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第九話 フェリアの書4

 白いレースは涙を吸い込まない。白糸で編まれた小花から雫は落ちて、スカートを濡らす。

 エルダの足は痛んでいる。

 踊り疲れて吐いた溜息は、稽古場を暗澹(あんたん)とさせる。


 春の祭りが中止になったと母親から聞かされた。王様の命令だから仕方ないと、母は勝ち誇ったように言った。


 踊り子なんてふしだらだ、娘に辞めて欲しいと願っていた母にとっては吉報だったのだ。

 エルダは信じなかった。踊ることをやめるのは嫌だ。

 稽古場に行けば踊り子たちがいて、おはようとエルダを迎えてくれると思った。

 誰もいなかった。

 稽古場の飴色の床は、冷たい。座り込んでエルダは泣き続け、そのまま眠ってしまった。

 起きると日は昇っていて、帰ったら母親に叱られることを恐れ、エルダは身震いした。

 足の痛みはじくじくと残っている。アーチ型の窓が突然、開いた。エルダはきゃっと悲鳴を上げた。

 花びらが舞い込んできた。そして暖かい春の風。エルダは恐れながらも、舞う花びらを見つめた。可憐な桃色の花弁が、エルダの白いスカートを彩る。


「立ちなさい、踊り子」


 声がした。おごそかな、しかし親密な声に従って、エルダは立った。

 窓を飛び越えて、少女が入ってきた。


 花びらに囲まれて立つ美しい少女から、甘い匂いがする。エルダは彼女の微笑みに見とれた。


「私はフェリア・レジス。エルダ、あなたに女神の祝福を授けましょう」


 柔らかい手が頬をなでた。温もりに包まれて、エルダは足が癒えていくのを感じた。

 足を交差し、ドレスの端をつまんで、エルダは女神の書にお辞儀をした。

 フェリアのやわらかい唇が、エルダの額にキスをくれた。祝福を全身で感じた。女神のまっすぐな意志、この国の春祭りは決して絶やしてはならない。


「フェリア様……わたしは……わたしは踊り子です。あなたのために、この国のために、踊ります」


 ひざまずいて、エルダは誓った。

 フェリアは明るく笑っている。


     *


「王子様は王女様だった」


 三度、マヤはそう繰り返して、大きな溜息をついた。ルルディは彼女にかけてやる言葉が見つからない。


 ルルディはユーリの正体を知って、驚きだけで済んだ。むしろ城から逃亡して行方知れずとなっていた王女が無事で安心した。

 しかし、マヤには「失恋」という重大で、複雑な感情が伴った。

 今日は書店の定休日、ルルディはマヤの仕事を手伝っている。布を洗濯してしわを伸ばしたり、糸を整頓したりと、仕事がはかどらないマヤの周りをルルディは朝から動き回っていた。


