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最終章 エンスティクトの書1

 ユリアはもつれた刺繍糸をほどいている。しつこい糸のからみを細い指先でこすり合わせて糸を柔らかくして、とぐように引っ張ると糸は元の通りまっすぐになった。


 じっとしていられない、何か手伝わせて欲しいと申し出たユリアに、マヤが頼んだお手伝いだ。

 ユリアは目を伏せて、糸をしごいている。整えられた赤い糸は、艶やかだ。


 ガラマの魔術書店が王宮に取り上げられた。ガラマは身柄を拘束された。

 マヤは押収された魔術書たちが心配でたまらない。貴重な書は港町の倉庫の奥に隠したから無事だ。けれどこの世に不要な魔術書などない。 すべて貴重な本だ。


「王兵たちがうろうろしているわ。夜明けを待ちましょう」


 レイサンダーの提案により、ユリアはマヤの仕事部屋で寝ることになった。

 刺繍部屋は魔術書制作所の二階で、裏庭が見えるバルコニーがある。王兵が来た時に素早く逃げられるようにとこの部屋が選ばれたが、女王の客間にはふさわしくない。


 ふかふかのベッドで毎晩眠っていたお姫さまが、床に敷いたぺたんこの寝具で眠るなんて。


 ユリアの黒髪は、出会った頃よりも伸びた。けれど腰まで伸びるのに何年かかるだろう。

 何も知らずに、ユリアを美少年だと思いこみ頬を赤めていた自分の稚拙さが、マヤは憎らしい。

 なんにも知らなかった。

 男の子として振る舞うってどんな気持ち?


「……あの、これでいいかしら?」


 ユリアがきれいに巻かれた糸を差し出す。マヤは受け取り、お礼を言った。


「どうしたの?」


 ユリアが心配そうに尋ねた。マヤは目尻に流れた涙を指先で拭った。


「……どうして、あなたがこんな運命に遭わなくてはいけないのかしら……不釣り合いよ……」


 マヤは胸の前で手を握りしめる。

 平和な国のお姫様だったユリアが、剣を持っている。彼女は自分を慈しみ庇護してくれていた父を討つ覚悟だ。


 なぜ馬車は落ちなければならなかったのか、なぜ事故は防げなかったのだろう。事故さえなければユリアの髪は長いままだっただろう。


「私は男の子になりたかったのかもしれないわ。ずっと、心の底で願っていたのかも」


 くすりとユリアが笑った。


「ばあやによく叱られたもの。兄様よりやんちゃだって。口さがないばあやでね。姫様が男の子だったらよかった、姫様がお世継ぎであれば安心だったと陰でよく言っていたわ。兄は病弱で、優しすぎて、将来を危ぶまれていたわ」


 ユリアとよく似た美しい王子様だった。出生後まもなく大病し、国中の医師が城に集められたそうだ。


「兄様は私の元気の良さを、何度もほめてくれたわ。私の中には驕りがあった。王子より姫の私の方が勝っていると。だからね」


 当然なのよ、とユリアは微笑んで言った。


「私は女王になって当然の人間なのよ。かすかだった……けれど胸によぎったあの驕りにかけて、私はたくましい女王となってこの国を守る」


 ユリアはまなじりを引き締めた。

 マヤは息を飲む。

 見くびっていた。理想の恋の相手、悲劇の姫。ユリアに自分の考えを押しつけ、勝手に感情的になってはいけない。

 ユリアはこの国の女王になるべくして、なるのだ。

 必然の運命だ。


     ※


 ガラマは膝を抱えて地下牢の底冷えに耐えていた。石の壁には、囚人たちの訴えが書き残されている。

 薄汚れた寝具の上に座り、壁によりかかってガラマは一点を見つめた。

 

