重連運転
しなの鉄道がデザイナーと強制的に結ばされた契約を、しなの鉄道が突然破棄した。再三にわたる注文無視に、ついにしなの鉄道の我慢が爆発したらしい。
しなの鉄道がいきなり契約破棄に踏み切ったのは、JR西日本からの申し入れがあったからだ。
デザイナーの身勝手な行動には、しなの鉄道だけでなく、しなの鉄道に機関士と機関助手を転勤、出向させるJR北海道、JR東日本、JR西日本等の鉄道会社も迷惑を受けていた。デザイナーが注文に従わないせいで、いつまでも機関士達を転勤させられず、転勤する予定の機関士達の不満が爆発したらしい。そして、業を煮やしたJR西日本が、廃車にする予定だった、トロッコ列車や臨時列車で使用していた12系客車や、「トワイライトエクスプレス」で使用していた24系客車を完全整備の上で、しなの鉄道に譲渡。更に非常時の救援、牽引用に宮原総合運転所に保存されているEF15電気機関車を完全整備の上で譲渡する事をしなの鉄道に申し入れた。しなの鉄道は即決でこれを受けることにし、デザイナーとの契約を強引に破棄した。
12系客車の内装は固定クロスシートのまま。24系客車は「トワイライトエクスプレス」のままであるが、しなの鉄道は「要望があって改装工事することになったらJR西日本や東日本に委託するのでこれで十分だ」と言った。
更に、JR東日本からも、寝台特急「北斗星」で使用していた食堂車を12系客車の発電装置で電源を取れるように改造した上でしなの鉄道に譲渡。更にJR北海道は急行「はまなす」で使用していた14系客車を譲渡すると申し入れがあり、これもしなの鉄道は受けることにした。
この事は、ぐんま車両センターに居るツバサとミサシマにも直ぐに伝えられた。
「よかった。帰れるぞ!」
ミサシマは安心し、ツバサも安心した。
そして、JR東日本高崎支社はD51‐59号機がしなの鉄道へ無事に行けることになった事を記念したビックイベントを開催することを決定した事を、高崎機関区の機関士達から聞いた。
イベントの内容は、両毛線、東北本線(宇都宮線)高崎線を使用して関東地方をSL列車が一周大回り運転するものと、上越線で蒸気機関車を2両連結した重連運転を行うというものだ。
「三奈美。美佐島。二人ともよく聞け。この列車を運転することが、お前らに与える最終試験だ。心してかかれ!」
教官機関士の鶴の一声が機関庫に響きわたった。
「重連運転か。もう勘弁してくれよツバサ。俺諦めていいか?」
ミサシマが言うが、教官の勢いに感化されたツバサは、
「怯むな!進め!」
と、ミサシマに教官の鶴の一声のような勢いで言った。
早速、機関車の運行スケジュールが急ピッチで組まれる。が、東北本線と高崎線では速度維持のためには重連にしなければならない事が判明した。
高崎支社は、蒸気機関車の後にディーゼル機関車を連結しようとしたが、またもJR西日本がとんでもない事を言い出したのだ。
「それなら、梅小路運転区のC57‐1を貸してやる。」
高崎支社は有無も言わずに受け入れた他、新潟支社からはC57‐180を貸すと申し入れがあった。
そして組合がった関東地方一周列車の機関車割りは、両毛線をC61‐20。東北本線をC57‐1とC57‐180の重連。アンカーとなる高崎線をD51‐498とD51‐59の重連となった。
ツバサとミサシマの出番は、アンカーの高崎線の区間だ。
関東地方一周列車の運転に向けた沿線住民への呼びかけや、試運転が行われると、騒ぎを聞きつけたマスコミが取材に来て、ツバサとミサシマを若き機関士として取り上げた。
そして運転前日、高崎機関区に集結した蒸気機関車は電気機関車に牽引されて各スタート地点に向かった。
運転当日の朝、高崎駅の構内C61の野太い汽笛が響きわたり、5両の旧型客車を牽引して関東地方一周列車が発車した。
北関東を走る両毛線を、C61は全速力で突っ走る。
普段はゆっくり走るが、今回は速度維持のために普通列車並の平均時速70キロで走る。現役時代、C61は奥羽本線や鹿児島本線で特急列車を牽引し、2009年に姿を消した寝台特急「はやぶさ」等のブルートレインの先頭にも立った経験がある特急牽引用蒸気機関車で、高速走行を最も得意とする機関車である。
高崎を出ると、伊勢崎、桐生、足利、佐野に停車し、小山で機関車を交換する。
小山駅からは、C57の重連だ。
C57は急行列車を牽引した蒸気機関車であり、こちらも高速走行が得意な機関車である。
先頭で前補機を勤めるC57‐1は、普段はJR西日本のSL列車「SLやまぐち」の牽引機として山口線で走っているが、この機関車はかつて新潟県の新津機関区に所属し、その際、天皇陛下専用のお召し列車の先頭に立った経験がある英光の機関車である。
