最終話 エンスティクトの書4
夜明け前に目が醒めるのには理由がある。ユリアはナイトドレスから、青のドレスに着替えた。
反王政勢力を支援した貴族ルービー・オルストルの遺品だ。ドレスを一着ももってこなかったユリアに、ルービーが残してくれた、晴れた空のような青いドレス。
まさに、ライモの言った通り、まだ未熟で若い自分にふさわしい色だとユリアは思う。
袖は通したが、腰のサッシュは巻かずに、ユリアは待った。
幼き日のユリアは、目覚めてすぐ自分で身支度をして、きつく母から叱られたことがある。
侍女が来るより早くに起きてベッドから抜けだし、ナイトドレスからお気に入りの桃色のドレスに着替えて城を走り回っていたら、廊下で大事な客人にぶつかってしまった。
大きな男はユリアを見下し、舌打ちをしたが、謝罪する父と母には表向きにこやかに接していた。
幼いユリアは服を着替えることはできたが、身支度はできていなかった。髪はブラシも通さずぼさぼさ、背中のくるみボタンは上まで締めきれず、丸襟の形が崩れていた。
とても姫様とは思えぬ姿に、客人は不愉快を示した。
躾がなっていない、まるで獣のような姫だとその客人が裏で言っているのを耳にした王は、侍女の一人
を城から追い出した。
ユリアの世話を任されていた年かさの侍女に責任を押しつけて辞めさせることにより、王家の体裁を保ったのだ。
ユリアにはわからなかった。
だからまた、勝手に起きて勝手に着替えようとしたら、椅子に座ってうたた寝していた侍女が慌てて起きてきて、止めた。
なぜお着替えしてはいけないの?
もう赤ちゃんじゃないもん、一人でおきがえできるわ。なんでもできるようになるのは、良いことでしょう?
疑問をぶつけると、侍女は目を伏せて、ただ一言「困るのです」とつぶやいた。
ユリアは母に叱られた。
もう中年にもなる年の女が、職と住む場所を奪われることの不幸と、おまえはそういう運命には一生遭わないであろうという幸運と、姫としての生き方を。
母は涙を流しながら、説教した。もうしないと、ユリアは謝った。
常に王族の周りには人がいて世話をする。決して自らさせようとしない。そうして作られた社会の秩序を崩す王家は、己を過信して生き様を間違う。
王家は常に世話をされることで監視されている。失敗をしないように。
侍女が皿を割ってもよい。けれど王女ユリアが皿を割ることは許されない。国家にひびが入る。
「失礼します、ユリア女王陛下。起きてらっしゃったのですね。時間がないので無礼ながら、身支度をさせて頂きながら現状をご報告します」
灰色のマントを羽織ったマヤが、部屋に入ってきて言った。
「はい、お願いします」
ユリアが腰から手を放す。
「午前三時頃、城よりの火の手が上がりました。兵士たちが城から進軍し、街に放火しては人々を連れ去っているようです」
マヤがきゅっとサテンのサッシュを結んでくれた。ユリアはマヤの手により身が引き締まった。
「兵士たちは、魔術によって操られているようです。そしてその洗脳は、広がっていると。我が軍は調っております。あの、少ししゃがんでいただけますか」
「はい」
ユリアが膝を曲げると、マヤが髪に手を延ばし、何かつけてくれた。マヤが手渡してくれた手鏡をのぞき込むと、銀色の羽根の髪飾りが、ユリアの右耳の上で光っていた。
「……本当は王冠を用意したかったのですけれど。そして、まだ夜は冷えますのでこのマントを」
ユリアが肩にかけてくれたマントは、ドレスと同じ青だ。マントには銀色の糸でバラ模様が刺繍されている。この光、マヤの刺繍だ。彼女にしか刺せない魔力の宿った、うつくしい刺繍を、かくまってもらっている部屋でずっと見ていたので、わかる。
「ありがとう、マヤ」
ユリアは微笑み、少し痩せたマヤの髪をなでた。
「さあ、行きましょう。あなたのような可憐な少女を戦場に連れて行くは、とても気分の悪いことですが・・・」
「いいえ! 私は、あなたをお守りしたいと心から思うのです! そして私は、この美しい王都ハルバリアを壊す者を許しません」