 過ちのままに死す。


 壁の中央に苦悩が刻まれていた。

 冷たい牢獄ではひりりと突き刺さる言葉だ。囚人はいかなる罪を犯したのだろう。

 せわしない足音にガラマの暗い夢想はかき消された。


「ベーゼはどこだ?」


 ジンバード・オルフのぎらついた目をガラマは見た。額に青筋を浮かせ、歯をくいしばり苛立ちに耐えているようだ。

 ガラマは首を横に振る。


「ふざけるな! どこにやった。おまえがもっていることを私は知っているのだぞ」


 牢屋の柵を激しく揺さぶり、ジンバードが怒鳴る。

 おやおや、とガラマは笑ってみせた。


「父上に似て短気なお方らしい。ベーゼを手にしてどうしたい? あれほど無益な本はない」


「無益だと! なんと愚かな賢人の名が恥ずかしがっているぞ。ベーゼほど可能性に溢れた本はない。愛する者を奪われた憎悪が、ふんだんにこめられている。その力を最大限まで生かせば……未知の世界が見えるとなぜ思わない?」


 ガラマはジンバードを見つめて唇をかたく閉じる。瞳を光らせて牢屋の前をうろつく彼は獣のようだ。


「おまえも父も、まったく呆れる。それでも魔術師か、なぜ力を使わない! 魔力の惜しみない行使こそ我らの勤めだ。王の病んだ心は、この手にかかれば研究材料となる。魔力をもたぬ人間など、私の実験道具にしきか過ぎないただの無能だ」


 にたにたとジンバードが笑う。


「口を割らぬならば、いい。あんたの仲間に詳しくお話を聞こうじゃないか・・・そうそう、たしかルル………ルルディ、あの小娘の泣く顔は見たくあるまい?」


 ルルディの名が出て、ガラマはジンバードを睨んだ。


「そうだ。その顔が見たかった。さぞや悔しいだろう? 王が怪物になった暁には見せつけてやろう。ふふふ、老いぼれの肉は少ない。アレでも喰わぬ」


 ジンバードは笑い声を牢獄に響かせて去っていた。

 ああ、悔しいとも。

 信頼を置きベーゼの書について打ち明けた友人の息子が、愚者になり果てた。友人は息子ジンバードが学生時代に病死した。息子を諫める者は不幸にも早くにこの世を去ったのだ。

 ジンバードは頭が良すぎる。明晰な頭脳は時に人を見下す。



「アグノス……信じているぞ」



 ガラマは呟き、奥歯をかみしめた。



    ※



 轟音がした。恐怖で目が醒めた。とどろく音はまだ続いている。こめかみが激しく脈動している。

 ルルディは胸に手を当てて、深呼吸した。暗闇に目が慣れて、ここは私室ではないことがわかり、困惑する。

 逃げてきた。

 埃いっぽいソファーの上でルルディは自分の体を抱き抱えた。

 寒気がする。


 良くない予感で呼吸が乱れる。


「ルルディ」


 名前を呼ばれて振り返る。

 ベーゼがすぐ後ろに立っていた。


「ルルディ……むルルディ……」


 不穏な声でベーゼが何度もルルディの名をつぶやいた。



   ※



 灰色の雲に胸を押しつぶされた。


「なりません! あなたは王です、後を追うなど愚かな真似はやめなさい!」


 馬の足が、突然、屈折した。前足が折れたと王は気づき、危ないと叫ぼうとした。

 馬車は傾き、崖の曲がり角から転落した。王妃の長い叫びは遠くなり、轟音とともに途切れた。


 王は馬車から飛び降りた。

 崖の下に落ちた馬車を見た。すべてが無惨に砕け散っていた。王は叫んだ。そして、落ちようとした。


「なりません!」


 臣下が止めた。放せと暴れる王に臣下は抱きついて止めた。

 王はうめき、泣き、悲痛な轟きは空に広がり、血の雨を灰色の雲の中に生み出すこととなる。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] 愛する人を失って、苦しんで。 この日本を以前おさめた首相はそんなことをするまででもなくひどいことをして運命によって始末されましたが、この王は運命の被害者なのかもしれませんね…そして娘に処刑さ…
2024/05/31 08:58 退会済み
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