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復活・D51‐59号機

 JR東日本大宮車両センターに、大阪の専門業者からボイラーが納品された。

 動輪やシリンダー等に分解され、各部品の復元工事を終えた蒸気機関車の部品が、これで一式揃った。

 残るは、組み立てて行き、試運転をするだけである。

 D51‐59号機。長野県辰野町の荒神山公園に保存されていた物だったが、1年半前から、しなの鉄道とJR東日本が協力して復活させるための工事のため、長野県から埼玉県の大宮工場、大阪の専門業者等の元へ分解されて運ばれ、今、その最後の行程に差し掛かろうとしていた。

 D51‐59号機は一般的なD51とは違い、煙突からボイラーの中心に向かって長い蒸気溜めという出っ張りがある、いわゆる「なめくじ」型D51だ。

 これは、D51の製造が始まった1925年頃に流行した「流線形」に乗った物である。この頃走っていた超特急「燕」の牽引機関車であったC51やC53といった蒸気機関車には、流線形のカバーを被せた物もあったがスピードに変化は無く、カバーをかけたため整備が大変になっただけだった。

 そんな「流線形」時代に生まれたD51‐59の組み立てが始まった。

 組み立てが終わると、構内入換用の軌道モーターカーに牽引されて塗装工場に向かうが、重すぎてモーターカーが動かない。そこで、普段から重い電気機関車や貨物列車を牽引しているJR貨物のハイブリッドディーゼル機関車を借りてきて、それで塗装工場に向かった。

 塗装工場での作業が終わると、火入れが行われて機関車に火が入れられ、限界まで蒸気圧を高めた後、汽笛のテストが行われ、吹き試しに向かった。吹き試しとは、パイプ等に溜まったチリやホコリを蒸気で吹き飛ばす重要な工程だ。

 吹き試しが終わると、いよいよ試運転だ。

 大宮車両センターから鉄道博物館までの約1キロの試運転線を何度も往復する。鉄道好きの子供や親子連れで賑わう鉄道博物館の隣りを通過し、停車するのだから、鉄道博物館は蜂の巣をついたような騒ぎになる。

 試運転線での試運転が終わると、D51‐59号機はぐんま車両センターから迎えに来た電気機関車EF65‐501号機に牽引されてぐんま車両センターへ向かった。

 ツバサとミサシマは、高崎機関区に到着したD51‐59号機を見に行ってみた。

 ツバサは辰野町に保存されていた時の姿を見ていたが、その機関車が今、線路に乗っているのだから不思議な気分になった。

「公園のSLが走り出したって経験は、伊勢崎のC61に続き、俺達にとっては2回目だけど、それでも不思議に思うんだな。」

「そうだな。公園にいたSLが走り出すんだから、不思議なもんだ。それに今回はただ走るんじゃないんだぜ。俺達が動かすんだぞ。」

 二人は目を輝かせて、機関車を見上げた。

 早速、火入れをして、上越線での試運転が行われる。

 無事に試験に合格し甲種蒸気機関車運転免許を取得した二人は、機関車が来れば、機関車と一緒にしなの鉄道に戻るはずだった。だが、戻れなくなった。

 客車のデザイナーとしなの鉄道が揉め事を起こしたのだ。

 前作の豪華列車「ろくもん」の失敗から、しなの鉄道はシンプルなデザインで、豪華絢爛な内装ではなく列車らしさを残しつつ、気軽に乗車できてかつ、乗客が楽しめ採算も取れるような設備と内装を求めたが、デザイナーは注文を無視して客車を虹色にし、車内も戦国時代の豪華絢爛な城の中のような派手過ぎる内装を提示した上に、乗車料金も3万円からでVIP利用専用列車にしようというとんでもない事を提示してきたため「注文と違うぞ!」としなの鉄道が猛抗議し、デザイナーと喧嘩になってしまったため、客車の製造が未だ始まらず、機関車だけが出来ても客車が無ければ意味が無いため、ツバサとミサシマは注文を無視したデザイナーのために、機関車と共にぐんま車両センターに留まることになってしまったのだ。