少女の視線はまっすくだ。
「そうね、あなたを頼りにしていますよ、マヤ。この戦いが終わったらね、女の子だけ集まってお茶会を開きましょうね」
ユリアは後ろをついてくるマヤを振り返り、微笑んで言った。
「はい……!」
マヤの瞳が、輝いた。
※
反乱の旗は青、午前三時の夜明け前にその色は暗すぎるし、そして明るく見えることもあった。
商店街の大通りに、旗を結びつけた杭が何本も討たれた。
ここより反戦前線である。
燃える都の火を、消火魔術隊が消しに走り回っている。なんとも胃がムカムカする。
煙と炎が怒りを挑発してくる。
早くその挑みに、飛び込みたい。
リュカは歯を食いしばった。
「まあ、落ち着いて。あ、そうだ、伝言しとかないと!おーい、伝言伝言! 耳、耳をふさいで! 僕がこの特大魔術書を開いたら、耳ふさいでー!」
レジスの間抜けながなり声が、リュカをいらつかせた。
「まーたそういう大事なことを、あんたは後出ししてきますか! こうならないために、作戦会議というものがあるんでしょうが!」
「いやーごめんごめん。うっかりしてたよ。しかし、ライモ王子の夜中の到着には驚いたね。しかもあの
軍勢、立派だね」
リュカの怒鳴り声を、レジスは笑い飛ばす。
「そうですね。とても統制がとれていますよ」
リュカは後ろを振り返った。
レジスとリュカがいるのは先陣だ。後陣にカサオ国のライモ王子が連れてきた、黒い鎧の軍団がいる。
カサオ国は内紛による革命以降、戦争はしていないが、一目で最新のものであるという鎧を身につけた、厳めしい援軍をよこしてくれた。
ライモ王子の顔を、リュカはまだ見ていない。レイサンダーが優男と言っていた王子にしては、やるじゃないか、とリュカは素直に思う。
「ユリア女王陛下が参られぞ!」
その一言が、混乱を一時、鎮めた。
白馬に乗ったユリアが、青いマントをひるがえして現れた。商店街の中央の少し拓けた広場にて、全軍を見渡した。
ユリアは少女らしい引き締まった体型によく似合う、青のドレスを着ていた。旗と同じ色だが、リュカには彼女が身にまとったその色が、とても鮮やかに見えた。
黒いマントの端が、視界を横切った。
「ユリア女王陛下のご到着である! 我が名はカサオ国王子ライモ、狂王を討つユリア女王に、私は賛同する!」
よく通る、澄んだ声はどこまでも響いた。リュカはライモの声を聞いた。しかし、姿は同志たちにより隠れて見えない。
「ハルバリアの民よ、よくぞここに集った。我が国カサオが支援に来た。必勝は確実である、そなたたちの女王陛下はたくましく美しい! どうか命は大事にして、無事に勝利を納めよ!」
喝采が上がった。ユリア女王は微笑んで受けている。
その女王っぷり、リュカは初めて目にした。
「感謝する、カサオのライモ王子よ。必ず勝利する、わたくしについてきなさい!」
ユリアが銀色の剣を天に掲げた。
さらに拍手が大きくなった。
ユリアが目線を下にして、深くうなずく。軍に戻ったライモに微笑んで感謝の意味を示したようだ。
「あらあら、まあまあ。まーた派手な演説をしちゃって。なんだかあたしが恥ずかしいわよ。ね、我が王子。なかなかのものでしょう」
拍手をしながら、レイサンダーが現れた。
「ああ、顔は見えなかったが、あっぱれな士気の高めようだな。いい声してるじゃないか。それで、あんたの言っていた一仕事、終えたのか?」
リュカはレイサンダーに尋ねた。ユリアについていた騎士レイサンダーが、開戦直前にやらなければいけないことがあると言い、一時離脱していた。彼を信頼しているアグノスとレジスは、レイサンダーがやる仕事について聞かずに、離脱を許した。
「ええ。さあ、そろそね。では、あたしはユリア女王の元に。露払い、よろしくね」
「ああ、任せといて。あ、レイサンダー! 耳、ふさいでね」
レイサンダーがウインクして、颯爽とユリアの軍へ向かう。
「師匠、王子の姿、見ました?」