 アンヌの号令で休憩となり、複雑なマヤの心境を聞くこととなった。


「まったく、諦めの悪い子だね。男なんていっぱいいる、安心しな」


 アンヌがマヤの頭をぽんぽん叩く。


「でも、あんな素敵な人、なかなかいないもん!」


 マヤが言い返す。


「そりゃあね、だって王族だよ。兄上の本当の王子様、見て育った方だよ。マヤ、現実を見るンだね。男なんて、大概はリュカみたいなもんさ」


「嫌なこと言わないでよ! もう、姉さんなんかキライ」


 しくしくとマヤが泣く。この会話を聞いたらリュカも泣くだろう。


「じゃあ、マヤちゃんはユリア王女様が嫌いなの? あたしは、ユリア王女を尊敬するな。だって、この国の人をとても思ってくださっているもの」


 ルルディは言った。マヤは顔を上げて、首を横に振る。


「わたしだって、ユリア王女様を尊敬しているわ! 勇敢な王女様のこと、国民の一人として誇りに思う」


 マヤは涙をぬぐい、考え込む顔になった。


「じゃあ、一緒にユリア王女様にお仕えしましょう! ユリア王女は、マヤちゃんのことをとても信頼しているの。マヤちゃんの力が必要だって、おっしゃっていたわ」


 力づけようと、ルルディはマヤの手を握って言った。


「えぇ……そうね。そうよ、ルルディ! ユリア王女の人柄の素晴らしさ、美しさには変わりはないわ!」


 手を握り返し、マヤがぱっと笑顔になる。


「そうよ、わたしたったらバカだったわ。性別はどうであれ、素晴らしいあの人がわたしは好き! がんばる!」


 マヤは大声でそう宣言し、仕事部屋へと走って行った。


「……どう、あたしの妹って、なかなか簡単でしょう?」


 アンヌが呆れた顔で言う。


「えーっと、そうですね。でも、やる気になってくれて、よかったです」


 ルルディはくすくすと笑い、答えた。


    *


 故ルービー・オルトスルの遺言にしたがって、新当主フリッツ伯爵は館で決起会合を開くことにした。

 決起者を集める仕事を、リュカはフリッツから任された。

 口が達者で顔が広い、失言は多いが警戒を怠らず、機転も利く。我ながら適任だとリュカは張り切っている。


「やあ、ネエさんよ。一日だけ男になってくれないか?」


 レジス邸宅に泊まっているレイサンダーに、リュカは声をかけた。レイサンダーは眉間にしわを寄せ、ティーカップを置いた。


「なぁに、それ? どういうこと?」


「春祭りの決起会合に、何人か口説かなきゃならねぇ女がいてさ。オレ一人でも大丈夫だけど、あんたがいてくれると話がすんなりと進みそうなんだよ。あんた異国から来た美形の騎士様だからね。女はそういうのに弱い、あんたが守ってくれるとあらば、女たちは喜んで祭りを開くさ」


 リュカを横目で見ながら、レイサンダーはふぅん、とつれない態度をとった。

 リュカはレイサンダーの横に椅子を置いて座り、膝がつくほど距離を詰めた。


「ネエさん。あんたは強くて、そしてキレイだ。肌なんてそこらの女よりもつるつるしてる。さぞやあんたに惚れる女に、そして男も多いことだろう。男女共にモテるなんて、うらやましいね」


 リュカが言い並べた賛辞を、レイサンダーは笑った。


「まあ、ありがとう。あんたってほんと口がうまいのね」


 レイサンダーがリュカの頬をつまむ。痛みに耐えながら、リュカはにやりと笑った。


「いいわ。どうせ今はやることがなくて暇だし、警備の下見もしたいわ。男らしい服装に着替えてくるから、待ってて。それから、ネエさんと呼ぶのはやめてちょうだい。レイサンダーって呼んで」


 レイサンダーの身支度はたっぷり一時間かかった。春の陽気でうたた寝していると、肩を叩かれた。

 額を隠していた巻き毛を後ろになでつけ、真鍮(しんちゅう)のボタンがついた黒のベストにジャケット、真ん中で折り目をつけたズボンとスーツを着こなしたレイサンダーが立っていた。


