第九話 フェリアの書7
人間を困らせてやるのが大好きだ。骨の芯まで冷やしてやろう。祭りの邪魔は絶対にさせない。
ヒモナスは城に忍び込んでいた。
兵士から姿を隠すため冷風に姿を変えて、夜の城を駆け回る。彼が通った後は絨毯に霜が立ち、天井には氷柱ができた。
王の寝室の前に立つ見張りの兵士は、船を漕いでいる。
「震えて眠れ」
ヒモナスは囁き、兵士の兜を下げて突き倒した。兵士は悲鳴を上げる間もなく氷り漬けになり、動かなくなった。
人の姿に戻り、ヒモナスは寝室の扉を開ける。
屍の臭いがした。ヒモナスは手で口を押さえ入る。キングサイズのベッドで王は高いびきをかいている。横にも縦にも王はふくらんでいた。目も鼻も横にひろがって、カエルのような面だ。
青黒い皮膚はたるみ、空いた口の奥は真っ赤だ。もう人はではない。ヒモナスもさすがにぞっとした。
「誰だ!」
かっと目が見開かれた。
その瞳の色は、金色だ。
ヒモナスは王の体に冷風を吹かした。
しかし巨大な体を氷らせるほどの魔力は残っていない。武器庫と幾人もの兵士たちを氷り漬けにしてきたのだ。
やむをえず、ヒモナスは撤退する。窓辺で冷気となっと留まっていると、走ってくる人影が見えた。
黒いマントの男が、不機嫌そうな顔で歩いてくる。彼は両手に何冊もの魔術書を抱えていた。
「何事だ……ひどく寒い……」
金色の目をぎょろぎょろとさせて、王が問う。
「何者か侵入したようですな……早急に対処いたしたい所存ですが、強力な魔力ゆえ……」
黒いマントの男は青ざめた顔で言った。
「……愚かな、どんな力をもっても誰も我を止められはしないというのに。おい、早く食事を」
「かしこまりました」
男が、王に魔術書を渡した。
口を大きく開き、王は本に噛み付いた。
よだれを垂らしながら本にむしゃぶりつき、床に放り投げる。
そうやって何冊も王は魔術書を食らった。
食われた魔術書は、真っ黒に変色し無残な形となった。
王はもう、人ではない。化け物だ。
*
街は粛清されたふりをしていた。人々はうつむいて歩き、屋台のトマトが腐って崩れるままにしていた。
早朝から薫風が吹いている。
夜通し警備をしていた兵士は、あくびをした。
「やあ、ご苦労! 交代の時間だ」
若い兵士がにこやかに、疲れた兵士に声をかけた。後は頼んだ、と兵士はハイタッチをして兵舎へと戻っていく。
幾人もの交代の兵士が来て、夜勤の兵士たちは疲れた足で街から離れていった。
「……頼んだぜ」
リュカは兵士の肩を叩き、囁いた。兵士はにやりと笑ってうなずく。
交替に現れた兵士たちは、魔術書だ。
本物の兵士たちは兵舎で氷漬けになっていることだろう。
朝の鐘が鳴った。
屋台に被せられていた白い布が、取り払われる。子供たちがわーっと歓声を上げて走ってきて、大人に肩車をしてもらい、魔法樹に飾りつけを始めた。
「とびっきりのハンカチを!」
赤い頬があどけない少年が、シンディーの店に駆け込む。
花柄のワンピースを着た少女たちの華やかさに、リュカは見とれた。
祭りは始まった。
民衆は春を謳歌、城は真冬に凍えている。
なんとも面白くて、リュカの口は緩みっぱなしだ。
楽団が広場にやってきて、心弾む音楽を奏でた。
「さあ、春祭りの始まりだ!」
ジムの野太い声が、通る。
たっぷりと刺繍の入った衣装を着た女たちが、魔法樹の下に立つ。女たちに、羽飾りをつけた山高帽を被った男たちが群がってカップルが誕生する。
「おい、祭りは中止のはずだ!」
駆けつけた兵士たちに、ジムが立ち向かった。刺繍入りのベストを窮屈そうに着たジムは兵士たちを睥睨し、無言で水色の酒瓶を押し付けた。