「いいや、僕の身長で見える訳ないだろう。だけど、彼がどんな人物かだけは、わかったね。さて、王子が盛り上げてくれたんだ。この勢いで、行くよ!」
レジスは張り切っている。リュカはうなずいた。
魔術書の黄色の布に金糸で刺されているのは、獅子のたてがみだ。牙は触れると切れそうなほど、光っている。分厚い大きな本をレジスが足下に置いて表紙を開いた。
「耳をふさげー!」
リュカはレジスから離れて、指を耳につっこんで叫んだ。
「リョダリ」
閃光が魔術書から発せられた。くらみながらもリュカはレジスの方に近づく。
黄金の獅子リョダリは太い前足で地面をかき、たてがみを振っている。
体長三メートルはあるだろう、巨大な獅子は金の粉をまとっているかのように、まばゆく光っている。
「吠えろ、リョダリ」
ぐあ、と喉でリョダリは返事をして、口を開いた。
獅子が夜空に食らいつく。
リュカは頭を低くする。かばうようにレジスが立ち、リュカの足下に丸メガネが落ちた。
獅子が吼えた。
猛々しい獅子は声によって、兵士たちを倒れさせた。後ろの同志たちも何人か倒れたようだ。
死ぬことはないが、数日は耳鳴りに悩まされるだろう。
長い一吼えを終えた獅子は、あくびをしたよう後のようにけだるく、口を閉じた。
「リョダリ、かがめ。僕とリュカを乗せろ」
リョダリが巨体をかがめた。背中に乗るとリョダリの体は柔らかく、金の毛は柔らかい。
「よし、前進!」
レジスの命に従いリョダリが走る。乗り心地はよくない。柔らかい体はつかみ所がなく、リュカは振り落とされまいとしがみついた。
リョダリが走ると悲鳴も走る。
操られている兵士は感情をなくしている。恐怖心も忘れて愚かにもリョダリにかかってきては、前足でなぎ払われた。
「言ってわからぬのなら、殴るしかないよね。む、兵士たちは市民まで操る気か、ジンバードめ、とことん卑怯だな。リュカ、ちょっとスピード上げるよ」
「はいはい……ってうおっ!」
強い風に体を押され、リュカは慌ててリョダリの毛をつかんだ。
体がのけぞって後ろを見ると、兵士たちが道の脇に倒れている。
「露払い、完了だ」
レジスが振り返り、笑顔をリュカに見せた。
白っぽい金色の髪に、青色の瞳を縁取る長いまつげに、形の良い鼻と口がある。輪郭は細いがしっかりとした美の線だ。
丸メガネを外したレジスは美形だ。
「お見事です、師匠。うわっと、前を見ろ、前を! ぶつかる!」
リュカは叫んだ。もう喉がかすれてきている。
「わわわ、リョダリ、止まれ! 止まってくれ!」
レジスが頭をぽこぽこ叩きながら命令するが、リョダリは魔法樹に向かって疾走している。
※
聞いたことのない、胸をざわつかせる音がする。悲痛な叫びや赤子の泣き声、怒声はやがて一つのうるさい鼓動になった。
ルルディの鼓動だ。全身が動揺している、自分自身のことでいっぱいだ。
私は魔術書? 誰に書かれた? あたしは魔法なんて使えないのに、なんの力もないのに。
「おまえの作者はな」
ベーゼがルルディの耳元でささやく。ルルディの頭の中で鳴っていた動揺が、止まった。知りたい。
「おまえの作者は、アグノスだ」
ベーゼが笑っている。ゆかんだ口の中は、真っ赤だ。
「アグノスさんが……あたしを……あたしを書いたの?」
すがるように、ルルディはベーゼに尋ねた。
「アグノスは恋人が死んだ寂しさを埋めるために、おまえを書いたんだ。しかしおまえは、アグノスの恋人に成り代わるほどではない。何の力も持たない、ちっぽけな小娘だ」
ベーゼが目をつり上げて笑う。窓から指す赤い炎に照らされて、細い体を揺らしベーゼが笑っている。
ルルディは身震いした。
「おれは違う。おまえと違って、力がある。おれの中で眠るリトが呼び声により目覚めた」
大きな物音がした。ルルディが重ねて置いた椅子が崩れ落ちて、木のドアが激しく震えて、ピシっと鋭い音が鳴った。ドアに亀裂が入っている。
「やめて! ベーゼ・……リト、行ってはダメ!」
ルルディはドアの前に立ちふさがり、叫んだ。