「カッコイイぜ、レイサンダー。さあ、行こう」


「ちょっとお待ち。私のネクタイを貸してあげる」


 リュカはレイサンダーに髪を整えられ、シャツのボタンを上まで留められた。


 水色と青のストライプのネクタイをぎゅっと絞められ、ぐっとリュカは声をあげる。


「よく似合ってる。君もカッコイイよ」


 レイサンダーに耳元でささやかれ、リュカは思わずぽっと赤くなった自分を恥じた。



 商店通りは静かだ。

 街全体の萎縮(いしゅく)した雰囲気で、買い物に出歩く人も少なく、見張りの兵士ばかり目立つ。

 辛気臭い、とリュカは呟いた。

 表通りから裏通りに入ると、小さな店が何軒か並んでいる。どの店も閑古鳥で、閉まっている店も多い。

 リュカは行き止まりにある店に入った。

 銅製の黒い鳥が看板の、魔女の店だ。

 狭い店内には刺繍(ししゅう)された守り袋や天然石の首かざり、不気味な木彫りの人形、色と匂いのついたキャンドルなどがぎっしりと棚に並べられている。


「やあ、シンディー」


 リュカは店主の魔女シンディーに声をかけた。彼女は黒い布がかけられたテーブルで刺繍をしていた。


「ひさしぶりね、リュカ」


 褐色の肌に緑色の瞳、華奢で少女のようだが、誰も本当の年を知らない。


 ビーズの飾りがついた赤いローブを着て、細い手首に金の輪をいくつもつけている。

 彼女が針を動かすたびに、しゃらしゃらと金の輪が鳴った。

 シンディーが遠い国から来てここに店を持ってから、二十年にはなるそうだ。

 彼女は魔術刺繍の技術を、この国にもたらした。

 彼女の作った守り袋の効力は魔術師たちを驚かせ、シンディーに術の伝授を頼み、彼女は快く刺繍を教え広めた。

 シンディーが持ち込んだ異国の刺繍技術と、自国の伝統模様が合わさり、民芸品として確立した。

 魔術刺繍の入った衣装や守り袋は、人々を楽しい気持ちにさせ、春祭りを盛り上げてくれる。

 魔女の中でも特別視されているシンディーの協力は、必須である。


「そちらの殿方は?」


 シンディーがレイサンダーに微笑みかけ、布を置いて立ち上がり、湯を沸かす。


「初めまして、シンディーさん。カサオ王国騎士のレイサンダーと申します」


 レイサンダーが胸に手をあて、シンディーにお辞儀をする。彼の微笑みに、シンディーも微笑みを返した。


「どうぞ、狭い所ですけれど、ごゆっくりなさって」


 シンディーがハーブ茶をいれてくれた。

 リュカとレイサンダーは小さな丸椅子に座り、シンディーと向かい合った。


「リュカ、お祭りが中止なのにハンカチを買いに来たの? 去年は一枚も受け取ってもらえなくて、余っているんじゃなくて?」


 くすくすと笑いながら、シンディーがリュカをからかう。

 バラが刺繍されたハンカチを男性が、女性に渡して恋心を伝える習慣がある。

 リュカは去年の春祭りに十枚買い込み、気が多すぎると全員に振られた。そしてやけくそになって、フェリア・レジスを無理矢理パートナーにして、踊ったのだ。


「いや、今日は買い物に来たんじゃない。あなたも困っているでしょう、今年の春祭りが王政に中止されてさ」


「そうね。店が出せないから、刺繍師は困るわ。稼ぎ時なのに。それで、あなたがハンサムな騎士さんを連れてきたのはどうしてかしら?」


 ぽってりとした唇に笑み浮かべているシンディーは何もかも察しているようだ。困る、と言いながら少しも落胆していないし、春祭り用のハンカチも何枚も用意されている。


「春祭りを開催致しましょう。王も人ですから間違った判断を下すことがあります。国民の皆様で、その

間違いを正すべきです」


 レイサンダーが低く重みのある声で、語った。昨晩、晩餐会(ばんさんかい)ではしゃいでいた彼とは別人だ。


「ええ、そうですわね。ですけれど、兵士たちが怖いわ。ここの通りを何度もやってきて、店の中を覗きこんでくるの」


 シンディーは肩をすくめて、目を伏せた。


「大丈夫」


 レイサンダーがシンディーの手を握った。


「私があなたをお守りします。今夜九時、オルストル伯爵家で決起会合を開きます。あなたにぜひ、来て欲しい」


「ええ、もちろん」


 シンディーはうっとりとした顔で答えた。

 彼女は美形の男にとことん弱いのだ。


「感謝するよ、レイサンダー。オレはシンディーがちょっと苦手なんだ、いつもあしらわれて」


 店を出てから、リュカは小声でレイサンダーに礼を言った。


「どういたしまして。ああ、男って疲れるわね。ねぇ、あと何件回ればいいのよ?


 レイサンダーが溜息をつく。


「あと三件かな。組合の女将さんと、魔術書作家と。もうちょっと辛抱してくれ」


「もう、仕方ないわね。あとで甘いもの、おごってよ」


「わかったわかった、アグノスさんにケーキを作らせるよ」


 リュカはレイサンダーの背中を叩いて励ました。

 春祭りは必ず成功させるとリュカは決めている。

 ユリア王女のために。


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