兵士はおずおずと受け取り、酒を一口飲み、華やかな女たちの集団をちらちらと見た。
「おいおい、おまえら、聞いてないのか? 春祭りの中止は中止だよ。やめないことは、やめないのさ!」
高らかに言い放った兵士は、リュカが書いた魔術書だ。ちょっと手を抜いたので言葉遣いが雑である。
兵士たちは顔を見合わせた。酒を少しずつ口に含むと、春の陽気に誘われ、彼等は装備を少しずつ外していった。そして娘たちに手を引かれ、祭りに参加した。
すべては計画通りに事は運んだ。さぁて後はたっぷりと楽しもう。
「リュカ」
声をかけられて振り返ると、春娘がいた。
彼女の着ている刺繍のエプロンは、リュカの目には格別に見えた。
赤い花の刺繍は、誇らしげに光っていた。下に向けたチューリップのようにふくらんだスカートから、ちらりと細い足首が出ている。
刺繍入りの帽子から出た彼女の黒い前髪は、春風に揺れていた。頬は紅潮し、唇は開こうかどうしようか迷っている。
「どうしたんだい? お姫様」
リュカは一歩踏み出し、彼女に顔を寄せた。
ますますユリア王女の顔は赤くなる。
「王女命令です! 私をエスコートしなさい、リュカ!」
ユリアは甲高い声で、叫ぶように言った。
「はいはい、お手をどうぞ、王女様」
リュカが差し出した手に、ユリアはそっと細い指を乗せた。ユリアの手をぎゅっと握り締め、リュカは
太陽に向かって歩いた。
なんとも良い気分で。
*
「なんて美味しいのかしら!」
ルルディは屋台で買ったライラックの砂糖漬けを口に入れてすぐ、歓喜の声を上げた。
「まだまだよ、リンゴ飴も買わなくちゃ。あとそれから、アイスクリーム!」
マヤが口いっぱいに砂糖菓子を頬張りながら言う。そろいの刺繍エプロンを着て、マヤとルルディは仲良く春祭りを楽しんでいた。
とってもすてき、とってもすてき。
ルルディはそればかり繰り返している。
七色の旗が頭上で交差してはためき、店先に飾られた花は匂い立ち、ひっきりなしに賑やかな音楽、広場で踊る恋人たちの笑い声。
日光を反射して輝く、魔法樹に飾られた金色の花。雲ひとつなく晴れ、風はさわやかで、素晴らしい日だ。呼吸をするたびに、喜びが満ち溢れてくる。
「シンディーの店に行きましょう」
お菓子でお腹がいっぱいになったので、次は雑貨屋を巡ることにした。ガラマお爺さんが特別に、とお小遣いをくれたのでルルディの懐は暖かい。
シンディーの屋台は賑わっていた。想い人にあげるハンカチは、もう売り切れてしまっている。
「残念ね。でもあれは、自分で買うものではないけれど」
マヤが苦笑いをする。しかしローズのサシェを見つけて匂いをかぎ、笑顔になった。
マヤとルルディはおそろいのローズのサシェを買い、エプロンのポケットに入れた。
いい香りね、と微笑みあう。
「いたいた! 探したのよ、マヤ!」
アンヌが走ってきた。
「どうしたの、姉さん?」
「ドジな子が衣装の刺繍糸、ほつれさせちゅったの! 早く来て!」
「やだ、もう本番前になって! ごめんね、ルルディ、行ってくる!」
「うん、またあとで! アンヌさん、舞台がんばって!」
ルルディの声援に手を振り、アンヌとマヤは人ごみをかき分けて走っていった。
さて、どうしよう。
ルルディはあたりを見回す。人でごった返している市場通りを抜けて、広場に行ってみようかしら。
ガラマお爺さんはカフェの庭でお茶を飲んでいる。レジスは酔っ払って行方不明、レイサンダーは警護中、リュカとユリアをきっといい雰囲気なので、邪魔してはいけない。
人混みで一人歩きは心細い。
