第九話 フェリアの書5
帽子やフードで顔を隠した者たちは、亡霊になろうと努めていた。我らは見えぬ存在、決して憲兵の目には映らない。
オルストル伯爵家の裏戸の前に来て、小さな灯りとレイサンダーを見るとほっとした顔になって、亡霊は人に戻った。レイサンダーは常ににっこりとして、彼らを出迎えた。女たちは微笑を返してくれた、男からはやや警戒の目を向けられた。
肩がこる。自分は男だと意識することが、男に生まれてきたレイサンダーにとって苦痛な時間である。
王に逆らうことを恐れる人々を、リュカは熱気で口説き落とした。数十人の無力な大人たちに、少年一人が勇気を与えた、彼は声が出なくなり、今宵はとても静かである。
リュカはレイサンダーに協力を求めて連れ回しはしたが、結局はほとんどリュカが熱弁をふるっていた。
十七歳にしては弁が立つ、とレイサンダーは彼を見直した。
会合には代表者十三名が集められた。
魔女のシンディー、祭祀組合長のジム、刺繍学校の校長であるスージー、刺繍師マヤ。踊り子のリーダーアンヌ、今年の主役のエルダ。
商店街労働組合の代表、ザック。
魔術師アグノス、魔術書作家のレジスと助手のリュカ、魔術書界の賢人ガラマ、その助手のルルディ。そして、異国の騎士レイサンダー。
皆は広間に集められ、一人一人、ビロード張りの豪奢な椅子を与えられて座った。
カーテンは締め切られ、ランプも控えめに灯されている。皆は神妙に、沈黙を守った。
組合員のジムはでっぷりと肥えた壮年の男で、厳つい山のような額をした強面だ。
祭りの風紀が乱れぬよう、彼が毎年、取り仕切ってきた。
「俺は祭りではしゃいでいる人々を見るのが人生の喜びだ、みんなが踊っているのを見たい。今年も祭りを開こう」
祭りの輪には入らない。見届けることを喜びとするジムは、リュカの説得を慎重に聞き納め、そう言った。刺繍学校の校長スージーはシンディーの親友である。陽気な人柄の五十歳になる婦人だ。
「ええ、やりましょう。なんだかわくわくするわね」
スージーはリュカの説得に笑顔で答えた。 シンディーの隣に座っている彼女は、肩をそわそわと動かしている。
商店街労働組合員の代表ザックは、ほっそりとした背の高い四十になるやもめである。 人懐こい笑顔で、彼はリュカを歓迎した。
「待っていたよ、君のような反逆者を! 祭りがなくっちゃ商売あがったり、意地でもやるね」
あんたは本当に金が好きだな、とリュカは軽口を叩いてザックからは「おまえは本当に女好きだね」と言い返された。
アンヌが連れてきたエルダは、群れからはぐれた小鹿のように、怯えながら椅子に座り、まだかすかに震えている。
あんな子が人前で踊れるのかしら、とレイサンダーが疑ってしまうほどの狼狽ぶりだ。
「大丈夫、あたしがちゃんと送り届けるし、すぐ帰れるから。ね、そう怯えないで。あんたのママも言い聞かすからさ」
アンヌが小声でエルダをなだめた。
フリッツ伯爵が広間に入ってきた。皆は目礼でフリッツに挨拶をした。
体格が良く顔立ちの整った、レイサンダー好みの紳士だ。青い瞳を輝かせ、彼は人々の前に堂々と立った。
「皆様、今夜の会合にお集まりいただき、ありがとうございます。昨年、他界しました我が母ルービーの遺言により、オルストルはユリア王女の反王政府運動に支援することとなりました。春祭りの開催は王への反抗であります。我が国の平和を、皆で守りましょう」
フリッツが宣誓した。
「まぁ……」
そう溜息をもらしたのは、スージーだ。彼女は動揺をおさえるように、胸元に手当てている。
ユリア王女の存在をここに来て初めて知らされた者たちは、驚きの色を見せた。騒がぬようにしているのが、精一杯のようだ。
広間のドアが開いた。
注目を集めて、青い長袖の、金色の刺繍がほどこされた古風なドレスを着た王女ユリアがまっすぐ前を見て歩いて来た。
銀のティアラが似合う、ユリアはまさに美しい王女だ。
ユリアは驚いている人たちの顔を見て、低頭した。彼女は威風を吹かせ堂々と現れながら、いざ話そうとすると気が動転してしまったようで、瞳を少しうるませている。
「ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした。わたくしは、この通り無事でございます。国民
の皆様に王の所業をお知らせしたく、わたくしは城を抜け出してまいりました」
ユリアはそう言い切ってから、一息ついた。
感極まったスージーが泣いている。よかった、ご無事でよかった、と繰り返して。ありがとうございます、とユリアはそれに笑顔で返した。
「落ち着いて聞いてください。わたくしの父……王は、この国を滅ぼそうとしています。后と王子が事故で死に、王が悲しみに心身を崩したことは、皆様ご存知でしょう。父は……王は、妻と息子を奪ったこの世界を憎むことで、すべてを壊すことが正しいと信じ込んでいるのです。魔術に興味のなかった王が、魔術書を集めだしました。そして軍事強化に努めるよう大臣に命令しました。少しずつ、狂っていったのです。そしてわたくしは、父の書斎に忍び込み隠蔽されていた書記を読み、恐るべき計画を知ったのです。野蛮な戦争を起こし、多くの血を流させ、魔術書の呪いで国を滅ぼすと……父の字で、たしかにそう書いてありました」
