第九章 フェリアの書3
空は青く澄んでいるのに、人々はどんよりしている。フェリアは夏も秋も冬も書庫で眠らされていた。ようやく名前を呼んでもらえたと思ったら、非常事態のお知らせだった。
「パパ、わたし悪いニュースを聞くのって初めて。だからすごく気分が悪いの」
作者のレジスを、フェリアは「パパ」と呼ぶ。レジスに書かれた魔術書の中で、そう呼ぶのはフェリアだけだ。
春の女神の書はみんな名前が「フェリア」だ。だから作者の名前が下につけられる。
フェリア・レジスはパパの顔に思いっきり溜息を吐いてやった。フェリアの息は花の香りがする。
レジスは花の強い匂いに顔をしかめた。
「愚痴はいくらでも聞くけど、僕のせいじゃないし……何か気が晴れることは?」
「思いっきり、叫びたい」
「いいよ」
レジス・パパの承諾を得て、フェリアは書斎の窓を開けた。すぅ、と深く息を吸いこむ。
「王様のくそ野郎ーーーー!」
フェリアは叫んだ。
乱暴に窓が閉められる。窓に背中をぴたりとつけて、レジスは震えた。
「フェリア! 今のはダメだ、今、もっとも言ってはいけない言葉だ!」
レジス・パパに叱られた。フェリアは腕を組んで肩をすくめた。
「ちくしょう! 今のでびっくりして、トマトスープをこぼしちまった!」
部屋に飛び込んできて、リュカが怒鳴った。 彼の白いエプロンは真っ赤に染まっている。
「久しぶり、リュカ。殺し屋に転職したの?」
フェリアは片手を上げて挨拶した。
「久しぶりだな、フェリア。かわいい顔にかわいい声で、素晴らしい吐息で……なのにどうして、こんなに口が悪いんだよ! なあ、レジス・パパ!」
リュカはフェリアに笑いかけてから、レジス・パパに怒りの形相を向けた。
「知らないよ、お祭りに参加させたらこうなったんだ。誰かさんから悪い影響を受けたんだろう。例えば、彼女を気に入って祭りに連れ回した弟子とか……」
「そりゃあ悪い奴だな。ぶん殴ってやりたい。さて、オレはトマトスープを作り直してくるよ、心配しないでくれ、オレは出来る男だから」
リュカはさっと部屋から出て行く。
悪い言葉を教えてくれた弟子を、フェリアは見送る。
「今日の晩餐会には、どんなお客さんが来るの?」
「ルルディとマヤにアンヌ、賢人ガラマ、ユーリにレイサンダーだよ」
「ルルディとレイサンダーは知らない」
「ルルディはよく笑うかわいい女の子で、レイサンダーは異国の騎士だよ。二人とも、いい人だ。君を気に入ってくれるよ」
「ふーん。レイサンダーってのは、いい人?」
「あぁ、とってもハンサムでレディだ」
「何それ。ところであたし、パパとの会話、飽きてきた。台所を見てくる。リュカに春キャベツのパスタを作るように命令しないと」
きまぐれな春風の女神、フェリアは軽やかに歩き回った。相変わらずボロい屋敷だ。
リュカは台所で大鍋をかきまわしていた。
どうやらもう、トマトスープを作り直したらしい。
「おいしいキャベツのパスタ!」
フェリア叫ぶと、リュカは振り返ってこらっ! と叱った。フェリアは舌をペロッと出して逃げた。
*
桃色のワンピースを着て、おみやげのお酒はカゴに入れ、ルルディはガラマお爺さんとレジス邸宅を訪れた。
春祭りをとても楽しみにしていた。
なのに戦争のせいで中止になってしまうなんて、悲しい。ガラマお爺さんは「きっといい事がある」と慰めてくれた。
ガラマお爺さんは、自信たっぷりにそう言った。
そして本当に、良い知らせが来た。
レイサンダーの再訪を祝っての、晩餐会への招待状が届いた。今度はアンヌと、レジスが書いた女神の書フェリアも加わって、いっそうにぎやかになるだろう。
「ようこそ、今日は楽しみましょう」
アンヌが抱擁で迎えてくれた。
花の香りがする。アンヌの隣に、フェリアがにこりと笑って立っていた。
背丈は小さくルルディぐらい、けれどピンク色のアーモンド形の瞳や、紅色の唇は大人びている。薄い水色に濃いピンク色を交互に重ねたシフォンドレスを着ていて、ミモザみたいな黄色の巻き髪、女神の書はとっても華やかだ。
「初めまして、ルルディ」
フェリアが抱きしめてくれた。柔らかくて、とっても甘い香りがする。
「初めまして、フェリア。会えて嬉しい」
にっこりと笑ったルルディの頬を、そっとフェリアが触れてきた。
「ルルディ!」
