第一話 ヒモナスの書5
ステイシーは城の奥に隠されていた。
姫や王の寝室がある階の真下、客間から更に奥へ進んだ、隠し部屋に幽閉されていた。
暖炉のあるサロンに、舞踏会の様子が描かれた大きな絵がある。その絵を大臣が押すと、開いた。細い通路が現れて、ルルディは目を丸くした。細い曲がりくねった廊下の先に、豪奢な部屋があった。
扉に背を向けて、金髪の女性が座っていた。
彼女がこちらを振り返り、はっとこわばった顔を向けた。広い室内全体に、緊張が走る。
水色のドレスを着たステイシーは、噂通りの美しさだ。光り輝く金の長い髪、大きな青い瞳にシルクのような肌。
「おまえの妹だという少女が尋ねてきたぞ。しばしの面会を許そう」
大臣に押し出され、ルルディはステイシーの前に立った。ルルディを見て、ステイシーは驚いている。
「これで少しは、機嫌を治すんだな。いつまでも、ふてくされおって」
大臣は言い捨て、去っていく。
足音が聞こえなくなり、絵画の扉が閉まる音がして、ルルディはほっと息を吐く。
「あの……初めまして、ルルディです。まずはその、妹だなんて嘘をついて、ごめんなさい!」
ルルディはステイシーに謝った。こわばっていたステイシーの顔は、少しずつほぐれて穏やかな顔になった。
「謝らなくていいのよ。初めまして、ルルディちゃん。私は、ステイシーよ。あなた、どうして妹なんて言って、私に会いにきてくれたの?」
ステイシーは優しくルルディに声をかけ、ベッドの脇に座ろうと促した。 ふかふかのベッドに腰掛け、ルルディはステイシーを見上げた。美しいひと、けれどやつれて青白い。
ルルディは魔術書師である身分と、ケビンと出会った経緯を語った。
「そう……ケビンが……」
ステイシーは目を伏せた。
「けれどあなた、お人好しね。見ず知らずの私に、勇気を出して会いにきてくれたのね。怖かったでしょう、ルルディちゃん」
ステイシーの柔らかな手が、そっと頬を撫でる。冷たい指先。
「いいえ……ステイシーさんの辛さに比べたら、あたしなんて……」
「優しい子なのね」
ステイシーが微笑む。
「あのね、ルルディちゃん。ケビンに伝えて欲しいの。私ね、もう諦めようと思うの。どんなに嫌だと言ったって、大臣は聞き入れてくれないわ。大臣に逆らったら、私もケビンも、どんな目に遭うか、わからないもの。だからね、ケビンに……あの人に、諦めてと伝えてちょうだい」
ステイシーは、ルルディの頬に手を当て、静かに言った。
「え、でも……それじゃあ、ステイシーさんは」
ルルディは首を横に振った。それでは、不幸なままじゃない。
「お願い、ルルディちゃん」
ステイシーに、抱きしめられた。柔らかい体から、百合の香りがする。さらさらと、彼女の髪がルルディの肩に流れた。
「……ああ、あったかい。あなた、お日様の匂いがするわ……とても、暖かくて、懐かしい匂い……ごめんね、少しこのまま、いさせてね……」
冷たい雫が、ルルディの髪を濡らした。
ルルディは精一杯、ステイシーの細い体を抱きしめ、一緒に泣いた。
*
市場の人ごみを歩くルルディのスカートには、冷気が残っていた。歩調が次第に早くなり、ついにルルディは走り出した。冷えていた体が熱くなり、汗が流れた。
穀物商店の看板を見つけた。白い帆の軒下に、ルルディは駆け込んだ。
木箱を運ぶケビンがいた。
ごくり、とルルディは口にたまっていた唾を飲み込み、息を整えた。
「ケビンさん!」
呼びかけると、ケビンは木箱を置いて、振り返る。彼は怪訝そうに目を細めてじっとルルディを数秒、見つけた。
ああ、と彼は思い出したのか、歩み寄ってきた。
「えっと、ルルディだったね。そんなに慌てて、どうしたの?」
ケビンの微笑を、ルルディは見上げた。
青白い顔をした美しい人と、この青年の目の優しさは、似ている。
「ステイシーさんを、助けましょう!」
ルルディは、叫んだ。
木箱が積み上げられた店内の奥へと、ケビンに案内してもらった。麦の香ばしい匂いが、充満していた。
粗末な木のテーブルセットが、店の隅に置かれている。壁には注文書が何枚も画鋲で貼り付けられていた。
ルルディは椅子に座り、冷たいお茶をご馳走になった。喉を潤して一息つき、ケビンにステイシーの言葉を伝えた。
諦めて、というステイシーの言伝を聞いたケビンの顔は、曇った。
水をぐっと一杯飲み干し、テーブルにごつんと置くと、彼は震えるように何度も首を横に振った。
「おかしいよ、こんなの。僕は納得がいかない」
ケビンは憤っている。
「おかしいです、絶対におかしい! あたしは、ステイシーさんが泣いているのは嫌です。ケビンさん、ステイシーさんを助けましょう!」
ルルディは鼻息荒く、まくし立てる。
「ああ、そうだ、助けないと!」
ケビンも同調して奮起したが、すぐにしおしおとうなだれた。
「助けたいよ……だけど、どうやって? 実はあれから色々と考えてみたんだけど、どうしても良い方法が思いつかないんだ。城に侵入すれば、ステイシーを助ける前に、僕の体は穴だらけになっちまう」
ケビンが溜息をつく。
ルルディも、しおれる。
名案がないのは、ルルディも同じだ。