アグノスの顔が浮かんだ。レジスと一緒にいたはずだけれど、どこにいるのだろう。
「ルルディ」
振り返ってアグノスの顔を見たときに、ルルディは心底、ほっとした。アグノスは酔っ払いの青年たちからルルディを守るように、そばに立った。
「店は、見て回ったか?」
「はい。春祭りってとても素晴らしいですね。マヤちゃんといっぱいお菓子食べて、あたし太っちゃったかも」
ルルディは笑う。アグノスもそっと微笑んだ。
「ここは混むな。広場のテラスへ行こう」
「はい」
「……はぐれないように、その……ここを持っていなさい」
アグノスがマントの端をルルディに持たせた。彼は時折ルルディがついてきているか振り返りつつ、歩調を合わせて歩いてくれた。
アグノスの優しさを感じる。
マントの端をつかんで、近くを歩いていることが照れ臭い。
人ごみの中、守るように前を歩くアグノスの背中はとても大きく、今までで一番、彼を近くに感じた。なんと頼もしく、優しい男性なのだろう。
胸が高鳴る。暖かな春の陽気のせいだろうか。なんだか頭がぼんやりとする。
アグノスとルルディは木陰のベンチに座った。
木漏れ日の下で、楽団と踊る人々を見る。
バイオリン弾きは全身で旋律を奏でている。
ギターを爪弾きながら、座っている木の台をかかとで鳴らす、機用なギタリストがいる。
「あ、ユリア王女とリュカだわ」
踊りの円の中に、ルルディは踊る二人を見つけた。リュカは華麗にステップを踏み、ユリアは必死に追いつこうとしている。
リュカがさっとユリアを抱え上げて、くるりと回った。ユリアは驚きながらも、笑っている。楽しそうだ。二人はとてもお似合いのカップルに見えた。
太陽の下、ユリアをあんなに笑顔をさせられるのは、リュカの他にいないという気がしてくる。
「……ルルディ。その、一枚は持っていたほうがいいかと思ってな。買っておいた」
アグノスが、刺繍のハンカチを差し出した。
白い布に浮き上がった、バラの刺繍にルルディは見惚れて、なかなか受け取れなかった。
「……あの、頂いてもいいんですか?」
「そうだな……俺が持っていても仕方ない」
アグノスは目をそらしている。
「あ、ありがとうございます」
ルルディは両手でハンカチを受け取り、見つめて、指でバラに触れてみた。柔らかな糸、それはアグノスの優しさそのもの。
「ルルディ、俺と踊ろうぜ!」
リュカが走ってきて、否応なしにルルディの手をとった。ユリアは疲れた、と呟いてベンチに座り込む。
「せっかくだ、ルルディの踊りを見せてくれ」
アグノスが笑顔で言う。彼に言われると、なんでもしたくなる。出来ることなら、なんだって。
「リュカ、踊りを教えて!」
ルルディは張り切って言った。
「ほいほい、任せろ! 俺は踊り足りないのに、ユリアは体力の限界だとよ」
リュカが溜息をつき、ステップを踏む。ルルディはあわせる。
「すごくお似合いだったよ」
ルルディが言うと、さっとリュカに抱き上げられた。きゃっと悲鳴を上げ、間近に見たリュカの横顔は
切なげだった。
「そりゃあ今日の俺はカッコイイからな。……だけど、お似合いってのはもう言っちゃダメだ、ルルディ。俺と彼女じゃ身分が違い過ぎるからな」
ルルディがくるりと回っている間に、リュカは小声で言った。
演奏が止まった。踊りは終わった。広場の端へと人が散っていく。
春祭りのクライマックスが来た。
楽団のメンバーたちが木の板を敷き、娘たちがその周りを花で囲む。
「上手だったよ」
アグノスが誉めてくれた。
ルルディはありがとございます、とお礼を言い、リュカの様子を見た。
ユリアの疲れを労わる彼の横顔は、切ない。