呼びかける声がして振り返ると、レイサンダーがポーチに立っていた。
大きくて柔らかな彼に、すっぽりとルルディは包み込まれた。
「会いたかったわ、ルルディ!」
「あたしもです、レイサンダーさん!」
レイサンダーがルルディの頬を両手で挟みこみ、にっと笑う。
「……レイサンダー……背がおっきい」
フェリアが言った。
「あらあら、可愛い子ね」
「ハンサムだね。それにレディだね、わたしも抱っこしてよ」
フェリアが手を伸ばし、レイサンダーがにっこり笑って抱き上げる。
「おお、レイサンダー。今日もうまい飯を作ってやったぜ」
食卓に料理を運びながら、リュカが言った。
※
にぎやかな宴が始まった。
ユーリはルルディと、マヤの様子を見た。 ルルディは桃色、マヤは水色の軽やかなワンピースを着て、楽しそうに話している。
時々、マヤから熱い視線を受けた。
彼女からは憧れを持たれていると思っていた。リュカの指摘で気付いた。おまえはマヤに惚れられている、と言われて戸惑った。
今もその戸惑いが、ユーリの告白に圧力をかけている。マヤに嫌われてしまうかもしれない。刺繍師マヤの協力は必ず必要だ。どうやって説得しよう。
目の前に盛られていた料理は、気が付けばあらかたなくなっていた。
みんなで集い食事をしている温もりで、ユーリの頬は紅潮している。だが、舌はご馳走を味わっていない。
アグノスが作ったというチェリーパイが、運ばれてきた。甘酸っぱさとカスタードの濃厚さを堪能し、コーヒーを飲む。
レイサンダーは話し疲れたのか、頬杖をついて遠くを見ている。マヤとルルディはティーカップを両手で持ち、小声でお喋りをしている。
「あの、皆さんに伝えたいことがあります」
ユーリは立ち上がった。皆の視線が集まってくる。
ガラマお爺さんと目があった。ゆっくりと賢人はうなずかれた。
「僕の本当の名前は、ユーリではありません。伯爵家の者でもありません。そして三つ目の嘘は、僕の性別です」
ゆっくりと、落ち着いてユーリは言った。
マヤがあんぐりと口を開けて、首を傾げている。
「僕は……いえ、私の名前はユリア。この国の王女です」
言い終えて、すっとユリアは深呼吸をした。
マヤは口に手を当てる。ショックを受けているマヤの肩にルルディが手を置いた。
「……ユリア王女のおっしゃったことは、真実です。彼女はこの国を救うために逃亡した王女です」
ガラマが低い声で真実の裏づけをしてくれた。
「……ユリア王女様……」
レイサンダーが立ち上がり、ユリアに礼をした。
「あなた様に会えると信じて、やって参りました。お会いできて光栄でございます。ご正体を隠されている間の無礼、お許しください」
「許します。そしてあなたの協力に、感謝致します」
ユリアは毅然として言った。レイサンダーの敬う態度に助けられ、ユリアは王女として、皆の顔を見た。
「私から皆様に、お願いがございます。春の祭りを開催致しましょう。民の力を見せる時です。我が国の伝統、春の祭りが開催されなければこの国に災いが訪れるでしょう。皆さんのお力、貸してください」
もちろんです、とレイサンダーが笑顔で応える。リュカも立ち上がり、賛成、と言った。
「春のデートがオレの楽しみだからね。さあ、皆でユリア王女を讃える拍手を」
リュカが手を叩く。その場にいる者、全員が立ち上がって拍手をした。ルルディは驚いた顔をしつつ、拍手をしてくれた。マヤは手に力が入っていない。
「マヤさん、あなたの優秀な刺繍の腕が必要です。刺繍師の皆さんに呼びかけてくださいますか?」
ユリアはマヤに、問いかけた。
マヤのうるんだ瞳がユリアを見つめて、うなずく。
「はい! ユリア王女のため、わたし、がんばります!」
「ありがとう。期待しています。アンヌさん、踊り子たちをお願いします」
「かしこまりました。王女様の勇気に、あたしたち、ついていくよ。ね、マヤ」
アンヌがマヤを抱き寄せて言う。
唇を噛み締めて頷いたマヤの瞳から、涙がこぼれた。ユリアは切なく、黙って彼女の泣き顔を見つめた。
「さあ、春の祭りを盛り上げよう!」
酔っ払っているレジスが、高々とグラスを上げる。
「ユリア王女に、栄光を」
アグノスがレジスと乾杯をして、言った。 腰が痛くて立ち上がれなかったガラマは、ユリアを優しく見守ってくれていた。
ユリアは同胞たちの想いを、胸の中で抱きしめた。




