最終章 エンスティクトの書10
憎しみはたくましい。
忘れた方がいい、消えた方がいい、もう過去の話だ。そうやって否定されるほどに根は深くなる。
火の粉を浴びて魔人は叫んでいる。
愛する者を失った王の悲壮と、復讐がため人を殺めたいと願った魔術書が出会い、三本角の異形となった。
「大きな体で、すべてを燃やす力があったとしても」
ルルディは、魔人の前に立った。
「あなたには足りないものがある。あなたの足は細いわ。そんな細い足でこの先を歩いていけないでしょう」
ルルディの声に、魔人が体をこちらに向けた。
「あなたに足りないものを、あたしがもっている! あたしを食べてしまうがいいわ、魔人よ!」
魔人が腰を曲げて、ルルディに近づいてきた。大きな赤い目に、ルルディは全身を眺められた。
こわくない、こわくない。
拳を握る。
「やめろ、ルルディ! 何をしている!」
駆けつけてきたアグノスに、ルルディは微笑みかけた。
「これでいいの!」
魔人の手にルルディは捕らえられ、大きく開いた口の中に放り込まれた。
ルルディは魔人に食べられてしまった。
※
ユリアは叫んだ。
自分の金切り声が、鼓膜の奥で震えるのを聞いた。その震えを力に、腕を振り上げる。
ルルディを飲み込んだ魔人に、矛先を向ける。青のマントを体からひったくった。腰のサッシュが取れて足首にまとわりつく。ユリアは靴を脱ぎ捨て、ドレスの裾を切り裂いた。
魔人が頭をかかえて、うなりだした。膝をついて、巨体をもだえさせている。
「今です、ユリア」
声がした。
それは青い光を帯びた剣からだ。
魔術をかけておきました。そう言ったライモを思い出す。
「うわあああ!」
ユリアは吠えて、魔人に突進した。
魔人の赤い目の奥に、父がいた。
王座を降りれば人好きの、家族想いの父だった。
家族の食卓の炎は消えた。
「父の魂を返せ!」
ユリアは魔人の懐を、全身で突いた。そして泣いた。
※
魔術書の本能が目覚めた。止まらぬ足、喉からほとばしった言葉。
ルルディという名に秘められた、本当の力、それは魔人の弱点となる。
ルルディは核心して、身を投じたのだ。
恐怖よりも本能が勝った。
柔らかさが頬に触れた。
体温のある優しい指先によって、ルルディは目を開けた。
女性の腕の中にルルディはいた。 長い栗色の髪と、光ある大きな瞳と、微笑む唇。
あたし、このひとを、知っているわ。
「やっと会えたね、ルルディ」
「ええ、ジューナ」
アグノスの魔女、ルルディの起源、ジューナ。二人は互いを確認して微笑み合った。
ジューナの腕から離れて周囲を見ると、そこは枯れた大地だった。
黒い雲が渇いた風によって、流されている。
「ここは魔人の体内、精神の中よ。あなたが満たすべき場所よ。わかるよね?」
ジューナが言った。
「うん、わかる。力を貸してくれるよね、ジューナ。あたしに命じて」
ジューナはうなずいた。
「ルルディ、その身の愛でここを満たすのです。花の子よ、この大地に花を咲かせなさい。そしてその眼で空を晴れさせなさい。魔人の体を、あなたの愛で満たしなさい」
ジューナの言葉はルルディの魔力を高めた。体があったかい。ルルディは体の中であふれた光を、外へ発する。
「マーガレット、チューリップ、ひな菊、たんぽぽ、野バラ。たくさん咲いて、たくさん咲いて」
唱えるとルルディの足下から緑の芽が大地を走り、花を咲かせていった。
「空よ、空よ、暗い雲はさようなら。あたしの光をあげるから、空を青くして。ここは楽園のような、明るい場所よ」
黒い雲は流れ去り、巨大な光の玉が上空で弾けて、空を青にした。
花が咲いていく。
その勢いはすさまじく、ルルディとジューナはあっという間に、花で囲まれた。
ルルディは微笑む。
「よくできました。さあ、私につかまっていなさい」
花の大地が揺れ始めた。ルルディはジューナにしがみついた。
魔人が体を揺らしていているのだ。
憎悪を愛で抱きしめた。
憎しみで構築されていた魔人の体は、相反する感情に塗り変えられてていき、体を保っていられなくなる。
憎しみの魔物が崩壊していく。
「私は荒ぶる精霊たちを抱擁によって救いたかったのよ。うまくいった時もあったし、うまくいかない時もあった。理解されなかった。それでも私は、考えを改める気持ちはなかったわ」
ジューナが側で咲いていた白いマリーゴールドを摘むと、ルルディの髪に飾った。
「私は間違っていなかった。そしてアグノスも理解してくれていた。彼をたくさん悲しませてしまったけれど、ルルディ、あなたがすべてを希望にしてくれた。ありがとう」
ルルディはジューナの胸に顔をうずめて、命を感じた。
「ジューナ、ありがとう。あたしはあなたから誕生できて、幸せよ」
マリーゴールドから良い薫りがした。
空に亀裂が走る。花びらが散っていく。
崩壊する魔人の中で、ジューナとルルディはかたく抱き合った。
※
頬をぶたれた。
「いてぇなっ!」
リュカは目覚めた。起こした体が痛くて顔をしかめる。
「作者、行くぞ。私に命令しろ」
サイリが言う。リュカは痛む頭を押さえて周囲を見渡す。
花畑だ。見上げた空は澄み切った青空。
「……天国? あー……魔人に食われて死んだか……おれ」
また、サイリに頬をぶたれた。
「寝言言うな。死んでない。おい、始まるぞ」
花畑が振動した。花びらが散り始める。揺れる地の上で、リュカはサイリに手を引っ張られ立ち上がった。
「おまえな、いちいち叩くな」
「ごめん。話すのはあまり得意ではない。しかし、私を信じろ。名を呼んでくれ、作者」
サイリの言語力が低いのはリュカの未熟さだ。
あいつが姫として育っていなければ、これぐらい粗野だったかもな、と思いリュカは笑った。
サイリは剣を構えている。
「サイリ、行け!」
花吹雪の中を青の少女騎士が駆けていく。
彼女が青空を切り開くと、閃光でリュカは目がくらんだ。
※
魔物が花びらを吐き出した。太陽のような光を発しながら、魔物は崩れていき、花びらの山に変わった。その中から、魔物に飲み込まれた人が無傷で出てきた。
アグノスの傷が癒えていく。
夜が一瞬だけ昼になった、見上げた青い空から光がふりそそぐ。街に放たれた火は消えて、重傷人の傷はまるでなかったかのように消えていった。
正気を戻した兵士たちが城を開けて、街に人が戻ってきた。
家屋は破損したが、誰一人死ななかった。
「奇跡だ、ルルディ」
アグノスは、花びらをかきわけて、ルルディを見つけて抱き上げた。額に手を当てると暖かく、首に指を当てると脈拍があった。
「生きている・・・生きているんだな、ルルディ。生きている、この子は」
アグノスはルルディを抱きしめて泣いた。
※
「女王陛下、使命を果たされましたね。あなたは立派な女王陛下だ」
リュカはユリアに言った。
ユリアは剣をしまいブーツを履いて、街を見渡す。
「当然のこと。街の被害を見たい、リュカ、馬を用意してくれ」
女王ユリアはリュカに命じた。
「かしこまりました、女王陛下」
リュカはユリアに頭を下げる。
女王の横顔にもう少年少女の面影はもうなかった。