ユリアは目を伏せて、一瞬泣きそうな顔になったが、ぐっと歯をくいしばった。
「わたくしはこの国を守りたいのです。どうか皆様、お力を貸しください。わたくしは王女として……いいえ、女王として国を王の魔手から守ります!」
毅然とした態度で、ユリアは言い放った。
女王陛下の想いを受け取り、皆は立ち上がって礼をした。レイサンダーは敬礼をした。
そして、顔を上げていたレイサンダーだけが見たのだ。ユリアの頬に一筋の涙が流れるのを。ユリアはその涙を乱暴にぐっとふき取り、顔を上げて小さな拍手をしてくれた国民たちに笑顔を見せた。
「女王陛下、私はあなたの手と足となり、働きます」
一人一人がユリア王女の前にひざまずいて忠誠を誓い、静かに退出していった。
エルダは泣いていてろくに喋ることもできず、アンヌに支えられて美しいお辞儀のポーズをした。スージーはユリアの手を強く握り、忠誠を誓った。
労働組合のザックが、組合から資金を捻出して反政府運動に協力すると申し出てくれた。
「なぁに、いざとなれば兵士よりも、店に命を懸けてる俺たちの方が強いですよ」
ザックはユリアを励ますように、頼もしい言葉を残して去った。
「女王陛下、ご立派でした。どうぞもう、休まれてください」
フリッツがユリアを気遣って言う。
「はい、ありがとうございます。みなさん、今日はありがとうございました。ユーリの頃からのわたくし
を知ってくださっている方が来てくれて、本当に心強かった。おやすみなさい」
ユリアは微笑を浮かべて手を振り、広間から出た。
そろそろ僕たちもお暇しようとレジスが言い、残った皆が帰り支度を始めた。レイサンダーはフリッツに挨拶してから、裏戸の前まで来て、リュカの肩をぐっとつかんだ。
「なんだよ」
「ユリア王女が階段の踊り場にいるわ。あんた、行きなさい」
「え、なんで?」
「彼女を支えてあげて」
レイサンダーはリュカの背を押し、外に出て扉を閉めた。
「あれ、リュカは?」
「メイドを口説くそうよ。ほっときましょ」
レジスの質問をかわし、さっさとレイサンダーは歩き出す。
*
驚いた。レイサンダーにルービーが憑依したのかと思った。彼女を支えてあげて、と言った彼の口調がルービーにそっくりだった。
リュカは足音を立てないように気をつけ、屋敷の階段を上がった。
ユリアは窓辺に立っていた。背を向けて、うつむいている。そっとリュカは彼女に近付いた。
「どうした?」
かすれた声で尋ねると、ユリアが振り返った。
驚いた顔が、涙で濡れている。
リュカは気まずくなって、視線を外した。
レイサンダーはユリアが階段で声を押し殺して泣いていることを察して、リュカを寄こしたのだ。
なんでおれが、という戸惑いと、いや、おれにしかできないだろう、という自信もある。
やれやれ、今日はなんてくたびれる日だ。
リュカは後者の自信を選び、ユリアに向き合った。ユリアは頬を引っ張るように、手の甲で目元をぬぐう。
「やめろ、赤くなるぞ」
ユリアの手首をつかんで言うと、振り払われた。彼女は背を向けて、黙りこむ。
面倒なことになる。リュカは壁にもたれかかり、ユリアの背中を見た。
ドレスを着た彼女の肩は丸く、背中はとても小さい。ユーリではない。ユリア、という少女をリュカは初めて見知った。
王の悪政を阻止するため、城から抜け出してきた、ユリア王女の覚悟にリュカは思いをはせる。勇気のいることだ。お姫様が、よくやった。
「泣くことない。あんた……あなたは立派な王女だ。みんなあなたを信じている。大丈夫だ」
リュカはユリアに、ハンカチを差し出した。
水色の清潔なハンカチを受け取ると、ユリアはまた泣き出した。
「おいおい、泣くなって。どうした?」
「だって……こんなに未熟だもの。まさか、わたしが女王になるなんて考えたこと、なかったわ。お兄様が王様になって、わたしはよその国にお嫁に行くんだって、ずっとそう考えていた。わたしはお兄様のように帝王学も学んでいない、テーブルマナーだけきっちり出来て、それで女王になんてなれる?」
うるんだ瞳でユリアが問いかけてきた。リュカが答えないと、彼女は首を振って自分を否定するそぶりを見せた。
「わたしが女王になることが、本当に正しいの?」
ユリアはハンカチを握り締めて、ぽろぽろと涙を落とした。リュカはユリアを抱き寄せ、肩を貸してやった。
片腕でユリアの肩を抱く。
「しばらく泣けよ。全部、流してしまえ。ずっと気を張っていて、しんどかったんだろう。おれが肩を貸してやるから、な?」
優しくささやきかけると、ユリアはリュカの肩に額をあて、泣き声をあげた。
声を聞いてフリッツが様子を見にきたが、リュカの目配せですぐに下がった。
ユリアの悲痛な声はとても長く続いた。
リュカは彼女を何度も抱きすくめそうになっては自制し、しっかりと片腕だけでユリアを抱きしめた。