 ツバサは何度か、しなの鉄道の本社に問い合わせたが、とてもしなの鉄道に戻れそうに無く、代わりに、

「しばらくJR東日本でイベント列車を牽引していてくれ。特例でJRに2年間の転勤扱いにしたから、安心しろ。」

 と言われた。まるでリストラされたような気分である。

「けっ!新製する客車をデザインする奴のせいで、俺達はリストラかよ。」

「正確にはJR東日本に一時転勤ってことになっているんだが、なんか良い気しないな。」

 ツバサはそれを、明里に伝えた。明里は激怒すると思ったが、そんなことはなく、

「いいじゃない。2年間、JRでいい経験が出来るって思えば。育児は大丈夫だから、2年間の転勤期間を利用して、超優秀な機関士になるための経験を積んできなよ。」

 と言った。しかし、ツバサは父が放った明里に対する言葉が引っかかって、思わずこの事を話した。明里はツバサの父に対して罵詈雑言をひとしきり吐いた後、

「私が「やりたい事をやって」って言うのは、ツバサが嫌いだからじゃないよ。むしろ、大好きな人だから言うの。学生のころ、やりたいことも夢も無かったツバサを、私は知っている。だから、ようやくやりたいことと夢を見つけたツバサを、引き止めたくない。せっかく見つけた夢を、私のせいで台無しにして欲しくない。せっかく見つけた夢なんだから、それを何処までも追いかけてほしい。だから私は、「育児の事より、ツバサはやりたい事をやって」って思うの。」

「親より、彼女と彼女の姉ちゃんと彼女のダチが俺の事見ていてくれるって―。」

「何年の付き合いよ。中学時代からの付き合いよ。そうなれば、親よりも分かる物があっても不思議じゃないよ。」

 明里の言葉にまた背を押された気分になった。

 ツバサとミサシマはとりあえず、JR東日本ぐんま車両センター所属の機関士と機関助手ということになり、JR東日本高崎支社の路線でSL列車を牽引する事になった。

 上越線でのD51‐59号機の試運転も兼ねているため、基本的に上越線はこの機関車が先頭に立ち、乗務するのはツバサとミサシマとベテランの機関助手ということになっていた。また、D51‐498やC61‐20はサーカス団のようにJR東日本の管内の路線に出張することが多く、二人が訓練している間にも何度か出張する事があった。

 気がつくと、夏になっていた。しなの鉄道を旅立って1年3ヶ月が経過していた。予定より3ヶ月遅れているが、未だにしなの鉄道に帰れそうになかった。

 夏の行楽シーズンになると、上越線を走るSL列車には大勢の観光客が乗り込み、シーズンが終わるとD51‐498は磐越西線に出張。10月にはD51とC61が高崎駅を同時発車。11月の最初の三連休は、両毛線での運転。

 そうした列車の牽引にD51‐59号機の出番も多々あり、その度にツバサとミサシマは乗務して経験を積み、いつの間にか冬になってしまった。だが、やはり豪華絢爛な客車の内装を好むデザイナーとの揉め事は未だに収まらず、客車の製造すら始まっていないため、しなの鉄道へ帰れそうになかった。

ミサシマはデザイナーが提示した客車のデザインを見て、

「何が黄金の茶室と、戦国武将の殿様のお座敷をだ。何が料金は一人3万円からだ。しなの鉄道は、シンプルなデザインを求めてんのに、何考えてんだよ。」

 と、吐き捨てる。

「客の注文を無視して、よく客車の内装や設計や料金の設定が出来るよな。」

 ツバサも思わずこう言った。

 結局、また年が明けてしまった。

 真冬の大雪が降る中、上越線のSL列車を運転して機関区に戻る。

 そんな冬が始まった。

「機関車があっても、客車が製造されない。こんなことで、帰れるのかな。」

 と、ツバサは心配になった。

 


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