。何やってんだ。」

 ツバサは情けなくなった。

「機関助手の方はどうだ?」

「相変わらずさ。だが教官は―。」

 教官は以前よりもかなり成長したと言っていると言おうとしてミサシマは止めた。それを言ってしまえばツバサを余計に追い込んでしまう。

「俺もミサカと同じように、彼女が大事で仕方がないのかな。」

 ツバサはため息をついて、ポケットから懐中時計を出した。懐中時計のキーホルダーには、群馬を走った「オリエント急行」の先頭に立つC62蒸気機関車の写真と、大糸線にやって来たC57蒸気機関車の運転室に明里と二人で入れてもらった時の写真が貼ってある。

「あの日見たC62の姿を思い出して奮闘したは良いが、空転を起こし、食い止めようとしたが分からず屋の親や理想主義者は相手にしてくれなかった。そのため無理に自分を追い込んで無理矢理にでも、前に進もうとしたら余計に空転してしまった。」

「まるで今日の俺の運転だ。明里の事は切り離そうとしても、気になってしまい空転させて、最後は火床に大穴開けるわ、タイヤ歪みそうになるわ。」

「だが、そんなときは一度止まって、平坦線に戻って再度加速しろ。まったく、蒸気機関車って人間に似ている。一人では動かせないし、ちょっとした悩みや不調にも敏感で、ちょっとした悩みや不調があると元気に走ってくれない。そしてなりより、険しい道を進む人が必死に努力する姿と同じように、蒸気機関車が急勾配に挑む時は石炭をガンガン燃やして蒸気圧を限界まで、安全弁が噴くまで高めて一歩一歩前に進んで行く。」

「―。」

「明里さんがお前を送り出すとき、「ツバサには蒸気機関車が似合う」と言ったのはそういうことだろう。お前がどんなに苦しくてもゆっくりと着実に、時に空転して立往生しながらも、前に前に進んで明里さんの所へやって来た姿が、急勾配に挑む蒸気機関車にそっくりだって。それがお前の良い所であったが、大学では逆にそれが空回りを引き起こす原因にもなった。楽ばかりして遊んでばかりの連中だらけの中で、驀進しようと奮闘するお前が浮いてしまい、周りからバカにされた。それでもお前は生き方を変えることはなかった。だから、今のお前がいるし、明里さんもお前のそういうところが一番好きなんだと思う。だから、明里さんが一番好きな姿でいようぜ。」

 と、ミサシマは言った。

 彼の言うとおりだった。学生時代、彼女に自分のどこが一番好きかと聞いた時、彼女は照れながら「周りに流されて楽な方へ流れること無く、険しい道を突き進んで私の所に来てくれるところが一番好き。」と言っていた。

(俺、なにしてんだよ。)

 と、ツバサは思った。

 後日、教官から課せられたクレベリン検査を受ける。

 これは集中力や精神状態を検査する物で、単純な計算をひたすら続け、その結果を元に集中力と精神状態を見る。

(集中あるのみ。今くよくよしたってしょうがない。明里には、姉ちゃん達が付いているから。)

 ツバサはこう言い聞かせ、クレベリン検査を終えた。

 結果は直ぐに出た。

「特に問題はありませんね。」

 と、検査官は言い、その結果を教官に伝える。

「あの時、何を考えていた?」

 教官に聞かれ、ツバサは明里の事を話した。

「そうか。なら、君の大切な人やこれから生まれてくる君の子供に対して恥ずかしくない姿でいろ。そういう悩みなんかは、乗務員室に入る前に切り離す。それはシミュレーターでも同じだ。蒸気機関車は一人で動かしているんじゃない。特に、機関士が考え事をしていたら、助手に大きな負担をかける。それを肝に命じろ。」

 教官に言われ、ツバサはシミュレーターに向き合った。


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