どうやってステイシーを堅牢な城から脱出させるか。日夜兵士が警備し、目を光らせているのに。
「君が機転を利かしてくれたお陰で、ステイシーが監禁されている場所はわかったのは、いい収穫だよ。君、頭もいいし度胸があるね」
ケビンが感心して言った。誉められて、へへへ、とルルディは照れる。
「せめて、城の中に協力者がいればなぁ……キースを説得するか……だが、彼は諦めきってしまっているし……」
ケビンが腕を組み、うーん、と唸る。
ルルディも真似して、唸る。
お城に知り合いがいればなぁ、と考えて、ふと嫌な奴の顔を思い出す。
「……ヒモナス……」
へそ曲がりの冷気の書、退屈だと毎日、ぼやいている。
「あの、たった一人だけ……協力してもらえそうな人がいるのですが……」
「本当かい! それ、誰なの!」
ケビンが瞳を輝かせる。
「一応、知り合いといえば知り合いなんですけど、協力してもらえるかどうか、わかりません。その、話だけはしてみます。でも、あまり期待しないでくださいね」
一笑にふされる可能性がある。
しかし、ケビンは一筋の希望と喜んだ。
その様子を見て、ルルディは不安定な思いつきを口にしたことを、後悔した。
重い気持ちのまま店に戻ると、宮廷魔術師ウイバルが来ていた。
「ああ、ルルディさん、やっと戻ってきた。あのですね、またヒモナスで困ったことが」
ウイバルは待ちくたびれた、という顔で話しかけてきた。ルルディは嫌な気分が顔に出そうになったので、きゅっと無理に口角を上げて、どうしましたか、と応えた。
「王や大臣と相談した結果、ヒモナスはこちらに返品させて頂くことになったのですが、ヒモナスが本に戻れない、と言うんです。彼は溜めていた力を発散しないと、ダメだというのです」
ウイバルは胃に手を当てながら言った。
また、ヒモナスが偏屈を言い出した。どうすれば良いのだろう。ルルディは、助け舟が欲しくてガラマお爺さんを見る。
「困ったことになったねぇ」
ガラマお爺さんは、のんきに笑っている。
「ウイバルさん、重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ないが、ヒモナスという魔術書は、力が強すぎるがゆえに、そういう仕組みなのです。ご理解ください。しかし、魔術書師として、ヒモナスを本に封印してみましょう。彼の力を引き出してやり、納得させるのはこのルルディにお任せください。もう少し、寒さを辛抱してください」
ガラマお爺さんは、丁重にウイバルに謝罪した。
今度は説得じゃなくて、力を引き出す?
不安がいっぱいのルルディに、ガラマお爺さんは笑顔を見せる。
「仕方ありません……今回の件は、私の責任です。ルルディさん、何度も城に来て頂いてすいませんが、ヒモナスをお願いします」
ウイバルが頭を下げる。
「いえいえ、そんな! ヒモナスが申し訳ございません」
ルルディも頭を下げ返す。
「あのぅ、ちょっと相談してもよろしいですかな、ガラマさん、ルルディさん」
ウイバルは元気がない。元々元気いっぱいというタイプではないが、今日は一段と消沈している。
「どうしました?」
「今回の件がきっかけというのもありますが……私、常々、宮廷魔術師に向いていないのではないかと思っているのです」
「ほう、それは、どうして?」
「私の知る宮廷魔術師は、皆、自信家です。だからやっていけるのです。私はダメです、自信がなくて、弱気で……大臣の無茶な欲求には、ほとほと疲れてしまいました」
「宮廷魔術師は大変ですからなぁ。私の勝手な推測ですが、あなたコツコツと魔術の研究をなさるほうが、向いていらっしゃるのでは?」
「そうなのですよ!」
ウイバルが急に大きな声を出したので、ルルディはびっくりした。
「私は魔術の研究者に戻りたいのです。数年前、城から声をかけていただき宮廷魔術師になった頃は、それはとても嬉しかったです。けれど最近では、また魔術研究に戻りたくて戻りたくて……しかし、召し上げてもらった恩がある故に、なかなか辞めたいと言い出せず……」
ウイバルは大きな溜息を吐いた。
「それは、困りましたなぁ。人生は短いのですから、お好きなようにされるのが、一番だと私は思いますよ。そう、気に病まれるな」
ガラマお爺さんにたしなめられ、はい、と力なくウイバルは答えた。背を丸めて去るウイバルを、ルルディは見送る。
ウイバルさんも大変ね、とルルディは思う。
あちこち悩みだらけだわ、と肩の凝りを感じた。
「ルルディ、魔術書の力を引き出す方法を教えてあげよう」
「はい、お願いします」
ルルディはガラマお爺さんに体を向け、背筋を伸ばす。
「それは、魔術書の意志を聞くこと。魔術書のしたいことを、させてやることだ。魔術書は人の要望を聞いてくれる。なのに魔術書は好きなことをできないのは、不公平だろう? 魔術書が意志で行動したとき、それは素晴らしい力を発揮するだろう」
「たしかに、そうですね。ヒモナスは、退屈なのをなんとかしろって言ってました」
「では、ヒモナスの退屈を、何とかしてやらんとな」
ガラマお爺さんが笑った。