前補機の次位に連結された本務機のC57‐180は、新潟を中心に快速列車を牽引した機関車である。C57‐1と同じ新津機関区に所属していたため、現役時代にはこれと顔を合わせる事もあった。廃車になった後は新津市内の小学校に保存されることになったが、このときは重機に頼らず、小学校まで仮設線路を設置して自走して保存場所まで来るという豪快な方法で小学校にやって来て保存されていたが、JR化後に復活し磐越西線で「SLばんえつ物語」を牽引している。
今走っている蒸気機関車でC57‐1以外の物は公園等に展示保存されていた機関車である。
C57‐1だけは、廃車にならず梅小路運転区で動態保存されていた。
東北本線をSL列車が走ると聞いた鉄道ファンが、沿線に集結している。
それを尻目に、列車は大宮を目指して突き進む。
大宮駅に着くと、機関車の付け替えのため一度JR貨物の大宮操車場に向かい、そこで機関車をC57からD51に変えて、高崎を目指す。
大宮駅の貨物線である10番線を通過。ツバサが学生時代、大宮駅は鉄道マニア同士で喧嘩が起きたり、マナーやルールを守らないオタクに対して罵声大会が起きたりするなど、鉄道マニアの治安が悪いと言われていたが、今は滅多に喧嘩は起きなくなり、時折、マナーやルールを守らないオタクに罵声が飛ぶ事がある程度になった。
大宮を通過すると、列車は時速70キロ程度の早さで高崎線を進む。
D51は日本で最も製造されたことで有名な蒸気機関車であり、2023年になってもその知名度は高い。現役時代は、主に貨物列車の先頭に立っていた。
重連の先頭に立つ前補機は、D51‐498だ。この機関車は廃車後、上越線後関駅に保存されていたが1988年のオリエント急行来日に合わせて復活。復活して最初に牽引したのはヨーロッパからやって来たオリエント急行だ。オリエント急行を皮切りに、JR東日本管内のイベント列車を牽引して来た。2008年にパイプの詰まりによるボイラー空焚き事故を起こして廃車かと思われたが、大阪の専門業者の手で復帰し、2014年には上野駅にイベント列車を牽引して入線し話題を呼んだ。
ツバサとミサシマは前補機の次位の本務機D51‐59に乗っていた。
D51‐59は辰野の荒神山公園にやって来るまでは、北海道の夕張線等で炭鉱から採掘される石炭を積んだ貨物列車を牽引してきた。そのため荒神山公園には補助灯、氷柱切り等の寒地仕様の状態で展示されていた他、北海道岩見沢機関区の札が推されていたため、持田萌と明里に連れられてきたツバサはすぐに岩見沢機関区所属の機関車と分かり、その時のツバサの印象は「手入れが行き届いている。今にも動き出しそうな程、黒光りしている。」と言うものだったが、それが本当に動き出し、そしてツバサはそれを動かしているのだ。
列車は桶川駅に停車して後ろから来る普通列車に先を譲った後、鴻巣に停って特急列車に先を譲る。いくら力のある機関車でも、今を生きる電車には敵わない。
鴻巣駅の場内信号機を通過し、列車は鴻巣駅の待避線ホームに停車する。
やはり前補機の方に人が集まっていたが、その人だかりの中から二人の人が本務機の方へやってくるのが見えた。
「ツバサ?」
と聞いたのは、ツバサの母だった。
「本当に機関士になったのか―。」
ツバサの父は驚きを隠せなかった。
ツバサの両親は、関東地方一周列車のニュースにツバサが取り上げられていたのを見て来たのだと言う。
「嘘じゃないだろ。」
「ああ。すまなかった。」
父は詫びた。
「俺がここまで来られたのも、俺を見てくれた人のおかげさ。明里の待つ町へ、こいつを連れて行く。それが今の俺の使命だ。」
「行ってこい。機関士になれたんだ。ツバサなら出来るさ。しっかりやれよ。」
母は機関車に近付き、
「あのとき、お父さんがあんなこと言ったのは、ツバサは家に帰る暇が有ったら自分を磨けって言いたかったのよ。でも、口下手でうまく言えなかった。でも、折れることなく、機関士になれた。だから長野で、明里さんと愛美子ちゃんが誇りに思える人にもなれるよ。頑張って行ってきな。それと、もしも行けたら、ツバサが住んでる家に行ってもいい?」
と言った。ツバサは一言、
「良い。」
と言った。
特急列車が先に行くと、列車は発車した。
ツバサは一瞬だけ後を振り返る。ツバサの両親はホームで列車を見送っていた。
分からず屋と思っていた親だったが、それでもツバサの事を見ていた。その事実が、ツバサに別の思いを抱かせた。
(親が恥をかかないよう、良い機関士になろう。)
ツバサは新たな思いを胸に、列車を進めた。
列車は熊谷で再度停車した。ここでは、ミサシマの両親がホームで待っていた。
後続の貨物列車をやり過ごすための短い停車時間はあっという間。
すぐに列車は発車した。
出会いと別れ、人々の思いと人生を乗せて、列車は走るものである。
列車は無事に、高崎駅に戻ってきた。




